一橋大学 1990年第1問
【1】 次の文章を読んで、下記の問いに答えよ。
聖フランチェスコを理解する鍵は、個人としてだけでなく、類としての人間がもつべき謙遜の徳に対する信念である。聖フランチェスコは人間が被造物に対して専制君主として振舞うことを拒否し、神のすべての被造物の民主々義を築こうとした。……いままさに進行しつつある地球の環境の崩壊は、西欧の中世世界に始まる精力的な科学と技術の発展の産物であり、それに対して聖フランチェスコは彼独特の仕方で反抗したのであった。科学と技術の成長は、キリスト教の教義に深く根差している自然に対する態度を無視しては歴史的に理解できないものである。(リン・ホワイト・ジュニア『機械と神』)
(ア)この文章は技術史家リン・ホワイト・ジュニアのものである。著者はキリスト教が科学と技術ならびに自然との関係にどのような結果をもたらしたと考えているのか、説明せよ(200字)。
(イ)聖フランチェスコは既存の教会や社会のあり方に対してどのような態度をとったのか。例文の主旨にこだわらずに答えよ(200字)。
解き方と解説
(ア)1990年ですからまだ環境問題やSDGsが大きく取り上げられる前の時代の問題。一橋大学はしばしばこれが世界史の問題なのかと思うような出題をしている。しかし、あくまで高校世界史の入試問題として考えるべきだということも注意すべき点であろう。
リード文に出ている世界史的要素は、聖フランチェスコ、科学と技術の発展、(中世)キリスト教の教義といったところ。聖フランチェスコは13世紀初頭に托鉢修道会のフランチェスコ修道会を創始した人物でジヨットの『小鳥に説教をするフランチェスコ』という絵画でも高校世界史に登場する。さらにリード文によれば、西欧の中世世界に始まる精力的な科学と技術の発展に抵抗し、キリスト教の教義に深く根差している自然に対する態度にも抵抗したとある。これに対し中世キリスト教の教義では人間は創造主である神に似せて創られ、他の被造物すなわち自然に優越する存在としている。このことはリード文からも読み取れるが、高校世界史レベルの知識でもある。
さて、問われている点は「キリスト教が科学と技術および自然との関係にどのような結果をもたらしたのか」である。この部分を考えるために時間を割く必要がある。つまり西欧の中世世界に始まる「科学と技術」と「自然」との間には何らかの「関係」がありキリスト教が「科学と技術」と「自然」との「関係」に変化を与え、「地球環境の崩壊」という「結果」をもたらしたと読み取りやすい。しかしこの部分で注意したいのは、まず主語は「キリスト教」である点。そこに注意しつつ「科学と技術」が「結果」すなわち「地球環境の崩壊」をもたらしたのではなく、主語である「キリスト教」が「関係」に「ある結果」をもたらしたということが書かれている。なお、聖フランチェスコは12~13世紀の人物なので、時代設定は12~13世紀と考えたい。
キリスト教が「関係」にもたらした「結果」とは何か。この点を世界史レベルで説明することを出題者は求めている。先述したようにその「結果」とは「地球環境の崩壊」ではない。キリスト教がもっている考え方が両者の「関係」において「科学と技術」が上位となり人間が「自然」を従属させることを容認している。このことを説明していけばよい。すなわち「キリスト教の自然観」に関する知識が問われている。
中世キリスト教は自然を人間の下位に位置づけ、人間に奉仕すべき存在と考えていた。その根拠は旧約聖書の天地創造の思想にある。創造主としての神、被創造物としての人間という位階秩序の観念があり、さらに神の似姿として想像された人間は自然を支配し統治する資格を加味から与えられていると考えた。したがってキリスト教世界において自然を支配し利用して科学と技術が発展したのはある意味当然のことであった。
12~13世紀といえばルネサンス初期にあたる。ルネサンス期におけるキリスト教の自然観は個々の自然物の中に創造主である神の意志が存在するという中世的自然観から脱却し、自然の中に自然性を発見した。したがって人間もどうように自然性を持つ。ダ=ヴィンチやミケランジェロの作品を見るとき、人間の肉体が自然物としてあるがままに捉えられていることに注意が払われるのはこのような理由からといえる。
もちろんルネサンス人もキリスト教世界に一因である。しかし「14世紀の危機」を経てキリスト教が内面的に変容し宗教改革に発展した。一方、外の現実世界に目を向けたルネサンスでは人間を自然物としてあるがままに表現した。
16~17世紀に登場した近代の先駆者F.ベーコンやデカルトは自然を機械的に動く物質的な存在と捉えた。以後、自然は数値化され分解された。これを推し進めたのが「科学と技術」である。
このように振り返っていくと、一橋大学が世界史受験生に求めていた点が明確になってくる。①キリスト教の天地創造 ②中世・ルネサンス期・近代における「自然」に対する考え方の違い ③キリスト教が変容した背景、の3点を問うている問題といえる。彼らは高校世界史を学ぶ上、このような問題意識を持つことを求めていることがわかる。
字数制限は200字なので、多くを書く必要はない。最初に使用語句を書き出すことから始めたい。①創造主 ②自然を支配する存在 ③14世紀の危機 ④ルネサンス期 ⑤神の支配ではなく自然性を発見 ⑥F.ベーコンまたはデカルト ⑦機械化された自然。これらを使用しながら、キリスト教の根底にある自然観を背景に、「自然」の中から「神」を取り除き、次いで近代では「科学と技術」が「自然」を自然物としてではなく単なる物質として捉える関係に帰着した、という文脈で説明していくことになる。
(イ)聖フランチェスコがとった態度を例文の主旨にこだわらずに説明することが求められている。
高校世界史の入試問題と考える立場に立つと、この問題はフランチェスコ修道会の活動を問うていると考えることになる。問いにあるようにリード文を要約する問題ではない。また聖フランチェスコは世界史資料集などでヨットの『小鳥に説教をするフランチェスコ』という絵画登場する。彼が小鳥たちに説教をしたところ枝から地上に降り、彼の言葉に聞き入り、祝福を受けるまで飛び立たなかったという。この事例を解釈して説明に加える。
既存の教会にとった態度を説明する際、第4回十字軍を主催した教皇インノケンティウス3世に触れたい。この十字軍が教皇に破門されるなど十字軍の荒廃が問題になっていたことは高校世界史の範疇だろう。必要な知識はフランチェスコ修道会が誕生した時代は教皇インノケンティウス3世や第4回十字軍の時代であったこと、さらにこの十字軍は変質した十字軍であることといったところ。
また社会に対する態度は、「無所有と清貧」すなわち福音書に書かれたイエスの行動や態度に忠実に従うことで商業活動が拡大し揺れ動く社会に範を示そうとした点を書きたい。
この問題も字数制限は200字なので、多くを書く必要はない。ここでも最初に使用語句を書き出すことから始めたい。①フランチェスコ修道会 ②托鉢修道会 ③無所有と清貧 ④教皇インノケンティウス3世 ⑤第4回十字軍 ⑥十字軍の変質
【1】 次の文章を読んで、下記の問いに答えよ。
聖フランチェスコを理解する鍵は、個人としてだけでなく、類としての人間がもつべき謙遜の徳に対する信念である。聖フランチェスコは人間が被造物に対して専制君主として振舞うことを拒否し、神のすべての被造物の民主々義を築こうとした。……いままさに進行しつつある地球の環境の崩壊は、西欧の中世世界に始まる精力的な科学と技術の発展の産物であり、それに対して聖フランチェスコは彼独特の仕方で反抗したのであった。科学と技術の成長は、キリスト教の教義に深く根差している自然に対する態度を無視しては歴史的に理解できないものである。(リン・ホワイト・ジュニア『機械と神』)
(ア)この文章は技術史家リン・ホワイト・ジュニアのものである。著者はキリスト教が科学と技術ならびに自然との関係にどのような結果をもたらしたと考えているのか、説明せよ(200字)。
(イ)聖フランチェスコは既存の教会や社会のあり方に対してどのような態度をとったのか。例文の主旨にこだわらずに答えよ(200字)。
解き方と解説
(ア)1990年ですからまだ環境問題やSDGsが大きく取り上げられる前の時代の問題。一橋大学はしばしばこれが世界史の問題なのかと思うような出題をしている。しかし、あくまで高校世界史の入試問題として考えるべきだということも注意すべき点であろう。
リード文に出ている世界史的要素は、聖フランチェスコ、科学と技術の発展、(中世)キリスト教の教義といったところ。聖フランチェスコは13世紀初頭に托鉢修道会のフランチェスコ修道会を創始した人物でジヨットの『小鳥に説教をするフランチェスコ』という絵画でも高校世界史に登場する。さらにリード文によれば、西欧の中世世界に始まる精力的な科学と技術の発展に抵抗し、キリスト教の教義に深く根差している自然に対する態度にも抵抗したとある。これに対し中世キリスト教の教義では人間は創造主である神に似せて創られ、他の被造物すなわち自然に優越する存在としている。このことはリード文からも読み取れるが、高校世界史レベルの知識でもある。
さて、問われている点は「キリスト教が科学と技術および自然との関係にどのような結果をもたらしたのか」である。この部分を考えるために時間を割く必要がある。つまり西欧の中世世界に始まる「科学と技術」と「自然」との間には何らかの「関係」がありキリスト教が「科学と技術」と「自然」との「関係」に変化を与え、「地球環境の崩壊」という「結果」をもたらしたと読み取りやすい。しかしこの部分で注意したいのは、まず主語は「キリスト教」である点。そこに注意しつつ「科学と技術」が「結果」すなわち「地球環境の崩壊」をもたらしたのではなく、主語である「キリスト教」が「関係」に「ある結果」をもたらしたということが書かれている。なお、聖フランチェスコは12~13世紀の人物なので、時代設定は12~13世紀と考えたい。
キリスト教が「関係」にもたらした「結果」とは何か。この点を世界史レベルで説明することを出題者は求めている。先述したようにその「結果」とは「地球環境の崩壊」ではない。キリスト教がもっている考え方が両者の「関係」において「科学と技術」が上位となり人間が「自然」を従属させることを容認している。このことを説明していけばよい。すなわち「キリスト教の自然観」に関する知識が問われている。
中世キリスト教は自然を人間の下位に位置づけ、人間に奉仕すべき存在と考えていた。その根拠は旧約聖書の天地創造の思想にある。創造主としての神、被創造物としての人間という位階秩序の観念があり、さらに神の似姿として想像された人間は自然を支配し統治する資格を加味から与えられていると考えた。したがってキリスト教世界において自然を支配し利用して科学と技術が発展したのはある意味当然のことであった。
12~13世紀といえばルネサンス初期にあたる。ルネサンス期におけるキリスト教の自然観は個々の自然物の中に創造主である神の意志が存在するという中世的自然観から脱却し、自然の中に自然性を発見した。したがって人間もどうように自然性を持つ。ダ=ヴィンチやミケランジェロの作品を見るとき、人間の肉体が自然物としてあるがままに捉えられていることに注意が払われるのはこのような理由からといえる。
もちろんルネサンス人もキリスト教世界に一因である。しかし「14世紀の危機」を経てキリスト教が内面的に変容し宗教改革に発展した。一方、外の現実世界に目を向けたルネサンスでは人間を自然物としてあるがままに表現した。
16~17世紀に登場した近代の先駆者F.ベーコンやデカルトは自然を機械的に動く物質的な存在と捉えた。以後、自然は数値化され分解された。これを推し進めたのが「科学と技術」である。
このように振り返っていくと、一橋大学が世界史受験生に求めていた点が明確になってくる。①キリスト教の天地創造 ②中世・ルネサンス期・近代における「自然」に対する考え方の違い ③キリスト教が変容した背景、の3点を問うている問題といえる。彼らは高校世界史を学ぶ上、このような問題意識を持つことを求めていることがわかる。
字数制限は200字なので、多くを書く必要はない。最初に使用語句を書き出すことから始めたい。①創造主 ②自然を支配する存在 ③14世紀の危機 ④ルネサンス期 ⑤神の支配ではなく自然性を発見 ⑥F.ベーコンまたはデカルト ⑦機械化された自然。これらを使用しながら、キリスト教の根底にある自然観を背景に、「自然」の中から「神」を取り除き、次いで近代では「科学と技術」が「自然」を自然物としてではなく単なる物質として捉える関係に帰着した、という文脈で説明していくことになる。
(イ)聖フランチェスコがとった態度を例文の主旨にこだわらずに説明することが求められている。
高校世界史の入試問題と考える立場に立つと、この問題はフランチェスコ修道会の活動を問うていると考えることになる。問いにあるようにリード文を要約する問題ではない。また聖フランチェスコは世界史資料集などでヨットの『小鳥に説教をするフランチェスコ』という絵画登場する。彼が小鳥たちに説教をしたところ枝から地上に降り、彼の言葉に聞き入り、祝福を受けるまで飛び立たなかったという。この事例を解釈して説明に加える。
既存の教会にとった態度を説明する際、第4回十字軍を主催した教皇インノケンティウス3世に触れたい。この十字軍が教皇に破門されるなど十字軍の荒廃が問題になっていたことは高校世界史の範疇だろう。必要な知識はフランチェスコ修道会が誕生した時代は教皇インノケンティウス3世や第4回十字軍の時代であったこと、さらにこの十字軍は変質した十字軍であることといったところ。
また社会に対する態度は、「無所有と清貧」すなわち福音書に書かれたイエスの行動や態度に忠実に従うことで商業活動が拡大し揺れ動く社会に範を示そうとした点を書きたい。
この問題も字数制限は200字なので、多くを書く必要はない。ここでも最初に使用語句を書き出すことから始めたい。①フランチェスコ修道会 ②托鉢修道会 ③無所有と清貧 ④教皇インノケンティウス3世 ⑤第4回十字軍 ⑥十字軍の変質