午前中、一時間くらい、昨日の続きで阿弥陀経写していたら、初めはこめかみがグルグルと音がして痛み、ついで耳が詰まったようになり、今は時々耳の後ろが痛い。
肩から背中がめちゃくちゃ凝っていて、一枚の板みたい。
昼前には、先日整経したいとを粗筬に通していたけれど、その時が一番きつかった。
もうこれは無理していけないサインと思い、午後からは明るい二階の部屋でコタツに入って横になっていた。
空が明るい。マンションに区切られた狭い空にも春の気配。昨春はいろいろなことが中止になって残念だったけど、今年はどうでしょう。感染対策しながらいろいろなイベントが再開されるのを願っています。
録画した番組、一度見ると消せるのに、なぜ読んだ本はいつまでたっても捨てられないのか。
それは多分、本が貴重だった時代の名残。
読んできた本が自分のアイデンティティー、背表紙を見ながら自分がどういう人間で、これから何をしたいのか考えるよすが。
でも最近、いつ読んだか忘れている本や、読んだことすら思い出せない本もあり、取っておくのも空しくなってきた。
最近では、気が向いたら本棚からテキトーに抜き出し、夫のパソコンの部屋に持って行ってヤフオクに出してもらう。売り上げは手数料として夫に寄付。
本日はこれです。
単行本に比べて、最近は文庫と新書が高くなった気がする。
本を探しに書店には行かない。行ったとしても希望のものに出会うことは稀。何の目的もなくて立ち寄り、心に引っかかる本を読んでみて、帰宅後アマゾンで買うことが多い。
雑誌も買わなくなりましたねぇ。暮らしのヒントいろいろ、もう要らない。小物をあれこれ置きまくるのもそろそろ卒業しなければ。
昔は・・・学生のころは正門の周りに書店と古書店がたくさんあり、あちこち寄って一時間くらい時間をつぶしてから帰っていた。本を読むのは、いつも今よりももっと切羽詰まっていた。
昔の、文学少女のころの言い方をすれば、孤独で、未熟で、有りあまる自由を持て余していた。自分を支える言葉を活字の中に探していた。女の子の友達の少なかった私。みんなは向こうの方で楽しそうで、その輪に入って行けない自分はいつも文庫本を持ち歩き、どこででも読んでいた。
今は世の中の流れを知りたい、分かりたいという動機。畢竟、流行の読みやすい本を手に取ることが多くなった。それは見終わった録画番組みたいなもの。タイトルだけ憶えていれば、またいつか縁があれば再読するはず。
本も文化財から消費財へ。この言い方でいいかしら?
この二冊は今回ヤフオクには出さない。
右は運搬用の箱に入り切らなかったから。
左は56年前、高校二年生で読んだ本。50歳のころまた読みたくなって必死で探したけれど、その時は見つからなくて再版された新装版を買ったと思う。
きょうはひょっこりと顔を出したのでびっくりした。あら、こんなところに隠れていたのって。
会田雄次先生は、私が若いころはまだご存命だった日本史の学者。京都大学(たぶん、未確認)を出て、立命館大学の教授をされていたけれど、大学闘争の時代、大学側のやり方に抗議してすっぱりと辞職した奇骨の人。(奈良本辰也と混同していました。お詫びして訂正します)
この本は戦後ビルマ・・・だったかなで連合国軍(具体的にはイギリス軍)の捕虜になった時の体験に基づく比較文明論。たいそう面白かった。
イギリスは民主主義の国、ヒューマニズムの国ということになっているけれど、その対象に黄色人種はなっていないという発見。戦争はまた異文化同士のぶつかり合いでもあったわけです。
その頃はまだ戦争体験者がたくさんいたけれど、学者の目で冷静に分析する本がやっと出てきたころかなと思う。
これは我が家にゴロンと転がっていたのです。多分父親が買って読んだのか、読まなかったのか、私が勝手に読んで、面白いからと同じクラスのP君に貸した。その頃はP君が一番好きだったので、今思えば気を引こうとしたのでしょうか。
一月くらいして「面白かった」と言って返してもらった。
P君ですか。今でも他の人と一緒にたまに会います。個人的には会いませんけど。奥様が亡くなられてから、連絡とりやすくなった。でもめったに連絡しません。老齢者の付き合いは節度を持って( ´∀` )
でもきょうはこの本が出てきて嬉しかった。以上。
耳が痛いの、早く治りますように。
月曜日に株、投信、一つずつ売却。株はこのところの高値で、3割くらい利益が出ていた。嬉しい。
一億円突っ込んで3千万の儲けと言いたいけれど、そんなにあるはずもなく、ささやかに喜べる額です。でも夫に言うとうらやましがられた。
あんたみたいにちょこちょこ売り買いしないもんと言いたかったけど、言えばまた落ち込むので黙っていた。