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宋の文治主義

2016年03月23日 | 高2用 授業内容をもう一度
 唐末五代の時代、武人が自分の領国を治め、軍隊を率いて他の藩鎮との興亡を繰り返していました。そのような武人の一人であった【趙匡胤】が【960】年に宋を建国すると、彼は武人から領地に対する統治権を奪っていきました。その一方で、地方の統治のためにも【科挙】制度を拡大させ、科挙試験合格者を官吏にして、その土地の政治をやらせました。武人は地方政治の場面からは除外されたわけです。
 また、科挙にも改善が施されました。最終試験に皇帝の面接諮問試験を導入。この【殿試】を通過するものは全受験者の0.006%であったそうです。
 武人が地方政治に介入できなくなった結果、宋の軍事力は著しく低下しましたので、対外関係は弱体化しました。しかし、経済発展を背景に税収が増えていたので、【遼】や【西夏】に対して【歳幣】を送るなどして、国防に変えていたと考えられます。

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