著者はチェコスロバキア(というくにはまだあるんでしたっけ?)1920年生まれのユダヤ人、1943年、アウシュビッツに移送され、同年、労働用にワルシャワに移動、翌年ドイツ、ミュンヘン郊外のダッハウ収容所に移動した後、アメリカ軍によって解放される。
戦後は故国に帰るが、戦時中抵抗運動をしていたドイツ人女性と知り合い、再びともにドイツへ戻り、晩年は青少年を相手に語り部活動をしていたとのこと。この本出版当時の2009年に88歳だったそうですが、今もご存命でしょうか。
私は長い間、強制収容所とはユダヤ人を殺す場所と思っていましたがそうではなくて、働けそうな人、技術を持つ人は最低限以下の食事で農作業や土木作業、工場の作業に駆り出されていたとのこと。
しかし、ドイツ支配地域からユダヤ人が次々送られてくるので、働ける人も消耗品、女子供年寄りのようにすぐ処刑されるか、働かされて体力がなくなって死ぬか、いずれにせよ、死はほぼ逃れられない運命でした。
著者が奇跡的に生き残ったのは若い男性だったということ、弟と助け合って死んでも仕方ない場面、殺されそうな時を切り抜けてきたことによると思う。
日本には平安末期、往生要集という書物があり、人が死後に巡る六つの世界が描かれている。罪を犯した者が落ちる地獄道が、およそ人間の想像できる限りの残酷さで描かれるが、アウシュヴィッツであったとはそれよりももっとひどいと思った。そして人間の想像の中ではなく、現実に起きたことなので、いっそう悲惨だと思った。
ガス室でいきなり殺されるのも悲惨だけど、ほとんど食物を与えられず、死んでいくのもむごい。
著者は「今のドイツ人はこのことで負うべき罪はなく、次に相続するものでもなく、若い人には何の責任もない」しかし「同じことを二度と繰り返してはならないということに対しての責任がある」と言っている。このことに私は感動した。
悲惨の極みから生還した人にしか言えない言葉で、千金の重みがある。
日本とほかの国の間でも「蒸し返すな」とか言い合ってぎくしゃくしている。お互い責め合うのではなく、何があったか、なぜそうなったか、教訓を次世代に伝えるための共同の作業が必要と思います。
写真は著者の家族で、八人だったというからもう一人写っていない人もいたはずだけど弟と著者以外は全員収容所で死亡したとか。全財産を没収されてなぜ写真が残っているかというと、収容所に持ち込まれたトランクの整理をしていた知り合いのユダヤ人が見つけてくれて渡されたという。
それが家族の唯一の生きてた証だとか。