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琉球の歴史からみる世界史(1)

2006年11月30日 | 高校1年生用
琉球の歴史からみる世界史(1)・・・沖縄まるごと大百科②沖縄の歴史 ポプラ社より

(1)「港川人」が暮らしていた時代
 アジア大陸の東の海上に、九州から台湾につらなる大小190あまりの島じまがあります。これらの島を総称して、「②琉球列島」とよんでいます。この琉球列島に人類が住みはじめたのは、今から3万年~2万年前とされています。そのころは、①氷河期にあたり、海面は今よりもずっと低いところにありました。そのため琉球列島の南のほうも、台湾や中国大陸と地つづきでつながっていました。この時代の旧石器時代といいます。その人骨約7人分が、バラバラの状態で発見され、「③港川人」とよばれています。男性は身長約153cm、女性は約143cmで、脳の大きさは現代人の80~90%くらいで、やや小さめです。港川人は、中国南部やインドネシアのジャワ島から出土した旧石器人骨と似ているとも、また縄文人の先祖のひとつであるともいわれています。

(2)「琉球列島」の出現
 今から約1万年前、地球上の気温があがり、海面が上昇しました。また地殻の変動もおこり、日本海や東シナ海があらわれ、日本列島や沖縄の島々もでき、やがて現在のすがたになりました。ただし、港川人がいた時代から約1万年間、沖縄では人がくらしたあとは発見されていません。その後の琉球の遺跡から発見されている④爪形文土器は、指や爪で文様をつけた土器で、沖縄でつくられていたと思われますが、縄文土器の影響を受けていたとみられます。この時代を⑤貝塚時代と呼びます。

(3)九州や中国との交流
 前800年~前200年には、それまで海の近くの岩かげなどでくらしていた人びとは、台地に竪穴住居をたてて住み、小さなムラをつくるようになりました。そのため、このころから畑作農耕がおこなわれていたという説もあります。前200年~紀元後200年ごろには、九州からやってきた⑥弥生人とのあいだで、交易がおこなわれていました。沖縄産の貝でつくられたアクセサリーが、九州や中国地方で見つかっています。また、沖縄の遺跡からは、中国の貨幣も出土していることから、中国とも交流していたことがわかります。

(4)稲作が始まり、有力な「按司」が登場
 沖縄で稲作が始まったのは、l1世紀ごろと考えられています。稲作が行なわれた新しいムラに指導者があらわれ、やがてまわりのムラをもしたがえる力の強い支配者が生まれました。このような人を「⑦按司(アジ)」とよびます。かれらは、祭りをノロとよばれる神女にまかせました。ノロは祖先神をはじめ海、山、水など、もろもろの神が天からおりてくる御嶽(ウタキ)とよばれる聖地で、お祈りや祭りをしました。ときには政治の方針をうらなうこともありました。
 12世紀後半から15世紀にかけて、沖縄島をはじめ、奄美、宮古、八重山などで石垣をめぐらせた⑧グスク(城)がつくられました。その数は300あまりです。グスクは按司の領地や領民を守るための拠点となったり、人が住むためにつくられたグスクや、倉庫としてつくられたグスクもあります。首里城などの大型グスクは2000年12月、関連遺産群とともに、世界遺産に登録されました。このように、各地にグスクがつくられた時代を「グスク時代」とよびます。


(5)尚巴志が琉球を統一「琉球王国」が成立
 14世紀になると、沖縄本島には中国や朝鮮、日本との交易によって、力をたくわえた強力な按司があらわれました。本島北部の今帰仁城(ナキジン=グスク)による③北山、本島中部の⑥首里城による④中山、本島南部の大里城による⑤南山の3つの勢力です。
 明を建国した中国の洪武帝は、琉球を属国にして、貢ぎ物をおさめさせようとしました。これを⑦朝貢制度といいます。1372年、中山王察度が最初に朝貢をしました。ほかの王も朝貢し、それぞれ北山王、中山王、南山王の王号をあたえられました。三山とも朝貢にともなう中国との貿易により、おおいにさかえました。
このころ、南山の一按司だった⑧尚巴志(ショウアハシ)は、1406年に中山王をやぶり、1416年に北山王を、1429年に南山王をたおし、琉球をはじめて統一しました。これを第1尚氏の琉球王国といいます。

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