イタリア映画が続いた昨年末。印象に強く残った、まったく違うタイプの作品二つの中からまずラザロを。
「幸福なラザロ」は借りてきたビデオの予告にあり、とても見たくなって借りたものです。
「その人は疑わない、怒らない、欲しがらない」このナレーションと美しいイタリアの村・・
オルミ監督を思い出させるドキュメンタリーのような映像に即借りました。
実際は寓話で終わり方などどう考えていいか、ちょっと戸惑ってしまう、もともとよみがえって
いるのですが、解釈に思いがさまよってしまいました。
映画『幸福なラザロ』予告篇(4.19公開)
■スタッフ
監督: アリーチェ・ロルヴァケル
脚本: アリーチェ・ロルバケル
撮影: エレーヌ・ルバール
美術: エミータ・フリガート
衣装: ロレダーナ・ブシェーミ
編集: ネリー・ケティエ
音楽: ピエロ・クリチッティ
■出演
Lazzaro: アドリアーノ・タルディオロ
Antonia bambina: アニェーゼ・グラツィアーニ
Antonia: アルバ・ロルヴァケル
Tancredi bambino: ルカ・チコヴァーニ
Tancredi adulto: トマーゾ・ラーニョ
Ultimo: セルジ・ロペス
Marchesa Alfonsina De Luna: ニコレッタ・ブラスキ
■製作
2018年/127分/イタリア
監督のアリーチェ・ロルヴァケルは若い女性ですが、このような複雑な迷路のようなストーリーと、
一般の人から選んだラザロ役を得て、素晴らしい映像を作り上げてすごいと思います。このタイプの映画は
私の昔から好きなイタリア映画のタイプです。 一緒に借りた「3つの鍵」はまた現代の都会で暮らす
人たちの問題を取り上げてまた別の切り口の映画でした。
ラザロと言えば新約聖書のエピソードが思い出されるように、よみがえりの話です。20年経って目を覚ましたラザロが
見た世界の変化。農奴の見た目には搾取されている生活から、現代のイタリア北部?での都会の底辺での同じように
時代に搾取された人々の貧困な暮らし。汚れて行く地球・・・ ラザロが聖人のように奇跡のように村人との再会で
都会の中に小さな自然を見出して、希望をもって団結して暮らしていく人々。唯一の友人のために銀行に乗り込み
殺されてしまう無垢な青年、ラザロ。
現代と、そして幸せとは何だろうと考えさせられる映画でした。イタリアとの結びつきの深い狼が何を表しているのか
そして要所に現れてラザロの魂を運んでいるのか・・・
いろいろレビューを見ていると、タルコフスキーのノスタルジアと比較している人がいました。タルコフスキーを感じ
させる映画でした。またタンクレディという名前ですぐ山猫のアラン・ドロンが演じた役を思い出した人も私の年代では
多いかなと思いました。
教会で拒絶されて、音楽が彼らについてきたシーンも美しかったです。
ラザロの魂はあの美しい山に帰って行ったのだろうかなどと考えている私です。
この映画はラザロ役のアドリアーノ・タルディオロを抜きでは考えられませんが、アルバ・ロルヴァケルという素晴らしい
女優さんにひかれました。なんと監督のお姉さんでした。
この次に見た映画「3つの鍵」でも一つのエピソードの主役です。タンクレディ役のトマーゾ・ラーニョも出ていました。
最近のイタリア映画はほとんど見ていなかったので、いろいろ発見があります。
幸福なラザロ(アリーチェ・ロルヴァケル2018)で使われた曲
ベッリーニ:『清らかな女神よ』 食卓の上のオルゴール
バッハ:平均律クラヴィア曲集第1巻第8番前奏曲とフーガ BWV853変ホ短調 タンクレディの携帯オーディオ
ヴェルディ:『乾杯の歌』 ケーキ屋のBGM
Karol Mossakowski:『Organo per Lazzaro』(映画オリジナル) 教会から聞こえるオルガン
バッハ:『われを憐れみたまえ、おお主なる神よ』(Erbarm dich mein, o Herre Gott) BWV 721 ラストシーン
音楽も素晴らしく、イタリア映画でもよくつかわれるバッハですよね。Casta Diva のメロディーもよかったです。
やっぱり、ラザロは天から使わされたのかしらと思ってしまいます。
参考)
映画の引用における転移と忘却
幸福なラザロ 映画レヴュー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます