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2020年東大世界史第1問冊封体制解説(2)史料の読み取り方と使い方

2020年04月13日 | 論述問題
2020年東大世界史第1問冊封体制解説(2)史料の読み取り方

 想像ですが、この問題は2019年10月31日に首里城が焼失したことから作問されたのかもしれません。琉球王国の存在意義を考えるとき琉球王国が「万国津梁」すなわち万国の架け橋になることで繁栄を謳歌したことが重要でしょう。高校世界史でその点を考えるには冊封体制と朝貢貿易に関する知識が必要でしょう。 

(1)史料A~Cの使い方を考えます。
3つの史料は時代が異なります。順に並べると史料C(15世紀~17世紀)・史料A(1780年)・史料B(1875~78年)です。近代に属するのは史料Bだと整理できます。「歴史学」的には史料から読み取るべきことはそこに書かれていることだけです。書かれていない関連事項を記述するべきではありません。「歴史学」では史料に忠実であることが求められます。

(2)史料A: 
前提となる高校世界史の知識:
①女真族のホンタイジが国号を後金から清に改めた後、1367年李氏朝鮮を攻撃し(丙子胡乱)、その翌年に李氏朝鮮を従属させた。李氏朝鮮は清の宗主権を認め冊封を受けた。
②李氏朝鮮は清に服属しながら儒学(朱子学)を発展させ「大中華」明に代わる文明の後継と自らを位置づけ「小中華」とし、女真族の王朝である清に対して夷狄であるとした。
 史料Aから読み取れること:
李氏朝鮮が清の冊封を受けながら明末の年号である崇禎を使っていたこと、これは「古代の聖王の制度」であり李氏朝鮮だけがこれを守っていることを誇っている、という点でしょう

 史料Aを具体例に使う:
「伝統的な国際関係である冊封体制の「理念」:100字配当」に関する記述の中で使用します。その「理念」に関する高校世界史の知識は以下の点でしょう。
①中国王朝の華夷思想と王化思想を前提に、周辺国はその冊封を受けることで中国文明に参加することができる。
②冊封を受けた国の君主は、王などの爵号を受け中国皇帝と君臣関係を結ぶ。
③冊封国には毎年の朝貢、中国の元号を使用する。
④冊封国が外国から攻撃を受けた場合、中国王朝は求めに応じて救援を行う。
使用語句「小中華」を使用しながら「理念」①と③の具合例にできそうです。問題文中の資料の使い方「○○は××だった(史料A)。」を利用する場面です。「冊封体制の理念は①と③だった(史料A)。」
注意点は史料Aを使って説明するときに使用語句「下関条約」を使わない点です。


(3)史料B:
前提となる高校世界史の知識:
①1802年に成立した阮朝越南は清の冊封を受けていた。
②第2帝政の時代1858年から仏越戦争が発生。1863年サイゴン条約でフランスはコーチシナ東部三省とサイゴンを割譲させた。
③1883年ユエ条約で阮朝はフランスの保護国にされた。
 史料Bから読み取れること:
仏越戦争を経て1875~78年の時期すなわち保護国化される直前にもかかわらず「清朝に服属の意を示していた」ことから阮朝が冊封の「理念」を守り続けていたことがわかります。
史料Bを具体例に使う:
「近代における冊封体制の変容:配当字数200字」を記述する際に使用します。史料中に「清に服属の意を示す」とあるので冊封の「理念」②を記述します。「冊封体制の理念は②だった(史料B)。」となります。
また史料を使って説明とは切り離した書き方をしながら、「理念」④を受けて使用語句「清仏戦争」が発生しこの戦争後に清が宗主権を放棄した結果、冊封訂正から切り離されたベトナムはフランスの保護国になった、といった記述をします。

(4)史料C:
前提となる高校世界史の知識:
①琉球王国は17世紀初頭から明・清と薩摩藩とに対して両属関係を維持していた。
②15世紀以降琉球王国は「万国津梁」として中継貿易で繁栄していた。
③中国王朝から冊封を受けていた琉球王国は明・清との朝貢貿易によってその中継貿易を可能にしていた。
 史料Cから読み取れること:
史料中「密接な関係」、「二つの中間」を高校世界史の知識を利用して具体化していけばよさそうです。
史料Cを具体例に使う:
高校世界史の知識からこの史料は「理念」を無視した琉球王国の「現実」はどのようであったかを示していることがわかります。したがって「伝統的な国際関係である冊封体制の「現実」:100字配当」を記述する際に使用します。
問題文中「史料Bに記されているように、○○が××した。」を利用する場面です。東大世界史第1問の解答方法の中の鉄則としてリード文・問題文は残さず使用する、があります。これで全て使い終わったことになります。「史料Bに記されているように、琉球王国は17世紀初頭から明・清と薩摩藩とに対して両属関係を維持していた。」明・清から冊封を受け続けた結果、琉球王国は朝貢貿易を維持し万国津梁として中継貿易で繁栄を謳歌した。