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東南アジア現代史

2011年12月23日 | 高3用 授業内容をもう一度

ディエン=ビエン=フーでフランス軍が大敗すると、フランスはインドシナからの撤退を余儀なくされた。しかし、ヴェトナム民主共和国による統一は認められず、北緯17度を軍事境界線として南北に分断された「分断国家」が誕生した。1960年には南部に南ヴェトナム解放民族戦線が結成され、ゲリラ戦が展開された。1961年に就任したケネディ大統領は、ソ連との全面対決は避けながら、インドシナでは民族解放運動の拡大を阻止するための介入政策をとった。アメリカは1965年から地上軍を増強するとともに、北ヴェトナムへの爆撃を開始した。1968年には在ヴェトナム米軍は50万人にもおよんだ。

 一方、近隣の東南アジア諸国でも、「親米派」と「親ソ派」との対立が見られ、冷戦が内部化したような状況がうまれ、内紛が深刻化するだけでなく、地域紛争に拡大する可能性が高まっていった。このような状況の中、内紛を軍事力で押さえつけるとともに、G他方で西側先進諸国から資本を積極的に導入し、経済発展を目指す政権が次々と誕生していった。これらの政権は1967年8月に、冷戦に巻き込まれることを防ぐために、紛争の自主的な解決を目指した地域協力機構ASEAN(東南アジア諸国連合)を設立した。この機構は、目的を達成し、各国に著しい経済発展をもたらした。今日では、10カ国の地域国家が参加する機構に発展している。さらに、1989年には、これらH東南アジア地域に加え、アメリカや日本を含むアジア・太平洋諸国が参加する経済協力会議APECが生まれている。


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