2~4世紀は全般的に迫害期であり、「【カタコンベ】」 という【地下墓地兼集会礼拝所】でキリスト教徒たちは密かに信仰を守った。しかし、軍人皇帝時代の社会混乱はキリスト教布教には絶好の好機となり、キリスト教は急速に下層民に広まっていった。ローマ社会が内乱によって荒廃し、これまで受け継がれてきたローマの神々に対する宗教的儀式なども退廃してきたためである。
またエジプトの砂漠地帯などを中心に【修道院】運動が広まっていったのも200年頃からであり、3世紀頃までに各地で教会が成立した。なお、修道院はキリスト教徒の修行を行う場、教会は教徒がミサを行うなどのキリスト講の儀式を行う場である。
4世紀になると教父による教義(キリスト教の教え)の確立が始まる。「【三位一体説】」を主張した【アタナシウス】などもこの一人。最大の教父とされるのはヌミディア(現アルジェリア)出身の【】アウグスティヌスで、マニ教から改宗後、5世紀に『【告白】』や『【神の国】』を著した。
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