FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

2020年 東大世界史第1問冊封体制の解き方(1)

2020年04月12日 | 論述問題
2020年東京大学本試第1問 解き方

 これまでの東大世界史は「グローバルヒストリー」の立場に立って作問されていました。「グローバルヒストリー」は個々に国や地域の通史にこだわらずに大陸間とか地域間あるいは地球全体を歴史の舞台として捉える立場の世界史を指します。したがって「グローバルヒストリー」では時代区分も超えて人類に共通する歴史を見ていきます。たとえば、2018年には女性とジェンダー差別を扱った問題がありました。女性の地位向上という地球規模のテーマを扱った意欲的な問題でした。
 一方、2021年から始まる共通テスト世界史の問題は「歴史学」に軸を置いている感じがします。「歴史学」は「史料」から歴史を読み解く立場です。これまでセンター試験日本史などで多く出題されています。世界史ではあまり「史料」は重視されてきませんでした。共通テストは思考力・判断力を見るための手段として「史料」を読み取って、言い方を変えれば考えて、その史料が示している地域とか時代を判断して選択肢を選んでいくことを要求しています。
 「グローバルヒストリー」か「歴史学」かという高校世界史の2つの軸はこれまでも議論の対象でした。2020年東大世界史第1問は3つの「史料」を示した上で、「○○は××だった。」や「史料に記されているように、○○が××した。」といった形で論述内容の事例として書くことを求めています。明らかに「歴史学」に寄った立場への転換でしょう。
 2020年の東大世界史第1問を見ると、共通テストの世界史の出題意図が透けて見えてきます。この問題を参考にして高校世界史が史料を扱う方法を考えることができそうです。

 さて問題を見ていきましょう。いつものように東大が俯瞰的に何を求めているかを考えながらリード文を読みます。俯瞰的にというのは「だから何?」といった感覚で読むということです。東大が「以上のことを踏まえて」といっている「踏まえる」作業だと考えてください。

 最初の3行目まででは国際関係は国家間の関係を既定する、各国の国内支配にも関与している。と書いています。この「各国の国内支配への関与」、ということを見逃したくささそうです。東大はリード文で解答に制約を与えます。つまり「各国」とは国際関係の中心にある国(中国王朝)だけではなく、その周縁に位置する国々も含むという点です。朝鮮やベトナム・日本などの国々では中国との関係を築くことで国内政治を優位にすすめる意図について述べることを求めていると考えられます。

リード文を読み進めるとこのことは確認できていきます。さらにリード文によるとこのような国際関係が成立した地域は東アジア。時代は近代以前です。ここでいう「近代」とは「ヨーロッパが近代になって国際関係を持ち込んだ」とリード文中にあるので1840年アヘン戦争以降と考えてよさそうです。東大世界史の問題は自分で判断せずにリード文に立ち返って判断することが大切です。地域とか時代とかを当然のように自分で判断しないことです。

 では「踏まえる」内容です。世界史の知識から中国王朝を中心とした冊封体制が近代になって西欧が構築した国際関係つまり主権国家体制における国際関係に組み込まれていく様子を考えることです。ただし、「現実と理念の両面」の主語に注目したいところです。このような関係すなわち「冊封体制の現実」はどう変容したのか、「冊封体制の理念」はどう変容したのか、この2点を考えるのかな?みたいな感じで問題を読み進めていきます。「現実」と「理念」は分かったようではっきりしない感じが残ります。しかし、東大世界史の問題を解く際のポイントのひとつに問題に出てくる用語は一貫して同じことを意味しているがあります。「現実」は「それは現実において従属関係を意味していたわけではない」の部分に出ています。ここから「現実」と「理念」が明確になってくるはずです。つまり「現実」は「従属関係」ではないのだから冊封体制の「理念」は「従属関係」、それに対して「現実」はどのようであったのかを高校世界史レベルの知識から考える必要があります。

 2段落目から次に問題が求めていることは何か?を考えていきます。解答すべき時期は「15世紀頃から19世紀末まで」。解答すべき地域は「東アジア」。ただしその後に朝鮮とベトナムの事例を中心に」とあるのでこの2地域が中心。解答すべき問いは「伝統的な国際関係のあり方を具体的に」と「近代におけるその変容を具体的に」の2点です。問題文の最後に「論述内容の事例として」とあることから「具体的に」ついて記述する際に史料A~Cを利用することが求めていることがわかります。
 また、史料A~Cから「東アジア」には朝鮮・ベトナム・琉球が含まれることが確認できます。

 問題が求めている点を詳細にみていきます。そうすればどのような文脈で記述していくのか、さらに字数配分をどうするかが見えてきます。まず「近代におけるその変容を具体的に」の「変容」とは先述しているように「冊封体制の現実」の変容と「冊封体制の理念」の変容です。東大世界史問題に出てくる用語は一貫して同じことを意味している。ここでは「変容」がそれにあたります。「変容」とか「変化」を説明するときは「A⇒B」をイメージします。AがBになったことを「変化」という。したがってAが何でBが何かを説明する必要があります。この問題ではAが15世紀頃から1840年以前の前近代の冊封体制、Bが1840年から19世紀末までの主権国家体制に基づく国際関係に東アジアが組み込まれていく状況でしょう。

以上のことから字数配分は①「伝統的な国際関係のあり方を具体的に」について200字、②「近代における冊封体制の現実の変容を具体的に」について200字、③「近代における理念の変容を具体的に」について200字になります。ただし、自分が書きやすい部分と書きづらい部分を勘案して調整します。さらに①「伝統的な国際関係のあり方」を見ていくと、「変容」する以前のつまり1840年以前の「現実」と「理念」を説明するのでそれぞれ100字ずつを配当し、「現実」については朝鮮とベトナムをそれぞれ50字ずつ記述していけばよさそうです。

 最後に史料の使い方です。
 共通テスト試行問題では、史料などから問題になっている「地域」と「時代」を読み取ってそれに基づいて選択肢を判断していく、という作業が必要になっています。2020年東大世界史第1問でも同様でしょう。史料Aは李氏朝鮮1780年のことで、史料Bはベトナム(阮朝越南)1878年、史料Cは琉球王国で明代を指していることは明らかです。
史料Aで読み取るべきポイントは、崇禎という年代を1780年でも使用している点のはずです。そこから明の崇禎帝を思い出し、李氏朝鮮は女真族の清に服属していながら中国人王朝の年代を使用していることになります。「現実」と「理念」が関係しそうです。
史料Bで注意すべきは、1875年という時期です。阮朝越南の都がフエだろうことは史料からわかります。仏越戦争(1858年)後に1862年サイゴン条約が結ばれコーチシナ東部3省とサイゴンがフランスに割譲され、その後の清仏戦争(1884~85年)が起こります。その間の史料だと判断します。
史料Cは琉球王国が明と薩摩藩に両属関係にあったという高校世界史の基礎知識が必要です。琉球王国は「万国津梁(ばんこくしんりょう)」すなわち「世界の架け橋」として東シナ海から南シナ海にかけて中継貿易で繁栄していた知識、冊封体制に組み込まれていた琉球王国が明との朝貢貿易で繁栄した知識を思い出します。

2020年東大本試世界史第1問 冊封体制

2020年04月12日 | 論述問題
2020年東京大学 第1問

 国際関係にはさまざまな形式があり、それは国家間の関係を規定するだけでなく、各国の国内支配とも密接に関りを持ってる。近代以前の東アジアにおいて、中国王朝とその近隣諸国が取り結んだ国際関係の形式は、その一つである。そこでは、近隣諸国の君主は中国王朝の皇帝に対して臣下の礼をとる形で関係を取り結んだg、それは現実において従属関係を意味していたわけではない。また国内的には、それぞれの関係を、自らの支配の強化に利用したり異なる説明で正当化したりしていた。しかし、このような関係は、ヨーロッパで形づけられた国際関係が近代になって持ち込まれてくると、現実と理念の両面で変容を余儀なくされることになる。
 以上のことを踏まえて、15世紀ころから19世紀末までの時期における、東アジアの伝統的な国際関係のあり方と近代におけるその変容について、朝鮮とベトナムの事例を中心に、具体的に記述しなさい。回答は、解答欄(イ)に20行以内で記述しなさい。その際、次の6つの語句を必ず一度は用いて、その語句に下線を付しなさい。また、下の資料A~Cを読んで、例えば、「〇〇が××した。」などといった形で史料番号を挙げて、論述内容の事例として、それぞれ必ず一度は用いなさい。

薩摩  下関条約  小中華  条約  清仏戦争  朝貢



史料A
 なぜ、(私は)今なお崇禎という年号を使うのか、清人が中国に入って主となり、古代の聖王の制度は彼らのものに変えられてしまった。その東方の数千里の国土を持つわが朝鮮が、鴨緑江を境として国を立て、古代の聖王の制度を一人守っているのは明らかである。(1789年)

史料B
 1875年から1878年までの間においても、わが国(フランス)の総督や領事や外交官たちの眼前で、フエの宮廷は何のためらいもなく使節団を送り出した。そのような使節団を3年ごとに北京に派遣して清に服従を示すのが、この宮廷の慣習であった。

史料C
 琉球国は南海の恵まれた地域に立地しており、朝鮮の豊かな文化を一手に集め、明とは上下のあごのように、日本とは唇と歯のような密接な関係にある。この二つの中間位ある琉球は、まさに理想郷といえよう。貿易船を操って諸外国との間の架け橋となり、異国の珍品・至宝が国中に満ちあふれている。

2017年 東大プレ第1問 第2次大交易時代 問題

2020年04月12日 | 論述問題
 14世紀にモンゴル帝国が解体すると、海上交易の掌握に努める新たな帝国が東アジアおよびイスラーム世界において台頭した。
またこの時期にはヨーロッパ世界のいても外部世界へ向けて進出する気運が生じ、それは15世紀末以降本格化していったが、そ
れにともなって世界各地を結ぶ交易の構造も大きく変化していった。
 以上のことを踏まえて、14世紀から16世紀前半における世界の交易構造の変容について、ユーラシア地域で台頭した国々の対外政策を中心に論じなさい。解答は、20行以内で記述し、必ず次の8つの語句を一度は用いて、その語句に河川を付しなさい。


国土回復運動   マラッカ   紅海   朝貢体制   インド洋   大西洋  

プレヴェザの海戦   カリカット

2017代ゼミ東大プレ第1問 解説  第2次大交易時代

2020年04月12日 | 論述問題
何を書く書くかを考えることが若干難しい問題
対外政策を中心に
世界の交易構造の変容を書くのだが、実際に何を書くかが判断しづらい
各国の対外政策が影響して、世界の交易構造に変化が生じていった、というふうに判断するのがいい世界の交易構造の変容に影響した対外政策を考えていく
では各国とはどの国か
東アジアは明
イスラーム世界は、マムルーク朝とオスマン帝国。西アジアとせずにイスラーム世界といっていることがヒントになる。オスマン帝国は西アジアとは言い切れないから
ヨーロッパ世界はポルトガルは問題なく判断できるが、スペインを書くべきか?この判断が難しい
問題文に判断材料があるはず
文中のこの時期とは14世紀。スペインは成立していない。また14世紀から外部世界に進出する機運を持っていたのはポルトガル。それが本格化したとは、ポルトガルが1415年にモロッコ北端のセウタを攻略し、さらにアフリア西岸を探検い、インド航路を開拓した過程を指している
従ってスペインは書けない。
そこで、プレヴェザの海戦はオスマン帝国で使うことのなる
また国土回復運動はポルトガルがいち早く成し遂げた、という文脈で書く
ちなみポルトガル建国は1139年
大交易時代への影響は商業革命を書く
すなわち、大西洋とインド洋とを結びつけた

また地中海では14世紀に北イタリア商人が活躍したがプレヴェザの海戦で敗北した

明は14世紀に海禁策を取っていたが15世紀になると永楽帝が登場して積極的な朝貢体制に転換した
鄭和の南海遠征
日明貿易など
東南アジア海域と江南地方が結びついたことが若干大交易時代への影響
しかしその後、北虜南倭の影響で解禁策に復帰したため華僑が出現し、彼らがこの海域の交易を担った

マムルーク朝がインド洋貿易と地中海世界とを結びつけた
地中海側は北イタリア商人が参加
1509年デュウ沖の海戦でポルトガルに敗れマムルーク朝が衰退
マムルーク朝は北イタリア商人とともにインド洋と地中海の2つの海域結びつけ大交易時代に参加したが
1517年にオスマン帝国にカイロを奪われて滅亡した

マムルーク朝に変わって台頭したのがオスマン帝国

オスマン帝国の対外政策
14世紀にバルカン半島に進出。15世紀にはコンスタンティノープルを攻略した。この後地中海貿易を支配していき、地中海とインド洋貿易とを結びつけた

大交易時代とは
分散していた各海域が結びつけられ時代
具体的には
マムルーク朝と北イタリア商人が地中海とインド洋を
プレヴェザの海戦後、これをオスマン帝国が引き継いだ
ポルトガルが大西洋とインド洋を結びつけた
明が東南アジア海域と江南地方を結びつけた

ただしこれらの海域あるいは交易圏が本格的に結びつけられるのは16世紀後半
第2次大交易時代という