フリー素材より。ダリア。
昼前に待ち合わせて、友達二人と会食。
そばの前に前菜とてんぷら、蕎麦の後には炊き込みご飯、またはわらび餅が選べます。盛りだくさんで、おいしくて、お値段そこそこ。
「美味しいもの食べて、気心知れた人と楽しく話して、私達幸せよね。でも窓がなくていい景色がないのが残念」と、私が言うと、友人が「その代わりに私の顔を見て」と。はいはい、そうでした笑。
食後は歩いてさる美術展へ。知り合いが出展していて、その場で別の知り合いもいて、他の要件も連絡したりして、一気に片付ける。
当地の工芸の世界もいろいろなところで繋がっていて、年は行ってるけど私は新参者。皆さんに頭下げていろいろ教えてもらう。
家を出る前、今回のリフォームの二件目の見積もりが届いた。最後のが来てから決定の予定。
夫は山を昨日歩いてやや不調。西洋医学だけではなく、整体とか行けばと勧めてもなかなかその気にならないようで。でも、先で困るのは本人。気長に話してみよう。
11月は他に二件、工芸展を勧められている。その他にも京都へ行く予定。と気候のいい時にせいぜい動きたいものです。
毎日の生活でストレスをためない。楽しいことは大いに楽しみ、嫌なことは忘れていく。人は来てまた去っていくもの。去った人をあれこれ思わず、今付き合っている人を大切に。
人の縁が切れるのは、次の新しい場面に行きなさいとの何かの計らい。素直に流れに乗っていく。
先日、遠くの友人が、別の、これまた遠くの友人の消息を知らせてくれた。体調悪くて私たちに連絡できなかったとのこと。心配です。私のことが嫌いになってもう付き合わなくていいと決めて、楽しくやっているのならそれでもいいと思っていたけど、そうではなかったので。
無理せず気長に快復してほしいと思う。
今日一日を無事に過ごせたことは当たり前ではなくて、いろいろな条件がそろった有難いことと思うって、考えることがいちいち年寄り。
いいもん、年寄りだもん。
大学では、学生さんに、あの人、今から勉強してどうするつもり?と思われているかもしれないけど、今まで生きてきたからこれからもずっと生きていくように錯覚している。20歳の頃と、今と学びの心は変わらない感覚。というか、親のお金で勉強していた時より、今の方が真剣かも。この年では、どんなことでもこれが最後かもしれないとしみじみと味わう私がいる。って、これまた年寄りくさッ。
年寄りの常として、昨夜は山を上がり降りして疲れて早く寝たら未明に目が醒めたので、今夜も早くに寝ることにします。寒くなる前の一瞬の気持ちいい季節、大切に過ごさなければ。