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日々のあれこれ
 

「彼女に関する十二章」 中島京子

2018-06-30 | 読書

直木賞作家が婦人公論に連載していた作品。単行本は2016年発行。

50代前半の宇藤聖子は、編集プロダクションを経営する夫と二人暮らし。税理士事務所でパートとして働き、一人息子は関西の大学の院で哲学を研究している。

子育てを終わり、さりとて老年期にはまだ間がある女性の周りで起きることを伊藤整の昔のエッセィ「女性に関する十二章」を本歌取りしながら、今の時代の男女関係はどう変わってきたかを小説として構成している。

この構造がなかなかエスプリが効いていて、ところどころに引用される伊藤整の文章と、それを外し、今の時代に読み直しつつ、物語が進んでいく。

著者は誰でも知っている昔の名作を自分の小説に組み入れた作品がいくつかある。

イザベラバード「日本奥地紀行」を題材に、通訳の青年とイザベラバードの関係を書いた「イトウの恋」、漱石の「明暗」の後日談「續明暗」などなど。

この中に出てくる人はどれも個性がくっきりと過不足なく書かれ、いかにもいそうな人にもそれぞれ奥行きのある書き方をしていてさすがと思った。

息子がいきなり彼女連れて来て、もう同居している、次に彼女だけが思いつめた様子で現れ、妊娠を告げられた時の慌てぶりとか、私も姑の端くれなのでとてもよくわかる。

息子の彼女は、親が漠然と思い描いていた人と違って、たいてい外してくるものです。でもやがて、二人が出会うのは縁があってのことと納得いくのが親。そのあたりもうまく書けていた。

そうそう、大変だけど、お互い頑張っていきましょう。そんな元気のもらえる小説だった。

 

 

 

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またまた同窓会

2018-06-29 | 日記

きょうは、以前お稽古で一緒だった友達と先生が集まり、食事して楽しく話しました。

新幹線口、21階のレストランです。

左向こうはシェラトン。今しも新幹線が・・・出たのかな、着くのかも。

午前中、一時、雷鳴轟き豪雨。集まるころは雨も上がり、霧も晴れてきました。

三か月ぶりの皆さんは、境遇に少しずつ変わりはあるけど元気で、楽しい教室がよみがえりました。

先生が糸各種持って来られて、要る人に下さいました。

私は細い麻糸=高級品、そのほかを持ち帰りました。

すぐに織らなくても糸がいろいろあるのは嬉しいものです。

解散後、とても楽しい気分のまま、駅中のショップでTシャツ一枚買いました。今日の楽しかったこと、着るたびに思い出したいので。

本日の幹事は私、同業者組合のカードで1割引き。割引は主婦には嬉しい。来月、今度は身内で集まります。

自分で何か楽しいことしないと、誰も私を楽しくはしてくれません。嫌なことは流し、自分でなるだけ楽しい場面を作りたいもの。

先生、皆さん、きょうは有難うございました~

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小磯良平展に行く

2018-06-28 | 日記

蘭島閣美術館で開催中

蘭東閣って…呉の先の下蒲刈島にあります。

朝鮮通信使が立ち寄った港の遺構が残り、いろいろな文化施設が充実しています。

車で行くと道路と橋の通行料が高いのでバスで行きます。

バスは有料道路に入ります。

呉を抜けて安芸灘大橋わたります。普通車で720円だそうです。

もうすぐ着きます。

下蒲刈中学校でバスを降りて、美術館に向かいます。

案内通りに行きますが山へ上がる車道はどうも違うらしい。

お寺のところから下ります。

バス降りて徒歩で向かう人はないらしく、あくまでも車の案内。

でも車でも海沿いの細い道が近道です。

お寺にいる人に道を聞いてまず向かうのはまるやカフェ。

ランチがおいしいと聞いていたのですが、本日はカフェメニューのみ。

しかもセルフサービス。誰もいません。

海は目の前。

アイスコーヒー300円。代金は料金箱に入れる仕組み。何というおおらかさ。他にお客さんいません。

外観。空き家をリノベーションした感じ。

カフェから歩いて数分で着きました。地元の人は15分くらいと教えてくれましたが、年寄りと見くびられたのかも。歩くのは平気だけど、暑かった…

入ります。

人は少なめというか、見ている間は全然いなくて静かに鑑賞できました。

主な作品というよりは各時代の流れをたどるような配列。

戦後しばらくしたころの、広島の平和式典用ポスターの原画もありました。

その他デッサン多数。

そして弟子筋、新制作グループの画家の絵も。

2月まで教えてもらっていた先生の絵もありました。来月、その先生のギャラリートークがありますが行けないので早めに今日出かけました。

都市部の展覧会だと人の頭の向こうにわずかに見えたりするけれど、きょうは本当に贅沢でゆったりと鑑賞できました。

黒田清輝、藤島武治、小磯良平…日本近代の洋画の高い山脈。アカデミズムというは簡単。描くは難し。無駄のない線の運びを見るとこちらも気分すっきり。よく片付いた人の家に招かれたような。

小さな食堂で昼ご飯食べてもう帰ります。

14:12、定刻にバスが来ました。

またまた安芸灘大橋通って

広島大橋通って。浮かんでいるのはカキ筏。広島市街が見えてきました。

あの付近は全部がマツダの工場。

車両運搬船が停泊しています。

帰宅は16時前。片道83分のバスの旅でした。

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オーバーショット織り、糸の計算をした

2018-06-26 | 機織り

次は100cm×40cm(いずれも概数)のタペストリーを織ります。

複雑な柄が好きなので頑張って製作、秋の展示会に出す予定です。

本日は糸の必要量を計算して糸巻きに糸を巻きます。

今回の織り柄は、経糸が275本でできる予定です。

60/10cmの筬に混羽(一つの穴に2本の糸を通す)、両端だけ補強で3本通すつもりなので整経する糸の本数は275×2+2=552

552本の整経です。

経糸の長さは織り柄100cm+前後の余裕70cm=170cm

経糸の必要量は552×170=93,840cm=938.4m

回転計を持っていないので、糸の重さから、糸巻きにどのくらい巻けばいいかを計算します。

今回使うのは12番手2本撚りの糸です。生川商店コットンクィーン、綿の表面を化学処理して絹の光沢、発色もよくて好きな糸です。糸見本を注文後に売ってもらえます。電話で可。

1kgの重さで1kmの長さの糸が1番手、12番手は12km、2本撚りなので1kgの重さで6kmの長さの糸となります。

1,000gで6,000m→1gで6m→156.4gで938.4mとなります。

友達からもらった糸巻きは5本ですが、偶数でないと綾は取れないので4本使います。

各糸巻には156.4÷4で39.1g巻きます。

糸巻きの重さは90gなので糸込みで129.1gになれば巻くのをやめる。

それはまあ計算上で、糸が足りないとめんどくさいので多めに巻き取ります。

本日の作業はここまで、明日以降に整経を頑張ります。

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やれやれ、疲れも取れた

2018-06-25 | 日記

昨夜はワールドカップを見る夫に付き合ってたけど、途中で寝て、朝まで爆睡。疲れも取れたようです。

朝は姑様を送り出して、昼休みは裏の工事現場の監督さんに来てもらって、先日以来の不具合を再度確認した。

西隣の賃貸ビルとの境のブロック塀は夫の背よりも高く、先日の工事の振動で傾いたので基礎から何段か残して撤去してもらうことにした。

40年前に家建てた時にはすでにあった塀。今となってはどちらが造った塀か分からない。

初めからとても嫌だったんですよね。嫌なこと、孫子の代にまで持ち越さなくてよかった。

七月になると家の周りの修理いろいろしてもらうけど、家の傾いたのはどうしてくれるのよ、元通りにしてと強く言った。

夫がではなく私がです。こういう時は性格が出る。しかし女ですからね、女に言わすなよと言いたい。ったく。


初めて咲いたヤブカンゾウ。

実家の田んぼの畔にあった。もっと遅く、7月ころ咲いていた。

稲が育ち始め、緑一色の中でとても鮮やかだった花。

一昨年、上下町の翁山に見渡す限りの大群落をつくっていた。五月なので葉が出たばかり、でもノカンゾウかヤブカンゾウと思い一株だけいただいてきた。

庭に山野草があるのがとても嬉しい私。

ギボウシに半夏生。いずれも姑様からもらう。

半夏とは二十四節気の一つ、夏至から11日目のこと。この日までに田植えを終える目安とされる。

子供のころ、「半夏する」と親が言っていた。意味は、田植えを終えて、地区の人たちが集まり、ご馳走食べて骨休めをする行事。

生活の大部分は季節とともに。田植えを終えた水田のすがすがしいこと、風も涼しく、開け放した座敷はとても涼しかった。

だから今の家も、外せる引き戸は外し、見た目を広くしている。もう子供たちの個室も不要、物を捨てて広く広く住みたいのです。

ドクダミの仲間だそうで。葉は初め緑一色、次第に根元から白くなる。

派手ではないけど涼しげで上品、お茶花にするそうです。

 

 

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疲れはあとからやってくる

2018-06-24 | 日記

昨年、息子宅で孫たちのお誕生会しました。

今年は姑様のことと二人がミュージカル出たので、それどころじゃなかった・・・・


昨夜はバスの中で眠りながら帰り、帰宅後は貰ったお菓子食べながら夫に土産話、そこそこの時刻に寝たけれど、きょうは疲れがドット出た感じ。

しみじみと歳ですね。

午前中は次に織るオーバーショットの柄を決め、糸を決めるところで挫折。

秋の展示会に出品予定だけど、持っている糸はどれもピンとこないので買うつもり。広い会場で遠くからでも目に付く色と織り柄。難しい。

出展料に糸代に糸の送料に…と計算すると、何もせずじっとしているのがお金と時間の節約。がしかし、少々無理をするのもボケ防止。ここは一つ、無理することにします。


午後からは横になって本読んだりするうちにもう夕方。

今回の疲れの原因、6.5cmのヒールの靴で重い荷物持って、硬い道を歩いたこと。それに尽きる。

タクシーで行けばいいものをつい頑張って歩いてしまった。反省。雨まで降ってたのに。


夜、幹事の子からお礼メール。また会いましょうって。嬉しいけど、しばらくは疲れを癒したい。

話が出たのが4月初め、それから延々と3か月近く、待ちくたびれたのもある。

でも地域トップのホテル、いい感じでした。広島で言うとグランビアではなくリーガの選択。幹事に感謝。

一人がいい感じに着物着ていたのもよかった。おしゃれな単衣。私も着物着れば、窮屈な靴履かずに済んだのに。雨が返す返すも残念。

次は着物着ようかな。季節にもよるけど。

一年が過ぎるのが早いこと。

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明日はいよいよ同窓会ですが…

2018-06-22 | 日記

先生を囲んでの昼食会。半分以上は初対面の人なので、どんな話になるのか予想がつかない。

これって、結構ストレス。

いえいえ、少人数の場に遠くから参加できて、お世話もさせてもらうのだから、喜ばないとね。

Pくん、声かけてくれてありがとう~。会うのは去年の9月以来。大切な友達。嬉しいなあ。

私の高校生活のkey persons、ほかの二人の男子は不参加。残念!!

声はかけると言っていたけど、遠いからね。遠く離れてしまったけど、お互い元気でいましょう。

で、あすに備えて本日久しぶりに美容院へ。

そろそろ店替えたくなって、20年以上ぶりに近くの店へ。

初めてです…というと怪訝な顔されて、私のこと憶えていた。

そうそう、教え子だったんだ、とやっと思い出す私は立派な前期高齢者。

こちらへ来てしばらく、教員していた。その時の生徒、と本人が言う。

4つか5つのクラスへ行ってたので、全員は当時でもとても覚えきれないし、今は教えていたこと自体、普段は忘れている。というか忘れたいのです。若い日の自分の未熟さに顔から火の出る思い。よくもまあ、人前に立って人様にもの教えていたなあと。

「先生、二倍くらいになったね」って、ヲイヲイ、見た目はばあちゃんでも心の芯には傷つきやすい乙女の心が残ってるんだよ。

しかしここで傷ついていては年長者の威厳がない。ということで、鏡を見ると、私の表情がちょっと改まった感じになっていた。こんな顔で教壇に立っていたのかしら。

そうそう、明日会う一人は跡取り娘、姓は変わったけど、地元に残り、自分の両親と同居して子供見てもらいながら最後は校長先生になった人。

偉いなあ。

私はあっちへフラフラ、こっちもうろうろ。振り返れば人に誇れるようなことは何もない。凹む。何話せばいいんだあ~


明日は雨だそうで、気温も23度の予想。会場は駅近ではなく、10分くらい歩く。10分くらいなら歩きますけど、パンプスに雨水しみ込むのは嫌。会場まで別の靴履くのもいいけど、荷物増えるなあ~

とぐちぐち考えています。たまたま義妹が今日から来てくれたのでラッキーでした。さっき覗いたら、姑様はちょっと安心したように見えました。


こちら先週来た孫の写真。

バラの花と魚に雨が降る。

いつでも何にでも、必ずきもいと言う。

絵を描いてます。

お城を作ります。

門とお城

オリジナルの映画のDVD見ながら一緒に踊る。

アデューアデューおやすみなさい~♪

ことりのように飛んでいくわ~♪

よくできました。

ミュージカルロス症候群の一番はおじいちゃん。先日の公演のDVD、毎晩じっーと見ています。孫が嫁入りするとき泣くんじゃないよ。

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友達の家に行く

2018-06-21 | 日記

実家からもらったウメ、夫が梅シロップ作り、私は傷んだのでジャム作りました。

酸っぱいですが、ヨーグルトにかけておやつにします。お母さん、ありがとう~


きょうの午前中、友達の家へ行き、ご主人と三人で久しぶりにゆっくり話した。

話すのは主にご主人と私、友達は要介護3とは言え、友達は全く話ができないわけではなく、込み入ったことが言えないだけ。で、ご主人がお世話なさっている。

「私の母をよくみてくれたので」とのこと。

なるほど、私も将来に備えて、今しっかり徳を積んでおこう。


昨日は姑様に点滴した。電解質+ブドウ糖。要するに脱水しているわけです。水、いくら勧めても一口飲む程度。dryになるはずです。

点滴していてもほとんど意識がなく、痛さにもほとんど反応なし。

夫が、「もうこれ以上は家にいるのは無理かもしれん。ご飯食べさせるのももう無理」と悲痛な顔で言うので、私も姑様との長い月日を反芻しながらハラハラと涙をこぼした。

で、夕食はとりあえず作って夫が持って行き、あとで私が覗いてみると、姑様は普通の顔して元気に特製の竹箸使って食事していた。びっくりした。

脳梗塞が進んだんじゃなくて、眠たかっただけらしい」って、いゃあ、笑ってしまうほど安心した。

そりゃ、人間、眠ってるときには意識はない。プロならそこんとこ見分けてよね

「いゃあ、よかった、よかった。私の涙、返してえ~」と言う私。


事の始まりは土曜日の夜、言葉がはっきりしないと夫が言うので「すぐ救急車呼んで病院へ行こう」と勧めたけど、東京の義弟に相談し、しばらく様子見ることになった。二人は専門は違うけど、同業者。その二人が決めたことなので、私はそれ以上は言わなかった。

で、月曜日になって夫がケアマネさんに相談したら受診を勧められ、午後から近くの大病院へという流れに。

でも慣れないことするのが老人には本当にストレス、半日間の検査をこなすうち認知機能がどんどん落ちて、最後は車椅子のまま診察室から逃げ出そうとするし、ドクターの机の引き出し開けるし、半年前まで診ていたドクターもあまりの変わりように驚かれていた。

日曜日はまだはっきりとした言葉が出ていた。

月曜日になると意味不明のことばかり。でも家の前で夫がタクシー待っている姿診て、「あっ、**ちゃん。よかったー」と心底安心したような言葉が出た。よほど不安だったのでしょう。

きのうの点滴が効いたのか、けさは調子よかった。軽い脳梗塞と月曜日に診断出た時は、私も不安だったけど、しばらくは平穏な日々が続きますように。

それにしても、土曜日にすぐ診てもらったら症状が進まなかったのではと、私は残念に思う。でも息子二人で決めたこと、それをひっくり返すだけの知識も私にはないし、「あの時こうしていれば・・・」はもう言わない。

次に同じことが起きたら、今度は強く言おう。

そのためには朝起きたら、万一緊急入院なってもいいよう、ハンドバッグの中身を用意。化粧して、外出用の服も出しておく。

この歳で、夫は平日休めない仕事。病院のお供は常に私。病院が近いのでまあ楽です。何でもいいように考えないとね。

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「光の山」 玄侑宗久

2018-06-20 | 読書

福島県の臨済宗寺院の住職で芥川賞作家、作者には書かずにおれなかった作品集だと思う。

東北大震災のあとの人々の様子、報道では決して表現できないこともフィクションなら可能なこともある。

「蟋蟀」で、家ごと流された父子が見た黒い山に見えた津波、その津波に流される人、あちこちに引っかかっている死体の一部…思わず息をのむ迫真の描写だった。

テレビニュースでは決して触れないことだったし、人が避難したあと放置され、死んだ家畜のことなども詳しい報道はなかったけど、この小説読んで想像以上の残酷さだったと思った。

未曽有の災害は人の在り方をむき出しにする。震災避難から離婚に至る人、みなしごになって一時他人に預けられる子供、震災がきっかけで結婚するカップルの式を請け負う人は、妻を亡くしている。

悲しさがいっぱいの短編集だけど、どんな災害にも人の優しい心は負けない、人を思う気持ちが人を生きさせる。それは被爆者の話を聞いた時にも思ったことだけど、それだからこそ人は尊いのだと思った。

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多忙な一日

2018-06-19 | 日記

そろそろ夏の花。最近のひまわりは花瓶に入れやすいよう小型化、花もたくさん。


昨日は午後から姑様を近くの大病院へ連れて行き、検査いろいろ、CT,MRI,血液検査 心電図2種、最後は24時間心電図装着して、帰宅は18時半。でも、もう疲れは取れました。

若い!!と自分で無理やり言ってみる。

午前中は不覚にも眠っていたんですよね。明け方4時まで起きていたので。眠れなかったので。

寝ないで何していたかというと、ミニ同窓会の名簿が幹事から来て、知っているのはわずか一人だけ、あとの人はwho?なので、よせばいいのに、古い同窓会名簿片手にネット検索していた。

一学年990人のマンモス校、幹事の子は昔から世話好きで、生徒会関係の役員していたし、生徒会長を決めるフィクサーだったそうで、これって戦前の元老政治、さらに遡れば平安末期の院政みたいで(そこまで遡らなくてもいいか(^^ゞ)話聞いて面白かったのは5年前。

今回もその流れで集まるのですが、前回は幹事が私、知らない人には声かけなかったし、何と言っても女子は私だけ、冬だったので泥大島羽織付き着て行って受けた。

けど、今回は知らない人もいるので、私はどう振舞えばいいのだろうかと。

裕福な家のマダムと見えるのが理想ですが、裕福さは細部にこそ宿り給う。なるだけ小さなもの、人が気に掛けない場所に。

例えば手入れのいい肌と髪、エステクラブで万単位のお金かけて痩身済み、指先の手入れ、目立たない、でもよく見るとセンスのいい装身具(そういうのはたいてい高価)、地味なしかし生地と仕立てのいい服などなど。

そして家族の自慢しない。人の話を黙って聞いて余裕のほほえみ。

いやあ、どれもこれも、私には全然備わってないわ~~ガックリ_| ̄|○。

私的にアウトと思うのは、先ずはヴィトンのバッグ。ブランド丸出し、恥ずかしい。これは私が持つと無理している感が漂いまくりで恥ずかしいだけで、バッグに罪はなく、まして所持している人に難癖付けるのでは決してありません。ご容赦を。

あとは何かな、まあ自慢話はやめておこう。話のネタ、ないけど。

ネット検索で分かったこと、地元で医者している男子一人。顔もネットで見たけど、全然見覚えなし。知らない人です。態度大きかったらどうしよう)))))まあ、それならそれで軽く流しておこう。

女子は同じ部活していた人一人、その後の付き合いはなかったけど、この人とは何とか話しできると思う。あと女子はこれまた名前も顔も全然知らない人、というわけで急速にテンション下がったのであります。

というようなことを夫に話したら、「自分が中心でないと気が済まない人」と笑われた。

はい、きれいな人、優秀な人が綺羅星のごとくいる県内一の進学校で、成績も容姿も地味だった私。得意なのは漫画描くのと、何でも面白がるこの性格。それでカースト制度厳しい高校生活を生き延びて来たんだよう~~

昨日は起こされたのが12時16分。昼ご飯二人分支度して食べて、着替えて化粧して、バッグ掴んで、姑様と夫の乗る介護タクシーに滑り込んだのが13時。

帰りは普通のタクシーにしたら、半年前と違って姑様が車椅子から車の座席に移れず、私が抱えて無理矢理押し込むのに本当に大変だった。ドライバーさんは乗客の体には一切手を掛けない。荷物なら運び込んでくれるけど。

私の祖母は立てなくなり、オシメ当てて人に食事させてもらいながら5年生きていた。

初めの10か月は家で母が面倒見ていた。叔母もたくさんいたけど、末の、一番遠い叔母が、その頃やっと大企業に週休二日が始まったころで、小さな子供をご主人に頼んで、新幹線も瀬戸大橋もない時代、月に二回、土日にお世話に里帰りしていた。よくしてくれたなと思う。

ほかの人は全然知らんふり。まだまだ長男の嫁の役割と思われていた時代、母も今よりはずっと愚痴も言わず、黙って介護していた。

10か月後に弟の婚礼の間だけ預ける予定が、そのままその施設で4年以上お世話になっていた。病院付属の施設、費用は実費。戦死した叔父の遺族年金を丸々当ててたらしい。

先日の友達の話、介護したことない人に限ってえらそげに言うのは、私が思うにその苦労を実感できないからで、叔母の一人も、施設で亡くなり、親族が死に際に間に合わなかったことを、葬式の場で文句言っていた。それなら自分が引き取って面倒見ればよかったのにと、今になれば思う。

年取ってからは言いたい放題、やりたい放題の扱いにやや困る実母だけど、介護保険のない時代、世話したのは偉いなと今にして思う。

で、話は介護に戻るのですが、今の私は姑様のお世話しているのが何よりの誇り。自慢するわけではなく、そんなの誰も聞きたくないから密かに、ポケットの中に100キャラットのダイヤを忍ばせているつもりで、それをぐっと握りしめてその場に臨もう。

当日ご参会の皆様、どうぞよろしくお願いします。

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楽しい一日

2018-06-17 | 日記

今日は、夫だけ、友達と山歩き。

その間に私はいつものフリマへ。

ミストで遊ぶ子供たち

飛行機雲

緑陰

夫がいないので、昼は私が姑様のお世話。

ベッドから起きて歩き始めるまでに「すみません」と五回くらい言う。

最後は深々と頭を下げるので「そんなに言わなくていいですよ」と答える。

こうなるのも巡り合わせ。人の世話するのもされるのも、淡々と。

たべたもの、スイカ、トマト、バナナ。ご飯とおかずは手を付けない。再びベッドに誘導すると約一時間が過ぎていた。

できるだけのことはする。できないことはしない。そう心が定まると、いろいろな事も日常の一コマ。息をするように自然に。

人の世話をさせてもらうのは、まるで自分がいい人になったみたいで、悪い気持ちではないようです。

先日は愚痴めいたこと書いてしまったけど、どんな中にも楽しさがある。楽しさを見つけるのがコツのようです。

なるだけ口に合うものを工夫するとか。なるだけたくさん食べてもらうとか。

経験こそ宝物。一つ一つ、私の宝を増やしていきたい。


夕方は先日の公演のDVD鑑賞会。

けいこ場で。出演者にお会いし、主催の先生にご挨拶し、子供たちは自分の家のようにのびのびと走り回り、犬はいるし、食べるものや飲み物もあるし、とっても楽しかった。

昔の実家のお正月、お盆の集まりみたいで。

自分の出演場面が来ると、演技する孫娘。

決めのポーズ。よくできました。

この後、孫娘に誘われてばあちゃんも一緒に踊る。

祖父母か来ていたのは我が家だけ。お嫁ちゃんが誘ってくれたから。そして、何度も何度も、飲み物の心配してくれて、ウルウルしている上に、孫娘の出演場面見るうち、またまた涙が出てきて、結婚式のところまではいられなかったけど、DVD買って来たので家でゆっくり見てまたひとりで泣きましょう。

ほんとになんでこんなに涙が出るのでしょう。

花の頭飾りに白いレースのドレス、結婚式の場面。スイスへ脱出するときの旅装。どれもこれもかわいかったーーー

8歳で洋服サイズ140cm、靴のサイズは21cm。ばあちゃんはすぐ追い抜かれそうです。

すみません、バババカ駄々洩れで。

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「人生がときめく片付けの魔法」 近藤麻理恵

2018-06-16 | 読書

カシワバアジサイ。これは昨年六月末。今年はどの花も半月くらい早い。

暑い夏になるのかも。


片付けの本を読んだら家の中が片付くわけではないけれど、この本は片付けとはそれまでの人生をリセットして新しい一歩を踏み出すもの、自分が何をしたいか見えてくると扇動するので、本当に片づけたくなってしまった。

片づけられないのは過去への執着と、未来への不安だそうで。なるほど、着ない服、持ち主はとうに大人になったぬいぐるみ、いつかは読むつもりの本など、人間の不安、弱さがものをため込む行動に現れるものらしい。

著者は子供のころから片付け大好き、幼稚園の頃から主婦雑誌を読み、今は片付けのコンサルタント。困っている家や会社で、徹底的に捨てさせ、要るものだけの快適な暮らしを提案するコンサルタント。

片付けは暮らしが風通しよくなるだけではなく、人生に対する姿勢が積極的に変わるのだそうで。

きのう読んでそそのかされた私は、今日、10時ころから16時ころまで洋服類全部出して要らないものをより分けてみた。

思い切って捨てたものもあるけど、この本のように20袋もは不用品は出なかった。2袋です。夫のは触ってません。一部、姑様のデイケア用に譲るのもあります。

ついでにコートなどを日に当ててまた片付けた。

いろいろ出すと自分の歴史をたどるようで面白かった。

何を血迷ったか、35年くらい前、毛皮のコート、ローンで買って、もう全然着ないけど、値段考えたら捨てられません。本当にバカなことしたものですが、あの頃流行ったのです。幼稚園の参観日や、小説の同人会や、そのあと同業者の奥様方の集まりに何度か着て行ったけど、当時からどこも暖房きいてるので脱いで持ち歩くのがとても邪魔で、やがて挫折。

3年前、フランスのコールマールのスーパーで、仲良くなった大阪の人と同じワンピース買って、食事のとき着たら受けました。派手なパンジー柄、ノースリーブ。まったく何を血迷っていたのやら。

と、いろいろ楽しいこと、恥ずかしいことを思い出して、なかなか有意義な一日でした。

本は姑様の本棚から無断拝借。2011年発行。その頃は姑様も片づけなければと思っていたのでしょう。

でも捨てられなかったようです。

現在の姑様の家の状況。

一部屋は和服部屋。箪笥が4棹くらい。入りきれないのは畳の上に無造作に置き、着付けの小物なども一緒に層になって足の踏み場がない。

もう一部屋は書類、文房具、雑貨、ポケットティッシュもものすごくたくさん。そして洋服。洋服はブティックにあるような可動式の洋服掛けをいくつか買い、それに吊るしてある。こちらもほとんど空間がない。

物入れも物がいっぱい。でもまだお姑様は家にいるので全然タッチしていません。

従業員を置いていた部屋は、大部分を夫が自分のオーディオルームにしたけれど、その時もぎっしり詰まった荷物の整理に大変だった模様。私はタッチしてませんが。

一つだけ残った従業員の部屋は古い洋服、古いカーテン、古い布団…何でもあってこちらも畳は一畳分くらいしか見えない。たまに思いついて捨てるけれど、すっきりするのには毎回資源ごみ出しても1年以上かかりそう。

人のもの勝手に捨ててるって???とんでもないって????

50ねんくらい前、私と付き合ってた頃の夫の冬のコートとか、義弟の中学校の体操服とか、義妹の学校の制服とか、勝手に捨ててます。要るんだったと苦情が出たら、私が私のお金で買いなおすつもりです。ありえないけど。

仕舞う場所があったからたまってしまったのでしょう。

本買うくらいだから何とかするつもりだったのでしょう。でも、もう体力気力ともになくなっていたのでしょう。

代わりに不肖の嫁、この私がこれからも勝手にどんどん捨てるつもりです。壊れた電気毛布、義妹の置いていった下着などなど。

ああ、全部なくなればどんなにすっきりするでしょう。


この本は写真や図版は一切ありません。求道的な片付け本、でも読後、私はは片づけたくなりました。よかったらどうぞ。


話のついでに。最近、同窓会へ持って行くバッグ、考えるのですが、なかなか決まりません。

軽くておしゃれで、服に合って、荷物たくさん入って、いいとこのマダムに見えて(全然そうじゃないけど)、安くてってバッグ、なかなかありません。

で、アマゾンで見たこちらのバッグ。23万円って・・・たぶん一桁違うと思う。

https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9NSTGV/ref=dra_a_rv_mr_hn_xx_P1700_1000?tag=dradisplay0jp-22&ascsubtag=6ab005a72b614e92e63da16922feaa87_S

でも本当だったら怖いのでクリックしない。色違い持ってるので、たぶんもう買わないけど。

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「頑張って」という言葉は・・・

2018-06-15 | 断想

ササユリの季節。昨年、北広島町、雲月山で


今朝、お姑様のところへ行くと悲惨なことになっていた。詳しくは書かないけど、いつかはと思っていたし、案外冷静な私がいた。

被害はおねしょシーツとズボンだけ。手が汚れてなかったのが幸い。手であちこち触ってたらねぇ…まあよかったです。

が、自分の親なら怒るかも。

事実、夫は強い口調で(怒っているわけではなく)注意していたけど、本人はまだよく目が醒めないのか返事もないし、他人事のような顔。

大人ではなく、一歳くらいの子供。子供の世話していると思えばこちらもめげずに済む。そう思うことにした。


最近、友達から手紙の返事が来た。

舅姑様を見送り、子供も全員結婚して夫婦二人暮らしの彼女は、昔の友達との付き合いや旅行の話がてんこ盛り。楽しそう~

で、ちょっと距離感感じてしまった。彼女は前のまんま、私が、私の境遇が変わったので、素直に読めなくなったのだろう。

私はまたなんで手紙など書いたのかと思った。たぶん、毎日のことを誰かに聞いてほしかったのだと思う。

日本全国、介護を受けている人は何百万人かいて、今や子供のオシメよりも大人の方が市場も大きくなってるそうだから、介護などは子育ての苦労と同じく、人にわざわざアピールすることでもないとは思う。

それなのになぜ言いたくなるか。

それは子供の成長と違って、楽しさがあまりないから。介護を何人もする人もいれば、全くしないで済む人もいる、なんか不公平だなあとつい思ってしまうから。

で、それを善意から励ましてくれる人もいるわけです。頑張ってと。

しかし、頑張っている人に頑張れはむごい言葉と、東北大震災のあと、散々言われたけど、確かにそうだと、この私も最近ようやくわかった。人は同じ立場にならないと、相手の本当の気持ちはわからないものです。

近所の、実のお母さんを引き取ってお世話していた人の話、「介護したことない人に限って頑張ってと気安く言うのよね。ああ、この人とはもう話しできないと思った」とのこと。

そうですね、私も頑張ってとは決して言われたくない。それは自分は関係ない場所にいて高見の見物している人の言葉。やや上から目線。

ふんふんとうなづいて、何もコメントないのが有難いかな。

ご主人をなくされた友人は慰められるのが一番辛かったと言っていた。何ごともなかったかのように普通に接してくれるのが一番嬉しかったそうです。

介護して何かいいことがあるのかな。

いえいえ、たくさんあります。人生でいろんな経験積んだ方が、いざと言う時の胆力が付く。

人が口に出さなかった思いも少しは分かる私になっている。

時間の大切さ、当たり前の暮らしのありがたさがしみじみと分かるようになったこと。

あとまだいろいろありそうだけど、思い出したらまた書きます。

彼女は大姑と姑のいる家で同居、ずっと仕事していたし、大変さは口に出す人じゃなかったけど、いまになってやっと平穏な暮らしを手に入れたことでしょう。

翻ってこの私、50代頃、人が介護に苦労していても全くの人ごとで、うちの姑様は元気と自慢していた。しかし、永遠に元気な姑様はこの世に存在しない。いずれは弱っていく。急にかゆっくりか。

私の場合はゆっくりで、なるほど、人生どこかで辻褄合うようにできていると思うことにした。自分をかわいそうとは思わないことにしている。だって、介護保険制度もあるし、長男の嫁扱いされてないし、おとなしいいい姑様だし、夫はよく世話するし。

嫌なことはしないで済んで行く幸運な人もいるけれど、まあそれを私がどうこう思ってもどうなるわけでないし、淡々と過ごしていきましょう。

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「屋根をかける人」 門井慶喜

2018-06-13 | 読書

同志社大学アーモスト館と本


明治時代末、日本に来て多くの西洋建築を設計し、メンソレータムを国内販売したことで知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズの来日から亡くなるまでに題材を取った小説。

ヴォーリズが日本での大半を過ごした滋賀県近江八幡市に、去年は二度も旅行したので、面白く読みました。

旅行記はこちら。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/b072e7473c489d37b2a3d787f414f1eb

初めは英語教師として来日、課外授業で聖書を教えたことでわずか二年で免職。そこからヴォーリズの奮闘が始まる。と言っても小説なので、小説として読まなければならないけど、百年以上の前のこと、ノンフィクションとうたっても著者の取捨選択はあるので、大した違いはないのかも。

話し八分目に楽しみながら読めばいいのだと思う。

初めは現場監督を任され、コストを掛けずに資材の調達ができることが評判になり、設計も引き受けるようになる。

おりしも時代は大正時代から第一次大戦後の好況期、西洋建築の需要増加の波にうまく乗れたのだろう。経営の才能もとてもある人だと思う。

設計したのは1,600もあるそうで、皆様も必ずやどこかで一棟くらいは見ているはずと思います。

私が見たのは軽井沢テニスクラブのクラブハウスと小さな教会。これは戦時中、外国人が半ば強制的に移住させられた時の作品。

京都では三条大橋袂の東華菜館、同志社大学のアーモスト館、芦屋の…名前は忘れたけど、朝ドラあさが来たの主人公の娘の住んだ洋館、福岡の牧師館、それから近江八幡の建物の数々など。

どれも親しみの持てる建物。軽井沢の教会や近江八幡の暮らしていた家、学校などは中に入るとほっとして、建物の優しい雰囲気に包まれる心地よさがありました。

日本社会に馴染もうと本人も苦労したでしょうし、戦争中、とうとう妻の養子に入る形で日本人になります。両親もアメリカから呼び寄せて面倒見ています。

この小説の中ではマッカーサーに天皇制存続を助言したり、昭和天皇と長々と話し合う場面もあります。小説には小説的結構が必要と著者は考えているのでしょうが、無理にまとめにかからなくても私はいいと思います。

昭和天皇に向かって私は屋根をかける人だったというくだり、小説だから何書いてもいいけれど、???と思わせてはいけませんと思います。これって某放送局の大河ドラマで主役が時代を動かしているような不自然さと同じ。

まあそこのところを除くと面白く読めました。建築と商売と二つの才能があり、建物には不思議な安らぎがある。結局は人が好きで、建物の中で人が幸せに暮らすことを願った人なのだと思う。

ヴォーリズさん、ありがとう~

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鶏肉十徳

2018-06-12 | クッキング・ランチなど

昼間出かけたので、本日の昼の作り置き。

あるもので、今年初めての中華冷麺です。

スーパーのハムやソーセージは味がくどいのでまず買わない。代わりに鳥の胸肉で代用。

胸肉はそのまま料理しても火の通りが悪い上に味が淡白すぎるので、先ずは一枚を縦に数枚に切り分け、塩を濃い目にまぶして、さらに耐熱皿に塩水作って隠れるまで肉を浸け、ラップ掛けてレンジに10分かけます。

そのまま冷ましてジップロックなどで保管、要るときに使います。

えらそげですみませんが、「今日の料理」の受け売りです。

これはいろいろな料理に使えてとても便利です。

今までしたものをご紹介すると

本日の中華冷麺

細かくちぎってポテトサラダへ。

細く切って玉ねぎと一緒にかき揚げ

小さく刻み、味噌とすりごまで和えて姑様の介護食

カレーにほかの肉と一緒に入れる。

インゲン豆とナスの煮ものに加える。

などなどです。ここまでで6通り。

あと何ができるかなあと考えてみました。

うーーーむ、煮物全般、何に入れても邪魔しないかも。

煮しめ

チャーハン

エビなどと一緒に餃子に。

細かく刻んでトマトジュースに混ぜ、好みの味付けしてパスタソースに。

味噌汁、澄まし、ポタージュなど汁物全般の具に。

親子どんぶり

と11通りになりました。めでたし、めでたし。

胸肉は脂肪が少なく、家計にも優しく、私たちの世代にはありがたい食材のようです。


でまたまた昔話になるけれど、昔の鶏肉、おいしかったですね。

実家は農家で鶏も飼っていたので、鶏肉は普通にさばいていましたね。血抜きもコツがあるのですが、そういう話が苦手な人もいるでしょうからここには書きません。

要するに心臓が動いている間に頸動脈をカット、簡単です。って、つい書いてしまった~ 

ペットでなくて家畜なので過度の思い入れはなし。とはいえ、牛は大きいし、数も鶏ほど多くないし、それぞれ個性があるので一応名前は付けていたかな。

それはかわいがるためではなく、世話する都合上のこと。

でも家に生き物がいろいろとたくさんいるのは、今考えたらとても賑やかで充たされていたかなあ。

あとは羊、ヤギ、豚は早くにやめたけど、乳牛に役牛。酪農は大変でしたが、黄土色の小さな牛は出番は年に数回、あとは牛小屋で餌貰っておとなしくしていた。

私もこれからの人生、あの牛みたいに過ごすのもいいかなあ。食べて寝て、誰からも気に掛けられず、でもたまに出番があるというような。

それなりに自足してあまり淋しくないような気がするけど、どうでしょうか。

鶏肉の話が老後の過ごし方にまで広がってしまって、いやはや、怪しうこそもの狂おしけれ。

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