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戦後の国際経済体制 ブレトンウッズ体制とGATT

2012年02月01日 | 高3用 授業内容をもう一度

1次世界大戦後の世界は1919年に締結されたヴェルサイユ講和条約に始まる。この講和条約が示す基本精神は、アメリカ大統領ウィルソンが提唱した「勝利なき平和」であり、それは無併合・無賠償・民族自決などを示した「14ケ条」の平和提言であった。さらに平和維持機構として、国際連盟も設立された。しかしこれらの平和原則は広く尊重されたとはいえない。たとえば大戦前の同盟諸国の領土は戦勝国によって分割された。とくにオスマン帝国に対して英仏が任統治を行い、事実上の植民地支配に似た状況に置かれたし、ドイツでも東西の領土を奪われている。さらにドイツにはその支払い能力をはるかに超えた巨額の賠償金が課せられた。また民族自決の原則はヨーロッパ地域ではある程度尊重されたものの、すでに民族主義の芽生えていた西アジア地域やインド、東アジア地域には適用されることはなく、これらの地域では植民地支配から脱するための闘争が展開されたものの、多くの場合宗主国によって弾圧されて失敗している。一方、(b)個別安全保障体制の失敗が原因して(1)ボスニアをめぐるオーストリアとセルビアの地域紛争が、大きな被害招く世界大戦に発展したという反省から、集団安全保障体制への転換が求められた。その結果国際連盟が成立したが、これも(2)上院の判断によってアメリカが不参加となり、またソ連も参加が見送られた。これによって国際連盟が果たせる役割は著しく減退した。

 以上見てきたように、第1次世界大戦後の世界では国際政治・国際経済を安定させるための政策や機構が十分に発達しなかった。これに加え、1917年に発生したロシア革命が西欧世界の政治状況を不安定にし、各国政府に社会主義拡大への警戒心を植えつける結果となった。この革命の影響で敗戦国ドイツでは1919年(3)スパルタクス団の蜂起が発生し、経済的安定を欠いたイタリアでも1920年に北イタリアの労働者がストライキを繰り返し、いっそう政治的混乱を深め、ファシズム勢力の台頭を許す結果となった。1919年(4)ダンヌンツィオは義勇軍を率いて「未回収のイタリア」といわれたフィウメを占領した。さらに1922年ムソリーニはローマ進軍により政権を獲得し、1928年には国家最高議決機関を定めて一党独裁体制を確立した。一方、ドイツでも当時としては優れて民主的なワイマール憲法を有していたにもかかわらず、ヴェルサイユ体制への不満もあって全体主義の誕生を許してしまった。その背景には19231兆分の1にまでマルクの価値が下がる超インフレーションが発生したことや、1929年から続いた世界恐慌による経済混乱がある。また世界恐慌で英仏が取ったブロック経済が世界貿易の規模を縮小させた。このことがナチスや日本に生存圏獲得の正当性を与えたともいえる。この間、各国は国際平和を維持する目的で、軍備縮小や戦争禁止のための条約を締結した。1921年から始まったワシントン会議や1925年のロカルノ会議がその好例である。ドイツにナチス政権が誕生すると、イギリスやフランスは宥和政策をもって対処した。しかしそのことがヒトラーを増長させる結果となり、第2次世界大戦を回避することはできなかった。

 一方、第2次世界大戦後の国際社会の主たる目的は、二度繰り返された世界大戦をもう繰り返さないことにあり、そのために国際社会における平和と安定が不可欠であると考えられた。また国際社会全体が経済的にも政治的にも発展していく必要性も説かれた。この点では第1次世界大戦後の国際世界が取った政策に対する反省を基本に置くこととなる。さまざまな国際社会の活動の欠点を改善し、平和と発展のためにより強力な国際機関が設立された。具体的には国際社会の発展を促すために国際連合が設立され集団安全保障体制が強化されたし、経済的混乱が政治状況の悪化を招いた反省から各国通貨の安定を図る目的でブレトンウッズ体制が確立され、(5)世界銀行、国際通貨基金が設立された。さらに保護貿易主義を監視して世界貿易の縮小を防ぐ目的で(6)GATTが設立された。このように国際社会は組織化されたといえる。

第2次世界大戦後に顕著に見られる国際社会の傾向は人権の尊重である。人権の尊重が国際秩序の一要素となったといえよう。1948年(7)国際連合総会で決議された「世界人権宣言」がその方向性を示している。したがって平和、発展、人権が第2次世界大戦後の国際社会の理念である。

 しかし現実の戦後の国際社会は、冷戦下の米ソそれぞれ作った東西陣営に分かれて対立したばかりか、先進工業諸国と発展途上諸国との経済格差の拡大による南北問題も見られた。この問題は枯渇しつつある資源分配の問題や地球規模の環境問題としても考える必要に迫られている。さらに核兵器が世界に分散しつつある問題もあり、必ずしも人々が期待したようには戦後世界の理念が達成されてはいない。また1970年代以降日米あるいは欧米間でも貿易摩擦が表面化している中、さまざまな地域経済統合が形成される傾向にあって、世界経済のブロック化を懸念する声も絶えない。しかしその一方で1990年代以降社会主義世界でも自由化が進み、また東西ドイツの統合も行われた。

 


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