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琉球の歴史からみる世界史(2)

2006年11月30日 | 高校1年生用
琉球の歴史からみる世界史(2)・・・沖縄まるごと大百科②沖縄の歴史 ポプラ社より

①第一尚氏の系図
尚巴志(1422)→尚忠(1440)→尚思達(1443)→尚金福(1450)→尚泰久(1454)→尚徳(1461)1470年に第1尚氏から尚円が政権を奪い、②第2尚氏王朝を建国しました。

(6)15~16世紀の琉球王国
15~16世紀ごろの琉球王国は、独立国として中国や東南アジア諸国、朝鮮、日本などと交易をしていました。琉球王国は③那覇港からは各国に貿易船を送り、中継貿易でさかえ、王国の最盛期をむかえました。④首里城はその繁栄のシンボルでもあったわけです。
琉球王国は明(中国)と、朝貢貿易の形をとっていました。周辺の国ぐにが明に朝貢した回数は、1位が琉球で171回、2位がベトナムで89回、3位がチベットで78回と、朝鮮は30回、日本は19回です。

琉球王国は明のほかにも、東シナ海や南シナ海へくり出し、朝鮮や日本、東南アジアとの交易をおこなっていました。琉球からの輸出品は、硫黄や砥石、馬などしかありませんが、中国の生糸や絹織物、陶磁器、日本の刀剣や美術工芸品、朝鮮のニンジン、東南アジアの香辛料、染料、象牙などを買いいれて、それを別の国に売るという中継貿易によって巨大な利益をあげていたのです。
 琉球王国は約150年間にわたり、中継貿易でさかえていました。しかし、西ヨーロッパ諸国が大航海時代を迎えた16世紀の中ごろから、東シナ海には⑤ポルトガル船をはじめ、中国や日本の商船が進出するようになり、国際競争の時代をむかえました。そして琉球王国の繁栄にも、かげりが見えてきました。

(7)琉球王国のシンボル、首里城
 首里城は那覇市の東北、標高約130mの丘の上にありました。いつ、だれが、最初に首里にグスクをきずいたのかわかっていませんが、13世紀末ごろではないかと考えられています。首里城は、尚巴志によって王宮としてととのえられ、15世紀末の尚真の時代に、正門である歓会門がたてられるなど、城としての品格をそなえていきました。次の尚清の時代に、城壁を二重にしました。このころ東西400m、南北270m、総面積4万6000㎡の首里城の大きさが確定しました。これは琉球最大のグスクです。首里城は東シナ海や中国をのぞむことのできる西向きにたてられています。国王が壇の上に立ったとき、ちょうど太陽が出る東側に、国王が位置するようにしてあるのです。

 城郭の中心に、国王がまつりごとをおこなう正殿と、中国からの使節をむかえるときに使う広場(御庭)があります。正殿は3階建てで、高さ16.3mあり、四方に屋根がのびる入母屋造りです。柱や屋根など、至るところに中国風の竜のかざりがめぐらされています。日本や中国、琉球の技術がとりいれられた建物です。


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