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「アウシュヴィッツでおきたこと」 マックス・マンハイマー

2017-04-28 | 読書

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%A7%E3%81%8A%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC/dp/404621483X/ref=la_B004LW6TA8_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1493313393&sr=1-1

著者はチェコスロバキア(というくにはまだあるんでしたっけ?)1920年生まれのユダヤ人、1943年、アウシュビッツに移送され、同年、労働用にワルシャワに移動、翌年ドイツ、ミュンヘン郊外のダッハウ収容所に移動した後、アメリカ軍によって解放される。

戦後は故国に帰るが、戦時中抵抗運動をしていたドイツ人女性と知り合い、再びともにドイツへ戻り、晩年は青少年を相手に語り部活動をしていたとのこと。この本出版当時の2009年に88歳だったそうですが、今もご存命でしょうか。

私は長い間、強制収容所とはユダヤ人を殺す場所と思っていましたがそうではなくて、働けそうな人、技術を持つ人は最低限以下の食事で農作業や土木作業、工場の作業に駆り出されていたとのこと。

しかし、ドイツ支配地域からユダヤ人が次々送られてくるので、働ける人も消耗品、女子供年寄りのようにすぐ処刑されるか、働かされて体力がなくなって死ぬか、いずれにせよ、死はほぼ逃れられない運命でした。

著者が奇跡的に生き残ったのは若い男性だったということ、弟と助け合って死んでも仕方ない場面、殺されそうな時を切り抜けてきたことによると思う。

日本には平安末期、往生要集という書物があり、人が死後に巡る六つの世界が描かれている。罪を犯した者が落ちる地獄道が、およそ人間の想像できる限りの残酷さで描かれるが、アウシュヴィッツであったとはそれよりももっとひどいと思った。そして人間の想像の中ではなく、現実に起きたことなので、いっそう悲惨だと思った。

ガス室でいきなり殺されるのも悲惨だけど、ほとんど食物を与えられず、死んでいくのもむごい。

著者は「今のドイツ人はこのことで負うべき罪はなく、次に相続するものでもなく、若い人には何の責任もない」しかし「同じことを二度と繰り返してはならないということに対しての責任がある」と言っている。このことに私は感動した。

悲惨の極みから生還した人にしか言えない言葉で、千金の重みがある。

日本とほかの国の間でも「蒸し返すな」とか言い合ってぎくしゃくしている。お互い責め合うのではなく、何があったか、なぜそうなったか、教訓を次世代に伝えるための共同の作業が必要と思います。

写真は著者の家族で、八人だったというからもう一人写っていない人もいたはずだけど弟と著者以外は全員収容所で死亡したとか。全財産を没収されてなぜ写真が残っているかというと、収容所に持ち込まれたトランクの整理をしていた知り合いのユダヤ人が見つけてくれて渡されたという。

それが家族の唯一の生きてた証だとか。

 

 

 

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「アウシュビッツ博物館案内」 中谷 剛

2017-04-22 | 読書

ポーランドのアウシュヴィッツに一人、日本人の公式ガイドがいると以前から聞いていた。

1966年生まれの中谷剛氏がその人である。学生の時アウシュヴィッツを訪れて衝撃を受け、頭から離れなくなって、再びポーランドを訪れ、苦労してガイドの資格を取った人らしい。今は現地で結婚し、子供もいるので、すっかりポーランドの地に根付いた方なのだろう。

その人が、現地に行けない人にもわかりやすく、アウシュヴィッツとビルケナウ(アウシュヴィッツが手狭になり、近くにさらに広い収容所が作られた)の施設を紹介している。

まあよくもここまで残酷なことができるものだと、空恐ろしくなる。殺された人の数の多さにもただただ驚くばかり。ユダヤ人他からはぎ取った財産は莫大な額にのぼり、当時のドイツの国庫に入ったとか。かなりの部分が戦費にも割かれたはず。と私は想像します。

二度と繰り返してはいけない負の世界遺産、今では世界中から見学者が訪れると言う。特にヨーロッパ各国の若い人たちが多く来るとか。

日本人は少なく、(年間一万人にも満たない=この本の刊行当時)しかも年配の人が多いとか。

若いときにここを訪れたら、世界観、人生観が変わり、その後の生き方にも大きい影響があるのでは。

たぶん、人類は二つに分けられる。アウシュビッツを見た人と、これから見る人に。ポーランドヘ行くのが無理な人にとっては大変参考になる本と思います。

 

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「ホロコースト」ナチスによるユダヤ人大量虐殺の全貌 芝健介 

2017-04-20 | 読書

新書ながら、ホロコーストの概説書としてわかりやすく、また大変読み応えのある本だった。

情緒的、感情的表現は全くないけれど、淡々とわかっていることだけが記述された行間から、歴史上かつてなかった民族差別と無差別殺人の実態が立ち昇ってきて、戦慄を覚えた。

ユダヤ人への偏見と差別はこの大虐殺以前から長くヨーロッパ社会にくすぶっていたのだろうけれど、肌感覚として日本人にはわかりにくい。

第一次大戦後のドイツ社会の経済的な破たんと社会の行き詰まりが、スケープゴートとして、ユダヤ人を迫害することになったのはよく言われていることだけど、ヒットラーの極端な言説をなぜドイツ人はやすやすと受け入れてしまったのか、そこのところが私には最大の疑問。

何かの集団を自分たちより劣る人間として差別する。これって、いくら差別をやめましょうと言っても大小取り混ぜて、私がニュースで知る範囲の日本の国でだって、全然なくなってないばかりか、ネット社会になって無責任でとっつきやすい極端な話が噴出してきているようにも思う。

人を差別するのは人間が社会を営み始めた、ごく初期からの悪弊かなと私は思う。それを防ぐには知性を磨き、人の弱みを想像し、自分の権利は守り主張し、差別しない、差別されない強い心を持つしかないのではと思う。

私の狭い知見から、社会の底辺にいる年寄りが却って差別意識が強かったりする。人間として、その人たちも大切にされてこなかったのでしょう。

この国全体で、人を大切にする取り組みが一層大切と思います。

2012年、ドイツへ行ったとき、ブランデンブルグ門の傍にナチスの格好した若者数人がいたのでぎょっとした。観光客に写真撮らせてお金を稼ぐらしいが、ドイツも今はネオナチが生まれ、ホロコーストの反省が本当に社会全体にいきわたっているのかと、疑問に思った。


ユダヤ人はずるがしこく劣った民族。混血をして民族がけがれるのを防ぐため、ソ連との戦いに勝利した暁にはユダヤ人を東方へ追い払う。それが思わしくなくなると、マダガスカルに全員移住とか、考えていることが荒唐無稽である。そこにも住んでいる人はいるし、いきなり行った大勢の人の生活なんて全然考えてませんね。

こんな粗雑な考えで、一つの国の政策が動いていくなんて、本当に信じられない。早晩行き詰まると、占領下のポーランドを中心にしてゲットー(特別居住区)に押し込め、最低限の食物だけ与えて、軍需産業で強制労働。

社会の役に立たない障碍者、精神病患者、同性愛者、極度の近視のものまで銃殺されるのがホロコーストの始まり。それはポーランド侵攻の1939年に始まり、1942年からはユダヤ人を根絶やしのするための大量虐殺が始まる。

日本では強制収容所と呼ばれることが多いけど、この本では絶滅収容所と名付け、現在のポーランドの範囲に6つあった。1942年1月の最初の殺戮から45年1月までの三年間、殺されたユダヤ人は500万人台前半から600万人を超えるかもしれないとのこと。

これはもう、収容所ではなく、いかに効率よく人を殺すかに特化した殺人工場と呼ぶしかない。

人間が人間に対してこんなことができるのだろうかと、人間の心の奥の闇に戦慄するしかない。殺される人の一人一人、子供も年よりもどんなにか恐怖だったことだろう。ユダヤ人に生まれたのは本人の責任でもないし、落ち度でもない。

ある民族全体がある民族より劣るなんてことがあるはずがない。豊かな国、貧しい国、地球上にはいろいろあるけど、それは地理的条件や歴史的な流れに規定されていて、そのことで差別したり、されたりはよくないと私は思う。

なんか熱くなってしまったけど、人より自分が優れていると思いたいのは人間の悲しい性。猿から人間になる時にもう身に着けた習性かもしれない。誇りは大切だけど、やっぱり民族差別はよくない。

ホロコーストはいつまでも記憶され、そこから学ばねばならない歴史の一大汚点だと思う。

 

 

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「女の旅じまん」 酒井順子

2017-04-02 | 読書

2014年3月 南仏、マルセイユ空港 深夜。

ルフトハンザのストで急きょKLMに。予想しない空港に下りました。今から高速道路を二時間かけてニースに向かいます。

思わぬことが起きるのも旅の常。それを半ば楽しみつつ、帰ってきて人に話してもフーンという反応。

この本にある通り、旅の感想はおいしかった、きれいだったの域を出るものはない。聞く方はだから?と思うしかない。そうなんですよね。もって銘すべし。


この本の刊行は1997年、もともと雑誌に連載されていたので、内容はさらにさかのぼり、日本中がバブル経済に潤い、浮かれていたころ。

著者はその頃広告会社に勤務していて、休みには海外へよく旅行に行っていたという。その体験談が、今となっては古いところもあるけれど、(世界中、テレビとファックスがあるので情報が取れるとか)、ある時代の若い女性の海外旅行のようすを切り取って、もう少ししたらもっと面白い資料ではなく、史料になっているかもしれない。

あの時代、女だからと躊躇することなく、いえ、女だからこその消費活動の数々、今となっては懐かしい。危うさも内包しつつ、考えも行動もうんとワールドワイドになった時代。海外でひんしゅくも買いながら日本人が闊歩していたのだろう。

あの頃、ハワイやアジアのリゾート地に出向いたオーエル(この本での呼び方)、今は50歳前後?

きっと忍従やしがらみからは自由。それぞれの場所で元気良く生きていると思う。旅は人を元気にし、広い視野を身に着けさせるもの。そう信じたい私。

2015年4月 ドイツ、ベルンカステルクース。モーゼル川に観光船がとまっています。

人に話すのはためらう旅行の体験いろいろ、ブログでなら自慢話も失敗談も躊躇なく。いい時代になったものです。

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