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イスラム史  01年西南学院大学

2010年01月02日 | 復習用入試問題
 次の文は,中世初期のイスラムについて述べたものである。これを読んで,下の問(A・B)に答えよ。01年西南学院大学

 インダス川以西に広がるイラン高原部からアナトリア半島・アラビア半島までの西アジア地域と,サハラ砂漠以北のアフリカ地域には大小のオアシスが点在する。そこでは古くから農耕が行われ,都市が発達し,周辺部の牧畜遊牧民との交易を通じて経済的共存・共栄がなされてきた。またオアシス間の a 交易を背景に,人と物の交流・交換が盛んに行われていた。
 アラビア半島のオアシス都市メッカに生まれたイスラムは,本来商人の宗教であり,この地域に広がる広域交易圏とその社会の開放性に支えられて,7世紀以降急速に発展する。その背景としては,まず b とビザンツ帝国との抗争により,6世紀後半以降の西アジア地域が政情不安定となったこと,そして従来のメソポタミア交易ルートが敬遠され,さらにビザンツ帝国の弱体化により紅海交易も衰え,その代わりにアラビア半島西部のルートが好まれたという事情があった。その結果,メディナやメッカなどのオアシス諸都市が国際交易の中継地として急速に発展した。
 メッカに生まれた c 族の商人ムハンマドは,610年頃唯一神アッラーの啓示を受けた預言者であることを自覚し,厳格な一神教であるイスラム教をとなえた。しかしメッカの大商人達により迫害され,622年に少数の信者達を率いてメディナに移住し,ここにイスラム教徒の共同体ウンマをつくった。630年,ムハンマドはムスリムの戦士とともにメッカを占領し,ア)その権威の下にアラビア半島の統一を実現した。
 ムハンマドの死後,その後継者(カリフ)達は周辺地域の征服を開始した。獲得された広大な征服地は,全権をもつ総督により統治され,中央には財務をつかさどる役所が新たに設置された。しかしカリフの選出や征服地の土地と富の分配をめぐって,ウンマ内部に対立が生じ,第4代カリフのアリーが暗殺されると,彼と敵対していたシリア総督のムアーウィアは661年 d にウマイヤ朝をひらいた。ウマイヤ朝は征服事業を継承し,東方ではソグディアナとシンド,イ)西方では北アフリカを征服し,イベリア半島に進出して西ゴート王国を滅ぼした。その後フランク王国内に侵入したが,フランク軍に北上を阻止された。その間ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルヘの包囲戦も繰り返された。
 ところが8世紀に入り,地方反乱やカリフの位をめぐる内紛によってウマイヤ朝の支配体制が揺らぎ始め,アラブとしての特権を享受することができないホラーサーン人などの地方のアラブ人は,ウマイヤ朝政権に対して強い不満をあらわにした。またフサインの悲惨な殉教以来,イラクの e 派ムスリム達もウマイヤ朝カリフに対する復讐の念を忘れることはなかった。反ウマイヤ家の気運が高まる中で,預言者の叔父の系統をひくアッバース家は,カリフ権の正当な後継者であることを主張し始め,ついに f 年に革命を成功させた。
 アッバース朝のもとでは,イラン人を中心とする新改宗者が要職につき,宰相の統率する官僚制度が発達し,行政の中央集権化が進んだ。そして第5代カリフのウ)ハールーン=アッラシードの時代に,ビザンツ帝国に対して優位に立ち,フランク王国のシャルルマーニュとも外交関係をもち,黄金時代を迎えた。しかし,その後統治は乱れ,カリフの位をめぐる争いも繰り返され,カリフの権威は弱まり,エ)地方反乱も相次いだ。帝国内のエジプトやイランでは次々と独立国家が生まれ,帝国は分裂し,1285年ついにフラグ率いるモンゴル軍により滅ぼされた。

問A 文中の   (a~f)に,最も適当な語または数字を記入せよ。
問B 文中の下線部(ア~エ)について,下の問(ア~エ)に最も適当な語を記入せよ。
ア 下線部ア)について,ムハンマドがメッカ占領後に定めたイスラムの神殿を何というか。
イ 下線部イ)について,アラブ軍がチュニジアに造営した軍営都市は何とよばれたか。
ウ 下線部ウ)について,彼はバグダードにギリシア語文献を中心とする図書館を建設したが,それは何とよばれたか。
エ 下線部エ)について,969年に起きた南イラクの農場で働く黒人奴隷を中心とする反乱は何とよばれたか。


【解答】 
問A a 隊商〔キャラバン〕 b ササン朝
c クライシュ d ダマスクス e シーア
f 750
問B ア カーバ神殿 イ カイラワーン
ウ ヒザーナ―アル―ヒクマ〔知恵の宝庫〕 エ ザンジュの乱



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