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第1次世界大戦 塹壕戦

2014年10月07日 | 高3用 授業内容をもう一度

戦争がはじまったとき,ほとんどの人々は戦争は短期間で終わると予想し、クリスマスは家族で迎えることができると考えていた。しかし,開戦直後【シュリーフェン】作戦にのっとり【ベルギーの中立】を侵犯し、パリ近郊まで迫ったドイツ軍だったが、9月初めの【マルヌの戦い】でフランス軍に押しもどされてから,西部戦線では著しい死傷者をともなう「塹壕戦」が展開された。
 1916年の【ヴェルダン】攻防戦では双方で70万人,史上初めて【イギリス】軍により【タンク】(戦車)が投入された【ソンムの戦い】では150万人の死者を出した。これら戦場で死傷した兵士の数は第2次世界大戦で戦場で死傷した兵士の数より圧倒的に多い。第1次世界大戦の戦死者は、フランス革命からナポレオン戦争までの約4倍にあたる802万に達する。
 一方、東部戦線では,【ヒンデンブルク】将軍に率いられたドイツ軍が、開戦直後に攻め込んできたロシア軍を【タンネンベルクの戦い】で破り,1915年にはポーランドやリトアニアを占領したが,その後はやはり戦線が膠着した。ドイツは当初、ロシア軍がドイツ国境船に尖塔配備されるには時間を要するであろうと考えていたが、これは誤算であり、ドイツは両面作戦を余儀なくされた。
 また、大戦は技術戦でもあり、新兵器が続々と投入された。【毒ガス】・【タンク】(戦車)・【潜水艦】・【飛行機】・飛行船などが,新たに戦闘に用いられた。また,日露戦争で初めて実戦配備され改良された機関銃による一斉射撃が,死傷者の数を著しく増やし,大砲による絶えまない砲撃は,戦場となった地域の自然をも徹底的に破壊した。


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