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古代ローマ史 混乱の1世紀

2014年06月25日 | 高2用 授業内容をもう一度

【前146】年は,古代地中海世界の歴史の中でも注目すべき年である。この年に,地中海の西部と東部において,それぞれ数百年間にわたって栄華を誇っていた2つの有力な都市国家,【カルタゴ】とコリントが破壊され,地上から姿を消したのである。この両市を破壊したローマは,当時,事実上、地中海世界の支配者であった。
 一方,勝利したローマでもその社会の歪みが目立ちはじめていた。ローマ市民層の中核となる【中小自営農民】の一部が,打ち続く海外戦争の負担で没落しはじめていたのである。このローマ社会の危機に対処するために,【前133】年から【グラックス兄弟の改革】が始まった。彼らは,【護民官】に就任して、没落市民たちの救済に努めたが,反対派の抵抗で改革は挫折した。その後,ローマでは【閥族派】と【民衆派】との対立が激化し,社会の混乱が著しくなった。閥族派の【スラ】と民衆派の【マリウス】は,小アジアのポントスの【ミトリダテス】との戦争の指揮権をめぐって激しく対立し,内乱が勃発した。この戦いはスラが勝利し,彼が独裁官となった。この時期は,地中海世界各地で反ローマの抵抗連動が活発化した時代でもあった。王は,地中海東部でローマ軍と長期にわたる戦争を続けていた。また小アジア南部を本拠地とする海賊たちも地中海の海上交通路を脅かしてローマに大損害を与えていた。ローマの本拠地であるイタリアでも,剣闘士奴隷であった【スパルタクス】を指導者とする大規模な奴隷蜂起が勃発した。
 スラの勝利後,ローマでは閥族派優位の元老院が政治を指導する時期がしばらく続いていた。【前60】年,この体制に不満を持つ3人の有力政治家が手を結んで第1回三頭政治をはじめ,政治の実権を握った。三頭政治の一員であった【カエサル】は,【ガリア遠征】の功績で勢力を伸ばし,独裁官となった。彼はしばしば共和政の伝統を無視する政策を実施したため,【前44】年に共和政擁護派の【ブルートゥス】等に暗殺された。その後,カエサルの養子【オクタヴィアヌス】と旧部下の【アントニウス】・【レビドゥス】の3人が第2回三頭政治を結成し,反対派を打倒してローマの政治を支配した。
 第2回三頭政治を構成した3人の政治家の中で,【レヒドゥス】は一早くに失脚し,残りの2人が政治権力を分け合うこととなった。オクタヴィアヌスは地中海西部を、アントニウスはヘレニズム文化の影響が強い地中海東部を支配した。アントニウスは,マケドニアのアレクサンドロス大王の部将【プトレマイオス】の子孫であるエジプト女王【クレオパトラ】と親密となった。オクタヴィアヌスはアントニウスとクレオパトラヘのローマ市民たちの反感を煽って,エジプトに対して宣戦を布告し,勝利をおさめた。ローマと地中海世界の支配者となったオクタヴィアヌスは,【前27】年に元老院から【アウグストゥス】の名前を与えられ,事実上の帝政をはじめた。この体制は,アウグストゥスが【市民の第1人者】を,意味する【プリンケプス】の呼称を採用したことから,【プリンキパトゥス】と呼ばれる。


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