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京都、神戸へ行く2

2017-12-22 | 旅行

今朝起きたら8:31だった。慌てて台所へ行くと夫は朝ごはん食べた後。ゴメンと謝ると、あんたはいつ起きてもいいんだからと軽くたしなめられる。姑様はデイケアの日、ほどなくして出かけた。

大いに反省して、姑様のところへ行って片づけしたり、洗濯機まわしたり、した。

明日は義弟が来る予定。二年前に来た時は義妹が来て料理作ってくれて(あとで義妹夫から長男の嫁の役目と、義妹は非難されたらしい)、何より姑様もまだ料理ができていたけど、明日は食事はどうするつもりかな。

姑様は自分の子供たちが来た時には、嫁が混ざるのを嫌がり(嫁を煩わすのを遠慮し)、何か手伝おうとしても「いいからいいから」と一刻も早く私に立ち去ってほしい素振りだった。何が正しいやり方かというと、わからない。いろいろな家がある。まあ、私は楽でよかったので、楽でよかったと思うことにしている。

それでも、私は我が家でみんなが集まる時は、誰は来てもいい、誰は遠慮してほしいなんて一切思わず、誰でもウェルカム。これってごく当たり前のことだけど、嫌な思いから学んだ結果でもあります。その結果、若いときから大勢の料理し慣れてないので、もんのすごく大変である。

ふだん私の作ったものを褒めない夫も、出来が悪いと文句だけは言う。量が増えると料理は難しい。鍋の中で火の通り方が不均一になるせい?

それで昨年末は、次男が来るまで険悪な歳末だった。

店へ行ってもいいんだけど、孫二人がアレルギー体質、あれこれ制限するのがかわいそうで、家で作る。お嫁ちゃんに上手に頼めないのは(昔風に言うと、嫁をうまく使いこなせないのは)姑としての私の力不足。

まあ孫も大きくなり、私も年取るのでいつまでも頑張るつもりはないけど。


おやまあ、思わず知らず愚痴の垂れ流し。無駄話、深謝。

話を戻しますと、そのあと家に帰って、年末調整の仕上げ。


取り急ぎ、昨日の写真の続き。

六甲アイランド、六甲ライナーは無人運転。

シェラトン。以前はとってもきらびやかに見たけど、広島にもシェラトンできました。

エッヘン、これよりでかい。と子供じみたことを。

一度、ここのロビーで、この近くに引っ越したママ友に会いました。息子さんの通う灘高校の話に私がついて行けず、その後は会わず。その後、お元気でしょうか。

震災の時は本土と結ぶ橋が通行止めでとても大変だったというのは、その前、広島へ避難している時に聞いたのだった。

一瞬でタンスが倒れ、気が付くと倒れた二つのタンスの下の三角の空間にいたそうです。

というようなことを思いながら歩いて行きます。

ピカピカ。素材は何でしょうか?

神戸ファッション美術館と神戸ゆかりの美術館は同じ建物でした。ロビーはイベントにいろいろ利用するようです。

ファッション美術館の「アップリケ」は小磯・・・の半券と免許証で200円、ゆかりの美術館は一室に雑誌の挿絵を展示しているだけで800円は高いと思う。でもついでなので見ました。


続いて県立美術館へ。途中の国道。

この付近ではもう国道二号線と呼ぶのでしょうか。片側五車線。幹線道路。

広島でも平野橋交差点付近の国道二号は五車線だと、肩を張る。

エルミタージュ展は1,600円。70歳以上で半額。残念!!

途中で当日券を1,500円で売っていたが買わず。残念!!

エカテリーナ2世の服に冠で写真が撮れます。

http://blog.goo.ne.jp/kawashima134/c/a92c647e2279b3e73b881004dbac863d

エカテリーナ宮殿の肖像画はまた別の絵のようです。神戸に来ているのはエルミタージュの収蔵するもの。

エルミタージュは17,000点もの絵を持つそうで、ツアーで見た、実際に展示していたものは全然ありませんでした。倉庫からテキトーに出して、世界中で絵が働いているようです。


京都に比べると、新開地の神戸、その中でも新しい六甲アイランドもだいぶ時間がたち、落ち着いたたたずまいになりつつありました。これからはここで育った人たちが新しい神戸の歴史を作っていくことでありましょう。

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京都、神戸へ行く

2017-12-21 | 旅行

京都へ行きます。広島からは新幹線で100分くらい。

朝、7:40頃に乗り、着いたのは9:20頃。

八条口を出て南西にテキトーに歩ていると、東寺道へ行きあたります。

道路は、お江戸日本橋からきている国道一号ですね。

弘法市は5年ぶりくらいでしょうか。終い弘法は実に24年ぶりくらい。

見えてきました。

別名、教王護国寺、弘法大師の開いたお寺です。境内はとても広い。

21日は弘法大師の命日で、お参りする人に向けての店が起源と思います。

人出、多し。

何も買わないつもりだったけど、結局、包丁大小2丁、きんつば5個、箸一膳、機織り用の糸200g一綛(←安かった)などを。あと門前の商店でカレンダーを無料でもらった。


続いて神戸に移動。

六甲アイランド内、神戸市立小磯記念美術館へ。

アトリエが移築されています。

そのあと徒歩で神戸ファッション美術館、神戸ゆかりの美術館。六甲ライナーで再びJR住吉に戻り灘まで。そこから県立美術館まで。

 

あの先です。海の方へなだらかな下り坂を10分くらい歩きます。

今はエルミタージュ美術館展をしています。

きょうは弘法市のほかは美術館を4つ、はしごしました。

県立美術館には小磯良平の代表的な作品も展示してあり、見ごたえがありました。

今日は乗り物で移動と、美術館で遅い昼食たべた以外はずっと立つか歩き続けて、疲れました。

足元よく見て転ばないように気を付けました。美術館近くからは三宮行のバスがあり、20分弱で着きましたが、そこから新神戸へは地下鉄、そこから新幹線とちょっと邪魔くさい。

歩数は測ってませんが、二万歩は歩いたかも。自分一人で好きなところへ行けたのはよかったけど、さすがに疲れました。

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本が好きなので・・・

2017-12-16 | 読書

冬はコタツで本読んでることが多い。機織りは、寒いので織り機のところへ行くのが億劫。

絵も、先生に見ていただく日になってやっと描き始める。ずっと気にはなっていても。

読むのは外出するときの電車の中、起きてすぐと寝る前の寝床で。朝は早く目が醒めるけど、夫が起きてくるまでは音を立てないようにしている。いつも、物音で目が醒めたと文句言われるので。

これは本通りフタバ図書で。リサイクル本。ノーベル賞受賞後の作品。

今読みかけ。幾重にも時間が重なり、仕掛けの多い話。若い時と違って話の筋が辿りにくくて頓挫している。

これも同じ店でリサイクル本。一冊で家計と体のダイエットができるというお得感。

自炊して、炭水化物を減らす。お金もかからず、痩せる。これに尽きるようです。

二階のあちこちに突っ込んでいる本、出してみた。「万延・・・」は家に二冊あったのでノーベル賞が決まって何日かして金座街のアカデミィに持って行ったら、嫌そうな顔してそれでも100円で取ってくれた。今ならどうでしょう。

大江の全作品は6冊。あの頃は読んでないと人と話もできない時代の雰囲気。今なら誰でしょう。いないかも。

「洪水のあと」は世界的な核戦争の後、環境が破壊され、文明も途絶えたのちの、わずかに生き残った人間たちのサバイバル物語。戦慄した。チェルノブイリの頃だったこともある。35年後に福島でああいうことになるとはその時は思ってなかった。まだまだ他人事だった。

陽水の快楽は長男のセンター試験現代国語に出たそうな。詳しくは聞いてない。翌日が阪神淡路大震災で、一週間くらいずっとテレビ見ていたので。神戸大は二次試験を岡山大と阪大に分けてしたんだったかな。

と、本それぞれにいろいろな事が乗っかってる。捨てられない。と言いつつ、3分の一くらいは捨てたけど。


絵描くときも、まず本を探してみる。中央図書館で。

アカデミズムと言うのは簡単。でも、写実を究めるのは大変なこと。ほとんどの人は入り口までも行けない。

両端の絵は、広島市現代美術館で二年くらい前に見た。小磯良平にかかると、どんな人でも美人になるのかしら。いえいえ、美人しか描かないのかもしれませんね。

きのう鷹野橋で買った本。本日、読了。

ボケ防止というよりは医者のかかり方、病気との付き合い方に多くを割いている。

テレビ好きと本好きは早くボケるそうです。ギクッ(^^;)

私の30代終わり、読むだけではなく書いたりして、まったく外出せず。楽しみは食べることだけ。

結果、太って、人と込み入った話ができなくなる。引きこもりもほどほどに。

この本では、適度な運動、リラックスして、人と付き合うなどを勧めている。執筆当時、お母様の介護を家族でしていてその話も少し。

今読んでるのはこれ。ユリイカ。めったに買わない。短い批評が多いので、まあ読みやすい。

本日届いたのはこちら。これから見たり読んだりします。

といううちに師走もはや半ばを過ぎました。

年賀状に掃除、年末調整はまだ先でいいけど、どんな人にも等しくお正月はやってくる。そう信じてゆるゆると参りましょう。

 

 

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「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ

2017-12-13 | 読書

メチャクチャ感動して、小説の中の三人の若者のひたむきさに胸が詰まり、さっき読み終えてからずっと涙ぐんでいる。

本読んで泣くなんて、本当に久しぶり。前はいつだったか、もう忘れた。長く生きてきて、少々のことには動じなくなったばあちゃんも、涙が出る。

字が読めるようになってからこの方、数えきれないほどの小説を読んできたけど、たぶん一番感動したと思う。

あと印象に残っているのは10代の終わりの「死者の驕り」「万延元年のフットボール」、30代後半で読んだ「羊をめぐる冒険」くらいかな。いずれもノーベル賞、またはその候補と言われている作家である。

あまり種明かししてはいけないのだけど、語り手のキャシー、友人のルース、そしてはじめルースの彼氏、ルースの死後キャシーの恋人になるトミーは、いずれもクローン人間で、生まれた時から施設で集団生活をしている。

クローンだろうと何だろうと、子供の頃にはやんちゃなエピソードがあり、自我が芽生えるころには愛や友情で一喜一憂するごく普通の人間。

でも彼らには親兄弟はなく、結婚して子供を産むこともなく、将来の夢を実現することもなく、臓器提供者としての使命があるだけ。

ものすごく恐ろしい話だと思った。人が人であるのは親の思いや文化を受け継ぎ、それを子供に伝えていくという命の連鎖の上にあるのだと私は思うから。この作品の登場人物たちの深い孤独。宇宙の闇から生まれ、ひと時命をきらめかせて、また永遠の漆黒の中へと消えていく。

施設で育てられる(培養される)子供たちは、徹底的に疎外されている。命さえも自分のものではない。その中で育ち、友情をはぐくみ、恋をする若者たち。

学園を卒業すると、コテージに移って集団生活をし、やがて一人ずつ、提供のために各地に病院へと散っていく。提供は4回が最多で、その前に術後が思わしくなく死ぬものもいる。

日本料理店でのすっぽんの血抜きにさえ目くじら立てるイギリス人が、こんなことするはずもないけど、もうずいぶん前、クローン羊を作り出したのもイギリス人。科学が命さえ操れる時代、作家はそれにインスピレーションを受けたのだと思う。

この小説には、人間は何によって人間であるのか、命とは何かという深い問いかけがある。

この小説を読んで、両親に見放された孤児の寂しさが、この鈍い私にも少しはわかったと思う。

コテージにいるとき、ルースのクローンの元になった人(ポシビル)を見かけたと仲間から聞かされ、三人は確かめに行く。近代的なオフィスでてきぱきと働く中年のキャリヤウーマンだという。それはルースが夢見て決してかなうことのない将来の自分の姿。

結局、よく見ると似ていないという失望に終わるけれど、孤児が親を探すよりももっと切実で、胸が詰まる。

愛し合っていれば三年間の猶予が与えられる。ルース亡き後、キャシーとトミーはわずかなつてを頼りにそれを確かめに行くが…

死が逃れられない運命としても、最後まで人間は人との信頼をよすがに生きていく。読んでそう思った。メチャクチャ感動した。今年五月に行ったポーランドのアウシュビッツ(オシフェンチム)の収容所を思い出した。

コメント (4)
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