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西欧近代史(3)教皇のルネサンス ミケランジェロとラファエロ

2020年04月18日 | 高3用 授業内容をもう一度
西欧近代史(3)教皇のルネサンス ミケランジェロとラファエロ

ダ=ヴィンチ同様に初期のミケランジェロも「人間中心」の絵を描いています。ダ=ヴィンチは人体実験など「解剖学的観察」を行いましたが、それはキリスト教の教えから離れていくことを意味します。しかし少し後の時代に活躍したラファエロは「美人を何人並べても、その手足の良いものを集めても美しくない。自分の中にあるイデアで描いたほうが美しい。」という言葉を残しているそうです。ダ=ヴィンチとラファエロとの間には大きな違いが存在します。目の前にある「人間」を忠実に表現しようとしたダ=ヴィンチに対して、自分の中にある「美のイデア」に忠実であろうとするラファエロとの違いです。18世紀までの西洋美術にもっとも影響を与えたのはラファエロでした。見たものに忠実に描く時代から,自分が思考の中で思い描くものを表現する時代へ。

その二人の間の時代にいたのがミケランジェロです。ミケランジェロの代表作にヴァチカン宮殿システィナ礼拝堂天井画『天地創造』(1508-12)と、同じシスティナ礼拝堂祭壇画『最後の審判』(1538-41)があります。天井画『天地創造』の人間表現は解剖学的観察によって精緻なものです。一方、30年後に描かれた祭壇画『最後の審判』の人間表現はドラマ性を強調して中央のイエス=キリストの上半身が長く下半身とのバランスに欠いています。よく見るとイエスのおなかは長すぎます。そんな感じの人が何人か描かれています。
すなわち30年前に描かれた天井画『天地創造』はルネサンス様式に分類されます。祭壇画『最後の審判』はラファエロが様式に取り入れたマニエリスム様式といいます。

天地創造


最後の審判

西欧近代史(3)教皇のルネサンス 人間を表現する

2020年04月18日 | 高3用 授業内容をもう一度
西欧近代史(3)教皇のルネサンス 人間を表現する

 ルネサンス期には人間を描いたり彫刻する場合、「人体」に目が向けられました。マザッチオ『楽園追放』では当時の倫理観が影響し、アダムは男性モデルを裸体にして描いたのに対し、イヴ用の女性モデルを手配することができませんでした。その結果、アダムに比べてイヴは写実性に欠けてしまいました。マザッチオは当時のアプロディーテー像から描いたそうです。ちなみにボッティチェリが『ヴィーナスの誕生」を描いた際もメディチ家が所有するアプロディーテー像もとに描いています。
 
 ダ=ヴィンチの偉大さはたくさんあります。それをキリスト教の自然観という面から考えたい。ルネサンス期には「神中心から人間中心へ」という人文主義が生まれました。神にのみ注目していた社会から人間に着目する社会への転換でもあります。その文脈からダ=ヴィンチを見ると、人体実験を行い忠実に絵画に表現していく彼の姿勢は「人間中心」そのものです。「目に見える形で人間中心」を実践したダ=ヴィンチたちの作品を見てルネサンス期を生きた人々の意識を変えていったのでしょう。その広がりが次の宗教改革につながっていきます。信仰という「目に見えない形で人間中心」への発展です。
 

西欧近代史(2)ルネサンス 遠近法と中世の終焉

2020年04月18日 | 高3用 授業内容をもう一度
西欧近代史(2)ルネサンス①フィレンツェ 遠近法

 ルネサンス期の発明の中で重要なものの一つに「遠近法」があります。遠近法には『モナリザ』にも用いられた空気遠近法、『最後の晩餐』で知られる『線遠近法』など多様にあります。しかしルネサンス期に遠近法が大いに用いられたことは人々がキリスト教への考え方を変えつつあったことを示しています。
下の写真はマサッチョ(マザッチオ)『イエスの磔』です。この絵は非常に挑戦的な絵といえるでしょう。それはイエスのサイズと前にいる人間のサイズの問題です。遠近法を用いているので後ろにいるイエスの方が前方の人間よりも小さく描かれています。このような描き方は中世キリスト教社会では考えられないものです。イエスが人間より小さい?




西欧近代史(2)ルネサンス①フィレンツェ 『聖フランチェスコの生涯』

2020年04月18日 | 高3用 授業内容をもう一度
西欧近代史(2)ルネサンス①フィレンツェ  『聖フランチェスコの生涯』

ジヨット『聖フランチェスコの生涯』「小鳥に説教する聖フランチェスコ」



1990年一橋大学がキリスト教の自然観を出題しました。その中でルネサンスを考えるに必要なポイントがあります。ジヨットの「小鳥に説教する聖フランチェスコ」は人間と同じように小鳥に説教をする聖フランチェスコを描いています。これは小鳥も人間同様に神の言葉を聞くことができる存在、すなわち小鳥を人間と対等に位置づけています。
本来キリスト教の『聖書』には、神の似姿としての人間は神の創造物ではあるが他の自然物とは別格であると考えていました。聖フランチェスコはその意味でコペルニクス的転換を実践した人物でしょう。それまでのキリスト教の自然観を転換させたことは、それ以降のルネサンスから宗教改革に至る西欧社会の価値観の転換が始まったといって過言ではないでしょう。