ブログ

日々のあれこれ
 

実家の見取り図

2018-11-29 | 日記

10歳ころと、20歳ころ、書こうとしたけど、面倒でやめた。

10歳ころは先日の「癒しの讃岐平野」の最初の写真みたいな家だった。

口で説明すると、基本は田の字型。二階建て。座敷12畳、北座敷(通称ひや)8畳、茶の間8畳、南座敷(通称南座・・・歌舞伎するみたい)4.5畳、台所は食べるのは板の間、調理は土間で10畳くらい、あとは通り庭。近所の家も似た作りだった。

二階はがらんどうの20畳以上あり、物置だった。雨の日はここでよく遊んだ。

中学生になってから離れの勉強部屋を建て増した。その前には庭があって彼岸桜やモミジ、橙、ツツジ、マツなどが植わっていた。庭の先は菜園と花畑。その先は離農する人から買った土地に貸家を4戸前建てて、その家賃でわたしたちきょうだいは遊学したのでした。

家に隣接して牛小屋2つ、納屋、たい肥小屋、家畜小屋。家畜は最後は鶏だけになったけど、最盛期は耕作牛、乳牛、羊、ヤギ、豚を飼っていた。羊は夏前に業者が毛を刈りに来て、しばらくすると洋服地や毛糸にして持ってきてくれた。

ちょっとした耕作はわざわざ耕運機出さなくても小さな牛でしていたが、年に出番は数回、あとは退屈そうに暇そうにおとなしくしていた茶色の牛はやがていなくなり、父のマツダキャロルの車庫になったんだった。その少し前、42歳から父親が勤め人になて、我が家も日本全体の流れと同じく兼業農家に変わったのでした。

42歳ってものすごく大人に思っていたけど、私の長男と同い年。まだまだ若かったんだ。まあそれだけ私が年取ったと言うことですが。

敷地は全体でどのくらいだったかしら???400坪くらい?

畑の角から入り、二つの建物の間を通ると近道なので、郵便配達のルートになっていたし、知らない人も通っていた。でも目くじら立てないおおらかさ。家に鍵もかけないし。

20歳の頃新しく建てた家は、前の菜園つぶして、今度はちゃんと門を付けたけど、車の出入りに邪魔なのでいつも開けていたら、やっぱり近道で人が通っていたのが、今思うと笑える。

この家も結婚した弟が同居するので建て増し、元の家はそのまま置いてあるし、貸家もあったので、道路ができるときはたくさん保証金が出たらしい。庭木も種類関係なく、太さで保証してもらったと母が言っていた。

で、そのあと、我が実家はいいこともあったけど、それと同じくらい悪いこともあった。莫大な保証金と、それで建てた分不相応な家のせいだと私は思っている。お金や財産をコントロールするのはそれに見合う胆力、器量、能力が大切。

でも舞い上がってしまうんですよね。私自身への大いなる戒めとして、胸に刻んでおきたいと思う。


先日、帰る前に、乳液おいてるので毎日ぬって欲しいと頼まれた。夫に話すと、「あんたせえ」ですって。断りました。

姑様のお顔、触りたくない。人にさせて仕方にあれこれ言うのが夫の常。どうぞご自分で。という気持ち。夫が姑様の手のひらに乳液を出すと舐めようとするので、あわててやめさせて夫がぬっていた。どうぞ、これからもお願いします。

コメント

風邪が長引いて・・・

2018-11-29 | 日記

宮島で 2015年11月 ご縁地蔵


などという私の個人情報、全然需要がないわけで、究極の私的メモ。でもネットに乗って世界歩掛け巡る。本当に何という時代でしょうか。

子供の頃は家に固定電話さえなかったのに。それで済んでいたのに。

急ぎの連絡はどうするかって?電電公社の電報です。いまでも葬式の弔電などに残ってますよね。従妹が生まれた時も「オンナウマレトモニゲンキ」という電報が叔父から祖父あてに届きました。赤ちゃんも生まれるまで性別分からないのは、私たちが生む頃もそうでしたね。

咳がひどくて眠れない。漢方二種類出してもらったけど、まだまだ治まらない。横になると連続で咳込むので、縦になって起きてます。

ああ、たった今思い出した。二十歳の誕生日に、その頃付き合ってた人から電報貰たんだった。内容は秘密。その人らしい文面で、しばらく持ち歩き、長い間持っていたけど、さすがにもうないと思う。それともどこの本の間にでも眠っているんでしょうか。


今回の風邪の原因は薄着してコタツに入ってたこと。背中が寒いなと思ったときにはもう風邪ひいているわけで、翌日は起きられないほど調子悪かった。ご飯も全然食べられないので、おかゆ炊いて少しずつ食べていたけど、体に力は入らないし、何とも言えず気分悪いし、一日中ベッドで寝ていた。

食事は夫が作った。牛のコマ切れ肉、練り物各種、昆布だけのおでん。私は翌日よくなってから、大根とこんにゃく足して食べたけど、まあまあおいしかった。やればできるからこれからもお願いねと頼んでおいた。

姑様も私に先駆けて風邪ひいたけど、一日で治った。何という丈夫な体。老嫁、負けてます。

昨夜は夫が外出したので、私が食事のお世話したけど、普通に食べて、普通にベッドに戻ってもらった。


夫がいないので、別に内緒にするわけではないけど、ゆっくり話しできるので、高校時代の友達♀に電話する。

来春、先生の家にみんなで行く話が出ている。高校卒業の春休み、私と**くんと++くんで先生の下宿に行って、部屋中が本でいっぱいでびっくりしたの。またあの時みたいに行きたいんだって、と話して同行を頼む。彼女はちょっと躊躇したけど、**くんが他の女の子も呼んでいいって言ってると頼む。

さてメンツはどうなりますか。女私一人では絶対嫌だ。なんでかな…男女同数がよろしい。だって、男の子の好みもいろいろ、女の子もたくさんいた方が楽しい。私一人でがっかりさせても悪いし。

男の子、女の子って言ってますが、歳はそれ相応。でも会って話すときは15~18歳のノリと気分で行きましょう。

がしかし、根本的心配。先生はもう20代の独身ではなく、70代後半の奥様もおられる方。今度会って頼むと**君が言ってたけど、いいお返事だといいけど。

お宅は某JR駅から徒歩20分というところ。私はそのくらい全然歩きますけど、車に乗せてあげると言われると邪魔くさいなあ。複数ならいいけど、単数では乗りたくない。人に頼らずに直行直帰でいきたいのです。

いくらでも話がありそう。50年間、ゆっくり話したことないので。同窓会でもゆっくりとは話せない。みんなそれぞれの人生を頑張って来て、先生も、そろそろそのまとめにかかる時。いろいろあったけど、いい人生だった。健康に気を付けてこれからも頑張りましょうと確認する。

それにしてもあの海の見える教室から、夢のように長い時間が過ぎたものです。故郷に残っている友達は特にありがたい。今となってはその友達が故郷そのもの。

振り返って元気になって、また頑張れる。旧友との交流の効能はこれに尽きるかも。



 

コメント

娘が後添えで嫁ぐと・・・

2018-11-28 | 断想

縮景園 2017年11月


私には娘がいないので、結婚した娘のその後の心配もないのですが、最近、ある人から聞いた話にちょっと感動したので書いておきます。

娘バツイチ、お相手バツニで再婚。

別れた子供に養育費渡すため、夫さんは月に一度、前の奥さんと子供に会う。その時間が嫌で、実家に来ているそうな。

高校生になった最初の結婚の時の子供が、お父さんに会いたいと訪ねてきたので、車に乗せて勤め先へ連れて言ったとか。昼休みにでも会ったのかしら。こちらも嫌だったと。

知人の曰く、今は離婚も多いのでそんな境遇の子もたくさんいる。毎日親と暮らせるのが当たり前ではなく、会いたいとわざわざ訪ねて行かないといけない。かわいそう。そんなことがあるのも承知で結婚したのだから、乗り越えて行かないといけない。と言い聞かせたそうな。

素晴らしい。娘と一緒になって嘆いたり、相手を非難しても何も解決しない。しないどころか、娘の結婚生活にも支障をきたす。

私より若い人だけど若いころ苦労して、苦労が今に生きている。ちょっと感動した。

もう一つの例は、実家に来てずーと婚家の悪口ばかり言っていた人、こちらも相手が子連れの再婚。こちら初婚。聞いてくれる人がいなくなると、他人の私に愚痴を垂れ流す人の例。成長がない。死ぬまでずっと言ってなさい。私はもう聞かないけど。

コメント

「戦国大名と分国法」 清水克行

2018-11-28 | 読書

面白かった。分国法とは戦国大名が領地を治めるときの法律。

本書では結城氏新法度、塵芥集、六角氏式目、今川かな目録、甲州法度之次第の六つが取り上げられている。

畿内先進地方から東海、関東、東北まで地域は様々で風俗習慣、生産段階の違いもいろいろある中で、中世からの慣習法にのっとったうえで、大名たちは苦心して領国経営のためのルールを作り出している。家臣団が横暴で統制に苦労する中でのぼやき節、家臣と領主の契約の戦国版マグナカルタ、滅びる寸前まで条文を練り上げる今川氏など、それぞれに個性的。

しかし分国法は現在11が知られているだけで、ほとんどの戦国大名は分国法を作らず、領地を拡大して家臣に与えることで国内の矛盾や不満を帳消しにしてきた。そのパワーを持つものが大大名として次の時代にも残った。

分国法の意義は中世からの法律、慣習に一元的な法の網をかけて整備するという試み。そこに近世への萌芽もありそうで。

文庫本と新書がほとんどの私の読書。読むのは電車の中と寝る前。重い本は疲れる。さて、次は何を?

コメント

「身ぎれいな終いじたく」 天沼寿子

2018-11-26 | 読書

公民館で、中身よく確かめずに断捨離の本と勘違いして借りてきた。

だって、素敵な年配女性が、素敵な部屋でお茶飲みながら微笑んでいるんだもの。

でも読み始めてビックリ。胆管がんにかかり、再発後は放射線治療をせず、なるだけ普段通りに仕事をこなしながら、身の回りの整理もして死んでいくという、同時進行の記録だったから。

でも普通の闘病ものとは全然違う。死後、誰にも迷惑かけないようにと仕事や身の回りの整理をする。要る人にどんどん上げる。不動産も生前贈与する。

動揺せず自分らしく最後まで暮らす。その思いに貫かれている。

近いうちに死を迎えるとしたら、本当に要るものはわずかだとこの本は気付かせてくれた。

また、家族がいないので、入院後は友達に世話になるけれど、友達は時間がある時に来てくれる、家族は何をおいても来てくれると書いている。そうなんですね。家族を大切にしないといけない、そう思った。

それと入院中、あそこにあるあれ持ってきてと頼んですぐわかるように、普段から要らないものは捨てて要るものだけ分かりやすく整理整頓しておく、その大切さも気が付いた。

著者はアメリカに住んでいたこともあり、日本でカントリーアンティークを広めた人。一時は全国に店を持っていたらしい。全然知らなかったけど。

著者のお宅の、温かみのあるシンプルな雑貨とインテリアの写真もあり、見るのも楽しい本でした。

放射線治療しなかったのは、若年性アルツハイマーになったお母さんを介護して思うことがあったからだそうです。医師に勿体ない、それならすることはもうありませんと言われたそうな。家族がいたら、家族のために生きたいと思ったのでしょうか。

潔い、冷静な人という印象。この本の脱稿後、半月ほどで亡くなっている。動揺しない、本当に強い人だと思った。

コメント

癒しの讃岐平野

2018-11-25 | 旅行

ずっと長い間、ゆっくりと故郷の田んぼ道を歩きたいと思っていました。実家付近はすっかり都市化して住宅街に。昨日は思いがけずに懐かしい眺めに出会い、癒されました。

高速インターのバス降り場から歩いて行くと、こんな家が見えました。

土壁の二階建て、隣は納屋に車庫。子供の頃の実家に似ています。

二階は風通し悪く暑いです。我が家は物置として利用していました。

別の家を私が20歳のころ建てて、古い家は家全体を物置にしていましたが、22年前、道路などが通ってすべて取り壊し、別の町内へ移転し、今は記憶の中にしかない家。

その家を思い出しました。後ろは高速高松道。

見えてきました。あの漆喰壁のお宅のようです。国の登録有形文化財です。

東側から。クスノキが目印。きょうは見学者、友の会などたくさんの人が来ています。

家は何棟かあります。こちらが新しい方で、庭木なども。

橙?

わが実家にもありました。

続いてバスと電車で、藩主の菩提寺に行きます。高松は生駒家から松平家へ。初代頼重は水戸出身、光圀の兄で幕末に至るまで水戸徳川家との関係の深い家柄でした。

涅槃像を室外から写す。室内は撮影禁止です。

遠足で見学した時は、釈迦の弟子たち、動物が嘆き悲しむ迫力が怖かったです。

よくできた彫刻です。

京都の清凉寺の釈迦像と併せて、嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦と呼ばれるそうです。


門前の通り、ケーキ屋さんで一休み。

ちょっと早いけど、駅前、めりけん屋でセルフうどんを食べて、同行者と解散。

右の練り製品はエビが入ってます。昔はご馳走でした。

代金330円くらいだった。感動の安さ。

物価は安く、眺めは広々、日当たり良好、讃岐路の旅でした。


 


そうそう、きのうの最後によかったこと。

帰る前に駅から友達♂に電話して、またまたミニ同窓会の相談。次は京都の友達♂にも来てもらうことにした。6月に来られなかったので。

もちろん女子も呼びます。来年かなあ~、楽しみです。

もういつ何があるか分からない年齢なので、したいことして会いたい人にも会いたいというと、激しく同意してくれた。

夫は話が次々進まない人なので、先回りして説明する私。その癖が昨日は出て何度か話遮る場面も。失礼しました。

これでまた来年まで楽しく生きて行けそうです。

ねぇ、愚痴を言っても自分も楽しくなく、周りに害毒まき散らすでしょ。

友達と楽しく話すのはお金かからず、気分も晴れ晴れ。家族はもちろんだけど、友達大切にしないとね。人を大切にしてこそ、人に信頼され、いい関係が結べるって教えてあげようかしら。

コメント

文化財の水車を見に行く

2018-11-25 | 旅行

昨日は日帰りでこちらへ行きました。

場所は香川県高松市六条町です。讃岐平野は条里制の名残りの地名も散見され、古くから開けた土地でした。

知り合いのご実家です。お父様が経営されていた水車小屋を近年復元し、国の登録有形民俗文化財となって、昨日は月に一度の公開日でした。

私は高松中央インターで高速バスを降り、あとは徒歩で。昔は一面の水田、今は家が建て込んだところを10分ほど歩くと着きました。

公開にあたっては、ボランティア団体の方が運営されています。丁寧な説明もあります。

敷地の横のこの水路から水を引きます。

きょうは水量が多い方だそうで。あまりの小さい水路(子供の頃はこの程度でも川と呼んでいた)が意外です。

水は敷地内の暗渠を通って水車小屋の地下へと引き込まれます。

ゴミ受けの網と柵があります。

屋内にある水車は直径5メートルの巨大なもの。地下に水をためて流し、水車を回します。

芯棒は鉄を松で覆ったもの。

木の歯車で力を伝えます。

小麦粉を作る碾き臼。

ベルトコンベアーでふるいのところへ運びます。小さな粉は布を通って落ちます。落ちないのは再び碾き臼に戻ります。

天井まで水力で動くベルトコンベアが廻り、再び碾き臼に戻ります。

これを何度か繰り返して細かな小麦粉にします。

製麺機。うどんを作ります。日本製パスタマシーン。

水、小麦粉、塩を適量混ぜ、こねずに上から落として伸ばし、半分にしてまた伸ばしを4回だったかな?繰り返し、今度は歯のついた道具を通して細く切り、適当な長さで切るとうどんができるそうです。

讃岐うどんがブームになって以来、手打ちが珍重されますが、忙しい農家が日常的に、手間かけてうどん作ることはなかったようです。この機械だと練った小麦粉をすぐに製麺しますが、おいしくできるそうです。

昔は、ここへ小麦を持ち込み、うどんにしてもらったそうです。

こちらそうめんを作る道具。うどんは最近使ったそうですが、そうめんはまだ使ってないそうです。

精米機もあります。動力は水車ですが、田植え時期は水田優先で水車は止まり、代わりに発動機で回していたそうです。

いつごろのものでしょうか?


その他に昔の農機具がたくさん保管されています。

昔はどこの家にもあったものですが、ほとんど廃棄されて建物とともに残っているのは珍しいのではないでしょうか。

鋤、鍬各種。それぞれ名前があり、用途も違います。

昔の農業はすべて手作業。勤勉な当時の人々の様子がしのばれます。

と言っても、まるきり知らない人は何のことやら。

私ですか?昔人間なのでわかりますよう~

田植え定規。縦70センチ、横140センチくらい。これを水の張った田に置き、桟に着けた印の場所に苗を植える。すべて終えると手前を支点に裏返し、後ずさりして続きを植える。

大きさは一人で手の届く範囲。

5年生くらいから手伝って植えていました。中学生になると勉強優先でまったく手伝いませんでしたが。

小さいころ農作業しすぎたので、プランターで野菜や花を作ろうと思わない…と言い訳する私。

手で田植えした世代もやがては消滅の運命?

皇居では毎年、手植えの光景が見られますが、あちらは定規なしですね。

鶏の餌箱。両側から餌を食べる。

草鞋を作る道具。

麦を撒く道具。筒の中に種を入れて押して歩く。

肥桶とひしゃく

七面鳥の出荷用籠。

関西へ出荷していたそうです。

カキ。知り合いはこの下の家で住んでいたそうです。

写真撮ってもらいました。いいお天気。


雨の少ない讃岐平野で、乏しい水を最大限利用して大掛かりな水車を回し、製粉、精米、製麺をする。その技術の高さに驚きました。

水はどこでもいつでも利用できる究極の再生可能エネルギー、昔に戻るのは無理かもしれませんが、限られた条件を最大限生かして、地域で使うものは地域で作る。輸送コストもかかりません。この精神は見直されていいのではないかと思います。

近いうちに小学生も見学に来るそうです。昔の産業と暮らしの生きた教材ですね。

復元、指定、公開にあたっては大変にご苦労があったようですが、次の世代に残て欲しい遺産でした。

コメント (2)

高松駅前で

2018-11-24 | 日記

知り合いご実家が国の登録有形民俗文化財になり、本日公開に合わせて、見学してきました。今から帰ります。駅前です。

コメント

天狗シデを見て熊城山に登る

2018-11-23 | 山歩き

本日は、島根県に隣接する北広島町大朝の天狗シデを見て、山に登ります。

我家からは西風トンネル抜けて広島道、中国道、浜田道経由、大朝IC降りて10キロの道のり。約90分くらいかります。

木が生えています。

世界でここだけに見られるそうです。

不思議な形。

イヌシデの突然変異。でも形質は代々受け継がけるそうで。

群生地の上が登山口です。

山道が一度林道に出て、展望のいい場所から北方面を見ます。

名残のヤマアジサイ

昔の同級生。

到着。頂上、展望はありません。横の方で三人でお昼にします。時折みぞれが降ります。


来た道を帰るつもりが道に迷いました。

10年くらい前は登山道は一本道、いつの間にか山を大々的に切り開き、(元の木は全部抜いて)、ゾーンごとに、サクラ、ツツジ、モクレン、カエデなどの木を植えています。下草も全部刈り取って森林へと変わらないよう、よく手入れされています。

楽に登れたのですが、まるで公園のように整備されすぎ。遊歩道が縦横につながり、ちょっとした勘違いで、反対側へ降りるところでした。危ない。

個人的には、山を切り開いて公園みたいにするのは???です。元あった木を根こそぎ除いて別の木を植えて、自然のバランスが壊れないでしょうか。保水力などです。心配です。

再び天狗シデの横を通ります。

不思議な眺め。

大きな木です。

見た目にバランス取れてるのが不思議。

世界でここだけの不思議。

柵の外の幼木も曲がっています。

山は遊歩道で楽に上がれました。帰ってから、友達にカキを少し届け、それから買い物へ。

今朝まで腰が痛くなって往生していましたが、山道歩くうちに楽になりました。家に籠ってばかりではダメということでしょうか。

よく歩きました。明日も歩きます。

天狗シデ

http://www.kitahiro.jp/sightseeing/tengushide/

 

コメント

オーバーショット、今朝は筬まで

2018-11-22 | 機織り

毎日一人で遊び歩いたり、下手な絵描いてるうちに、おやまあ、もう月末近い。

一月一枚の機織りの誓い果たすべく、昨夜から頑張ってきょうの午前中にここまで。

通し方はチョー簡単。1323×2白、1424×5緑、1323×5緑、1424×2白で元に戻る。

その簡単なのさえ間違えて、途中までして綜絖からやり直し。

いえいえ、もっと根本的な間違い、緒巻を逆にセットしています。いくら引いても糸が絞まらない。織れないわけですが、歯車のところに堅い木でも噛まして何とかするつもり。

元居た教室なら、先生に注意され、皆さんに呆れられるところですが、一人でしているので、素知らぬ顔して織ることにします。

それにしても明日からまた遊びの連続。いつ出来上がることやら。


きょうは写真が少ないので、パソコンの中のをアップロードしておきます。お見苦しくてすみません。でも、私にとっては大切なもの。

一浪して受験前には四年間のノートが山のように。よく頑張ったね。

受験にはついて行かなかったけど、会場案内を貼り付けてみました。

本当は私が行きたかった大学。でも私は高校の時遊びまくって成績が届かず、替わりに合格したわけではないけど、嬉しかった。

この部屋は今は棚を外して畳を入れ、洋裁したり、着物着たり、今はコタツを入れてパソコンする部屋にしています。

ノートは全部捨てましたが、少し取っとけばよかったかな。

数学、物理、英語などが得意で、現代国語は大の苦手だった。

代ゼミは一度くらい受けた模試の成績がたまたまよくて、特待生で学費はあまりかからなかった。でも夏休みや冬休みは別料金。Z会もしていた。駿台の集中セミナーが三宮であり、ホテルとって参加したこともあった。

今振り返れば学費って本当にかかっていた。浪人せず地元大学へ進んだ長男だけは安上がりだったけど。親は質素になるはずです。

で、せっかく入った大学で何していたかというと、遊びまくり_| ̄|○


これはさる自動車関係の・・・に出演した時の息子の部屋。母絶句。

今は超きれい好きのお嫁さんに巡り合い、とてもきれいな家に住んでいます。よかったよかった。


毎朝、バナナ一本食べるのですが、食べた後の皮に牛乳かけて、今朝はお皿を持ち上げてすすっていた。

禁止したり、笑ってはいけない。何ごとも本人の思いに寄り添う。命にかかわらないことはそのままにする。と自分に課しています。夫に言っても、笑いものにしたと取られかねないので、ここに書いておきます。

以前は牛乳にお醤油垂らして飲んでいました。これもまあ命にはかかわらないので。

介護と言っても私は大したことしていません。

昨夜BS1で中国の介護事情が。介護保険ないので介護にも貧富の差がもろに出ていました。興味深かったのは、超豪華施設にいる人も、子供の世話になれないと分かって大泣きしたとか。子供も悪いと思っているようでした。

廃校あとで、校庭で野菜作る施設だと月3千円くらいから。こちら富裕層でない人御用達。

日本の介護保険はいろいろ矛盾もあるようですが、ないよりは全然いいと思いました。

コメント

三景園もみじ祭り

2018-11-21 | お出かけ

久しぶりに車運転して出かけました。広島空港隣接、家からは都市高速と山陽道経由で50分くらい。

エッヘン、お弁当持参です。

必殺、あるもので弁当。製作時間は詰めるだけで2分くらい。手抜き自慢深謝。

県営駐車場に車入れて、車の中でお昼済ませていざ見学。

入り口前の大きなカエデ?

毎年、こんな感じに紅葉します。

シニアは無料です。三景とは海、野、山の景色のことらしい。空港開港に合わせて、開園。

奥は土砂災害で崩れたそうで通行止め。

途中から山へ上がります。

落ち葉がいっぱいの山道です。

人は入ってすぐの池の周りにいるだけで、ここへは誰も来ません。

小川(人工)を渡ります。

もみじ祭りは25日まで。24日はライトアップがあるそうです。

滝は三段。こちら最上段。

竜田川風。

池へと降りていきます。

落ちた葉を貰って来ればよかった。。。。

ウメモドキ/もちのき科

盛りは少し過ぎたようですが…

落ち葉も風情があります。

深い秋の日、塞ぐ心で当てもなく彷徨っていたら、鄙の篷屋にはかなげな美女がいて、足しげく通ううちに、ある日姿を消しているって…源氏物語的妄想。

何百年たっても、千年たっても変わらないのは紅葉の赤だけ。

人の一生は短く、それだからこそ過ぎた日々は懐かしく。

気配を感じて振り返っても、そこに人の姿がある筈もなく。

わあ~文学少女復活。文学少女は本読んでたら満足なので、安上がりの女です。


ある年、もみじ祭り終わって行ったら、見事に裸木になってたことあり。今年は何とか間に合いました。平日ですが、人出はまあまあ。

続いてフォレストガーデンの方へ行きます。遊歩道の縁は雑木いろいろ。

アキグミらしい。初めて見た。

きょうは橋を渡らず引き返します。

えーと。蒴果は三裂する。実が鞘の縁についている。

名前は???

ヌルデ。実は初めて見たかも。櫨に似てます。

と、今年も楽しく植物観察してもう帰ります。

帰ったら実家からカキが届いていました。

母の実家で販売用に作っています。伯父が、県の補助金でマツタケ山を柿畑に転換したらしい。

植えた伯父も、その長男もなくなり、今は定年退職した次男(69歳)が来て管理しているようです。

若いときは食べずに腐らせたこともあったけど、この歳になると昔食べたものが懐かしく、夫も急に柿好きになってありがたくいただいています。

新米も夫の本家筋から今日届き、きょうはとてもありがたい一日となりました。

コメント

元安川、川べりの道

2018-11-20 | お出かけ

川土手を歩きます。歩くのにはいい季節です。

サクラも何本か。

タイワンフウ(トウカエデ)とベンチ

タイワンフウと県の情報センター、図書館などが入る。

マガモ多数。潜って魚食べている。

南大橋たもとまで来ました。市中心部、紙屋町までがよく見えます。

ここは大正時代までは一本の川。川は最短距離を流れるので、ここからだと20分も歩けば行けそう。きょうは行かないけど。

南大橋、渡ります。

公園があります。

秋深し。

キリの巨木。公園樹にも流行があるらしい。

マテバシイ。冬も緑の葉。

見上げればフェニックス。

ケヤキは西日本には自生しない。

夏は木陰を作り、冬には枝ぶりが美しいので広まったのでしょうか?

クチナシ。実は料理の色付けに利用されます。虫がよくつくので、この木も葉が少ない。

若いころ、姑様の植えたクチナシが庭にあって死ぬ思いだった。増築したとき抜いてもらってやれやれ。ごめんなさい、お義母様。

音楽かけてBBQ、楽しそう~。私も入れて~


川土手を上流へ。あの青い看板は荒物の卸問屋。その手前の中学校の先生の家に間借りしていた。

ある時、道歩いていたら、その問屋さんに住み込みの若い男性に声かけられて、なんと同じ高校の一年上の先輩と分かり、一度くらいお茶付き合ったかな。

その時の話で、私の同学年一の美人Qさんの話も出た。上の学年にも聞こえていた超美人。**と付き合ってたやろ。あの二人、高校のときにはもうできてたと、その時の話。

ほんとかどうかはともかく、羨ましかったのでしょうか。

でもQさんも**くんももうあちらへ行ってしまいました。青春は短く、時は過ぎに過ぎ、齢を重ねたばあちゃんには、風景によって喚起される思い出があるだけ。

一度も話したことない二人だったけど、きょうは急に思い出した。

シャリンバイ

クロガネモチ

オリーブ

カキ

ハギとラブホ。高い川土手は対岸からの人目を遮るには好都合。

コンパの帰り、シャレでしつこく女の子を誘う男の子あり。私たちはとても受けた。みんな酔ってて、大笑いしながら歩いて帰った。

その子ももう故人。

御巣鷹山の事故で亡くなった。合掌。

沈丁花はもうつぼみがついている。

カナメモチ

マユミ

イチジク

クコ

ムラサキシキブ(白実)とマンション。

R2の新明治橋。明治橋上から。あちら平和公園方向。

懐かしの商店街。50年くらい前、ここでよく買い物した。

商店街抜けて再び南大橋まで、そこから徒歩と自転車で帰宅した。昨日はよく歩いた一日。

コメント

「もう、忘れたの」 酒井順子

2018-11-20 | 読書

クリックで拡大

どうにもこうにも読む本がなくなって、読んでない本もたくさんあるけど今は読みたくないし、公民館で三冊借りてきた一冊。

2011年5月からの一年間、週刊現代に連載した40本のエッセィをまとめたもの。時事的な話題が多いので、当時の世相も分かるし、酒井さんらしい辛辣な見方もあり、面白く読めました。

出先から帰るとき、新幹線に乗るとあとは家に帰るばかりとホッとする。ってわかる気がする。乗り慣れたシートに身を沈めていると、あの時、この時の旅のいろいろが思い出されて、自分を取り戻す、という感覚。私の場合。

車内も変わっているはずだけど、この変わらない感覚がくつろぎを生み出す。もう田舎のおばあちゃんちとも縁が薄くなった私達世代、新幹線に乗ると喚起されるものがある。

酒井さんは何もそこまでは言ってない。それは遠い昔の、新幹線開業時を知っている世代の感覚。


温泉旅館へ行くとする。食事会場で黙っているカップルなら夫婦もの、やたらベタベタして、女性がはしゃいでいたら不倫関係との観察、面白かった。

私事で恐縮ですが、以前ヨーロッパツアーで、夫婦4組、一人旅は私を含めて3人、女は私だけというたいそう静かな経験をしました。大型バスがガラ空きだと、並んで座ることもしないのが夫婦。あれは、なかなかにいい旅行でした。

それにしても不倫旅行の場合は宿泊費奮発して朝夕部屋食、露天風呂もついてるプランを奮発してもらいたいもの。その予定はないけど、私ならケチな男だなあと思うはず。それとも見られた方が盛り上がるのかしら。やったことないので、わかりませんが。


結婚している最近の若い男性は、家事も嫌がらずにするそうで。子育ても同じ。高校生になった娘の下着も洗い、畳み、片づける。娘も嫌がらない。そういうのは知っていたけど、だって、息子たち見てたらそうだろうなあと思うから。

私達の世代は共学で男の子とも対等にものを言い合って来たけれど、まだまだ専業主婦も多く、家事は家にいるものがするというルールがあった。だから多少の違和感もあるけれど、男が家事をする延長上に、親の介護、その肝の排せつの世話もあるわけで、なるほど、息子が家事をするのは悪いことではないと思いなおした。

私自身のことを振り返れば、息子のお嫁ちゃんに違和感持つのも間違い。二人の間のルールで家の中が回っているのであれば、姑の私が間然するところはない。


九州男児考では、外で威張らせてもらってはいるけれど、家の中は奥さんがしっかりと管理して、その手のひらで転がされているという見方も面白かった。

博多の山笠などは男性性をもろに出したお祭り、女性は下手間ばかりで参加させてもらえない、と思っていましたが、男女がそれでうまくいくのが九州の文化かもしれません。

東京で知り合った女性と結婚して破たんした事例が挙げられていましたが、これは四国にも当てはまるかも。私の狭い見聞からですが、まだまだ男も立てられてなんぼの社会。東京で知り合ったお嫁さんと結局別れた事例を、身近に複数知っています。

長い休みは旅行したい、と実家へ帰って盆正月の行事を夫婦でしたいという文化の衝突。この場合、大切なのは夫婦の絆、伝統や家はその次。はき違えてはいけませんと、離婚した子供の親たちに言いたい。って余計なお世話ですが。


蔦屋書店はおしゃれとほめてありますが、私は疲れるばかり。本なら本だけをたくさん、系統立ててわかりやすく並べていればそれでよし。と思うのはわたしがもうこの歳だからで。

おしゃれな雑貨、もういらない。愛着のあるもの、思い出のあるものもどうやって減らせばいいかと思案する毎日。本を買いに行って、あらいいわねとほかのもの買うはずもなく。

こうやって人は世間のトレンドからずれていくんですね。しみじみと実感。

総じて、軽く読めるけれど、それによって喚起される思いがあり、こうして感想まで書けてコスパのいい読書でした。

コメント

丸大根を描く

2018-11-19 | 水彩画


絵については語らず。

上手なのと下手なのと、その間に段階があるだけ。

昨日描いたあと、葉をおかずにした。

大根の葉の炒め物、おいしい。

記憶にはないのだけど、きっと小さいころ、この季節によく食べていたんだと思う。

最近、よく絵を描くので楽しい。

小学生のころ、図画工作の時間がとても好きだった私。朝からワクワクウキウキ。

小学生のころ、体育の時間がとても嫌いだった私。前日からどよーーーん。

それは今に至るまで全然変わってません。

本読むのと日記書くのも好きだった。今も同じことしています。

人はその人らしさに向かって成熟し、歳とれば一層苦手なことはしたくない。する時間がない。


絵のサークルやめて、最初は心もとなかったけど、とりあえずは好きなモチーフを好きな角度で描き、しばらく頑張ってみたいと最近思うようになった。いろいろなストレスがなくなったのも嬉しい。

サークルにいたころは先生にご指導は絶対で、いつもきちんと描きすぎると注意されていたけれど、離れて元の仲間の方の絵を見るとまた違った感想を持った。

このまま書き続けて、また道がどこかに続いていると思う。

 

コメント

果物と野菜を描く

2018-11-18 | 水彩画

今日買って来た果物と野菜を描きました。

赤い大根、巨大な柚子、金時人参、家にあったミカンです。

葉のついた野菜や果物は珍しいので、楽しんで描けました。

金時人参は香川県産、しっぽくうどんによく合います。

もっと買っておくべきでしたね。残念。

夕食の支度挟んで二時間ほどで仕上げる。台所のテーブルにモチーフ、画用紙、画材、それに食器など置いて、狭かったけど、料理しながら描けるので楽。

本日はいろいろな野菜と鶏肉を蒸して、8月に高山で買って来た柚子味噌で食べるという簡単メニュー。

本日、山へ行って、午後から夫は出かけるし、絵は描いたし、いい一日でした。

コメント

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村