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日々のあれこれ
 

初冬の一日

2015-11-30 | 日記

本日、引き続き屋根工事。

午前中、織りを頑張る。その心は、毎年、織りの教室でみんなで注文していた干し柿、今年は友達の工房にまとめて届き、日を決めて取りに行く話。それまでに仕上げて、みんなに見てもらいたかったので。

でも、でも、今年は山陰の生産者から直接届いた。友達がそう手配してくれたとのこと。

それはこれです。

今年は暖かくて、出来上がりが遅くなったそうで。20個セットで1,200円。3連注文しました。

こうして吊るして、毎日1個ずつ食べる予定。来た人にも上げる。


 

ほんとは織りの友達に久しぶりに会いたかった。私だけが過去をグジクジと引きずっているのかも。

夢を見た。10月まで織りの教室があって、私だけ知らずに行ってなかったと分かり、とても残念だったこと。夢から覚めてしばらく、まだ残念な気分が続いていた。久しぶりにちゃんとした夢を見たんだった。

1年が過ぎるのが本当に早い。この1年、絵は全然上手になっていない。花を描くのが特に苦手。複雑すぎる。

先日のはこれ。今夜は先生の講評の日、何とおっしゃられるか。

私の風邪はやっぱり治らないし、お姑様のリハビリは来月も続くそうで、隔日のお迎えも続行予定。ときどき、帰りにスーパーに寄り、買い物して帰る。一人で歩いて帰ると遠慮するけれど、重い荷物持って道歩いて転んだら大変なので、車で帰る。

昨年年末から4回くらい転んでいる。そのたびに、脱臼、打撲、骨折と怪我したので、できたら手押し車を押してもらい横を私がついて歩きたい。でも本人は杖なしで歩きたがるし、夫も同じ考えなので、私から余計なこと言わないようにしているが、けがしないかと心配。

年末年始、3月まで用事いろいろ。期限を切られているのも多い。

神様、姑様にも実母にも何事もありませんように。

 

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温泉宿の迷宮

2015-11-29 | 日記

昨日の歩数。15,216歩。よく歩いたのに体重増加。ガックリ。

お正月明けに旅行することにした。で、宿を探すけれど、全然ない。

私達が行く時期には世間の皆様も行く時期、とっても高いのか、とっても古くて安いのか、両極端が残っている印象。

どうしますかねぇ。予約サイトを縦断し、口コミを見て、部屋を見て、もうきりがない。

ほんとはね、行きたくないかもしれない。でも、何かに急かされるように、人と同じことをしてしまう。

これなんなんでしょう。まるで寿命と競争しているように。

昨夜はあれこれ宿を探して、結局寝たのは未明3時。

きょうから屋根工事で、朝9時に工事の人に起こされるまで熟睡。夫はというと、7時半頃起きて、一人でご飯食べて、テレビ見たり新聞読んだりしていたそうで。

我が家の鉄の掟、寝ている人は特別な用事のない限り、絶対に起こさない

私は寝ている人を朝が来たからと起こすのはかわいそうと思う性質、そして起こされるのはもっと嫌。特に日曜に於いては。

それで夫は別の部屋で寝ている。これはそもそも、体感温度が違うからで、同居人は夏も冬も一晩中エアコンつけて寝る。私は不自然な室温と風の音がとても嫌。気になって寝られない。

旅行行ってもホテルはシングル二つ、宿は春、秋なら同室でもいいけれど、夏冬は一緒に寝られない。

で、冬の温泉旅はとっても困る。

今年のお正月明けは、二つ部屋がある所へ泊ってよかったのだけど、今年はその宿はもう予約取れないし、結局今二つの宿を別々のサイトで予約している。どちらかはしばらく考えてキャンセルの予定。もう、自分でも何がしたいのか、どこに泊まりたいのか分からない

二部屋の宿は高い割に食事がイマイチだし、もう一つの宿は一部屋なのでエアコンつけられたら眠れないし、とパソコン前にして未明まであれこれ考えていたら、体が冷えてしまい、今日は風邪気味。ほんと、バカですね。

朝は、夫が姑様連れてお歳暮の注文に。何歳になっても世間と繋がっているのが大切。施設なんかに入らず、できないことは私たちが助けて、なるだけ自宅で暮らしてもらいたいと思う

午後から車を見に行った。あと25キロくらいで10万キロ、今の車、全然問題なく乗れるのに、新しいのが欲しいんだとか。今度は外車の中古にして、短い期間でいろいろ乗ってみたいと、自分の寿命のことも考えてのことと思います。

私はね、車なんて車輪が四つあって雨風しのげるボディがその上に乗っていたらそれでよろしい。動けばいいんです。動けば

目立つ車は気恥ずかしい。無理してる感じがあると、いっそう哀れ。築37年の古い家、人も車もそれ相応でえんでないの。家は安く建てたけど、すぐに狭くなって増改築、今回は雨漏りで屋根の全面補修と、建てたよりお金かけてる。情けない。

もうそろそろ、自分の人生の残り時間から逆算していろんなこと決める時期なのかも。しかしいつまでたっても心が澄みきるわけはなく、子供も成人したからと言って心配が途切れるわけでもなく、大事に思う人が増えるのだけは嬉しくも有り難いけど。

最近はお嫁ちゃんと女子トークでよく盛り上がる。彼女が友達の話をし、私も友達の話をする。彼女の子供で私の孫の話もする。私は娘がいないので、やっと話し相手ができた感じ。もちろん、向こうは遠慮も緊張もあると思うけれど。

今年お正月の宿。例によって眠れないので、こたつで本読んで起きていた。家とおんなじ。やれやれ。

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広島大学東千田キャンパス界隈

2015-11-28 | 日記

昨日は13,047歩。調子に乗りついでに、きょうは紙屋町(広島都心部)まで徒歩で買い物行くことにしました。

我が家からは約4キロ、一時間の距離です。

大学の横を通ります。大学会館は真ん中のみ解体、向こうへ行けるようになっています。

なくなった所には一階が食堂、二階は集会場などがありました。

正門周辺には書店や古書店がたくさんありました。平和書房は廃業したのでしょうか。

青空薬局は昔、喫茶店でよく一人で行ってぼんやりしていた。今は日赤の門前薬局になっている。

北京亭は中国人が経営する店。この店の五目そばが大好きだった。数年前行ってみたら、とてもレトロな味だった。時代の味覚が変わったのだと思う。

いづみ書店も今は看板だけ。

鷹野橋の角、房州。ここはコンパの二次会でよく来ていた。学生街の喫茶店。

このあとぶらじるを写そうとしたら、店の人が外に出ていたので断念。いずれまた。

鷹野橋商店街入り口。

右は消防署、左はパチンコ屋だった。

林眼科は代替わりして介護施設、内科医院などに。前庭のある瀟洒な医院は今はビルになってしまった。

鷹野橋商店街。鷹野橋というのは藩主の鴨狩の場所だったことから。この付近は干潟で、鴨が群れていたのかも。

商店街の中ほどに市場あり。右奥へ向かって通路があり、両側に商店各種。店はほとんど入れ替わっていない。もちろん代替わりはしていると思いますが。

左の八百屋でよく長ナスを買い、右の肉屋ではハムなど買っていた。サラダなどのおかずも売っていた。

そのあと紙屋町まで行って用事済ませて、帰りは電車で。電車は暖房していて、ものすごく暑かった。喉が乾いて気分悪くなり、死ぬかと思った。というのは大袈裟ですが。

このセーターが悪かったかも。

編み込み模様、ウールのぶ厚いセーターです。昔から編み込み大好き、でも編む腕も時間もなく、店には売ってないので、ネットで。安かった。

夏は冷房で、冬は暖房で気分悪くなる私。冬は外にいるのと同じ格好で家の中に居れば寒くない。と頑張る私。

どこまで頑張れるかは不明。

それにしても編み込みのセーター、本当に少なくなようで。いや、セーター自体がもう終わったアイテムなのかも。


 

郷土資料館近くにドイツパンの店ができていた。試しにプレッツェル買ってみた。もちもちとした食感、かすかに甘味のある小麦の風味がとてもおいしかった。

また買いに行きたい。

近所の店で、ミカンは一山108円。

産地とは言え、あまりの安さである。二個食べた後なので、全部で18個、一つ6円くらい。安いの大好き。でもなんで?土曜日なので売りつくしたいのかも。


 

帰ったら東京物語やっていた。

合掌。ご冥福をお祈りします。こんな袖のブラウスにフレアスカート、昭和30年頃にもまだ流行っていた。

尾道の瓦屋根の家並みもとてもよかった。やはり時代を超える名作。と私のようなものが言うのも変ですが。

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広島大学東千田キャンパス

2015-11-27 | 日記

鷹野橋に行くついでに、寄ってみました。昨日8,626歩。庭掃除して外出しなかった。

斜め向かいは日赤。10月初めにオープンしたばかりの東病棟。

こちら正門。復興のシンボル、フェニックスは東広島へ移植する話もあったけど、寒冷地なので残留。むこうはメタセコイヤ。

焼け跡から生まれた大学、木も無国籍。

殆どは公園に。

第一食堂付近は高層マンションが。第一食堂が一番安かった。ラーメン30円くらい。

1995年、長男の入学手続きで東広島の大学本部に一緒に行き、帰りにラーメン食べたら、懐かしい味だったのでびっくりした。

第一食堂の前は立て看が林立。立て看って?・・・・そこら辺の年寄りに聞いてね。

勘亭流ではないけれど、独特の書体。

言葉、結局は言葉です。言葉を持つものが強い。人を動かすのも言葉。人と話し、あれこれ読んで、赤ん坊が言葉を憶えるように、改めて言語を獲得していく。

最大で2,000人くらい集まったかな。最後は平和公園で解散。車道を片側塞ぐ。フランスデモなんていうのもあった。

ああ、いかんですねぇ。年寄りがズルズルといろんなこと思い出してます。

武装デモになってから、私は行かなくなった。格好悪すぎ。嫌になったんだからしょうがない。今思えば、学園闘争をセクトが乗っ取った瞬間だったのかも。

森戸道路。みんなここを通るので、知った人に何人も会った。あの大勢の人たち、今は各地で年寄りやってると思いますが。

旧理学部一号館。戦時中は中国軍幹部本部、その前は当然広島文理科大学。被爆建物。

時計はいつから止まっているのやら。現在立ち入り禁止。

玄関。センサー?らしきものたくさん。

教養部のあった場所。二階の一番奥が美術教室で、ほぼ美術部が占拠。準備室でよく話をしていた。

話をしていると、あとから来て、話に割って入りたがる女子一名。あの人とこの人がくっついて、この人はあの人に振られて・・・ああ、ややこしい。いろんなことありすぎ。

今の同居人もこの付近で調達。

あれから45年くらい?青々とした芝生が、穏やかな冬の日に照らされていました。

弟曰く「姉ちゃんは、大学のある街で住めるからええわあ」

いえいえ、建物は全然ありません。

今あるのはシマムラ、丸亀製麺、マンション、スーパー、ドラッグストア。公園。南の方は工事中。また高層マンションが建つのかも。

北門付近、トチノキ。昔はなかった。

ここを離れて何十年の人たちが、これ見て、現在のようす分かってもらえれば嬉しいかな。

きょうは穏やかないいお天気でした。

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「骨風 」 篠原 勝之

2015-11-26 | 読書

11/25 10,811歩

自伝的小説。いくつかの短編から成る。すべて死とその周辺のことを書いている。

父、母、弟、飼い猫、交友のあった有名無名の人たち。死はどのようにも書けるけれど、嘆き恨みつらみを超越して、ちょっと斜め上からの淡々とした視点と書き方。

何かというと殴ってくる父親から逃れるように17歳で家出して、芸術家としての今までの生活ももう一つの読みどころ。決して順風満帆で来たわけではなく、文字通り、地の底をはい回るような苦労もして、好きな作品を作れるようになったそのいきさつが面白い。

既成の考えにとらわれず、あくまでも自由に淡々と。自由は孤独と背中合わせ。その孤独さえも楽しむ仙人のような境地。

こうなれないから羨ましいのかも。でもこの中のいろいろな苦労、したくないです。辛すぎる。お母さんの認知症が興味深かった。最近、認知症のことが気にかかって仕方ない私。Why?


 

 

広島ドリミネーション2014年12月。今年もクリスマスがやってきます。

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クリスマスのキャンドル

2015-11-25 | 日記

昨日の歩数6,043歩

もうすぐ12月、クリスマスも近い。で、こんなもの買いました。

ロウソク型のライトで、ボタン型乾電池使用。ロウソクの炎のように点滅します。

ダイソーで乾電池付いて二個108円。本当のロウソクもいいけど、小さい子には危ないので。

手持ちのキャンドルスタンドに入れて見ます。白磁二つ、だいぶ前に絵付けしました。

ライト入れて部屋の明かり消すと、ちょっといい感じ。乾電池はテスト用で30時間くらいしか持たないそう。でも孫に見せるだけなので充分かと。

点かなくなったら、乾電池買うより新しいの買った方が安上がりかも。


 

屋根はとうとう直すことになって、今朝契約。工事は日曜日から一週間の予定。

もうだいぶあちこち傷ん出るそうで。対処療法的に直したところが、あり得ないくらい変な工事で一層悪くなっていると言われ、ちょっと落ち込んだ。そんなこと、素人には分からないしぃ。

フェイスブックでその業者さんにいいね!!をすると、3%も値引きしてくれるそうで。

その他に進捗状況はブログに載せるとか。名前も検索にかかりやすいよう工夫しているし、うーーーむ、なんたってこれからはネットの時代。

フェイスブックやってないので、夫をせっついて本日開設。万円単位の値引きになるので、しない手はないのに、お互い億劫で譲り合い、結局夫が始めることにした。

どんなものかこれから見に行ってきます。 

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そろそろ年末

2015-11-24 | 日記

昨日の歩数 15,591歩 よく歩きました。

連休明けたら、なんとなく年末気分。何をするわけでもなく、でも忙しい一日だった。

ケーキ焼きました。一部、お姑様に届けます。きょうは一日デイケアに行っています。初めは嫌がってたけど、気分も変わるらしく、今は元気に出かけています。変わったことして、違う人に会って、それもまた刺激になっているようです。

きょうは二つも焼いてしまった。これはうっかり強力粉入れて、粘りまくって、蒸しパンみたいな食感になりました。

本日、長野県飯田市の友人からフジが、昨日、母から柿が届く。

飯田市の方は10年くらい前に一度お会いしただけ、でもこうしてご縁が繋がっている。ありがたいことです。

柿は、伯父が亡くなり、従兄も亡くなり、今は退職した従弟が作っているという。人はいなくなっても、植えたカキの木は毎年忘れずに実を付ける。


今夜は、夫が会合で留守。自分の好きなものを好きな時間に食べる。ああ、幸せ~

讃岐の郷土料理、しっぽくうどんです。野菜いっぱいの煮込みうどん。金時人参をバスセンターで買ったので作ってみました。金時人参でないとおいしくありません。

夫は具だくさんのうどんが嫌いで、一人の時に食べることが多いです。


増改築して25年、屋根の吹き替えをすることにして、今朝、業者さんが見積もり持ってきた。家はメンテナンスにもお金かかるから、建てれば安心というわけでもないんですね。

人も歳とり、家も古びる。しんみりと寂しくなったりして。


きのう小説読んだ後、いろんなことを次々と思い出した。週に一度、職員住宅の我が家で、M浦さんと二人で着物着る練習していたんだった。彼女は子供がなかったので、一歳にならない長男のいるうちへ来てくれていた。

子供が出来たら・・・という名前を付けるの。土曜日、我が家の三人でボウリングに行ったら、彼女もご主人と来ていて、そんな話をしたこともある。カンロ飴貰ったんだった。

海が近くて、夕方一時間くらいでバケツ一杯のアサリが取れていた。でも死んでしまったの。それは砂を吐かせないと。彼女はおっとりしたところもあった。私の方が田舎者。

それからそれからたくさんのことを話した。20代後半、まだまだ学生気分が抜けず、よく二十歳前後の頃の話もした。私が受験し、結局行かなかった東京の私大の一年上と分かり、その話もよく出たかな。とにかく大変な時代だったということで意見が一致。

職員住宅は一階が台所と六畳くらいのダイニング、四畳半。二階は六畳が二つ。でも充分な広さだった。二軒長屋だったので、一軒置いた彼女の家は我が家と間取りが全く同じ。

小説の中にあるロッキングチェアーが、彼女の家にも置いてあった。


主婦が文学に走るとどうなるか。家庭生活と折り合いをつけながら書き続けるのは至難の業。

書くことは始めると途中で止めるわけにはいかない。アマチア時代には、勉強会に出ることもあり、時間を作るのが大変。

理解のある夫ならいいけれど、小説の中の夫は遅く帰ると鍵かけて家に入れてくれないし、大事な資料や本、原稿などを家の外にばらまくなんて、そんな人とはやっていけないわなあ。

書くことは生きることと同義だから、死んだつもりでいい主婦するのはもう無理だったのだろう。自分が何をしたいか分かってしまった後には。

いゃあ、相変わらず、現実と小説、ごっちゃにしています。


私の話。地元同人誌に来ていた女性達、独身や結婚していても子供のいない人、年配の人が多かった。ご飯作って食べられるようにして、着替えて、子供を頼んで、それでもそこで文学に触れることで、やっと息ができる様な気がしていた。

上の子二人が小学生の頃、日曜日に家族で出かけることは稀。私はいつも家にいて机に向かっていた。夫が車でいろんなところへ連れて行っていた。遊べるのはあの時しかなかったのだけど、その時はそれどころではなかった。今になれば、後悔しているけれど。

私の場合、夫に頼めたのは幸いだった。そして大成しなかったのも、結果オーライということにしよう。

世の中には妻が外で文学活動するのが気に入らない人もいるって、昨日の小説で初めて分かった。夫のモデルの人を知っているだけにちょっとショツク。

人は誰だって、幸せになりたいと願っている。でも、もうここに居ては幸せになれないと分かったら、思いきることも大切。何も持たず、新幹線に乗って実家へ帰り、三か月後だったかな、荷物取りに行ったら、荷物を部屋の真ん中に盛り上げて、紐で囲み、これ以外は持ち出すなと札がぶら下げてあった・・・

それを書くのに長い時間が必要だった・・・

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中区図書館で本を借りて、もう返した

2015-11-23 | 読書

それはこちらでございます。

 

某信者団体の新聞か何かに連載されていたようです。

アマゾンでは歌人の書く小説、山場がないと星三つですが、私はなかなかどうして面白く読みました。

どうしてかって・・・著者とは短い期間でしたが、近所付き合いし、お互いの家を尋ねあってお茶しながら、時には夕食に招待したりされたりしながら、いろんな話をしたからです。市内、山の麓のマンションにも一度お邪魔しましたね。

もちろん小説ですから、作り事として読まないといけませんが、この中のエピソードのいくつかや、主人公の夫は、現実のかつてご主人だった人を彷彿とさせます。

また、ご主人の田舎の家族とのやり取りなども、当時リアルタイムで聞いていたので、彼女がそれを消化して書くまでには40年近い時間が必要だったのだなと、思った次第です。

著者はよくご主人に仕え、賢くて優しい人だったのに、何で別れてしまったのかと謎だったけど、この本で少しは理解できました。

妻に文才があり、勉強していい作品を残したいと頑張っているのに、それに嫉妬するなんてなんて小さな男でしょう。医者なんですからね、美しい妻は自慢の種。世間から認められるほどの能力のある妻を持つことは、それ以上に自分の価値を上げることにはなりませんか。

Q先生、女を家に閉じ込めてはいけませんね。って、やっぱり小説と現実を混同する私。

それに当地を去ったいきさつの一端も分かりました。卒業した学校、学科、専攻の封建的支配がずっと続く業界。理不尽なことも呑みこんで耐えるか、出ていくか。去るも地獄、残るも地獄。彼女は=小説の主人公はとても頑張り、しなくていい苦労もしたと思う。

別れる前の修羅場では思わず涙が出た。

広島、チェルノブイリ、福島、インドのペレナス。主人公は各地を訪ね、生きること、死ぬことについて考えを深めていく。人生は一つの橋、誰もがそこを渡って行く。

大学時代の男友達と再会し、たまに会って話をし、被爆二世の彼がもう予後もあまりない時、自分もまた同じ病気になったことを告知される。

訪ねたガンジスの岸辺で、大勢の沐浴をする人の中に、亡くなった父母に似た顔も見つける。

そこは此岸と彼岸が接する場所。大きな自然を前にして、自分が生かされるのも死んでいくのも、自然の中の現象。怖くはない。精いっぱいに生きればいいんだと、私なりの読後感でありました。


 

おそらく書店にはないと思い、中区図書館まで借りに行く。

いいお天気です。電停から歩いて行きます。萬代橋の上から平和大橋方面を見る。元安川にかき料理の船が浮かんでいます。

到着。いいお天気です。ついパチリ。

本借りて裏へまわります。梶山俊之文学碑は25年くらい前に地元有志で建立。何でもこの辺に生家があったそうで。私も一口くらい参加した気がする。

向こうは本川と神崎中島橋。

川の見える一階はレストランに。

原爆投下時までは県庁、あとは青果市場、そのあと県や市の施設色々。昔は広島藩の船屋敷があり、水主町と呼ばれてましたが、いつの間にか加古町と字が替わっている。

それじゃこの土地の来歴が分からん。字だってむやみに替えてはいけないと私は思う。

もう一度返しに行くのが邪魔くさいので、図書館の近く、河岸のベンチでで読むことにしました。

目の前を宮島行きの遊覧船が。

鷹野橋まで行って遅い昼ご飯食べて、ぶらじるでコーヒー飲んで、また川岸まで。

だいぶ日が傾いてきました。元安川と新明治橋。ここで最後まで読んでその足で返却、帰宅。

借りずにアマゾンで買えばいいのですが、すぐ読みたかったし、ちょっと複雑な思いもあり、今回は借りることにしました。M浦さん、大作、お疲れ様でした。

川と橋の広島。河岸は木がいっぱいでくつろげる場所。寒くなるまでせいぜい外出を楽しみたいものです。

 

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福山の山野峡へ

2015-11-23 | 山歩き

昨日は福山の奥、山野峡へ紅葉見物に行きました。

きょうから前日の歩数を記録することにします。昨日、起きてから寝るまでずっと歩数計つけて、11,843歩でした。今日も頑張ります。頑張れるかな・・・

行き方

山陽道福山東ICで降り、R182を神辺方面へ。途中で看板に従って右折R21へ入り、光明寺前で左へ。

しばらく行って駐車場も越して、四段滝、竜頭滝方面へ。とても狭い道で、片側は崖。スリル満点です。

滝の表示過ぎてしばらく行き、広いところへ車停めて引き返します。

紅葉が少し。

道路から川底まで歩いて下りると、四段の滝。一番上は砂防ダム。中は土砂で埋まっていました。

道路へ上がりさらに引き返すと案内板が。

ここからも見えますが、降りて見ましょう。

目もくらむような急な階段。

川底まで急な階段の連続。やっと着きました。

このあと少し下流で持参のお弁当食べる。下からご夫婦が一組上がってきました。駐車場から約1.6キロ、歩いてきたそうで、とても急だったとのこと。

ついでに駐車場から歩いて、岩屋不動まで行ってみました。

途中の廃業した窯元

看板

とても広い建物。元は旅館だったのかも。男性が一人、落ち葉を掃いていました。犬2匹の蹄き声も。

この辺りはモミジは全て落葉しています。残念。少し遅かったようです。

さらに行くと集落があったのでびっくり。どこへ行くのかと聞かれて、お不動産までと言いつつ、面倒になって引き返す。


 

お寺まで戻り、R21を山野峡キャンプ場へと向かいます。こちらもモミジは残念でした。

メガネ橋を渡ります。向こうもテントサイト、川で夏は水遊びができるそうですが、きょうは家族連れがちらほら。

帰ります。今年のモミジは地味でしたね。11月になっても21度以上と暖かく、夜も気温が下がらず、鮮やかに紅葉する前に茶色に枯れて落ちてしまったのでしょうか。

来年に期待いたしましょう。きょうも休みです。寒くなるまであと少し、心がせきますが、さて、何をしましょうか。


 

昨夜の瀬戸内寂聴師、木綿か麻のざっくりとした手織り布で仕立てた作務衣の上だけ着ていた。話もさることながら、普段着がカラフルで楽しそうだった。装いは人也。意外な一面が面白かった。あんな布も織ってみたいものです。

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「黄昏記」 真野さよ

2015-11-22 | 読書

黄昏 http://www.futta.net/photo/759.htmlよりお借りしました。


1978年に自費出版した本が、のちに岩波の同時代ライブラリーとして再刊、それを最近買って読んだ。

1967年に亡くなった認知症の母の闘病記であり、介護の記録を小説仕立てにしたもの。当時は脳軟化症という病名が付いていたが、病気の進んでいく過程は今も同じ。娘の目から見た母親の変化が丹念にたどられる。

真面目で几帳面な人が呆けやすいと、私の周りでは都市伝説のように言われている。ほんとかな。じゃ、いまのうちから不真面目になろうなんて不届きなことを言うのも、まだ間があると高をくくっているから。

お母さんは認知症の総合デパートのように、ありとあらゆる症状が次々と現れる。物忘れ、妄想、幻覚、昼夜逆転、幼児返り、失禁、弄便・・・

途中から施設に入れるけれど、当時の施設は洗濯は家族が持ち帰ってするし、施設の職員が暴力振るったり、しょっちゅう家族が呼ばれたりと、今とはだいぶ様子が違う。介護保険もない時代、家族の負担も大変なものである。

がしかし、この本ではまだきょうだいとその配偶者が助け合って介護にあたり、何よりもこのお宅は裕福で、お金の心配はあまりなさそうなので、今の時代にそっくりそのまま当てはめることはできない。出てくるエピソードも古風。この時代は、着物が縫えなくなって認知症の初期症状。私など初めから全然縫えないので、その面から見たら症状は重いかも。

赤ちゃんから大きくなる過程は誰もよく似ているのに、歳とって死ぬまでは千差万別。日が暮れるまでの長い時間、人生の黄昏時をよく観察した本ではあったけど、こんな死に方したくない、哀れすぎるとつくづく思った。

今からそんな心配して暗くなるのもおかしいけど、老いについて深く考えさせられた一冊。

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岩国へ紅葉を見に行く

2015-11-21 | 旅行

本日フリー。好天なので岩国へ行きます。

高速バス往復1,700円。広島バスセンターから約一時間。近いけど県外なので旅行カテゴリーで。

あの橋渡りたいけどお金要るし、渡りにくいのでいつも無料の橋で。屋形船、営業中。

和小物と骨董の店先で。

石仏

ウメモドキ

紅葉谷。今年は色づく前に落葉したらしい。残念。

紅葉一枚。

ジュウガツザクラ

吉香神社。堀があるので本丸があったのかも。岩国藩吉川氏の天守閣は山の上。

薪。母の実家は私が子供のころ、薪で煮炊きしていた。

社務所の渡り廊下。渡り廊下の好きな私。渡るだけで気分が変わる。

寝殿造りだと渡り廊下の向こうにはまた別の女性が待っている。

我が家にも取り入れたいけど、廊下渡ったら、もうよそ様の敷地。

これはこれから紅葉するらしい。

モミジが外れだったのでもう帰ります。滞在時間、一時間半。お昼は、河川敷で、コンビニおにぎり二個、ミカン、持参の蓮茶などで済ます。

きょうは小春日和というよりは汗ばむくらいの陽気で、いい日でした。でもモミジが残念。

去年はこんな感じだったのに。。。。

なかなか自然というのは微妙なものです。


 

きょうは土曜日、昼過ぎて、観光バスが続々とやってきます。人が増えてきたので、長居は無用、13時過ぎのバスで帰ります。

バスセンター出て、基町クレドへ行くとイベントしていました。

映画祭があるらしい。知らんかった。

久しぶりに上がってみる。

暖かい毎日、クリスマス気分は少しずつ。


 

庭のサザンカが満開。生けるのは難しいので、信楽の鉢に横向きに入れて見る。シロモジは先日、医院の横で姑様と一緒に拾う。来年も再来年も、その先も一緒にシロモジ、見られますように。

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秋の味覚を貰った・・・嬉しい~

2015-11-20 | 日記

今朝、友達がもらい物だけど、と自転車でいろいろおいしそうなものを届けてくれた。

ご近所の人が島の出身で、ミカンと柚子は自家製らしい。ジャガイモは呉の先の安芸津産で、こちらもおいしい。

バスタは先日のお礼なのかな。うるうる、その気持ちが嬉しかった。

きょうは夕方から夜、孫たちが来るのでこれは夜の時間の予約投稿。

きょうは何して遊ばし、何食べさせようかな~。一週間でまたまた大きくなっていることだろう。

Mさん、きょうはありがとうございました。また遊びましょうね。

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なんちゃって紬に蓼科の縞枯れ風一重帯

2015-11-19 | きもの

母からもらった着物。帯は自分で買う。紅葉した山が続いているようでもあり、蓼科の縞枯れ(島枯れ)のようでもあり。登ったのは10年くらい前だけど、もうずいぶん昔のような気がする。

帯揚げも紅葉柄。今治のえびすぎれという、呉服の売り出し市で買う。交通費が高くついたといういつものパターン。京都よりは増し???

それにしても井上章一先生の「京都ぎらい」、ベストセラーになっているようで。世間でいいと言われるものの悪口をみんなで言うのはカタルシスがあるのでしょう。それが下品になってないのは、しっかり分析していることと、当たり前だけど、感情を抑えているから。大阪でよく売れてるそうです。近いので、京都人と接触する機会も多いでしょうし、我が意を得たりというところでしょうか。

さるところでちょっと知り合ったさる方、ご主人が京都出身で、代々、京都の某所で小説家が滞在するような老舗旅館をされていたそうで。(現在は家を人に売り廃業したとか)

うーーーむ、あちらさんは普通に話しているんだけど、何かえばってそうと受け取るのはこちらのひがみ。そこには越えがたい一線がありそうで。

着物地アップ。紬みたいですが、これはプリントです。そこまでして紬が着たかったのでしょうか。

昔はヤフオクもないし、お金始末して着物買ってたのかな。純粋庶民の家は。

京都の人は目が肥えてるので、「おやまあ、よろしおすなあ」と言いつつ、なんか別のことを思うのだろうか。いやいや、それも偏見。田舎者のひがみ。

並べただけではないという証拠に写真撮る。自分を撮るのは難しい。今日もまた左前。写真修正していません。よい子の皆さんは真似しないように。


12年乗ったエクストレイル、もうすぐ10万キロ。京都へは何度も行ったし、白山、蓼科、四阿山、軽井沢、九州はいちばん遠くは開聞岳までと、12年間で思い出がいっぱい。

来年くらいには次の車に買い替える予定らしい。で、きょうは仕事関係の知り合いの方に、近くのホテルの展示会に呼んでもらった。

結婚式する大きな会場に某輸入車のいろいろがずらりと並んでいて、なかなか壮観だった。値段は1千万~500万くらいまで。私には全然縁のない世界なので、たいそう居心地が悪かった。

1千万の車に乗るなら、家もそれなりのところに住まないとね。野良猫がガレージにフンして、ついでにボンネットの上歩かれたら怒りで狂いそう。庶民は庶民らしくと言うところでしょうか。

もう車もあんまり運転したくない。隔日の姑様のリハビリのお迎え、駐車場がとても入れにくくて、めげています。でも今月いっぱい、頑張ります。

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雨、機織りとリハビリのお供

2015-11-18 | 日記

昨年11月、宮島口epiloで。寛ぎました。古い木材に包まれると何で心が安らぐのか・・・不思議。


朝からずっと雨である。朝、六時前、ゴミ出して、午前8時から11時45分まで機織り。午後も合計で二時間くらいして、三枚目も半分くらいできた。

三枚目くらいでようやく、端もきれいに揃い、織り方に慣れてくる。慣れて来た頃には次の作品に取り掛かるというわけで。

織りの教室では言われるままに整経し、言われるままに機ごしらえして織っていたので、自分でやるようになってようやく一つ一つの意味が分かり、頭の中で結びついたのでした。

そうすると次に何がやりたいかも見えてきて、もしかしたら織ることだけなら、今の方が楽しいかも。

でも時々、織りの友達に会いたくなる。みんなで楽しく話していたのはついこの間のようだけど、もう半年も経ってしまった。

昨夜NHK-BSで岩手の毛織物の番組があり、機織りのあの雰囲気がとても懐かしかった。染めた糸を丸めてストックしているところとか、織り機がずらりと並んだところとか。

これからもがんばろう。というか、楽しいからやっているだけで、頑張ろうなんて全然思ってないんだけど。


きょうは雨の中、姑様が歩いてリハビリの医院まで行くと言うので、一緒に行った。帰りは車で迎えに言ったら、院内のちょっとしたところで躓いたそうで、頭を冷やしてもらっていた。

姑様に初めて会ったのはいつだっただろうか。たぶん昭和46年の夏の終わり、女友達として家に連れて行ってもらい、初めて話したんだった。44年前・・・まだベトナム戦争も終わってなかったし、新幹線は岡山までだったし、本四架橋は一本もなかったし、大昔です。それから月日は流れ、時間は過ぎ、今に至る。

その長い月日、これが縁と言わずに何と言う。みんな歳とって行く、最近そのことをよく考える。元気でいたいけど、誰だって最後は人の世話になる。巡りあわせだから、私はまあ流れに身を任せるかな。


フランスがエライことになっている。込み入ったことはここでは省略することにして、しばらくはヨーロッパへは近付かない方がいいのかも。

フランスはツアーで三回行ったのかな、山で熊に会おうと思ってもなかなか会えないように、ああいうことも遇おうと思っても遇えるものでもないけれど、ちょっとした戒厳令状態になると、旅行者は本当に困る。

早く元の平穏な状態に戻りますように。そして犠牲者の方にお悔やみ申し上げます。

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「間取りの手帖remix」 佐藤和歌子

2015-11-17 | 読書

宮島口 epiloで。二階がカフェです。自分の家にしたいけどそうもいかず・・・寛ぎます。お勧めです。


 

賃貸の部屋の広告から見つけた、変わった間取りをたくさん取り上げ、一緒に笑おうと言う本。アマゾンで1円で購入。もっとたくさん間取りがあると思っていたので、残念。

どの家も狭い。狭い土地に無理してビルを建て、それをなるだけ細かく区切って、貸すのだからどこかに無理が出るのは仕方ない。

しかし、その家で暮らすうちに不便に耐えられなくなったり、狭いのが嫌になったり、不自然な動線で妙に疲れそうなそんな部屋ばっかり。見る私も疲れてしまった。

著者のコメントは笑い倒すという立場を崩さないが、現実にこうした賃貸物件があり、借りる人がいるという現実はとても笑えないのでは。

この間取りの数々には現代社会のひずみが、その末端でとうとう耐え切れずに形になったという、何か異形なものを見る心地悪さが私にはあった。

私は老人用の施設、または病院にいるまではもうひっこすこともなくこの家に住むと思うけれど、もし今の家を出て一人暮らしをすることになれば・・・どんな家がいいかなとしばし空想に遊んでみた。

海の見える丘の上、バス停は近く、徒歩圏内にスーパーもある。古い家を借りて、縁側のある広い部屋のそれぞれのコーナーで、機織り、水彩、洋裁、パソコンをする。真ん中が食卓兼読書机。いえいえ、本は寝て読むか、椅子にもたれて読んで、背筋伸ばして椅子に座って読むと落ち着かない。

隣の部屋は書庫かな。その隣が着物入れる部屋。いやいや本も着物も思い切って手放すのもいいかもしれない。

と、生活をしばし振り返った。

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