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米英の覇権交代

2012年02月12日 | 高3用 授業内容をもう一度

アメリカ合衆国大統領ローズベルトとイギリス首相チャーチルは、1941年8月に会談し、領土の不拡大・民族自決・通商の自由・社会保障の充実・すべての国家の安全と自立の保障・海洋の自由・平和機構の再建・軍備縮小などを内容とする大西洋憲章として発表した。これはファシズム打倒という共通の戦争目的を明らかにするとともに、第2次世界大戦後の国際秩序の形成に大きな影響を与えるもので、後に連合国としての共同宣言という性格が付与された。またその理念は、1945年のサンフランシスコ会議の国際連合憲章に結実していった。

 一方、大西洋憲章では、すべての国々に対する貿易上の機会均等がうたわれた。イギリスはすでに、マクドナルドを首相とする挙国一致内閣の下、英連邦経済会議で、それまでの貿易政策を大きく転換していたため、この理念を実現することは大きな困難を伴ったものの、1948年、GATTが発足に結実した。

GATT は、関税その他の貿易障壁を軽減し、通商の差別待遇を廃止することによって各国経済の発展を期することを目的としたものである。しかし、その後先進国主導型のGATT体制は、発展途上国からの不満を招き、1960年代にその是正が試みられ、1995年には、GATTにかわるWTOが設立された。

一方、イギリスの覇権は第2次世界大戦中、アメリカに取って代わられることは明白になっていった。1944年7月連合国側44カ国の参加のもとに、ニューハンプシャー州北部のブレトン・ウッズ会議が開催された。その会議には、資本主義における失業の存在を解明したケインズがイギリス政府代表として出席したものの、イギリスは多くの点で妥協を余儀なくされた。さらに、戦後イギリスの経済的・政治的地位の低下し、あいつぐ植民地の独立、支配地域からの撤退などによって、イギリスとアメリカの覇権交替は明確になっていった。

 


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