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クレムリンと赤の広場の見学、そして帰国

2015-08-26 | ロシア旅行

8/15 クレムリンと赤の広場を見学して、いよいよ夕方ロシアを離れます。最後の観光です。

ホテルを出てバスで15分くらい走り(迂回したらしい)、クレムリンに着きました。今から見学者用ゲートに向かいます。

入ってすぐのところにある建物。

クレムリン大会宮殿。1961年完成。かつては共産党大会などしていたが、今はオペラ、バレエなどを上演。建物正面に双頭の鷲が輝く。

客席は6,000席だそうで。威圧的。

ウズベンスキー大聖堂は修復中。ロシア帝国の国教大聖堂。皇帝の戴冠式もここで行われた。地震倒壊後、1479年に再建。

廻り込むとこんな感じ。

イワン雷帝の鐘楼。1543年に完成。

右、武器庫とダイヤモンド庫。今から見学に行きます。左、ポロヴィツカヤ塔。もう一つの入り口です。

蹄の音も高らかに、馬に乗った衛兵が通ります。隊長は白馬、他の兵士は栗毛に乗ります。

大きさも歩調も揃って、目の前を通って行きます。

土日は騎馬部隊の交替式があるそうです。

通った後は清掃。車が排ガスを出すように、馬は生き物ですから。

イワン雷帝の鐘楼前広場で、交替式が始まります。大勢の観光客が待っています。

私たちはこの後、武器庫とダイヤモンド庫の見学。建物の中は撮影禁止。

武器庫とは博物館のことで、歴代王朝の宝物を、ダイヤモンド庫は飛行機に乗る前のような厳重なチェックがあり、出るときも時間を決めてドアが開きます。

クレムリンホームページから写真を拝借します。

戴冠式用のガウン?セーブルの毛皮?

王冠

儀式に使われた食器セット

花嫁衣装。ウェストが細い。昔の結婚は10代半ばだったそうで。

この他には馬車や玉座、武具など見応えたっぷり。


 

このあとダイヤモンド庫に。厳重な荷物チェック。ハンドバッグを開けて、中身を全部確かめられる。

いちばん目を引くのは自然金塊のコレクション。30くらいある。地中に金の塊のままあるのを掘りだしたそうで、それぞれキャベツくらいの大きさ。

「これはそのままの形の方が値打ちがある」と誰かが言っていた。参考に金の延べ板ではなく、ブロックが置いてある。それよりどれも大きい。うわあ~目がくらむ。一度にこんなにたくさんの金塊を見たのは初めて。エルミタージュでも黄金ばかり展示している部屋があったけど、こちらけた違い。

周りはずらりと王冠やアクセサリーなど。宝石の一つ一つがとても大きい。エカテリーナ二世が愛人から送られたという巨大なダイヤもここにあったのかもしれないが、ここはガイドもいないので気が付かなかった。残念!!

照明を落とした部屋でダイヤ他の装身具、煌びやかのをたくさん見て圧倒されました。

出たところで100ルーブルの絵葉書と3400ルーブルの琥珀のペンダントを買う。皇帝一族には及ぶべくもないけど、庶民なささやかなぜいたく。

 

鐘の皇帝

1733年から35年にわたって鋳造される。高さ6.14m、重さ200tの世界最大の鐘。

製作中に火災が発生し、水を掛けたら割れたそうで、一度も鳴らされたことがないとか。

おや、先ほどの衛兵が。パッカパッカとひずめの音も高らか。後ろの工事幕、大統領官邸の一部。きょうは土曜日なので、プーチンさんは自宅にいるのかも。

先ず音楽隊が。

目の前を通ります。

続いて騎馬隊。

きちんと歩くのが訓練のたまもの。脚の黄色いのはサポーター?飾り?

レーニン廟? ツアー客は行かないようです。

赤の広場

左からワシーリー寺院、スパスカヤ塔は公用の入り口で大統領も出入りする。大統領官邸と、小さな三角屋根はレーニン廟。丸い屋根は元老院。

広場は土曜日で大勢の人です。

昔、大統領他の人たちがここに立ち、人民に挨拶していた。。。。のは北京でしたか。。。。

ニコリスカヤ塔と国立歴史博物館

反対側の国営デパート、グム百貨店。

向こうにワシーリー寺院が。最もロシア的風景。設計した二人は二度と他で同じものを作らないようにと、イワン雷帝から目をくり抜かれたそうで。いゃあ、権力者のめちゃくちゃぶりもロシアは並外れているのかも。。。。

 

グム百貨店内部。通路は二本。三階までの吹き抜け。ショップ色々。作りは広島のダイヤモンドシティソレイユみたい。あそこもイオンとかダイソーとかいろいろ入ってますが、こちらはブランド店ばかり。

店の中心、スイカの切り売りにスイカジュース、この手前でまたしてもアイス食べる。50ルーブルくらいだったかな。ガイドさんが通訳してくれた。

地下のトイレはあまりきれいではなかった。残念。

クレムリン全体が丘の上、ワシーリー寺院は通り過ぎて振り返るときれい。

さよなら、クレムリン、さよなら、赤の広場。手前から、スパスカヤ塔、レーニン廟、ニコリスカヤ塔。

広場の外に出てバスに乗って食事に行きます。

 

スープや

魚料理や食べて

・・・・・・・・・

空港へ。いよいよ帰国です。

モスクワ川を渡り

空港へと急ぎます。ロシアの道は広くてまっすぐ、トンネルなし。向こうは火力発電所。

サンクトペテルブルクへ戻るのならいいんだけど、私たちは空港に向かっています。

空港に着きました。

飛行機色々。エアロフロートらしい。

サヨナラ、ロシア

サヨナラ、悠久の大地。

素朴で桁はずれていて、国は広くて、人は大らかで、無愛想で、でもきっと正直で、不思議な魅力のある国でした。

大韓航空、以前はそうも思わなかったけど、食事はやや地味かな。

朝はお粥をチョイス。ふりかけ掛けます。

ソウルでは四時間くらい待つ。トランジット客は無料のシャワー室あり。髪を洗いました。福岡へ向かって飛びます。空は秋の気配。

一時間半のフライト、国際便なので水平になってから軽食配る。忙しいです。

福岡郊外、海の中道。右が金印の見つかった志賀島らしい。

福岡港と福岡市内。

どんどん高度を下げます。市街地の真ん中にある空港まであと少し。

無事着陸。8/16 15:25

お疲れ様。終わってみればあっという間の6日間。強行軍と寝不足、消化器管の不調と、たいそう疲れる旅でしたが、写真整理して、やっとがどんなところへ行ったか理解できた気がする。

何事も復習、大切。

ロシア旅行、長い間のお付き合い、ありがとうございました。

 

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「生きて帰ってきた男」 小熊英二

2015-08-26 | 読書

モスクワ郊外 8/14 朝


気鋭の社会学者であり歴史家、小熊英二氏のお父さんは今年89歳、自分で身の回りのことをして一人暮らしをされているという。

そのお父さんの生まれてから現在までの聞き書きを、当時の社会情勢と合わせて一冊にまとめたもの。

北海道で生まれ、東京の祖父母に引き取られ、中学を出て就職、応召、シベリア抑留、復員後、職を転々としたこと、結核の療養、子供連れの人と結婚して生まれたのが著者。

やがてスポーツ用品を学校に卸す仕事が軌道に乗り、生活もやっと安定する。現役引退後は地域活動や、シベリア抑留会の活動を通じて、朝鮮籍の旧軍人の日本政府への補償問題にも関わる。

決して声高く自分を語ることのない人だけど、息子さんの聞き書きで細部についてもよく思い出したという。感想は全て、実生活からくる淡々としたものだけど、足場は少しもぶれない。

私たちの親の世代はみんないろいろな苦労をしたと思う。ただ戦中の話だけではなく、戦後の長い期間のことも取り上げたのがこの本の特徴。

300ページ以上の本だけど、面白く読みました。

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「火花」 又吉直樹

2015-08-25 | 読書

先月、わが地元での花火大会。


今期、芥川賞受賞作。面白かったです。芥川賞というのは芸術性に走るあまり、ふだん純文学を読まない人には???な作品もあるけれど、これは素直に書いたものを素直に読めばよくて、お笑い界の裏側や芸人さんたちが何を考えているかがよく分かり、自分の世界が一つ広がったような気持ちいい読後感です。

しかしテレビというのは力があると改めて思う。著者を知っている気になるもん。いえいえ、隣の挨拶以外あまりしない人よりは親しみがわく。文学賞というのも、結局は業界の販促のためのイベントでもあるわけで、過去にも別な業界での有名人が受賞した例はある。

それに比べても、そん色ないと思う。

熱海の花火大会の日、イベントの舞台に立った漫才コンビスパークの徳永は、先輩コンビあほんだらの神谷に出会う。神谷は、笑いとは何か、漫才師とはどうあるべきかを徳永に語るが、実生活は女性の収入と借金で生活する破滅型の人間だった。二人の付き合いは着いたり離れたりしながら、十年以上も続くが、徳永はその間にそこそこ売れるようになり、街で声を掛けられることも増えた。

神谷は相変わらず、笑いについてストイックな立場を崩さず、現実には女性と別れ、また別の女性とくっつき、借金から逃れるために行方不明になり、やがて再び徳永の前に現れる。

ありえんやろ…という結末は本を読んでいただくとして、芸に掛ける人間の執念、悲しさ、人を笑わすための血のにじむような努力など、知らなかったことばかりだった。

笑うって、人間にしかないと思う。快、不快の表情は動物にもあるけれど、笑いは言葉で構築されたその人なりの世界観を思わぬ方向から突き崩すときに生まれる、意外性だと思う。

言葉で記憶されたものにゆさぶりをかける行為とでも言えばいいのだろうか。

人を笑わせるというのはひょっとしたら、文化的な営みの最上位に置くべきことなのかもしれない。

漫才師になりたいものはとてもたくさんいて、世の中に出られるのはごくわずか。ネタつくりにネタ合わせ、血のにじむような努力の果てに幸運な者だけが世に出られる。大変厳しい世界だと知った。


知人の息子さんがお笑い芸人を目指している、と聞いたのはだいぶ前。彼女はいるけど結婚はまだ。その様子がこの小説で想像できた。無事、望みは果たせたのでしょうか。

我が家の某息子も生まれつきのひょうきんもの、何でもネタにしてしまう。長じては大学の落研に入り、落語に漫才、ピン芸に南京玉すだれまで、授業料を無駄にすることなく芸能全般を修めたが、卒業後は就職した。

今でも面白い男だけど、この小説読んだら、お笑いは遊びでたしなむのもで充分だと思った。

人を笑わせ、自分も幸せに。お笑いの効能これに尽くるはなし。小説の神谷のようになったら本当に悲惨。でも笑いの神の取り付かれた狂気を生きざるを得ない人もいるわけで、その人世は切ない。

なかなかに深い小説でした。

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エカテリーナ宮殿

2015-08-21 | ロシア旅行

観光二日目8/13 いよいよエカテリーナ宮殿の見学です。

ホテルは8:30頃出ました。鍵の開かなくなった部屋があり、解除するのに時間がかかったそう。でも無事出発できました。

高速道へ入ります。あいにくの雨です。

ロシアの平原。

一時間ほどで宮殿近くのバス駐車場に着きました。歩いていくと向こうに見えてきました。

向こうに見えるのは出口。開門までしばし待ちます。風があってとても寒いです。11月頃の感じ。夏服の上にジャケットを着ます。

もうすく゜門があきます。

やったあ、一番乗りです。誰もいません。開場は10時くらいからでしょうか。ちなみにここもナチスドイツが破壊し、近年ようやく修復されたとか。

夏場はツアー客優先で、個人で行ってもなかなか入れないそうです。

1724年、ピョートル大帝の妻、エカテリーナ一世のために建設される。夏の宮殿として利用したそうです。日本で言うと吉宗とかあの時代ですね。質素倹約と言われた時代、倹約の対極にある宮殿。

1752年には、女帝エリザベータがバロック様式に改築し、この時、外回りの金の装飾にペンキを塗ったそうです。エリザベータは派手なのが嫌いだったそうで。

さらにエカテリーナ二世の時、クラッシック様式に改装され、現在両方のスタイルの豪華な饗宴が見られるそうです。私には様式の違いは分かりませんが、ともかくも豪華絢爛らしい。ドキドキ。

建物の反対側は緑地になっていて、カラスがいます。コクマルガラスです。以前イギリスでニシコクマルガラスというのを見ました。あのカラスに比べて、首のあたりの色がより薄いのが特徴です。

翌日、佐賀県から参加の方が、佐賀にはカチガラスというのがいると教えてくれました。

カチガラス…初耳です。

「広島の方なら知らないですね」とのこと。

こちらです。http://worldjc.com/3934/

カチカチと鳴くのが縁起がいいので、秀吉の朝鮮出兵の時、九州へ連れ帰ったのだとか。厳密に言うとカラスではなく、カササギのようですが、佐賀県の県の鳥にもなっているとか。いゃあ、勉強になりました。ありがとうございます。

入ります。ペンキで塗るより、金の方がよかったのにと、個人的には思います。

宮殿内土足禁止。土に着いたバクテリアやカビが宮殿内に棲みついてもいけないしね。

入ってすぐの階段

壁に古伊万里の壷などを飾っている。当時は船で運んで、とても高価だったとのこと。

大広間。ベルサイユ宮殿、鏡の間によく似ている。あそこよりは狭いけど、両側窓で光がたっぷり。

金が・・・☆☆キンキンキラキラ~☆

一番乗りなので、目の前に誰もいません。この贅沢感。ワーシャさんいわく、皆様方、運がいいですよ。いつもは人が大勢でとてもゆっくり見られませんから。

少し人がやってきました。

鏡に金が映り込んで、豪華さ、二倍、三倍、四倍増し。

次の部屋へ

豪華な部屋が続きます。水色のはオランダ焼きのマントルピース。一枚ずつ違う絵が描かれています。

豪華に食卓を再現。

何気に置いてあるマイセン。

椅子も豪華。緑の壁材も高価なはず。何でしょうか。黒人の飾りは、実際にアフリカに植民地がなくとも、帝国の版図が大きいことを示すためと思います。

エカテリーナ二世。元々はドイツ人、姑エリザベータに請われて、王妃としてロシアへ来る。エリザベータ亡き後、夫を暗殺させて帝位につく。

己の運命を生ききった人と言えるかも。

緑の食堂。古代ローマ風の浮き彫り。

琥珀の間は撮影禁止。琥珀自体は高価と思うけど、色合い的には地味。部屋がほんのり暖かいのは琥珀の持つ暖かさだそうです。

ショップには琥珀の装身具たくさん売っていたけど、買う時間がなくて、クレムリン内で買いました。

こちらも第二次大戦中、ドイツ軍によって破壊、略奪され、2003年にようやく再現されたそうです。それから観光客がとても増えたとか。

つくづく、戦争の罪深さを思いますね。アメリカの手助けして、世界の果てまでも軍隊出そうなんて、気が狂ったとしか思えない。

出てきました。まだまだ修復は続きます。

今度は気持ちいい木陰を歩いて・・・

こちらへ行きます。

キャメロン、ギャラリーです。エカテリーナ二世の時、思索するための散歩用に作られたそうです。

庭が見下ろせます。夏の花がいっぱい。

先端の階段下りた先には池があります。

ぐるっと公園を廻ると、むこうにさっきの宮殿が。

雀。日本のより少し色が薄い。

説明するワーシャさん。

お昼は郊外のレストランで。ツアー客が増えたので、レストランも増えた模様。

メインはシャシャリクという串焼き。肉が固かった。ロシアはどこでも肉が固かった。日本人が柔らかいのを好みすぎるのかも。

午後からピョートル大帝夏の宮殿へ行きます。いいお天気ですが、やがてとんでもないことに…

 

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「母ふたり」 窪島誠一郎

2015-08-16 | 読書

2014年8月 京都で


信濃デッサン館、無言館館主、窪島誠一郎氏の自伝である。

水上勉と恋人との間に、結婚しないままに産まれた窪島氏は生母に水上凌として育てられるが、2歳になったばかりのころ、窪島夫妻に引き取られる。

窪島家は明治大学の門前で靴の修繕を生業とし、貧しい生活だった。長ずるに従い、自分の出生に疑念を抱き、親に聞いても言ってくれないので執念のように関係者を訪ね歩き、ついに仲立ちをしてくれた人の未亡人に本当のお父さんのことを知らされる。

この時のことは当時マスコミで話題になり、さすが親子、よく似ていると私も思った記憶がある。40年近く前のことだった。

この本では、実父母と養父母、その周りの人達との関係、自分の複雑な思いを余さず書いている。

昔は戦争や病気で人は今より簡単に死に、親子の生き別れもずっと多かったと思う。また子供の数も多かったので、相続に関係ない子はよその家の後継ぎとしてもらわれることもあった。

私は子供には小さい時から本当のことを話した方がいいと思うが、昔は自分たちが捨てられるのではないか、本当の親のことを知ってそちらへ行ってしまうのではないかと、言わないのが普通だったのではないか。

でも近所の子供と遊ぶうち、また周りの大人のふとした言動から子供は何かを感じ取ってしまうものでもある。

小さい時から「貰ってきたんだよ。あなたが大好きなので、私たちは育てているんだよ」とずっと言い続ければいいらしい。その年齢なりに自分の中で消化していると、他人に言われてもショックが最小限で済むと思う。

作者は養父母を相当追い詰めたらしい。どうしても話さないのでその仲が険悪になったらしい。でも仕事上の保証人になってくれたのは養父の弟、子供のころは親戚の家に行き来したりして可愛がってもらっている。よかったじゃないのと、私は思った。

養父母とは最後まで一緒に住み、妻任せとは言え、最期の世話もしている。小さな食べ物屋を明治大学の前に開き、繁盛して支店を広げ、成城に一軒家を構えて養父母と同居している。えらい!!

そして美術館も立ち上げ、無言館は全国で唯一、戦没画学生の美術館として、広く知られるようになった。自分で生きていかなければという思いが子供の時から強かった人なのだろう。

窪島氏は水上勉と親子付き合いをするが、一方、生母には冷たいなと思った。複雑な思いがあるのだろう。窪島氏の奥様は成城の自宅で子育てと介護に追われ、また生母ともたまにデパートへ付きあったりとなかなかできた人だと思う。奥様のサポートなしには今の仕事はなしえなかった。奥様も偉いなと思った。 

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「女たち三百人の裏切りの書」 古川日出男

2015-08-03 | 読書


小説の中を流れる時間は紫式部没後、百年余り、紫苑の君という貴族の思われ人の産褥に紫式部の霊が現れ、世上流布されている宇治十条は本来の自分の思いから離れている、今こそ本当の宇治十条を世に問いたいというところから始まる。

宇治十条は八宮の姫君と光源氏の不義の子、薫と光源氏の孫、匂宮との恋のさや当てを軸にした物語である。

この小説ではほかに西国の海賊、平氏に源氏、奥州藤原氏、などが登場し、身投げした浮舟をどのように救うかという最後で登場人物たちが一つの場面にまとまる。ここで読者は錯覚する。オリジナルの宇治十条が物語、この作品は現実の話だと。

いえいえ、宇治十条が作中劇としてはめ込まれた、百年後の物語。これもまた物語である。

オリジナルは狭い貴族社会が舞台、貴族中心、男中心。その静止画のような原作に3D映像のような画像処理をしたのが本作ということになるだろうか。

なかなか面白かったですよ。庶民のあけすけもない表現にかかると、香をたきしめた男たちの身勝手さと滑稽さがあぶりだされるというもの。女はそれにきっちり落とし前をつける。

三百人ではなく、紫苑の君が物語の大君であり、浮舟と言って自分の生き方を示唆する末尾はなかなか痛快でした。

でも半面、こうした文体に慣れてないので読むのは大変だった。499ページもあるので。その中で、宇治十条を本歌取り下部分が読みやすいのは筋を知っているからでもあり、やっぱりオリジナルはよくできているからでもあると思う。

男の身勝手に泣く女、法律が女を守ってくれない時代は大変だったんだと、関係ない感想も持った。

http://bookshorts.jp/furukawahideo/

2011年3月、京都で十二単着ました。着物は重いけど、最後にベルト締めると着物の重さが分散して割と楽です。

今の時代は固い帯を結ぶので却って苦しい。といって十二単着て暮らすわけにもいかず・・・

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「無言館の青春」 窪島誠一郎

2015-08-03 | 読書


 

無言館とは戦没した画学生、若い絵描きの残した絵を収蔵、展示する個人美術館である。館主、窪島誠一郎氏は作家水上勉の子供だが、事情があって人にもらわれ、その人の子供として育てられる。

本当の親子と分かったことがだいぶ前話題になり、その新聞記事を読んだ記憶がある。確かテレビドラマにもなったはず。

その人が戦争で亡くなった人の遺作を収集展するのは何か特別の思いがあるに違いない。

そう思って手に取ったこの本は、館主の思いはそう語られず、絵とその説明がほとんど。

上手い絵は一層、そうでない絵も胸を打つ。反戦の思いからではなく、どの絵にも若い命が輝いているから。と言えばきれいごとになるかもしれない。けど、この人たちに壮年も老年もなかったのだと思うと、青春を遥か隔てた私はウルッとしてしまうのである。

若い人が家族や恋人と離れ、遠い戦地で死ぬ。こういうことが二度とあってはいけない。絵は絵として評価されるべきだけど、それぞれ個性的な絵を見るうち改めてそう思った。

無言館は長野県上田市の山の中にあるらしい。上田からは別所温泉行の上田電鉄電車で塩田町まで行き、あとは徒歩30分らしい。いつか行けたらいいけれど、もう行けないかも。2008年、車で近くまで行ったんですよね。あの時行けばよかった。残念。

上田電鉄、旧型車両の展示

向こうから電車が来ます。

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