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「彼女に関する十二章」 中島京子

2018-06-30 | 読書

直木賞作家が婦人公論に連載していた作品。単行本は2016年発行。

50代前半の宇藤聖子は、編集プロダクションを経営する夫と二人暮らし。税理士事務所でパートとして働き、一人息子は関西の大学の院で哲学を研究している。

子育てを終わり、さりとて老年期にはまだ間がある女性の周りで起きることを伊藤整の昔のエッセィ「女性に関する十二章」を本歌取りしながら、今の時代の男女関係はどう変わってきたかを小説として構成している。

この構造がなかなかエスプリが効いていて、ところどころに引用される伊藤整の文章と、それを外し、今の時代に読み直しつつ、物語が進んでいく。

著者は誰でも知っている昔の名作を自分の小説に組み入れた作品がいくつかある。

イザベラバード「日本奥地紀行」を題材に、通訳の青年とイザベラバードの関係を書いた「イトウの恋」、漱石の「明暗」の後日談「續明暗」などなど。

この中に出てくる人はどれも個性がくっきりと過不足なく書かれ、いかにもいそうな人にもそれぞれ奥行きのある書き方をしていてさすがと思った。

息子がいきなり彼女連れて来て、もう同居している、次に彼女だけが思いつめた様子で現れ、妊娠を告げられた時の慌てぶりとか、私も姑の端くれなのでとてもよくわかる。

息子の彼女は、親が漠然と思い描いていた人と違って、たいてい外してくるものです。でもやがて、二人が出会うのは縁があってのことと納得いくのが親。そのあたりもうまく書けていた。

そうそう、大変だけど、お互い頑張っていきましょう。そんな元気のもらえる小説だった。

 

 

 

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「光の山」 玄侑宗久

2018-06-20 | 読書

福島県の臨済宗寺院の住職で芥川賞作家、作者には書かずにおれなかった作品集だと思う。

東北大震災のあとの人々の様子、報道では決して表現できないこともフィクションなら可能なこともある。

「蟋蟀」で、家ごと流された父子が見た黒い山に見えた津波、その津波に流される人、あちこちに引っかかっている死体の一部…思わず息をのむ迫真の描写だった。

テレビニュースでは決して触れないことだったし、人が避難したあと放置され、死んだ家畜のことなども詳しい報道はなかったけど、この小説読んで想像以上の残酷さだったと思った。

未曽有の災害は人の在り方をむき出しにする。震災避難から離婚に至る人、みなしごになって一時他人に預けられる子供、震災がきっかけで結婚するカップルの式を請け負う人は、妻を亡くしている。

悲しさがいっぱいの短編集だけど、どんな災害にも人の優しい心は負けない、人を思う気持ちが人を生きさせる。それは被爆者の話を聞いた時にも思ったことだけど、それだからこそ人は尊いのだと思った。

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「人生がときめく片付けの魔法」 近藤麻理恵

2018-06-16 | 読書

カシワバアジサイ。これは昨年六月末。今年はどの花も半月くらい早い。

暑い夏になるのかも。


片付けの本を読んだら家の中が片付くわけではないけれど、この本は片付けとはそれまでの人生をリセットして新しい一歩を踏み出すもの、自分が何をしたいか見えてくると扇動するので、本当に片づけたくなってしまった。

片づけられないのは過去への執着と、未来への不安だそうで。なるほど、着ない服、持ち主はとうに大人になったぬいぐるみ、いつかは読むつもりの本など、人間の不安、弱さがものをため込む行動に現れるものらしい。

著者は子供のころから片付け大好き、幼稚園の頃から主婦雑誌を読み、今は片付けのコンサルタント。困っている家や会社で、徹底的に捨てさせ、要るものだけの快適な暮らしを提案するコンサルタント。

片付けは暮らしが風通しよくなるだけではなく、人生に対する姿勢が積極的に変わるのだそうで。

きのう読んでそそのかされた私は、今日、10時ころから16時ころまで洋服類全部出して要らないものをより分けてみた。

思い切って捨てたものもあるけど、この本のように20袋もは不用品は出なかった。2袋です。夫のは触ってません。一部、姑様のデイケア用に譲るのもあります。

ついでにコートなどを日に当ててまた片付けた。

いろいろ出すと自分の歴史をたどるようで面白かった。

何を血迷ったか、35年くらい前、毛皮のコート、ローンで買って、もう全然着ないけど、値段考えたら捨てられません。本当にバカなことしたものですが、あの頃流行ったのです。幼稚園の参観日や、小説の同人会や、そのあと同業者の奥様方の集まりに何度か着て行ったけど、当時からどこも暖房きいてるので脱いで持ち歩くのがとても邪魔で、やがて挫折。

3年前、フランスのコールマールのスーパーで、仲良くなった大阪の人と同じワンピース買って、食事のとき着たら受けました。派手なパンジー柄、ノースリーブ。まったく何を血迷っていたのやら。

と、いろいろ楽しいこと、恥ずかしいことを思い出して、なかなか有意義な一日でした。

本は姑様の本棚から無断拝借。2011年発行。その頃は姑様も片づけなければと思っていたのでしょう。

でも捨てられなかったようです。

現在の姑様の家の状況。

一部屋は和服部屋。箪笥が4棹くらい。入りきれないのは畳の上に無造作に置き、着付けの小物なども一緒に層になって足の踏み場がない。

もう一部屋は書類、文房具、雑貨、ポケットティッシュもものすごくたくさん。そして洋服。洋服はブティックにあるような可動式の洋服掛けをいくつか買い、それに吊るしてある。こちらもほとんど空間がない。

物入れも物がいっぱい。でもまだお姑様は家にいるので全然タッチしていません。

従業員を置いていた部屋は、大部分を夫が自分のオーディオルームにしたけれど、その時もぎっしり詰まった荷物の整理に大変だった模様。私はタッチしてませんが。

一つだけ残った従業員の部屋は古い洋服、古いカーテン、古い布団…何でもあってこちらも畳は一畳分くらいしか見えない。たまに思いついて捨てるけれど、すっきりするのには毎回資源ごみ出しても1年以上かかりそう。

人のもの勝手に捨ててるって???とんでもないって????

50ねんくらい前、私と付き合ってた頃の夫の冬のコートとか、義弟の中学校の体操服とか、義妹の学校の制服とか、勝手に捨ててます。要るんだったと苦情が出たら、私が私のお金で買いなおすつもりです。ありえないけど。

仕舞う場所があったからたまってしまったのでしょう。

本買うくらいだから何とかするつもりだったのでしょう。でも、もう体力気力ともになくなっていたのでしょう。

代わりに不肖の嫁、この私がこれからも勝手にどんどん捨てるつもりです。壊れた電気毛布、義妹の置いていった下着などなど。

ああ、全部なくなればどんなにすっきりするでしょう。


この本は写真や図版は一切ありません。求道的な片付け本、でも読後、私はは片づけたくなりました。よかったらどうぞ。


話のついでに。最近、同窓会へ持って行くバッグ、考えるのですが、なかなか決まりません。

軽くておしゃれで、服に合って、荷物たくさん入って、いいとこのマダムに見えて(全然そうじゃないけど)、安くてってバッグ、なかなかありません。

で、アマゾンで見たこちらのバッグ。23万円って・・・たぶん一桁違うと思う。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9NSTGV/ref=dra_a_rv_mr_hn_xx_P1700_1000?tag=dradisplay0jp-22&ascsubtag=6ab005a72b614e92e63da16922feaa87_S

でも本当だったら怖いのでクリックしない。色違い持ってるので、たぶんもう買わないけど。

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「屋根をかける人」 門井慶喜

2018-06-13 | 読書

同志社大学アーモスト館と本


明治時代末、日本に来て多くの西洋建築を設計し、メンソレータムを国内販売したことで知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの来日から亡くなるまでに題材を取った小説。

ヴォーリズが日本での大半を過ごした滋賀県近江八幡市に、去年は二度も旅行したので、面白く読みました。

旅行記はこちら。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/b072e7473c489d37b2a3d787f414f1eb

初めは英語教師として来日、課外授業で聖書を教えたことでわずか二年で免職。そこからヴォーリズの奮闘が始まる。と言っても小説なので、小説として読まなければならないけど、百年以上の前のこと、ノンフィクションとうたっても著者の取捨選択はあるので、大した違いはないのかも。

話し八分目に楽しみながら読めばいいのだと思う。

初めは現場監督を任され、コストを掛けずに資材の調達ができることが評判になり、設計も引き受けるようになる。

おりしも時代は大正時代から第一次大戦後の好況期、西洋建築の需要増加の波にうまく乗れたのだろう。経営の才能もとてもある人だと思う。

設計したのは1,600もあるそうで、皆様も必ずやどこかで一棟くらいは見ているはずと思います。

私が見たのは軽井沢テニスクラブのクラブハウスと小さな教会。これは戦時中、外国人が半ば強制的に移住させられた時の作品。

京都では三条大橋袂の東華菜館、同志社大学のアーモスト館、芦屋の…名前は忘れたけど、朝ドラあさが来たの主人公の娘の住んだ洋館、福岡の牧師館、それから近江八幡の建物の数々など。

どれも親しみの持てる建物。軽井沢の教会や近江八幡の暮らしていた家、学校などは中に入るとほっとして、建物の優しい雰囲気に包まれる心地よさがありました。

日本社会に馴染もうと本人も苦労したでしょうし、戦争中、とうとう妻の養子に入る形で日本人になります。両親もアメリカから呼び寄せて面倒見ています。

この小説の中ではマッカーサーに天皇制存続を助言したり、昭和天皇と長々と話し合う場面もあります。小説には小説的結構が必要と著者は考えているのでしょうが、無理にまとめにかからなくても私はいいと思います。

昭和天皇に向かって私は屋根をかける人だったというくだり、小説だから何書いてもいいけれど、???と思わせてはいけませんと思います。これって某放送局の大河ドラマで主役が時代を動かしているような不自然さと同じ。

まあそこのところを除くと面白く読めました。建築と商売と二つの才能があり、建物には不思議な安らぎがある。結局は人が好きで、建物の中で人が幸せに暮らすことを願った人なのだと思う。

ヴォーリズさん、ありがとう~

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「家族力」 山本一力

2018-06-06 | 読書

2002年、文芸春秋刊のエッセイ集。

話題は多岐にわたり、いずれも短文だけど、山本一力という直木賞作家のおおよそを知ることができた。作家になるための努力はとても大きなものだと思うが、ここではさらっと書いているだけ。

それよりも驚くのは結婚三回、前の二回のときは相手に学歴も年齢も嘘ついていたこと。嘘で始まった結婚は自分の女性関係で終わりを迎える。

小説書かなければただの破滅型の人、が、あれもこれも、結果としては書く肥やしになったことだろう。

さらに驚くのは現在の夫人の実家の経済的破綻の顛末。銀座の酒屋、相続で17億円を親族に渡し、銀行からの借金でビルを建てる計画は、直前になって融資が下りず、代わりにさらに高利のお金を借りることになり…とバブル経済がはじけるころの悲劇。

山本氏は借金を返すため、ビデオ制作会社を立ち上げ、高価な機材各種を買い、文芸作品の故郷を訪ねる作品を作って、図書館や学校に売り込む計画。

その作品は堀辰雄の追分、太宰治の津軽…うわぁ、これは売れんでしょうと思った。見たい人はごく少数、作品読んでる人もごく少数。近代文学の代表的作品、教養として読んでて悪くはないけど、読まなくても暮らしていけると開き直られればそれまで。辛いなあ。

その借金は返せたのだろうか。本が売れたので返せたのでしょう。きっと。そのくらい追い込まれないと小説って書けないのかもしれない。

著者の生い立ち、母子家庭も貧しさも、転職も離婚も、そして大借金もしないで済むならそれに越したことはない。しかし追い詰められた人が、力を振り絞って書こうと決めた時、予想外のパワーが出るのかもしれない。

作家は最後の職業という言い方がある。いろいろな業種を経験し、書きたい気持ちだけでやむにやまれず参入していく業界。もちろん学生時代に見いだされ、そのまま作家になる人もいるけれど、山本氏のように振幅の大きい人生も面白いのかも。

作品も機会を作って読みたいものです。


先日は実は弟も出ていました。台詞も一言だけいただきました。

大人の出演者に混じってはいポーズ。

目に化粧して髪も七三に分けて、我が家でちょこちょこ遊んでいる姿しか知らないので見違えました。

それにあんなに緊張している姿、初めて見ました。本人にはいい経験になったでしょう。大人になっても覚えているでしょうか。

こちらはオーディションの様子。

「**ちゃんが受からなければ誰が受かるのと思った」とお嫁ちゃんは嬉しそうだったけど、歌って踊ってきれいなドレス着て、人から可愛いと言われて、全部大好きなことなので本人は本望だったことでしょう。

これが人生の山場ではなく、これからの長い人生、もっともっといいことがたくさんあるからね。

ばあちゃんはいずれ居なくなるけど、そのあともいい人生を歩んでねと思ったことでした。

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