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風邪ひいた・・・

2020-05-31 | 日記

風邪ひいた。咳が出る。

原因はきのう暑い中をマスクして歩き、帰りはバスに乗ったら冷房がきつくて寒かったことかな。

予定中止して家にいる。朝、近所のスーパーへ歩いて買い物行っただけで、きょうはまだ2千歩くらい。

でも体がだるいのできょうはおとなしくしておきましょう。

今はTシャツ二枚、登山用のシャツ、ウィンドブレーカー、フリースに真冬のウールのコートを重ね着。わあ~6枚だあ~

帽子にマスクも。葛根湯にショウガすりおろしてさっき飲んだ。

年々、体が軟弱になる。特にこれから、どこへ行っても冷房がきついのでつらい季節。エアコンつけるつけない、はたまた温度設定でもめる毎日。

一緒の部屋で寝るなんてとてもじゃないけど、寒くて眠れない。

あすは元気になっていますように。

お断り:画像はイメージです。

 

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本日10,053歩

2020-05-30 | お出かけ

一日一万歩目標に歩き始めて2日目。

夕方6時までにとりあえず達成。自転車で途中まで、あとは歩いてパルコまで。パルコ内のスポーツ用品店でスニーカー型のサンダル買った。2足あるはずなのに、裏がすり減ったり、つま先が細くて履きにくく断捨離したみたい。残念。

マスクして歩くととても暑い。頭がくらくらする。いつまで続くことやら。

そろそろ旅行もしたいけど、県外解禁は8月でしたっけ?

近場でもいいんですが、別に行かなくても心楽しく過ごす方法、この間に知ったような気がする。

家の中を整理して要らないものを捨てたり、ほかのものに使ったり。

お金使わずに楽しく過ごすのも年寄りの芸のうち。とは言え・・・

2006年8月6日。

島根県のさる海岸で。線路は山陰本線。日帰りで浜田~益田方面に。

山に登らなければ遠いところまで行ける。

またいつか行きたいなあ~

 

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「家族の昭和」 関川夏央

2020-05-29 | 読書

昭和に作られた映画、ドラマ、小説などから、昭和の家族の姿を振り返る評論集。

初出は「新潮45」2006年1月~2007年。

取り上げられたのは向田邦子「父の詫び状」、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」、幸田文「流れる」ほか、テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」。

しかし、一口に昭和と言っても期間は長い。60年以上あり、間には軍国主義国家から太平洋戦争、敗戦から高度経済成長、やがてバブル経済の破綻ととてもひとくくりにできる特徴はない。

ないからこそ、それぞれ特徴的な作品を取り上げ、家族がどう変容していったか、やがて解体していったかを超スピードで俯瞰しする試みという体裁になっている。

なかなかに面白かったのですが、私はテレビドラマを決まった曜日、決まった時間に見るという習慣がほとんどないので(きちんと予定を立てて生活できないので)、向田邦子のドラマも、ブームになった金妻や男女7人シリーズも名前だけしか知らず、ああそんなものかなと思う程度。

この中では幸田文の、芸者の置屋での女中体験と、それをもとに書いた「流れる」についての考察が面白かった。1950年代前半の柳橋に生きる癖の強い玄人の女性

それをしっかり観察し、無理な仕事をこなし、しっかり目を見据えて観察する幸田文は結婚に失敗し、露伴を見送り、一人で生きていく覚悟を決めた時期でもある。そのしっかりぶりが、息苦しいほどである。露伴に礼儀作法、家事を徹底的に仕込まれ一本も二本も芯の通った、戦後の自立する女性の先駆け。そこのところをよく掬い取っていると思う。

幸田文は「おとうと」を読んだのが最初。高校の図書室で深い緑色のろうけつ染めの布の表紙。姉、弟のきょうだい愛。過酷な環境。救いのない話だけど、迫力があった。こちらへ来て、正門出たところの並びの古書店で同じ装丁の「おとうと」を確か50円で買った。まだ持っていると思う。

当時は布張りの表紙の本も多く、箱に入っているのまであった。蝋引きの紙で保護しているのもあり、岩波の日本歴史シリーズの保護紙はケーキ焼くとき型に敷いて重宝した。クッキングペーパーなんてなかったので。

すみません、話が広がりすぎました。

評論よりは原作読んだ方が楽しいと思うけど、今の私は幸田文を読むには心が軟弱になりすぎている。

これも公民館で借りてきた。リアル書店は読みたい本がなかなかなくて、最近行ってない。この先自分がどういう傾向になるかは未定。

唯一心に残ったのは、金妻の登場人物が若いころを美化してあの頃に帰りたい、今は堕落したかりそめの姿と思うことへの著者の批評。退屈だから、昔がよかった思う、それもまた時代の余裕と私は思う。その頃ある文芸サークルに加入していた私は、似たような気持でいたことを思い出した。

それとと当時の出演者で、美人で細い人は年取ると変化が激しいけど、そうでない人は年取らないと誠の辛辣かつ的確な指摘。いえいえ美人でも手入れを怠りなくすれば美はキープできます。そうでない人間が身なりかまわないとどういうことになるか、そちらの方が私には切実な問題。

今日から歩数を記録することにした。
本日ゆめタウンまで歩いて買い物、そのほかで10,291歩。コロナ前の体重に戻すのが当面の目標。頑張れ、私。

  

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五月の花

2020-05-28 | インテリア

アジサイ

ナツハゼ

ヤマアジサイ

山地の林間に生える。日本海側では山陰地方までエゾアジサイも見られる。

昔、島根県との境、大万木山おおよろぎさんで、ヤマアジサイとエゾアジサイが並んで咲いているのを見てめちゃくちゃ感動した。

深くてアプローチの長い山、若かった私。

花一つで蘇る季節の思い出。

道端で新鮮な野菜や花を買うのも、山へ行く楽しみの一つ。

どたらも新鮮で安い。

大万木山では当時、陰陽を結ぶトンネル工事で、道を造成していた。

ああいう場所なら、ヤマブドウもあるかも。西日本では極めて稀らしいけど。

カシワバアジサイ

昨年は短く切ったので、今年は花たくさん。

あまりに元気よくて生命力が動物的。

鉢植えの時はおとなしい花が咲き、咲かない年もあったのに。

今年は半分は短く切り、来年は残り半分。

二年がかりで丈を詰める予定。

小さい花を切る。

白い花。

鉢植えの花を切る。名前はあるはずだけど知らない。

横文字の名前がなかなか憶えられない。

ラベンターで。

皿と人形は千田わっしょい祭、出身。

3、4、5月はなかったけど、6月に期待している。

数日前に切って挿していたらもう根が出ていた。

今はものみな成長のシーズン。

植物の伸びる力に元気もらって、頑張っていきましょう。

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紅絹もみ裏で作るハタキ

2020-05-27 | 手芸

ハタキをリニューアルします。

用意するもの。古いハタキ、布、紐など。

古い布をカット

柄を下にして裂いた布を巻き付けて、最後に結びます。

布をひっくり返し、紐で結びます。

早速掃除してみます。

うんうん、いい感じ。

ホコリが舞い上がりました。長い間、ハタキ掛けてなかった。。。。

これを機に真面目に掃除しましょう。

モスの長襦袢地は先で何かに使うかもしれないので、裂かずにそのままで。

 

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港のカレー屋さん

2020-05-26 | クッキング・ランチなど

夕闇迫る港。

ナンはLサイズ。インドでみんながナン食べてるわけではないそうで。

こちらライトセット。ライトだけどお腹いっぱい。

初めお客さんいなかったけど、帰るころには若い二人連れが来た。よかった、よかった。少しずつ、いろんな活動が再開されているようです。

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縮で作る忍者マスク

2020-05-26 | 縫物いろいろ

姑様から頂いた古い布の中に縮生地がありました。

多分縮、たぶん麻と思います。もう聞くわけにいかないので勝手に判断。

張りがあって丈夫な生地です。

裏はこうです。立体的になっています。

Yシャツ地より大きく作りました。顔に当てると忍者みたい。

それで忍者マスクと名前つけました。

マスクいろいろ。作り方もいろいろ。さすがにもういいかな。

それにしても、政府のマスク届きません。全部配るのは秋ころと言ううわさもありますが。

さんざんマスクの悪口言ったので、我が家は最後かも。

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手縫いで簡単マスク

2020-05-26 | 縫物いろいろ

25センチ四方の布一枚、手縫いで作る簡単マスクです。

きょうは50センチ四方のハンカチで作ります。

ハンカチを縦横それぞれ二等分に折って25センチ四方、さらに下側を輪にして半分に折ります。

両端を端から1センチのところで縫います。下は紐を通す穴を1センチ開けます。

上端の真ん中をそれぞれ持って広げ、端を1センチ、裏返すための開きを6センチ残して縫います。

四角に広げて紐を通します。結び目は見えてて大丈夫。

ひっくり返して開きを縫います。

表側。

ハンカチ折って作ってもいいのですが、この作り方だとバイアス地になり、顔になじみやすいようです。

このマスクが一番簡単、ミシンなくても大丈夫、ゴムの代わりに伸びるTシャツ生地などでもいいと思います。

よかったらお試しください。

先日、外出先で作ったマスク。

マスク忘れたのでハーフサイズのハンカチに、安全ピンとゴムは百均で調達。

マスク、難しく考えなくてもいろいろ工夫すればいいようです。

きょうはハンカチを三角に折って口を覆っている男性を見かけました。夏は涼しくていいかもしれませんね。

みんなで工夫してコロナを乗り切って行きましょう。

 

 

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「昭和なくらし方」 小泉和子

2020-05-26 | 読書

著者は1933年東京生まれ。工学博士で家事、家具に関する著者多数。育った家を保存して昭和の暮らしの体験できる場所とし、石見銀山のある島根県大森町の旧家再生、資料館としての運営にもかかわっている。

この本は昭和の時代の生活の仕方を振り返り、無駄を省いてエコな生活をしようと提案する本。大変面白く読みました。子供の頃に慣れ親しんだ話がほとんど、そしてカラーの写真がたくさんあり、読みやすかった。

写真で当時の様子を再現するのは大変だったと思うけど、大手の河出書房新社なので、その辺りはきちんとできている。

この中ですぐに私の生活にも取り入れられるのがいくつか。

オイルサーディン。

広島では、煮干しにするカタクチイワシが季節になると生で出回る。足の速い魚なのですぐ売りさばくらしく、値段は安い。ショウガ入れて甘辛く煮るのが定番だけど、これなら料理いろいろに使えそう。

輸入缶詰も安いけど、たまには自前で。

紅絹裏もみうらのはたき。

紅絹裏と言うのは紅花で染めた薄い絹地で、昔は着物の裏にしていた。前に姑様から頂いた古い布各種の中に、巻いて糸で綴じた紅絹裏があり、手芸品売っている友達に上げた。今にすれば残念だけど、もう済んだこと。その時の自分の選択は後悔しない。で、端切れが少しあると思うのでやってみようかな~

和服を洋服に。

これは下手ながらやっている。今のところズボンだけ。いつか外へ着て行けるものも作りたい。

靴下の繕い。

今の靴下は丈夫だし、穴の開く前に毛羽立って、ワンシーズンで捨てることが多いけど、一度やってみよう。孫に受けるかも。電球に被せてやるといいらしいけど、さて電球もあまり使わなくなったし。しみじみと。。。遠くなった昭和。。。。


昭和の家庭は人の出入りが多かったこと。これは著者の住む東京でもそうだったらしい。親せき、近所、頼み頼まれ、子供も親せきへ遊びに行き、またあちらからも来ていろいろな暮らし、価値観を体験する。

我が家も大変に人の出入りの多い家でした。父のきょうだい多数。いとこも多数。遊びに行く家もいろいろ。精錬所の技師、学校の教員、山村の農家など。山の親戚は特に楽しかった。近所の子と遊び、さらに奥の別の親戚へ行き、山道、池の土手を歩き、花見て木を見て、冷たい井戸水で冷やしたスイカ食べて・・・

同世代の人たちはみなさん、似たような体験をされたことでしょう。

今は実家に帰省してもお嫁さんが遠慮するからと、ホテルに泊まる人もいるらしい。そのホテル代、親が出す場合もあるそうで。それぞれのやり方なので別にいいのですが、子供がよその家の暮らし体験するのも大切。気を使いつつ、コミニュケーションとる母親の姿も見せた方がいいと思う。

今の時代、お嫁さんに用事押し付けて自分はまったりなんて姑、ほぼ絶滅しているのでは?


着物の布の再生の仕方、木綿と絹では違うって知らなかった。どちらも我が実家では見た記憶がありますが。これはもう家庭では無理かも。場所も道具もないし、着物は縫えないし。まあ記憶遺産として知っておきましょう。

コロナの時代を経て、読むに堪えるものはあるのかなと、昨日公民館の本を色々見て、この本を借りました。贅沢せずにあるものを生かして暮らす。今の気分にぴったりの本でした。

もちろん、今の便利な暮らしはそれとして、昔のいいところは取り入れてもいい。そう思っています。


写真悪いけど・・・

最近、ホワイトカレーを作りました。こんな料理あるのかどうか知らないけれど、名前も勝手につけました。

ご飯をバターでいためて塩少々、カレー粉混ぜて庭のハーブ各種をトッピング。

ルーは具材、水少し、塩。スープの素少々(たくさん入れるとスープの素の味になり、どの料理もおんなじになるのでいつも少しだけ)で。最後に牛乳と小麦粉、片栗粉で。

牛乳、ヨーグルトが余っていると聞き、試してみました。グラタン嫌いな夫も食べていました。

しかし、なんでグラタン嫌いなの。おいしいのに。

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大臣型マスクを作る

2020-05-25 | 縫物いろいろ

大臣がしているマスク作ります。

材料はYシャツ、白いストッキング。

 

できました。

こちらの方が顔にぴったり。

最後になると布の重なりが多くなり、ミシンをかけるのが難しかった。

Yシャツは綿100%の織り目の詰んだ生地。

張りがあって薄い生地なら縫うのが楽かもしれません。

次、また別の布で試してみたいと思います。


着けてみると、なんかビジネスの人・・・という感じでした。

けっこう存在感のあるマスク。

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安芸郡熊野町の山を歩く

2020-05-24 | 山歩き

本日は安芸郡熊野町の山へ。中世に山城があった見晴らしのいい山。

http://osidori-net.com/report/2014report/2014dokisiroyama.html

分かりやすくていいサイトなので、リンク付けさせていただきました。

8:30自宅発 矢野から熊野へ。途中で瀬野川方面への分岐を北へ。土岐の山団地の奥が登山口です。

9:25登山開始 

登り口。

登山開始。

涼しい樹林帯。

土砂災害の跡は2018年?

下へと流れた跡。

分岐。古井戸コースへ。

古井戸はあちら

山頂からここまで水汲みに?

底に水あり。

祠が見えてきました。あの向こうが山頂です。

山頂着9:53。小田山が見える。

熊野町に矢野方面の山。

北方面は奥に曽場が城山。手前に先日登った山は尖った山=鬼が丸山と、右隣の槌山。あちらに狼煙台があり、この山頂へと連絡していたとのこと。

小さな社の社叢を除いて展望はほぼ360度。418.6mの山ですが、眺望良し。

10:10 南方面の別の道を下ります。

陽だまり下山。

コンクリートの台と煉瓦のかけらが散乱。

何かの建造物の跡?

兵舎跡は木が生えています。

戦争中、見張り台があったのでしょうか。

下りてきました。10:49 湖翠団地の一番奥です。

集会所後ろが登山口。こちらなら敷地内に車が2.3台止められそうです。

あとは車の場所まで戻ります。

里山。田植えの準備。


熊野町は商業施設もたくさん。こちらへ寄りましたが、何も買わずに帰宅しました。

もうものは増やさない。あるもので暮らす。

帰宅は昼前、準備したお弁当、家で食べました。

そろそろ暑くなるし、梅雨に入るし、夏までにあとなんかい行けるでしょうか。

この山は、広島バスセンターから熊野萩原車庫前に乗って終点下車、登山口まで徒歩圏内。何かのご参考に。

熊野町内を周回するコミュニティバス、おでかけ号だともう少し近くまで行けそうです。

感想。

手軽でハイキング気分の山。達成感にはやや欠けるけれど、山城の遺構もあり、面白かった。年より、子供向きの山。

 

 

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自粛もそろりと解除

2020-05-24 | 日記

昨日は久しぶりにダイヤモンドシティソレイユへ。

レストランの優待券を譲ってもらったからですが、行って見たらまだしまっていたので他の店へ。

昔はキリンビールの工場があった場所。山陽本線からよく見えていた。周りは農村だったのに。。。とまたばあちゃんが昔話を。

なかなか来ないので待っています。

久しぶりに外で食事しました。

帰宅後、縫いかけのズボン仕上げる。元は娘時代の紬の着物。一度くらい着た。

ぐちゃぐちゃしたガラと赤が嫌い。これは絶対母の趣味。数年前、母が来たとき解いてもらっていて、やっとほかのものになった。

庭仕事用に裾を細くしたら、もろ作業用。そごうくらいまではム大丈夫かなと思ったけど、さすがに無理みたい。

やはり次からは幅広に。自転車のペダルに引っかからないよう気を付けて乗りましょう。

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「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」 大木毅

2020-05-24 | 読書

夫の本を借りて読んだ。ヤフオクで売るので折り目付けんようにと言われたけど、どうでしょうか。

ほぼ新品です。やがて出品すると思うので、どうぞよろしく。


感想。

歴史上、世界中を巻き込む大戦から地域で限定的なのも含め、戦争はいろいろあり、残念ながらこれからもあるとは思うけど、おおよそ独ソ戦ほど悲惨でえげつない戦争はないのではないか、そう思った。

もちろん上品な戦争と言うのはないけれど、私が漠然と思っていた戦争のイメージをはるかに超える話で、読み進むうち気分が悪くなることも再三。

夫は、独ソ双方の作戦、軍の展開、勝敗の流れなどがゲーム的に面白かったようですが、それは男だから?話を男女の差に矮小化してはいけないのですが。

ドイツはヒットラーと言う独裁者の元、周りの国に戦争を仕掛けて併合し、あるいは支配する。東へ向けてはポーランドの併合、その先のソ連との衝突、は一連の流れと思っていた。

けれども初めから積極的だったわけではなく、西部戦線でイギリスとの戦いが長引くにつけ、その後ろにアメリカとソ連の脅威を感じ、次第に対ソ連への開戦へと傾いていく。

元々、ヒットラーはソ連を占領してゲルマン民族の植民地帝国を作る考えも持っていた。戦争をとどめるものはもうない状態。

1941年6月22日、ドイツ軍がソ連への侵略開始。兵力330万、戦線はバルト海から黒海までの約3000キロ。大変大掛かりな戦争です。

一時、ドイツ軍はソ連の奥深くへ入り込み、戦争準備が十分でなかったソ連に対して勝利を重ねる。

レニングラードの封鎖による住民の飢餓は究極まで行き、そのおぞましさはここではとても書けない。捕虜は皆殺し。占領した地域のソ連人は男は食料をほとんど与えない強制労働の果てに死なせ、働けないものは初めから大量に殺す。女性がどんな目に遭うか。。。。ここには戦争の持つあらゆる悪が充満している。

国のために、何かのイデオロギーの為には人を殺してもいいのが戦争。人を殺していいのなら、そのほかの何をしてもいい。それが戦争の実態。

しかし、この戦争はやがてドイツの敗北へと向かっていく。

まず兵站の問題がある。兵站なくして闘いなし。ドイツは幅の違うソ連の鉄道線路をいちいち敷き直して戦時物資を運んでいる。たいそうな手間である。

そしてソ連は広い。3000キロもの戦線を敵側へと推し進めながら首都モスクワを攻略するのはどう考えても無理。ソ連の武器は広さと寒さ。ナポレオンが敗退したのと同じ轍。そして日本軍も中国の広さに苦戦する。それを思い出した。

ドイツ軍が敗戦に転じ、戦線が西へ通し戻され始めたのが1941年年末、モスクワ攻略作戦の中止から。寒いし補給は届かないし、もう無理だった。

そこからドイツ軍の退却が始まる。退却の過程ではドイツ軍が行った残虐が、今度はドイツ軍兵士に対して、やがてドイツ領となっていたポーランドで、ドイツ本土で行われる。

それでもヒットラーは講和の糸口を探そうとは決してしない。それはすでに戦争が普通の戦争ではなく、世界観戦争(絶滅戦争)にまでバージョンアップしているから。ゲルマン民族が優秀で、ほかの民族、ほかの体制の国は根絶やしにすべきという考えから来る戦争。もはや狂気。狂気を引き起こしたのは初めは些細なきっかけと思うけど、ドイツ国民は熱狂的に受け入れる。

自分の国と国民が優れている。そう思うのは誰にとっても心地よい。しかし、それを延長してほかの国民、民族は劣っているから地上から抹殺するべきとまで話を広げるのはあまりにも独善。その深い反省から第二次大戦後の世界は出発したと思う。

困難な時には自国民優先はある程度仕方ない側面もあるけれど、常に原点を思い出し、人類が幸せな未来を築けるよう、この本を読んで思いを深くした。

新書ながら重い読後感でありました。

ポツダム会談の場、ツェツィリンホーフ宮殿。

こちらは日本の戦後処理について話し合われた場所。

ベルリンが空爆で壊滅し、適当な建物が残っていなかったので郊外のポツダムに。

ベルリンから車で一時間くらいだったでしょうか。2012年11月。

セーターの男性も一人参加でいろいろお世話になりました。

会談の行われた部屋。四か国の国旗が立ててある。アメリカ、イギリス、ソ連、中国。

元の宮殿は今はホテルになり、一部が保存されている。見かけたのは日本人ばかり。

東西ドイツの時代には西側からは行けなかった場所と思います。観光整備されたのは最近のことかも。

日本からの修学旅行生も見かけました。

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アビニョンのシャボン玉

2020-05-22 | 旅行

アビニョンの教皇庁前の広場で、大きなシャボン玉を作っている人が。

子供たちは大喜びです。2014年3月

https://www.youtube.com/watch?v=a-VFpFNJgCw&list=UUrOIur9q9vnGA3YBtiQ_ajA&index=37

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アジサイの挿し木

2020-05-22 | 日記

数年前に息子からもらったアジサイ、ほかの木が茂って花が咲かなくなったので、挿し木で大きくし、鉢植えで育てることにしました。次に花が咲くのは早くて2、3年後?

今年伸びた枝の、葉の二段目から下で切ります。

下の葉は落とし、上は光合成に必要なだけ残してカット。

一時間くらい水揚げします。

鹿沼土を入れた、浅い鉢に挿します。

あとは明るい陽陰で管理するそうなので、勝手口の外に置いて、水を切らさないようにしたいと思います。

うまく根が出るといいんですが。小さな鉢に6本も。欲張りすぎ。育てるのはせいぜい2本かな。


本日のトリプルセット。

考えてみたら、同じ柄で揃ったコーヒーカップ持ってない。日本だと5客が標準。ないので、大勢の人が来たときは各自好きなの選んでもらう。

これは業者さんからいただいた2客の、ケーキ皿もついたトリプルセット。ミントンはイギリスメーカーでしたか?

絵柄の濃い縁取りにシノワズリを感じるのですが、ある時期ヨーロッパで流行したのかもしれませんね。

もう年なので、来客用に取って置いた食器もどんどん使う。

使って割って減らしていく。

使う時に、それでもてなした人を思い出すこともある。

ケーキはほとんど買わない我が家。今日もこんな感じで。

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