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日々のあれこれ
 

岡山、香川の旅

2013-01-31 | 旅行

30、31は母と温泉へ。

宿の部屋から瀬戸大橋がよく見えます。

少し朝もや気味

食事はまあ普通。

付き出しと刺身

炊き合わせ

天ぷらなど

名物蛸ごはん

デザート


 

母と一緒に瀬戸大橋を渡り、母は帰宅。私は高校時代の恩師、友人と待ち合わせ、ホテルで食事して、ロビーでお茶して4時間ほど話して帰宅。

先生にいただいた本のお礼を言い、近況報告と昔話。50年近い時間を一気に越えて、昔の教室にいるように話をした。今は塾を四つの経営している友人は同じクラスで同じ新聞編集局(通称新聞部)だったし、三人で話しているといろんなことを次から次へと思いだした。

専門は史学方法論の先生が、ひょんなことで香川県の高校教員になり、国語を教えることになったいきさつから始まり、当時は16歳で取れた軽自動車の免許で普通自動車に乗り、学校へたまには車で来ていたという友人。職員の駐車スペースに置いていたのだろうか。私も乗せてもらったことがあるけど、コロナは軽自動車とばかり思っていた。めちゃくちゃである。そして、それで済んでいた時代である。

「私たち、近所の店から部室へ出前取ってましたよね」と私が言うと、「教員でも出前なんか取らないのに生徒が取るなんて」と先生は呆れておられました。

「お店の人は普通に正門から入って、職員室の横を通って三階の部室まで持ってきてましたけど。それで一度も見とがめられたことはないし」と私。

「そうそう、それで岡持ちがいつも部室にあった」と友人。

それから同級生の誰彼の噂も。

「生徒会は新聞部の傀儡政権だったから、次の生徒会長を誰にするかは新聞部の三人くらいで相談してで決めていた」

へえ、そうなんだ。で、友人は文化祭委員長をしていた。学校行事の中でも一番派手な行事の最高責任者。仕事は一年がかり。本館の一階真ん中あたりに生徒会室があり、そこに文化祭の委員もいつもいた。

先生が、私の家へ家庭訪問に来られた時の印象だとか。友人は先日93歳で亡くなられたお父様と一緒に、進路のことで先生の下宿へまで行った話とか。

友人は最愛の奥様を数年前、くも膜下出血で亡くされた。お悔みは言うまいと決めていた。そのことは触れず、昔のように友人として話をして元気になってもらうことが何よりのお悔みになると私は思ったし、私自身も何も考えずに笑い転げていた娘の時代に戻ったようで嬉しかった。

同窓会にはほとんど行かない私。話したい人はほんの一握り。個別に会えば済むこと。でも奥様のご存命中は、遠慮してほとんど連絡取ってなかった。

「きょうはP下も呼ぼうと思ったけど」と友人。彼は京都大学の医学部に現役で合格して、今は京都で開業医をしている。「平日なのに」と私が言うと「いやあ平日でも声かけたら来るはず」「患者さんほっといて?」と私「患者さんほっといて」と友人。

そのP下クンが描いたいたずら書きがなぜか先日出てきたので、きょう持参したら先生にも友人にも受けた。話は尽きず、時間は瞬く間に過ぎてもう帰宅の時刻になり、瀬戸大橋線と新幹線を乗り継いで家へ。

とこんなことは、ブログ読者諸兄には面白くもなんともない話。私には今日の記念にしたためた一文。なにとぞお許しを。

帰宅途中、夫から携帯に電話が。去年電話工事してから電話料が引き落としではなく振り込みになり、振り込み忘れて午後から電話を切られていたそうで。前代未聞、我が家開闢以来の不祥事。

帰宅した時には電話は復旧していたけど、ああみっともない。振込用紙を見逃した私が悪いんですけどね。


 

また一年後くらいに会いましょうと、再会を約して分かれた。一年後まで元気でいよう。そして一年後にはこんなことをしたと言えるよう頑張りたい。

 

 

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ルドゥーテのバラ展に行く

2013-01-29 | 日記

招待券で映画に行くつもりが満席だったので、予定変更。広島美術館で開催中のルードゥテのバラ展に行くことにしました。

ほんとは千円。女学院近くの安芸美装(額縁の製作販売)で前売り券800円を買いました。

ここです。場所はリーガロイヤルホテルと広島城の間。広島バスセンターからは外へ出ずにそごう新館→基町クレド→ホテルのロビーを抜けると早く行けます。

あれがホテルでございます。


 

ルドゥーテはフランス革命直前からナポレオン時代の宮廷画家。植物画、特にバラの絵を得意としました。版画で再生できるよう、水彩画は細かなdotで仕上げています。描くのもさることながら、版を起こす職人の技術の細かさに驚きました。

どの絵も、写真よりもずっとリアルにバラの細部が表現されています。みずみずしくて、まるで生花のよう。マリーアントワネットやナポレオンの最初の妻、ジョセフィーヌなどが彼のパトロンでした。

完璧な美の再現者にして、短い花の命を紙の上に永遠にとどめる魔法の持ち主。彼を独占して自分の好きな絵を描かせたい。権力者の妻はそう願ったのです。

地元演奏家によるチェンバロの演奏もありました。30分以上、聞き応えがありました。

こちらパンフレット。来月11日までです。

行きは家から歩いて行った。街路樹(アメリカフウ?)の根元のナズナがもう咲いています。日差しは少しずつ春。

あすは母と温泉へ。翌日は母を送って行って、そのあと人と会う予定。少しずつ暖かくなってけっこうでした。

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街を歩く

2013-01-29 | 日記

昨日は午後から所用で外出。時間があるので家から歩くことにした。京都と違ってデルタの街広島は、道路が斜めに交差したり、川に沿って婉曲したりと、目的地に合わせて道順もいろいろ考えないといけない。

まあ大体は川に沿って歩くのが近い。なぜならば水は最短距離を流れるから。川土手の遊歩道は信号もなく、木もたくさんあって気持ちいいけれど、昨日はバス通り沿いに歩いた。

買い物済ませて、また歩いて帰る。歩く速度で見る町も楽しい。何事ものんびりと行こう。朝は大雪だったけど、歩いていると暖かかった。

平和大通りと地蔵通りのcrossするところにあるカフェと言う名前の店で一休み。向こうに見えるのはホテルなど。

楠は社叢になるくらいだから、当地にはよく合うのかも。年中青いのもいいですね。

ぼんやりと窓の外を見る。

美味しいコーヒーでした。500円は高いけど、椅子が深くてくつろげました。

おばさんも歩けばお菓子屋に立ち寄る。流川通りの昔からある菓子舗。シュー皮はガス窯で焼くとか。一つが大きくて、昔ながらの素朴な味でした。

それにつけてもスポードの柄の鮮やかさに感動。PanasonicのLumixDMC-FT20です。買ってよかった~

和菓子も同じ店で。こちらはとても柔らかくてとてもおいしかった。ちょっと寄り目のウサギ。

 

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大雪でした

2013-01-28 | 日記

めったに積雪を見ない我が家地方、今朝は5センチくらい積もっていました。

洗濯ものは屋根のないベランダに干して、まだ乾いてないので取り入れてなかった。私のシャツの上にも5センチの積雪。乾いた雪で、はたいたら取れた。よかった。

庭も大雪。

サザンカ。後ろは隣の賃貸マンション。我が家の庭がマンションの借景になっている。トホッ。

センリョウ。実家からもらってきて地植えした。お正月前にだいぶ切った。

郵便受けとヒイラギナンテンはほぼ雪に埋まる。

今は日差しがあって、雪が融けている。午後から外出の予定。先生に渡す和菓子を買う。昨日よりは気温は高いらしいけど、足元は軽登山靴がいいかも。

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カメラが届いた

2013-01-27 | 日記

きのうの昼前、カメラをネットで注文したら、今朝10時ころもう届いた。早っ!!確か東京の業者さんだけど、高知の支店から届いたらしい。高知市内のパソコン教室の案内が同封されてたから。

軽くてサクサク撮れる。メディアなしで、とりあえず手近なものをじゃんじゃん撮ってみる。

唯一撮れないのはカメラ本体。残念。私が買ったのは黒。ブルーと赤は安くて、黒は品薄らしくやや高い。

ソフトをインストールする。

出かけようとしたらDVDが届いた。

買い物いろいろ、ついでに電車で本通りまで出かける。

とある店先で

ビルに挟まれた中の棚稲荷

その隣の食堂。店内におかずいろいろあります。そそられます。

午後5時40分頃帰宅。帰宅後、友達に電話。元気そうだった。今度会う約束して、今年のモットーは会える人には会えるうちに会っておく。でした。

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カメラ注文、そして名古屋帯からの断想

2013-01-26 | 日記

本日、価格コムからカメラ注文。来週初めには届く予定。

昨日、あるところである人と着物の話になった。私より年上の人。

私:まあ、喪服は名古屋帯だから(結ぶの簡単)

相手:(怪訝そうに)名古屋って????

私:(絶句しつつ)名古屋って、ほら、大阪の向こうにあるでしょ。

といいつつ、楽しく二人で笑った。今の時代、それで済むんだから素晴らしい。ほんとに着物はすたれましたね。

最近nihonwasouの(漢字に変換してください)のテレビCMをよく見る。いやあ、なんとも。

以下は私の個人的な印象と感想。気に障る方がいたらごめんなさい。

無料で教えてくれるのは、着物の販売促進活動の一環。最後に着物を買ってもらって、totalで利益が出る仕組み。買わなければ講習費は無料。買えば商品の扱い方を教えるサービス。

以前、その学院出身生の、着物を着て食事するというグループに入ろうとして失敗。あまりのキャラの違いに、世の中いろんな人がいるんだと勉強になった。自分と違う人と出会うことで、自分がどういう人間かよく分かる。

今度着る予定の大島、コートはよく似た色合いのとっても素敵な正絹、丈長め。とっても気に入っています。どんな着物にもぴたりと合います。と散々自慢しておいて、最大の自慢はとても安く買ったこと。母校跡地のフリマで、銀色大きめのコイン一枚のお値段でした。それが何よりもうれしい私。彼のグループとは、着ているものの値段が全く折り合いません。トホホのホ。

着物を着るコツですか?別に着なくて済んでいくんだから、興味ない人、めんどくさい人は無理して着なくてもいいと思う。無理してきてもそりゃ楽しくないでしょ。今の時代、着物着てないと文句言う人もいないと思うけど、いたら無視するか、体調悪いからとか、テキトーにあしらっとけばよろしい。

私の思う唯一のコツは、着物が好きになること。好きこそものの上手なれ。下手でもなんでも着てみる。出かけてみる。着ない人に限ってなんだかだと批評するけれど、相手にしない。と、こんなところですね。

この境地に至るとあとは楽ですよう。しかし、たかが着るもので、なんでこんな言い訳めいたこと言わんといけないのか。謎。

いちばん面白いのは「何で着物着ているの?」という素朴な質問。なんででしょうね?あなたがきょうその服を着ている理由を教えてくれたら答えて上げますよう笑

 

 

 

 

 

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カメラを決めた

2013-01-24 | 日記

先日、大宰府にある九州国立博物館で。展示場所や輸送の制約で仏像などはほとんどなかったけど、平治物語絵巻が見られて感動。エッヂの立った墨の線、群衆の動き、素晴らしかったです。


昨年秋のドイツ旅行でカメラを濡らし、年末の下関で雨に打たれ、いよいよ写りが悪くなったので買い替えることに。今のカメラは長男の結婚式前に慌てて買ったもの。結婚し、孫ができて、その子がもう2歳と7か月。カメラもそろそろ買い替え時。

買う予定の機種はこちら。http://kakaku.com/item/K0000337569/ GPSのついたもっといいのもあるけれど、重いのでやめた。この歳になるとなるだけ身軽に歩きたい。

近所の某電気店では20,800円。ネットではこの値段。いつも申し訳ないと思いつつ、電気店で使い心地や性能を試して、結局ネットで買ってしまう。でも先週より2,000円近い値上がり。ここはしばしの待機。

本日、古文書同好会を退会する連絡をした。せっかく始めたのをやめるのは残念だけど、念頭に恩師より、自分の本当にするべきことをやって人生を完成させてくださいとのありがたいお言葉をいただいた。

自分が本当にするべきこと・・・って、やっぱり言葉を遺すことかな。

30代で、他にどうすることもできなくて(やむにやまれず)小説を書き始めたとき、私は文学科の出身でもなく、小説だって普通の人が普通に読む程度にしか読んでなくて、広い海に小さな船で漕ぎ出すような無謀さだったと今にして思う。がしかし、不安ではなかった。不安なら初めからやらないだろうから。身の程知らずに始めるから無謀。30代というのは若くはないけれど、成熟にはまだ間がある。今思えばいい時期だったのかも。

夫が勤めを辞めて自営になり、日々の忙しさに追われて、それを言い訳にして、やがていろいろな人とお付き合いの輪も広がったけど、やっぱり最後は本の一冊なりと残してから死にたい。


 

午前中は久しぶりに大島を出して着てみた。大島も貰ったのやら買ったのやらいろいろあるけれど、一番いいものを。長襦袢も正絹が今の時期は暖かい。人に会うのに、旅先で大袈裟とも思うけど、相手に対する敬意。そう思うことにした。

きょう引出しの中から、古い古い木の箱が出てきた。本体は壊れたので捨てて、今は蓋だけ。小学生のころ、同居していた叔母が証券会社の社員旅行で岡山県の奥津温泉に行ったときのお土産。50年以上前の箱。

高2のクラスで、私は会計係をしていて、体育の時間、その箱に入れたお金を男子に預かってもらい、返してもらった時には蓋の裏に万年筆で落書きが。別の男の子のいたずら。その絵がまだ消えずに残っていた。その箱を今度持って行って先生に見ていただこう。

毎日毎日、放課後の教室で、勉強するという名目で残っては遊んでいたあの頃の友達。女の子と男の子も。若い先生はきっと私たちを持て余していたはず。来週聞いてみよう。

ずるずると芋づる式にいろんなこと思い出すんだけど、私の属していた部もまたぶっちぎりに楽しい子がいっぱいいて、こっそり電気釜持ち込んでご飯炊いて、みんなで食べたり、部室に近所の店から出前取ったり、学校抜け出して近くの県庁の食堂へうどん食べに行ったり(これは広く行われていて県庁からクレームがきた)、自由放任を絵にかいたような学校でしたね。面白い子が多かったかな。みんな元気でいるんだろうか。

夫は中高一貫の男子校出身。共学校がいかに賑やかでいかに楽しかったかを、延々と自慢し続ける私。この点ではいつも優位に立つ私。と勝手に思っているだけだけど。

古い箱のふた一つでこんなに楽しめるなんて、だから私は断捨離は苦手。服は割と平気で捨てるけど。ものにはひとつひとつ物語が宿っている。それをもう一度辿りなおす楽しさ。


 

来月初め、お祝いごとで郊外の料亭に行くことになった。お姑様を誘ったのに、年寄りが出る幕じゃないからと遠慮されるので残念だった。私が嫁に来たころ、お姑様は50歳、若かったなあ。

昨夜話に行くと、台所で一人でご飯食べていた。広い台所に今は一人。自分の親ではないけれど、その姿に胸が詰まった。いずれは自分もそうなって行く道筋。じゃ、もうお姑様と暮らせばいいんだけど、隣なのでついつい先延ばしになっている。近くに入ると案外、親の歳とったのがわからないものです。

出来る限り家にいてもらいたいと私は思っている。少々不便でも不自由でも我が家が一番。

「じゃ、春になって暖かくなったら行きましょうね」と言って帰ってきたけど、春が待ち遠しい。

今年の私のモットーは会える人には会えるうちに会っておく。これです。

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Edionとそごうへ行く

2013-01-23 | 日記

昨日は午後からEdion本店にデジカメ見に行く。製品少な目、今はi-phone?兼用にする人が多いらしく、専用機は一眼レフか、とても簡単なのか、防水などアウトドアに特化したものとか・・・

うーーーむ、デジカメは買わずに、通りかかった店でついカーディガンを買った。

グレーでびろんとしたデザイン。羽織るタイプ。先日アルパークで似たものを買ったばかりなのに・・・

そのあとこちらへ

見ているのは全員女性。ベニシアさんの手作りの暮らし。後半は京都の手作り作家とその作品の紹介。

ベニシアさんのように手作りで工夫して暮らす。というのは憧れだけど、庭をきれいに保つにも手間がかかる。それを楽しめる人だけが、心豊かに暮らせるのだろう。

時間に追われ、用事に追われ、不用なものの整理に追われ、毎日が何をするでもなく過ぎて行く自分の暮らしを、しばし立ち止まって反省した。

エレベーターで下りればいいのに、エスカレーターに乗ったばかりに、何階かでつい明るい色のセーターを買ってしまった。

セーターは試着させてくれない。合わなくても強引に着ることにして購入。

その横にセーターがあったのでこちらも買う。レースとビーズの刺繍入り。

後ろも刺繍あり。

カーディガンも買った。普段着の昔からあるアンサンブル。春先になると何故かセーターとカーディガンのセットを買いたくなる私。

月末、先生にお会いするのに何着て行ったらいいものやら。昔ならウール100%のツィードやタータンのスーツをよく売っていたけど、最近とんと見かけない。いやいや、私がそんなもの売っているところへ行かないだけかもしれないけど。

考えるのが面倒なので着物でもいいんだけど、大げさかな。大島の着物と羽織、帯は半幅で普段着っぽく。コート着て、首にマフラー、頭は登山帽っておかしいかしら。そりゃおかしいでしょう。孫のいる女のすることではありません。私のキャラ的にはありだけど。

その恰好で、市で一番格の高いホテルの、当地で言えばリーガロイヤル(シェラトンは外資系なので除く)の最上階レストランへ行く予定。つまみ出されるかも。

うーーーん、どうするかな。。。。


 

備忘として、本日ネット証券でトルコ株投信全部を売却。明日値段が決まる。昨日の時点でまあまあ利益が出ていた。何年か前、20%くらい儲けてたけど、欲出して売りそびれるうちにリーマンショックに遭遇。大きく原価割れしてそれ以来ずっと気分悪かった。やっと戻ったのでもう売る。

もう一つの方は先日一部を売ったら、そのあとまた値上がりしている。近いうちにまた売ろう。最安値で仕入れて最高値で売ればいいんだけど、先の読めないのが人間の常、なかなかそうはいかない。

息子たちのも利益の出てるのは、先週までに全部売らせた。投資で利益出すなんて簡単なようで、素人にはなかなか難しい。生株は面白いけど、値動きが激しいので怖い。殆どしたことない。これからもたぶんしないと思う。 

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大島渚の頃

2013-01-22 | 日記

雪の津和野を走るSLやまぐち号。こちらよりお借りしました。http://flower.yodoyabashift.com/津和野城からの俯瞰でしょうか。


映画監督の大島渚氏が亡くなられた。元気でいれば、定年のないお仕事なので、まだまだ映画を撮り続けたであろうと残念でならない。

テレビと映画は似て非なるもの、テレビはほとんど残らず、映画は残る。今もそうだが、私たちの若い頃は映画を見るということは特別なこと。一緒に映画を見たあの人、この人、映画とともに特別な思い出として残っている。

「少年」 夫と付き合っていた1971年頃見た。この少し前に話題になった、子供を使った当り屋(=わざと車にぶつかって行って補償金をもらう詐欺)を映画にしたもの。大人のせこさ、純真な少年の自然な演技が今も象に残っている。

「愛のコリーダ」 結婚して子供がまだいない頃、夫と見た。人間の欲望をしつこく描写するハードな映画。見る私も大人になったことを実感。

「愛の亡霊」 内容はほとんど覚えていない。もしかしたら見なかったかも。

「戦場のメリークリスマス」通称戦メリ。分かりにくい映画だった。吉本隆明が当時、英軍兵士と日本兵捕虜の心の交流なんて絶対にありえないと文句言ってたけど、映画だから何をどのように描いてもいいはず。意図を考えればいいだけのことだと、私は思った。これは三男が赤ちゃんだったので、夫に留守番頼んで見に行った。

このころはオールナイト営業がよくあって、映画は一人で真夜中に。帰りにタクシー拾ったら、えらい馴れ馴れしく「こんな時間まで若い娘がどこで夜遊びしてたんじゃ」とドライバーさんに聞かれたので、「エッ、私34で子供が三人いますけど」と答えると、今度は相手が絶句した。そうなんだあ、今は孫に「ばあたん~♪」と呼ばれる私にも若い時代があったんだあ。

つまらない自慢話はさておき、戦メリは見た後で首をひねり、心の中に不消化の違和感を残す。そんな映画だった。自分の人生観、生き方、何でもいいんだけど、かき乱されて、新しい視点がちょっと付け足されるような体験。それは優れた文学にでも言えることだけと。

最近、そんな体験が皆無。

人の絆、家族愛、反戦・・・わかりやすい言葉で説明ができる映画の対極にあるのが大島作品。


 

これから見たいもの。

「飼育」 大江健三郎はこれで芥川賞になったのかな。大江、大島、1960年代から70年代の初め、学生街の喫茶店で、このkey wordがどれだけ飛び交ったことだろう。あるタイプの女の子を口説くにも有効。あるタイプの男の子の気を引くにも有効。今の若い人は何を話して親しくなっていくんだろうか。謎。

「御法度」 新撰組における衆道(男色)をテーマにした映画。新撰組のメディアでの取り上げられ方には、私は違和感がある。晩年にこの映画ですもんね。脱帽です。時は幕末、身分制は揺らぎ、京都はいろんな勢力の拮抗する混沌とした時代。

新撰組とは、京都の治安を守る名目で作られた反革命のテロリスト集団。幕府が作ったが、近藤勇をはじめとして一旗あげたい下級武士が中心。男ばかりの合宿生活、宿舎は不潔で、衆道なんかもあったんでしょうね。リアルやなあ。人間の欲望って、限りないもの。

新撰組は大坂の豪商に、私の記憶が確かであれば二万両と言う大金を借り、多分幕府が瓦解したので踏み倒したと思う。その豪商がのちに大同生命か何かになったはずだけど、今でもあるのかな。

わあ、すみません、つまらないことをグタグタと。

心の安らぐ予定調和の世界とは別の大島ワールド、もう見られないと思うと残念。テレビのトーク番組の録画を最近見たけど、そのまま文章に起こして本にできるくらいの正鵠を得た物言いのできる人だった。頭よかったんだろうなあ。わが三男は学部は別だけど、同じ大学の後輩。「じっとしているのが嫌いなので本など読むわけがない。ドリフト天国は毎月買っている」(サークルのサイトより)というとんでもない奴です。

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センター試験の頃

2013-01-21 | 日記

新聞にセンター試験の問題が掲載されている。もう本気で見なることもないけど。

センター試験といえば、長男のセンター試験。本人の成績以前に、翌朝の阪神淡路大震災のことが記憶に残っている。

もう18年前になるんですねぇ。ネットはまだまだ未発達。夫がパソコン通信のニフティに模範解答が出ていると、前夜遅く話していたけれど、息子はこれまた夜中過ぎにテレビで模範解答見て、すっかり落ち込んでふて寝してしまった。

翌朝、大きくはないけれど、とっても長い間、ゆっくりと、ゆらゆらゆらゆら~と揺れるので目が醒めて、「ああ地震だあ・・・」と思ってまた寝てしまった。あれが今に続く天変動地の始まりだとは・・・

翌日から、テレビの画像を呆然と見ていた。一日地震が早かったら、受けられない子がたくさんいたことだろう。息子の試験の成績なんて、そんなものはどこかへ吹っ飛んでしまって、テレビを呆然と蜜続けた日々。焼け出された人がお気の毒で、成績なんかでくよくよするのがとても小さなことに思えた。。

神戸大学の二次試験は岡山と大阪に分かれて実施されたし、大学合格後、息子が東京の友達のところへ遊びに行くのに、神戸市内の被災地は「鉄道代行」という行先表示を掲げた各地からの応援のバスが走っていたと聞いた。

友人はその頃、息子さんが名古屋にいたけれど、行くのは飛行機で。飛行機が就航していたんだと思う。

そうそう、その頃どの模試でもほとんどトップを取っていた神戸市内長田高校の女子生徒が、週刊朝日の表紙を飾っていた。彼女は東大へ進学したんではなかったかしら。神戸の希望の象徴としての意味があったのかも。

五月に京都へ行ったときには新幹線はもう復活していたのかどうか記憶にないけれど、神戸市内はまだまだ瓦礫をビニールシートをかけていた。

あれから18年、神戸はきれいになったけれど、あの時の教訓、忘れないようにしなければと改めて思った。

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久しぶりにアルパークへ

2013-01-20 | 日記

 

写真は一年前の今頃、児島市のホテルから。今月末、母とまた行く予定。

朝、夫と一緒にアルパークシネマまで。夫はオペラを集めた映画、上映時間4時間を見る予定。そこで別れて、私は買い物と昼食、あとはバス電車で帰るつもりだったけど、「財布忘れたーーーー」と叫ぶので、一万円を渡し、映画が終わるまで時間をつぶして私が運転して帰った。

デパートの服を見たけど、全然欲しいものがなくて、でも頑張ってカーディガンを一枚買った。書店も、考えてみたらあまり行かない。評判の本をアマゾンで買うばかり。たまには街へ出かけて世の中の流れを体験しなくては。

きょうの中国新聞、広島市の人は市の中心部に行くのを「市内へ行く」と言うそうな。私の回りでは聞かない。「本通りの方へ行く」と言う言い方するかな。紙屋町は今のそごうが1975年にできるまではバスセンターがあり、その後ろがNTT、お城の周辺はまだスラム街を整備したばかりだった。紙屋町は繁華街ではないので、本通りで代表。

でも本通りは老舗が貸店舗になり、安売りショップや百均なども入り、かつての一等地の面影はない。今は周辺部各地に商業施設が分散した感じかな。アルパークもその一つ。駐車場が充実しているので、市の中心部より却って行きやすい。

そして不思議なことに、広島でも市中心部から西へは高級住宅地が広がっている。戦前の別荘地から始まって、今も宮島線JRが並行して走る地域は、東京→横浜と湘南、大阪→芦屋など阪神間の諸都市にはム及ばないけれど、こぎれいな家がたくさん。

驚いたのは福山の人も広島の繁華街へ行くことを「市内へ行く」と言うそうな。ほんまかいな。100キロも離れているのに。

うーーーん、デパートや繁華街、この私は何で行きたいと思わなくなったんだろうか。謎。

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可もなく不可もなく

2013-01-20 | 日記

デジカメの調子が悪いという話になり、試しに手近な人を写してみる。お父さんに似てきたねと言うと、お母さんにそっくりだねと急所を突いてくるので言わない。はい、そっくりです泣。

19日土曜日、午前中納税準備最終まとめ。細かな金額の確認、経費帳と給与一覧をCD=RVに落として終了。やれやれ。

午後から、近所の電気店にデジカメ見に行く。ついでになんかのタブレットやi phoneやら、世の中どんどん変わっている。お出かけしない中高年は安いノートパソコンで充分。デジカメも安くなって機能満載。水中撮影用の防水やら、GPS搭載のもあった。

夜、息子が孫娘を連れてきた。しばし遊ぶ。

帰りにポーズをとってくれました。息子が手に持つさぬきうどんは、年末、私の友達が送ってきてくれたもの。二袋持たせました。それを手に持って記念撮影です。

   この私でも着ないような地味なベージュのコートは本人の好みだそうで。

もう今日になったけど、さあーーー遊ぼう。もう品物ないだろうけど、デパートのバーゲン、履物屋、映画、美術館、おいしいラーメン屋などなど。

31日には恩師に会う。それも楽しみ。同級生に声かけたら、その人も来ることになった。私の人生で一番楽しかったのは高2の三学期かもしれない。

若い先生は何を思われたのか、班を作って学級活動の時間はそれぞれ好きなことをすることになった。その中のメンバーの一人。することないので、私が百人一首を持って行って、みんなでカルタ取りしたり。後に東大へ進学した秀才のOクンが全然取れないのも意外だった。

そうそう先日書いたすき焼きもその人が言い出したのだった。もう免許取って車に乗っていて、みんなを回収して先生の下宿へ行ったんだった。あの時、話の途中で解散したから・・・何年経つのだろう・・・その続き。

などと心は18の乙女にワープしてるけど、それまでに体重10キロ落とさないといけない。その時を再現するならば。猶予期間はあと10日。夫は絶食しろと無責任なこと言うけど、とりあえずそれは無理です。

おっと忘れてた。来週は源泉表を書いて、月末は各種帳票を税務署そのほかに提出。それが終われば、二月後半からの税理士事務所からの矢のような問い合わせのメールが来るまでしばしの休息。毎年のルーチンワーク。

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「日本人の叡智」 磯田道史

2013-01-19 | 読書

 

2010年秋、生後5か月くらいの孫娘。息子の背中に立っています。お嫁さんから来たメールより転載。

二人で何見てるんだろ?(写真省略)


著者は映画「武士の家計簿」の原作本を書き、NHKの歴史番組(名前失念)によく出る人。茨城大学准教授。

古文書を読むのが何よりも好きで、この本は朝日新聞土曜版に連載された短文を一冊にまとめたもの。有名、無名にかかわらず、その人の珠玉の言葉を上げ、解説。字数の制約の中で、まとめるのは大変だったと思う。

人は、必ず死ぬ。しかし、言葉を遺すことはできる。どんなに無名であってもどんなに不遇であっても、人間が物事を真摯に思索し、それを言葉に残していさえすれば、それは後世の人に伝わって、それが叡智となる。この叡智のつみかさなりが、その国に生きる人々の心を潤していくのではないか。

                                                   ・・・・・はじめに・・・・より

著者の本を編むにあたっての思いはこの部分に尽くされていると思う。

慶長年間の小早川隆景から平成の寺田栄吉まで、98人。その人の人生観をダイジェスト版で読む面白さ。どこから読み始めても楽しいかも。

私が栞したのは、江戸時代の相場師、牛田権三郎、加賀千代、塙保己一、堺利彦、戦前の反骨の新聞人、桐生悠々、などなどだけど、この本の中では知らない人多数。

家は貧しく、時代は厳しく、その中で思いは純化し磨かれるのかも。今の時代も厳しいけど、長い間の安逸に流され、今の時代の人はいつのまにか思いを表現する話法を忘れているように思う。

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恩師の恩

2013-01-18 | 日記
 
高校時代の恩師に、ご自身の著作をいただいた。本のお礼を兼ねて、近々お会いする予定。

卒業直後、友人数人(私以外は全員♂)でその先生の下宿にお邪魔したことがある。背の高さくらいに積み重ねられたたくさんの本。畳一畳ほどが生活する空間。びっくりした。

しっかり勉強して、自分の道を究めなさいという無言の教えのように思えた。
今思えば先生は26歳。私たちもだけど、先生のなんという若さ。

あれから長い年月が経った。時々あの本の量を思い出して自分の自堕落な暮らしを反省する。

不肖の教え子はいまだ発展途上段階。
 
写真は故郷の風景。四階の教室からは、低い家並みの向こうに海が見えていた。かつての校舎も今はなく、もしあったとしてもビルが建てこんで海は見えないはず。
 
海を渡らないとどこへもいけない四国の街。故郷に残るものと、出て行くものと。。。。再び暮らすことのない故郷の街は、キラキラとした思い出とともに、いつまでも輝いている。

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名護屋・・・秀吉の野望

2013-01-17 | 旅行

1/14 朝、ホテルから大宰府の街がよく見えます。大屋根は九州国立博物館。

宿から唐津へ向かいます。ナビの通りに行くうち、地道に降りてしまい、福岡市内で迷走。夫婦の間も風雲急を告げます。だからナビは嫌いなんです。地図をしっかり見ていたら、どこへでも行けるはず。

やっと唐津城に着きました。25年くらい前、子供たちを連れて虹ノ松原とこの城へも来た記憶が。あの時は松浦の博物館へも行った記憶が。遠い、遠い話です。息子たち、憶えているかな。

ただいま石垣の修復中。

日本海が見えます。

唐津くんちの曳山が保管されています。遠くからでもよく分かる明快なデザイン。そしてとてもユーモラス。祭り気分が盛り上がることでしょう。唐津くんちは例年11/3前後らしいです。

鯛とか・・・いゃあ目出度い

浦島太郎とか。この上に人が何人か乗るようです。殆どの曳山は、天保年間から明治初めころの作。手入れがよくて町の人の祭りにかける意気込みが伝わってきます。博多の山笠もいいけれど、こちらもなかなか楽しそうです。

半島の先を目指して車で40分ほど、唐津市鎮西町名護屋を目指します。

16世紀末、秀吉の二回の朝鮮出兵の前進基地として築かれた城。想像していた以上に大規模です。

建物は秀吉の死後解体され、唐津城もその材木を利用したそうです。周辺には全国から動員された諸大名の陣が作られました。

いつからあるのか・・・石仏に墓標?

城は山を利用して築かれました。

本丸跡から見る日本海。天気のいい日は対馬が見えるそうです。しかしまあ、なんで秀吉は朝鮮半島を通って明まで征服しようとしたのか。

東郷平八郎の書く秀吉の顕彰碑らしきものが、広場にぽつんと立っていました。散歩する人二人、旅行者数人。九州の果てのこの地は、限りなく歴史への想像力を掻き立てられる場所でした。変な櫓とか建てたり、ゆるキャラ考えたり、B級グルメを作ったりする町興しどしないでもらいたいものです。

近くの道の駅、お魚がとてもおいしくて感動しました。A級グルメです。土産物もいろいろあります。

 

 

 

帰りは道をほぼ間違えず、高速道路を乗り継いで、5時間ほどで自宅着。楽しい冬の旅でした。

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