時間が経てば経つほど被害状況が明らかになり
今までにないほど被害の範囲が広がっていて
日本列島を丸ごと襲った地震の様相。
それは今まで経験しないほどの揺れでした。
事務所は2階ですが、キャビネットが横に大きく
揺れました。窓から見える公園の木があんなに揺れるのを
今まで見たことがありませんでした。
隣の公園には非難した人たちで瞬く間に
いっぱいになりました。果たして外にいるのが安全なのか
わからない状況です。
建物は耐震構造になっているとのアナウンスがあり
外に出ないようにとの指示がありました。
余震が何度もあり仕事が手につきません。
主人は電話を取ることができないので心配ですが
看護師さんが夕方訪問してくれる予定に
なっていたので待つしかありません。
一人暮らしの母が心配で電話をしましたが
なかなかつながらずやっとつながったら
知らない声の人です。ヘルパーさんが来ていた時間でした。
あとから聞けばヘルパーさんの方が怖がって
母に抱きついてきたそうです。
英会話に行っているSとは携帯がかからず
どうしているのだろうと心配になりました。
すぐ帰っていいとのアナウンスがなかったので
定刻までにグーグルマップでルート検索をして
時間と距離を見て帰れると直感しました。
(最短距離で7.1km、1時間25分とでていました。
さすが1時間25分はないだろうとは思いました。
2じかんはかかるだろうと・・)
帰れるというか帰るしかないのですが・・
保育園や学童に子供を預けている人は
早めに退社しました。
母に電話をしたけれど一番危ういのは自分だったと
わかりました。帰りの手段がないという・・
コンビニによって飲み物とチョコレートを
確保して歩き始めました。ローヒールのブーツで
良かった。
神保町を通って、九段に向かい飯田橋に出ます。
前の方に赤い夕陽が下のほうに見え靖国神社の鳥居の
下を染めていました。携帯でとってみましたが
鳥居の下の燃えるような夕陽はまったく色が出ていませんでした。
被害者が出た九段会館の近くも通りました。
神楽坂を通るコースが良くわからず交差点で地図を見ていると
松葉杖の青年が近づいて来てどちらに向かっているのか
聞いてそれなら江戸川橋にでた方がアップダウンも少なく
道もわかりやすいとのことで自分も西早稲田に住んでいるので
案内しますといわれました。八丁堀を3時半に出ているとのことで
松葉杖では疲れるだろうと思いました。
飯田橋駅前ではすごくたくさんの人で歩道橋がいっぱいになって
いました。馬場方向に行こうとしている人が多かったようです。
その青年は地図を見て方向がわからなそうな人には自分から
声をかけていました。こういう時には助け合わなければいけないと
言いながら・・・ 30年周期で東北が震源地となっていると
話すとそのとき1歳だったと答えが返ってきて本当に若いのに
しっかりした青年でした。2週間前に足を悪くしたとのことでした。
家族が心配して車で迎えに行くとの電話がやっとかかってきて
その人は災害時は家族が一緒にいて下さいと強い口調で
断っていました。携帯がつながりにくい状況ではそれも危険そうです。
私もSの電話がやっとつながり、英会話学校の見回りに来ていた人が
車で送ってくれて帰れたとのこと。家に帰って聞いたところによると
何度も「怪しい人じゃない」と言ったそうです。(笑)
家に帰ったらエレベーターが止まっていて14階まで登ったとのこと
でした。
ゆっくりでしたがおかげで話しながら歩くことができて
そのあと穴八幡神宮への行き方を教わって分かれました。
穴八幡まで行けばそこまで家から歩いたことがあるので
大丈夫です。
明治通りにぶつかると新宿方向から大勢の人が歩いてきて
いました。
その昔百人町鉄砲隊も江戸城に歩いてはせ参じたのだと
思い、昔の人は皆歩いたのだろうななんて思ったりもしました。
新宿御苑も内藤さんという徳川の家臣の屋敷だったし
昔でも通勤圏内です。
こんなに歩いてついても14階まで登る元気は残らないだろうと
思いながら歩いていましたが、幸いなことに1台の緊急用の
エレベーターだけ動かしていました。
家に戻ると新宿に来ていた義兄が帰れないのでということで
お弁当を持ってきてくださり皆で食べたとのこと。
私も約2時間歩いたのでありがたくいただきました。
今日は今まで調子が戻ってきていた主人が再び
昏睡状態に陥り、近くの先生や看護師さんに相談して
救急車で病院へ行きました。また入院となりました。
大災害はつらいことだけど、こういうことで人間がやさしく
思いやれたり、国の危機としてまとまって欲しいと思います。
昨日の朝は初めて四ッ谷駅でダイコンの花が咲いているのに
気がついて春がやってくるのかな、マンションを出るときに
逆光で見てメジロらしい鳥を見て明るい一日になるのかと
思っていたのに。