Reflections

時のかけらたち

ヴィクトール・フランクル -1 ・・・ Viktor Emil Frankl -1

2024-08-30 23:59:28 | thoughts

 

 

NHK Eテレ「こころの時代~宗教・人生~ ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」
2024年4月から9月まで全6回で放送

若いころから何度も読もうとしては先に進めなかった本、「夜と霧」。
この番組があると知ってとても興味深く、読めなかった本の入門になればと思っていました。
ところが始まってから見逃してしまい見たのは3回から5回までであと6回を残すのみになっていました。

やっと時間ができた8月の終わりに録画してあった第4回を見て、そのあとNHKプラスで第5回を見ることができました。
NHKプラスの「こころの時代」のページでなんと1回から4回までのテープ起こしがあり、助かりました。見ていなかった
ホロコーストの時代の1回と2回を文字で知ることができました。NHKの粋な計らいです。

今回は久しぶりに見たフランクルの番組第4回から心に残った部分を載せておきます。勝田さん、小野さんの説明に
とても深いものがあり、ひとつひとつ新たな発見もしながら「夜と霧」の経験を経てさらに発展させてフランクルが
たどり着いた地点を知ることができました。

絶望の淵に立たされたとき、生きる意味をどう見いだせばよいのか?ホロコーストを生き延びた「夜と霧」の著者
精神科医ヴィクトール・フランクルの人生と思想から紐解きます。

「夜と霧」の著者の人生と思想から探る(4)人生という「砂時計」

講師/勝田茅生 (日本ロゴセラピスト協会 会長)
聞き手/小野正嗣(作家)
朗読/井上二郎(NHKアナウンサー)

「死ぬのは怖いですか?」「怖くはありません。本当に怖いのは『生きなかった』ことです。つまり、大きな意味で
正しいことや大切なことをする機会を十分に生かさなかったとしたら、深い悲しみを感じると思います。しかし、
自分に対して『多くのことを成し遂げることができた』と思えるのなら、これほど素晴らしいことはありません。」
(晩年のインタビュー)

勝田 やっぱり人間は、どういう態度で一日を過ごす、過ごしたかっていうことでずいぶん違うと思うんです。
それによってやっぱり(砂時計を)落ちていく砂の質も違ってくるような気がするんですね。

そういう、自分の時間の使い方、人生の使い方っていうのが、少し深まっていくっていうか、感謝して受け取るって
いうことによって、一日の使い方が違ってくるっていうような気がするんです。

小野 一日一日を、一瞬一瞬を大切に生きて、自分の心をすごく、ある種、こう、楽しく明るいものにしていこう
っていうことの一つの実践というか、そういう生き方の例として「日めくりカレンダー」があるっていうことですか。

勝田 そうです。ことに、たとえば高齢の方なんかは、「私なんか、もうこんな年取って、人の世話にならなくちゃ
生きられないから生きていてもしょうがない。もうできれば早く死にたい」なんて言う人がかなりいるんです。
そういう方にも、「一日のうちに良かった、ありがたいと思ったことを5つ、寝る前に考えて書き留めてください」
って言うのね。そうすると、「ちっとも何もいいことないですよ」なんて言いながら、だんだんだんだん、何か月も
経つと、そういう人たちも少しずつ練習ができてくるんですよね。そういう眼差しの練習というか。

小野 眼差しの練習。

小野 やっぱり、ご高齢になっても、その一瞬一瞬を大切にすることによって、その収穫が豊かになっていくっていう。
常に一瞬一瞬を。その一瞬は、すぐに過去になるわけですから。

勝田 何に価値を見出せるか、何に自分が感謝できるかっていうこと。

 「今ここで」っていうのは、仏教的な考え方、たとえば禅なんかでもものすごく強調する考え方だと思います。物事には
限りがある。それは儚いものだっていうふうな考え方っていうのは、やっぱり「今」「この時間」というものをすごく大事に
する、そこにつながるような気がするんですね、ロゴセラピーだけではなくて。

小野 そういう意味では、本当に「砂時計」のイメージはとても納得いく。

やっぱり上にある砂は有限ですよね。その限られた一粒ひと粒が落ちていけば、一瞬一瞬が大切にされて下に落ちて。でも、
だんだん上の砂は少なくなっていくから、この一粒、この一瞬を自分はどう生きるかっていうことが、より貴重で、よりかけがえ
のないものになっていくっていうことになるんですかね。

勝田 そう。だから、あるいは、また別の言葉で言うと、どういう人生を自分が作りたいと思ったか。それが実現できれば一番
いいわけですよね。

その根底として、やっぱりフランクルが言うには、どんな人間でも生まれたときに何かの使命を与えられている。ミッションを
持って生きる。だから、その人が最後までどういうミッションを持って生まれたかはわからないんですけれども、でも、(人生の)
全体を終えたときに、ああ、この人の生きた意味は実現されたというふうな、そういうふうな生き方になれば、それは一番理想的
ですよね。


自分の人生を振り返り、はたして自分はその役割を果たしているのか考えてしまいます。
死ぬときにならないと自分の人生がどうだったかを知りえないですね。

フランクルの死生観で死は新しい世界への扉のようなことが書かれていたのが、何かポジティブで素敵でした。
あのホロコーストの中、自分の使命を神(運命)から受け取り、ロゴセラピーを実践・確立していったフランクルの
強さを感じます。フランクルだけではなくそこで感覚がマヒするような体験をしても乗り越えた人々も同じです。
またそのような人間としての尊厳を傷つけることに巻き込まれてしまう恐ろしさも感じます。

 

シリーズ・フランクルVol.1~4をテキスト化して公開中

 

 

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夏のイベント (追記あり)・・・ summer event

2024-08-29 23:50:33 | seasons

8月18日

イタリア語のレッスンの後で、中級クラスと合同で暑気払いをしました。いつも日曜日には
お店がやっていなかったり、貸し切りになっていたりで行きたいお店にはなかなか行けないのですが、
カジュアルなイタリアンを楽しみました。

イル・キャンティ・カフェでまだ外は明るかったですね。




最後のワインはやさしいサーモンピンク色の ONDE ROSA 薔薇色の波・・
すてきなネーミングです。

皆さんイタリアには何回も行ったことがある方たちばかりなので、ローカルな話題も多かったのですが、
来年あたりみんなで行ってみたいという話が弾んでイタリア色一色。シチリア島と目的地が絞られて。
プーリアもいきたいけど・・ シチリアだけでも結構時間がかかるという話です。
私も生きているうちにご一緒したいです。イタリア語の先生と一緒だと心強いかも。
でももう習って何年たつのでしょう・・ 月一でも文法的には接続法まで来ました。でも単語を覚えていなくて
ボキャ貧です。いつもレッスンの時にクイズで単語を説明しなければならないのですが、英語しか出ない時も・・
名詞の性も覚えておかないといけないので単語も定冠詞と一緒に覚えておかなければなりません。

久しぶりに飲んで楽しい時間でした。


 


その翌週19日から23日までは珍しく予定が何も入っていなくて、カーブスに行ったり、今まで見れなかった録画してあった
番組や借りていたDVDも早く見て返さないととも思っていましたが、1日は見たかった西洋美術館に写本展を見に出かけました。
著作権の問題がないのかほとんどが撮影OK。今度ブログにアップします。
ボビンレースは行き詰っていて中断していました。

こころの時代の「宗教と政治」の討論会で知ったルーミーの本探しもして、図書館から借りたり、フランクルはシリーズでやっていた
ものですが、集中して見たり、文字に起こしてあったものを読んだりすることができました。

今限りなくイスラム文化にハマっています。



ルーミーの著書をやっと図書館でみつけました。神学者にして詩人。
ついでに子ども図書館でヨシタケ シンスケも借りました。いつだったか美術館での展覧会に誘われて
行けなかったものです。最近ヨシタケさんが生きづらさを感じていることを知りました。

そういえば図書館からの帰り道、後ろを歩いていた比較的若い女性二人が最近カーブスには行かなくなったと
話していて、なぜかと言うと高齢者ばかりだからと・・ 私でもびっくりするくらい高齢者が頑張っています。
ボビンレースの教室でもカーブスはデイ・サービスの一歩手前かという話。私は今これしか方法がないので
気にせず行っていますが・・・ アメリカ人のペンパルもカーブスに行っていたけど最近ジムが少なくなって
遠くに行かなければならなくなったのでやめたとか・・ アメリカでは縮小で日本では高齢者ターゲットに
盛況のようです。彼女はカマラ・ハリスと組むウォルツ氏の州、ミネソタに住んでいるので評判を聞いたり
しました。彼女はオバマ氏が大好きだった良識あるアメリカ人です。私の友人のことを hiking partner と
すてきな呼び方をしてくれました。時間ができてやっとe-mailを送ることができました。

 

8月25日

マンションの夏祭り。10年ぶりくらいに出てみたのかしら・・ お神輿が来るときは何回か行ったことがありましたが。




Photo by S


Photo by S

娘と二人、焼き鳥を食べて、涼んでいました。
マンションも若い人が増えて代替わりか・・シニア会もありますが子供がたくさんいると嬉しいですね。
夏休み中は広場でラジオ体操もしていました。

主人が初期の在宅医療で点滴をするときにお世話になった同じマンションに住む先生が、声をかけてきてくれました。
娘も大きくなったねと・・・。 あの大変な時期のことを思い出しました。最近は人間的な面の方をよく思い出して
いたところでした。


Sasazuka  → Shinjuku

追記)

夏のイベントで大事なのを忘れていました。

8月26日

小学校の時のミニクラス会が地元の居酒屋で行われました。
コロナにかかってしまって急遽来れなくなったYさんに会えなくて残念でしたが
あと仕事が入ってこれなくなってしまった男子も1名。

デイケアセンターのドライバーをしているY君が遅れてきて、乾杯しました。
男子は家にいづらいのかまだ仕事を少し続けている人がほとんど・・
私はなんだか飲み放題の生ビールから始まって、冷酒、カシスソーダ、最後はカルーアミルク
と結構飲んでしまって体重も↑。

また京都に行きたいねと言う話も出て、伊根旅行が実現出来たら嬉しいです。
道路ができたので京都から行きやすくなったとか・・

先輩が熱中症で亡くなってショックと言う話もあり、いきなり来る熱中症の恐さを改めて感じました。
年取ると自分の身体のコントロールが難しくなります。暑さの感覚とかなくなって来るようです。

Hさんは教習所に勤めていたので運転免許を取る時に大変お世話になった友達ですが、今回の高齢者更新でも
相談しました。その後、友人にも話したら、背中を押されてまた挑戦することにしました。車の動かし方を
忘れている私にはハードルの高い実地教習です。

Kugayama

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お茶の時間とボビンレースの時間、これからのスケジュール ・・・tea celemony, bobbin lace & scheduling

2024-08-28 23:59:38 | a day in the life

8月28日

8月も終盤です。
非常に強い台風が接近して、前回のお盆の頃の台風はあまり心配していなかったのですが、今回は気がついたら非常に
ゆっくり進んでいて、計画していた八ヶ岳に行く頃交通機関にも大きな影響が出そうで、一緒に行く方たちと相談して
残念だけど取りやめることになりました。昨日宿泊のキャンセル、今日はお茶の帰りにJRチケットのキャンセル手続きをしました。
新宿に出たついでに行きたかったこまつ座の舞台のチケットを取ろうと紀伊國屋チケットカウンターで聞いたら、そこでは完売。
ちょっと焦り、家に帰ってからこまつ座に直接問い合わせると数枚残っていたので申し込みました。10月のチケットなのに読みが
甘かったですね。

内野聖陽が芭蕉の一人芝居に挑戦。芝居は見に行きたいと思うことがほとんどないのですが、この舞台にはとても魅かれるもの
があります。若い頃はロイヤル・シェイクスピアや劇団四季、最近は歌舞伎や文楽、お能しか見ていません。
芭蕉は高校生の頃から好きだったし、孤独の中で生きる友人の芭蕉のように旅していきたいという思いに近づけるような気がして。


でも今回は『人は独りで生き、独りで死んでいくより他に道は無い』ことを極めるために苦吟した芭蕉さんです。
聞いただけでもすさまじい人生! 尻込みしそうです」と率直に明かした。 
・・・内野聖陽

今作は40年にわたる芭蕉の俳人としての人生を、一人語りを中心に富士三十六景になぞらえて全三十六景で描く。
めまぐるしい舞台転換、さまざまなシーンを支える黒子とも絶妙な会話を重ね、その人生を彩り豊かに表現する。

内野は「役者というのも孤独なお仕事です」と語り「井上ひさし先生の言葉の力、鵜山仁さんの熟練の演出、
そして黒子役の若い共演者と共に、芭蕉の人生に食らいついて、挑みかかって、俳諧で道を究めた芭蕉の人生を
あぶり出したいと思っております」と力を込めた。

また、演出を担う鵜山氏もコメントを発表。「『奥の細道』の序文には、『月日は百代の過客にして、行きかふ年も
また旅人也』とあります」と語り「芭蕉は旅する、ハイクする、というのが通り相場ですが、この旅は、おそらく人の
一生の射程を超えて、月日とともにどこまでも、銀河の果てまでつながって行くはずだと思います。そんな旅の道案内と
なるべく、アートがどんな役割を果たせるか、これがやはりわれわれにとっては、大きな関心事です。今回、内野芭蕉が
40年来の旅のタスキを受け継いで、悠久の旅路の船頭をつとめます」とつづった。
                      

                             内野聖陽 故井上ひさし氏作で一人芝居 日刊スポーツより

 

今日のお茶のお稽古は覚えることだらけで大変でした。もともと普通の所作を忘れているのと、それほど厳密
にやっていなかった40年近く前。一つ一つの流れが自然で無理のないようにできるようになりたいです。
袱紗捌き一つ美しくできません。全く。今日は平たい水指の上に最後に水を足してあることを示す袱紗を蝉のように
たたんでおくのを習いました。夏らしくかわいいです。麩饅頭も冷たくおいしかったです。
扱う時のものの位置・・特に今はひしゃくの扱いが難しく、茶杓の位置等もいつも適当になってしまっています。
扱う時の高さ・・・ 姿勢等。すべて体で覚えなくてはいけないので。
お稽古に行ってあの静かな空気の中にいる時間も好きなのですが、今日は頭にとどめようと思うのでなにか
余裕がなく、帰りに休憩したお店でメモを取りました。いつも帰ってからポストイットにたくさん書いて
小さなノートに貼っているのですが・・


今朝は運転免許更新後期高齢者用の更新のため認知症テストを申し込みました。免許証は一つのライセンスで
せっかく取ったのに、運転はしないのですが、返納は合点がいかなくて、考えた末再び更新。前回は3年前だったけど
10年近く運転していなかったのに、ペーパードライバー講習を受けてから、実地に臨みました。インターネットの動画でも
縦列駐車の切り返しを何回も練習して、同乗者にも上手と褒められ、無事終了。今年はそれにプラス認知症テスト。
前回で更新は最後かなと思ったけれど友人に背中を押してもらって再び挑戦することにしました。とにかく3年運転して
いないからまた練習しないといけません。

 

8月27日

ボビンレースのレッスンが久しぶりにありました。
新しいもののスタートは順調に乗るまで試行錯誤。結局減らしたワンペアを元に戻したりして、無事ローズグラウンド
の襟がスタートできました。襟は以前からやってみたかったものだったので取り掛かることができてうれしいです。
とても楽しみにしています。

 


お菓子作りの教室もできそうなルバーブのケーキを先生からいただきました。

下にラズベリーのジャムが敷いてあり、アクセントになっておいしかったです。

 


簡単なケーキしか焼かないのですが、最近はお菓子作りから遠のいてしまっている私です。
バーミックスのブレンダーの部品が一つ壊れてしまっているのを理由にしてしまっているのですが
暑いし、取り掛かるのになかなか気合がいります。

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伊勢路最終日は青空の通り峠と丸山千枚田へ ・・・aview of Maruyama Senmaida on a fine day 

2024-08-27 23:59:45 | wonderland

5月29日

やっと晴れわたった旅行最終日。
温泉の露天風呂から熊野川が見えて気持ちが良くて、珍しく朝も温泉に入ってしまいました。




ちょうどいい量の朝食のお弁当。




ホテルでお願いしていた送迎でタクシーだったけれど、千枚田通り峠でおろしてもらうことにして、
次のホテルのお客さんを乗せて10時頃来るから大岩あたりの展望台で乗せてくれるという話でした。
もし時間がかかりすぎたら、待っている場所を知らせることにしました。
帰りはバスとJRを使って熊野市駅まで行く予定だったので助かりました。熊野市駅までのバスは1日に3本しか
なく南紀との乗り継ぎも悪く、阿田和駅経由で帰る計画を立てましたが、それでもとても通り峠にまで行く
時間がありませんでした。



通り峠入り口バス停あたりです。


通り峠入り口近くまでタクシーできて、すぐ石の古道に入りました。


やっと熊野古道らしい道を歩くことができました。





前日の豪雨でまだ水が残り、滑りやすい道でした。



子安地蔵があるのが通り峠です。
峠は登り道だけなので、結構きついです。
このお地蔵さんの裏でお猿さんを見たと友達が言っていました。お供えをもらいに来るのかな?

ここから見晴らしのいい展望台には急な滑りやすい登り道が続きました。少しで着くかと思ったら
なかなか着きませんでした。

大変なところは写真を撮るゆとりがないのでいつも写真がありません。

着いた先がこの展望です!
カメラマンがたくさんいそうな丸山千枚田のベストスポットですが、誰もいなくて良かったです。






 

通り峠の反対側の登り口に降りてきました。帰りのタクシーを待たなければいけないので
帰りは猛スピードで降りましたが、普通の時間の2倍以上かかってしまいました。


頑張りました。

ここでタクシーに連絡して待つことにしました。
ラッキーなことにもう一組のお客さんはキャンセルこなったとのことで、歩けなかった丸山千枚田の近くでも
車を停めてもらって素晴らしい眺めを楽しみました。



 

 

 







七里御浜の朝日は素晴らしいよとタクシーの運転手さんが教えてくれました。



熊野市駅に着いて、近くでランチが食べられる店がないか探しました。
みつからなくて、インフォメーションセンターのようなところで教えてもらいました。

イカのフライや、お刺身が入ったお弁当です。


帰りの自由席、本数が少ない特急なので混んでいたのには驚きました。


紀勢本線からの眺めを楽しみながら・・・






 

名古屋で新幹線に乗り替えて、私は東京へ。
今回は結構大変だったので、自分でも限界かともよぎりましたが、友人が諦めたらそれっきりだから
頑張って少し筋肉をつけるようにしたらと励ましてくれました。

またこの素晴らしい景色をみるために膝を気をつけながら、頑張ってみようかと思いました。
下り坂にももっとなれなくては。

次回の伊勢路で実りの千枚田、借り入れの様子が見れたらいいのですが・・・

 

May 29  2024   Maruyama Senmaida

11,140歩  7.2km

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嵐の中の波田須の道(熊野古道伊勢路)・・・ walking Hadasu Road in stormy weather

2024-08-25 23:57:49 | wonderland

5月28日

伊勢路歩きの2日目。
前日の天気予報で雨とわかっていたので、計画を昨晩練り直しました。最初は畳のロビーのような休憩できる場所で。
消灯時間になったので友人の部屋で計画を立てました。こういう時間も楽しくて。部屋数の少ない民宿で混んでいたら
2部屋取れないとのことでしたが、ラッキーなことに一部屋ずつ取ることができました。一番のハイライトの馬越峠コース
は雨で石の古道は滑りやすくなっているので、歩きやすいと言われている波田須の道コースに変更。

朝の部屋からの海の眺め



朝食は前日の夕食で食べきれなかったしゃぶしゃぶも出していただけました。




どれもおいしく朝食とは思えない満足な食事でした。



若主人の運転の車で駅まで送ってもらえました。
とてもおいしい料理を作ってくれた方です。

三野瀬駅は一日に数本しか電車も通らないので無人駅。


新鹿駅で降りて、海岸の方に降りて行きました。
駅にトイレもなく、海水浴場のトイレに行ってからスタート。



荒れ模様の海にサーファーが一人・・・


そして反対側から歩いてきたブロンドの少女二人のバックパッカーに手を振って・・
何か仲間意識が働いてしまう・・・ こんな時に歩いている人なんていないから・・


ここの熊野古道は国道に入ったり出たりして進むので、その入り口がみつからず、延々と国道を歩いてしまいました。


本来ここには古道を歩いて出るところですが、国道と交差していてわかりました。
雨で歩きにくかったかもしれませんが・・


風雨は強くなってきて雨の中歩くのが大変でした。

 

ここでもトンネルの手前で上に上がらなくてはいけなかったのですが、トンネルをくぐり
ずっと国道沿いを歩いてしまいました。トンネルの上に上がるとトンネルの向こうに出るのではなく
熊野古道沿いの集落に向かう道となっていたのです。



海に入り組んだ地形を時々海を見ながら歩きました。


 




やっと徐福茶屋に着きましたが、閉まっています。テラスの方から荒れる海を眺めていました。



レインウエアは持ってきたのですが、リュックのカバーがなかったので彼が余分に持ってきていた
ポンチョタイプのレインコートを借りました。
オーバーズボンもはけばよかったと後から思いました。とにかく山歩きに慣れていない私です。







徐福の宮も見えます。



 

天気がすごく荒れていたので、これはもう波田須駅に向かうしかないという結論になりましたが、
その前に波田須神社に上がって、その上の道が熊野古道でしたが、戻る方向でした。その上の道を通って
神社に出るのが正解でした。雨もひどく、その坂道がとても滑りやすく急だったので私は大変でした。
やっと登ったのにここを降りるなんてもっと悲惨です。動けなくなった私を見て荷物を全部持ってくれて
あとは足元を杖にした棒で一歩ずつ押さえてくれて何とか降りることができました。彼も何をしたらいいのか
わからなかったのですが、また助けてもらいました。子供だったら駆け降りるよと笑われましたが。

そして波田須駅に向かう道も最初徐福の宮で休憩した時に下の方にある工事現場にあるような?トイレに
向かう時に通り、滑るのでもう泣きそうになった所です。これ以降荷物を持ってもらいましたが、私の荷物は前に背負った
ので中身は手帖までびしょ濡れになりました。

自分自身も下着までびしょ濡れ状態。こんなの初めてです。


やっと駅について、東京だったらタクシーを呼べばすぐ移動できますが、ここは人ひとりにも会わない
場所です。最初勘違いして、1時間後に臨時列車が来ると喜んだのですが、日にちを勘違い。なんと
3時間近くこの小さなスペースで暴風雨を絶えました。

私は賛美歌を歌ったり、彼は体操したり体を動かしていました。


持ってきたマドレーヌで何とか空腹を満たして・・
朝食にたくさん出ていてよかった。


風も強く、低気圧が通過して、時々入る交通情報で紀伊の電車も伊勢の方が普通になり
電車が来るかどうか心配でした。



 3時間の暴風雨を耐えた無人駅の小さな屋根(JRのHPより)

 

波田須の道は国道と古道が交差しながら進んでいて、とうとう古道の入り口をみつけられず、ほとんど国道を通り、最後に
波田須駅に向かう時に古道らしいところを通りました。

ここは是非もう一度行かないといけない場所と言う思いが一致して9月に行く計画をすぐ立てましたが、天候が心配です。

 

やっと来た電車に乗り熊野市駅に行きました。宿泊の入鹿温泉ホテル瀞流荘の送迎バスが16:30でしたが電車が16:33に着くことを
お知らせして待っていたバスに無事乗って宿泊地に向かいました。

夕食はお弁当のプランだったので、もらって部屋で食べました。
とにかくびしょ濡れだったので、とりあえず温泉に入ってから。

温泉宿のてんこ盛り料理はうんざりなのでちょうどいい量でした。

最終日の丸山千枚田は晴れそうで、やっと気持ちよく歩くことが出来そうです。
今まで天候が悪く熊野古道を歩くことはあまりできませんでしたが、ここでは通り峠があるので
そこに行ってみることをホテルで進められました。

 

May 28  2024  Kumano Kodo Iseji   (Hadasu)

 

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8月の短い軽井沢夏休み -4 ・・・・short summer holiday in Karuizawa -4

2024-08-24 23:57:42 | wonderland

8月17日

短い軽井沢夏休みの最終日があっという間にやって来ました。
台風も前日通過して、鉄道も問題なくてよかったです。

残り物で最後の朝食。

この後は掃除、ごみ捨て、戸締りを済ませて軽井沢駅まで行ってから旧軽とアウトレットに行く計画。

ごみ捨ての時に浅間山の裾の方が見えました。


最後に近くを一周して名残を惜しみました。


軽井沢駅から旧軽井沢に向かう途中、美術館のガラスに書かれていた言葉。

苦しんで、捨てて
さいご熟したとき
「無」を垣間みる

    篠田桃紅

途中混雑を避けて、テニスコートへの裏道を通って・・・


涼の音に着いたけれど、外に待っている人たちが何組か・・
コーヒーを飲みたかったのですが、待っているうちに早い昼食でもいいかと言うことになりました。



向かい側にある室生犀星記念館の苔がいつ見てもきれいです。
いつも世話している庭師の方がいます。


やっと中に入れました。



このお店はアジア系の人が多いです。中国人ですが台湾の方からかしら・・






やっぱりランチ。


パスタ美味しかったです。




娘にSnow で撮ってもらいました。唇を赤くして、しわは伸ばしたり白くしたり修正します。
そのレベル次第でコウメ太夫みたいになった写真があり、娘がギャグにスタンプ代わりに使うので
困ってしまいます。





旧軽の通りまで出て「ちもと」でお菓子を買って、再びテニスコートまで戻りました。


ここのジェラートは外せません。ミカド珈琲のモカソフトより好きです。


初めてユニオンチャーチの中に入って見ました。




諏訪神社も夏は花火大会がありますが、行ったことがありませんでした。



ユニオンチャーチを裏側から見て・・

陽ざしが強いので表の車が通る道は歩きたくなく、裏道を万平ホテル方面に行って
ささやきの小径を通って軽井沢駅方面に向かいました。


万平ホテルは去年から改修工事に入っていましたが、この前日から一部オープンになり、カフェもやって
いましたが、予約でいっぱいだとか・・ 私たちはただ改修後の万平ホテルを見てみたくて寄りました。
外から見てもケーキの棚は空っぽ近く・・
中も少し変わっていましたが、外観が以前のまま残していてほっとしました。またアップルパイを食べに
来たいです。

 

ここから先は矢ケ崎川沿いにささやきの小径を歩きました。

アウトレットでは買い物はなく、ひとつだけスポーツシューズを見ましたがピンとくるものがなく
あとは木陰のベンチで風に吹かれながら娘を待っていました。

そのあとでタリーズでお店の中で涼んでアフォガードみたいなコーヒーをいただきました。

5時過ぎの「はくたか」で猛暑の東京に戻りました。1時間で戻れますが、時間とは関係なく距離を
移動するのでやはり疲れました。

 

Aug.17  2024   Karuizawa

19,335歩 12.7km

 

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処暑に思う ・・・thoughts at the end of summer

2024-08-23 23:57:16 | thoughts

8月22日

処暑は​​だんだんと暑さが収まってくるころとされています。夏休みが終了し、新学期を迎える時期です。

実際には残暑厳しい時期とはいえ、暦上はすでに秋に入っている処暑。虫が鳴き始め、朝晩は今までより少し
気温が低くなってきて季節がまた変わり始めます。

夜は小さな音でマリア・カラスを聴く。

シャワーを浴びて寝ようか思っていたところ、去年も見たと思うけれど、TVでやっていたバタフライエフェクトの
アメリカ占領を見てしまいました。

 

財閥解体や農地改革を断行した連合国軍最高司令官・マッカーサーを、日本国民は「民主主義の父」と称え、
GHQ本部にはその姿を一目見ようと人々がつめかけた。そしてマッカーサーはアメリカ大統領への野望を
抱くようになる。しかし、世界で共産主義が拡大すると、アメリカは占領方針を180度転換する。
マッカーサーは日本の再軍備を進め、逆コースに舵を切る。そして突然の解任。マッカーサーの野望と挫折の物語。


日本はやっぱり今だにアメリカに占領されている。日本が敵国をすんなりと受け入れて行った不思議。進駐軍と言う呼び方。
そして昭和天皇がとても人間的に見えてしまう。

アメリカが統治で第一にすることは日本人の軍国主義のマインドコントロールとくこと。そして非軍事化と民主化だった。

アメリカが占領下ですぐ行ったこと。女性の解放(参政権)、労働組合の活動、教育の民主化(軍国主義の一掃)
圧政的諸制度(特高等)の撤廃(政治犯・思想犯の釈放)、財閥(経済機構)の解体。他農地改革(農民が土地を持てるように)等
・・日本は今の中国のような国だったかと想像できるすごく遅れた国だったのがつい半世紀前まで。

天皇制度をどうするかについては戦争が始まってすぐに戦後処理についてアメリカでは検討されていたことに驚く。
日本がまだ国をあげて戦うと団結していた時に。

マッカーサーは昭和天皇と会談し、昭和天皇が全責任は自分にあるという姿勢に感銘を受けたとのちに記録している。
アメリカ内部や世界に対して天皇を裁判にかけないよう努力をして、また国内巡幸を行い国民を励ますようサジェッションして
イメージアップを図っていた。

アメリカが戦争が始まって比較的すぐに戦後の日本をどうするか考えていた。日本が竹槍で訓練をしていた時に。
今でも占領されているような感じもしかたのないような、ふがいないような・・

アメリカは第二の日本の開国を行ったと思っているのだけど、マッカーサーは退任の時、アメリカ議会で感動的な
演説を行っています。

戦後日本国民は近代史に記録された中では最も大きな改革を体験してきました。

日本ほど穏やかで秩序ある勤勉な国を知りません。
また日本ほど将来人類の進歩に貢献することが期待できることも国もないでしょう。

日本国憲法についても、最初は日本政府に案を作成させていたが、保守的で変わりがないので、日本政府では民主的な
物が作れないとGHQ民政局が草案を作成する。

この戦争放棄の9条を全世界に私たち人類が進むべきただ一つ道と発信したい強い思いがあった。

この後、アメリカ政府の共産党への脅威から日本でも組合活動の制限など政策の変更があり、朝鮮戦争により
警察予備隊(自衛隊)が発足して再軍備への道へと逆行していく。

そんな中で朝鮮戦争の決着のために原爆使用を持ち出したためワシントンはマッカーサーを解任。その前にも大統領
選挙に担ぎ出されたりして共和党指名選挙で惨敗し陰りが見えてきていたけれど。

この番組の中で印象的だった言葉は先のマッカーサーのアメリカ議会での「老兵は去り行くのみ・・」に続く演説と
坂口安吾の言葉。

妙な話だが、日本の政治家が日本のためにはかるよりも彼が日本のためにはかる方がおおむね公正無私で日本人に
利益をもたらすものであったことは一考の必要があるでしょう。占領されることが幸運をもたらすという妙な経験を
日本はしたものさ。

マッカーサーが帰った後、昭和27年日本独立。


戦後生まれた私たちは、戦前の軍国主義の世の中を実際には経験していない。ただ民主主義に向かって日本が進んでいると
思ったけど、最近は時代が逆行していることに気が付き危機感を感じています。今のアメリカも自由の国でもなく
何か偉大な田舎という感じですが、それでも民主主義の糸口を与えてくれた国です。全人類のために作った平和憲法も
私たちは守っていく強い意志が必要です。日本が分割統治をまぬがれて間接統治だったこともアメリカのおかげだったのかも
しれません。日本が本当の独立国を目指して、まだまだ長い道のりです。

 

おまけ)
私が子供だった頃はアメリカのTV番組に囲まれていて、どうして私は日本人なんだろうと思ったくらい(笑)
ポピュラーソングもアメリカのものがほとんど・・・ 映画がたくさん公開されるようになったのも
アメリカの政策だったのを知りました。日本にアメリカの暮らしを見せたかったとか・・・

今の私は日本の文化の深さを知るようになりましたが、子供の頃はアメリカの大衆文化がどっと入り、
なんと私は大学では米文学専攻。ヨーロッパにもずっと魅かれていました。

 

 

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8月の短い軽井沢夏休み -3 ・・・・short summer holiday in Karuizawa -3

2024-08-22 23:39:41 | wonderland

8月16日

軽井沢3日目でやっとちゃんとした朝食。
高原野菜のシャキシャキレタスにトマト、ソーセージにトースト。
それにもらったベビーコーンもアンチョビと野菜のドレッシングで。


食後の散歩。
夜中はいつも豪雨。軽井沢らしい気候が続きます。

鳥の声はするのだけれど姿がなかなか見れなくて。











この丸い葉っぱは何かしら? ユキノシタ?



今日見たかったのはツルリンドウです。



まだ咲いていました。







確かウメガサソウが終わった所と去年教えてもらいました。
咲いているところが見たかったです。






続けて丸山珈琲の方に行けそうだったので行ってしまいました。
前回行くのにかなり迷ってしまいましたが、今年はポイントをチェックして迷わず行けました。
自転車でも迷ってしまう南ヶ丘あたりです。

丸山珈琲は義理の弟がコーヒー好きで連れて行ってくれたのが30年以上前。40年くらい前かな?
軽井沢と言えば丸山珈琲だけど、今はハルニレテラスにあるのでそこに行けば飲めるし、エロイーズカフェ(現在は建物保存
のため休業中)でも出していました。



開店前だったので、庭の花を見て待ちました。
ここにもレンゲショウマが・・













ここでは軽井沢駅近くのケーキ屋さんのケーキが頂けます。
お菓子に合う珈琲をペアリングしてくれるのでそれをいただきました。

とてもおいしいコーヒーでした。今まで飲んだ丸山珈琲の中で一番おいしかったです。
夏に合う軽いものでした。

コーヒー豆の名前はホセ・アントニオ・グアルクアン深煎り(コロンビア)でした!






従弟に連絡して、これからプリンス通りの「きりさと」というお蕎麦屋さんに向かうと話すと
リフォームの見積もりが終わったので、お蕎麦屋さんまで来るということで合流することに
なりました。

しかしここからゴルフ場の周りをまわってそこまで出るのに時間がかかってしまいました。
今まで自転車か車でしか移動していなかったので、歩きでどのくらいか見当がつかず・・
おまけに私の方向感覚が狂ってプリンス通りに出たら反対方向に曲がってしまいました。
今までよく通り過ぎていたお店なのに。

従弟の方が先に来ていて名前を書いて待っていてくれました。しかし中に入れるまで1時間近く
外のベンチで待たされました。そんなに大きい店ではないけれど、お蕎麦って打って、茹でて、結構一人前
作るのに時間がかかるものと改めて思いました。


私と娘はくるみだれにハマっているのでそれを注文。
こしがあり、蕎麦の香りがするおいしいものでしたが、待たされすぎ。



帰りは従弟の車に乗せてもらったので助かりました。往復だと結構な距離になります。


従弟は土日に東京で用事があるので真夜中に帰ると言っていたので、夕方しばらく家に来て話していました。
彼にとっても懐かしい家です。みんなで使っていた祖父の別荘です。

この日は新幹線も終日計画運休があった大型台風が日本に近づいた日でした。私たちも翌日東京に戻る予定でしたので
心配していましたが、大したことはなさそうです。このお盆の時に運休を決めてしまったり、南海トラフ臨時地震情報も
ハッキリしないネーミングでどうしたらいいかわからないものでした。災害を予知するのは難しいことで、言われたところで
どうしたらいいかわかりません。

 

夕食は何も作らず、レトルトのマッサマンカレーとズッキーニと茄子のソテーだけ。
お米だってサトウのごはん。今回ほど手抜きはない軽井沢です。3泊だと食材を買っても
余ってしまいます。

夜はTVでやっていた京アニのアニメ「聲の形」を見てみました。あのおぞましい事件で初めて京アニ
を知って、その後、TVで放送された映画「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見たことがあるだけでした。

説明の部分が少ない映画でしたが、コミュニケーションをとるのが苦手な二人の距離が縮まっていく様子が
描かれていて、「生きることを手伝ってほしい」と言う言葉が美しくて心に響きました。
映画の中のシーンで昨年養老の滝に行ったときに外から見た養老天命反転地が出ていたように思って後から
調べたら大垣市が舞台でそのようでした。あの時、養老の滝だけ見て、時間がなくて友人が行きたかったみたい
でしたが行けなかった場所です。荒川修作とパートナーのマドリン・ギンズの作品です。

 

Aug. 16  2024   Karuizawa 

8,378歩  5.7km

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空想の宇宙の中で ・・・ in an imaginary universe

2024-08-21 23:59:00 | thoughts

今週は土曜日にベルカントだけがあり、珍しく自由な日々。紫苑さんのブログも久しぶりに見て、変わらず
健康や経済に関する発信をされていて納得の連続。 お金で手に入れることができるのは「時間」と「自由」。確かに。

9月の伊勢路歩きのために行きと帰りのチケットを取って、計画は確定。台風が来ないことだけを祈って。
スケジュールも余裕をもって配分しました。

ずっと迷っていた伊勢路の後で行われる北村朋幹の宗次ホールでのコンサート。プログラムがすごく魅力的で
悩んだあげく、昨日の深夜に残り少なくなっているチケットを予約。名古屋は北村朋幹の出身地でいい小さな
ホールがいくつかあります。シューベルト、武満徹、ヤナーチェク、リストという聴きたくなるようなラインアップ。
伊勢路旅行中は横浜でフォーレがあり、これも魅力的ですが行くことができません。来年のショスタコは妹と
一緒に横浜でのコンサートに行く予定で、10月にはフォルテピアノで弾くシューマンとリストを東京で聴くことに。
現在はサントリーホールで現代音楽の初演をやっていてチケットはsold out。現代曲とロマン派を弾くことができる
北村朋幹のために作曲した曲とか。現代曲はちょっと苦手意識があるけれど北村さんの弾く現代曲は聴きやすいのは
自分のものにしているからだと思う。

北村朋幹に聞くサントリーホール サマーフェスティバルでのアルディッティとの共演、細川俊夫・パレデスの曲への挑戦

 

10月以降私の歌舞伎シーズンがやっと戻り、玉三郎+仁左衛門の舞台を見ることができます。


 

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ** 

今日は杉原千畝の映画を録画するために、内臓の予約スペースがぎりぎりなのでたまっていた録画してあった番組を
少し見ることにしました。「こころの時代」のフランクルか「宗教と政治」どちらかにしようかと思い、後者にしました。
他にはランダムにしかとっていなかったのですが、「舟を編む」の第7回。ここまでしか撮っていなかったのですが、言葉に
まつわる面白い番組で映画の方がずっとインパクトの強いキャストですが、時代に合わせ、そして時間が長い分、より丁寧で
おもしろいです。いつか地上波でやってくれないかしら・・・

こころの時代の討論はとても面白かったのですが、アラブの方はやはり歴史が長いので、理解が追いつかないです。とにかく今の紛争の

芽がアラビアのロレンスの時代にまでさかのぼるのですから一筋縄ではいきません。ウクライナの方はわかりやすいけれど。
録画してあったのは8回だけでしたが、キリスト教信者の中村哲のことばが印象に残り、そして初めて知ったルーミーからイスラム文化
への興味が再び湧いてきました。若い頃、勤めていた事務所があった経団連会館の図書館でイスラムの暮らしや文化について、確か
女性の著書だったように記憶しているのですが、面白く読んだことがありました。イスラム教の女性蔑視の感覚は時代遅れとしか
言いようがありませんが、文化レベルの高かった影響力の強い世界でした。その日常生活まで書いてあった本だったように思います。

討論会でルーミーの詩を読んでみたいと思ったのですが、日本ではあまりなく、絶版だったり、超高値でネットに上がっていました。
解説書をブック・オフで予約して、討論会でも参加していた宮田律の「イスラムがヨーロッパ世界を創造した」、友人のお薦めの
井筒俊彦の「イスラム文化」と小野純一の解説書を図書館に予約しました。コーランを訳した井筒俊彦を言う天才が日本にいたのですね。
若き大江健三郎も強い衝撃を受けたとのことです。800年前の詩人ルーミーの本は入手困難なので、「愛の旅人: 詩人ルーミーに魅せられて」
を読むことにしました。昔ジブラーンの「預言者」という詩集に魅せられたことがありましたが、ルーミーはペルシアで最も有名な詩人
と言われています。

小野純一「自由なる思考を求めて『井筒俊彦 世界と対話する哲学』」

シリーズ徹底討論 vol.8「宗教と政治」 「他者」とどう向き合うか

初回放送日:2024年7月7日

宗教の本質を問う「徹底討論シリーズ」の第8回。今回は、世界の宗教を取り巻く「他者排除」の現状を踏まえながら、宗教が互いに
認め合い、共存する道筋を探ってゆく。 現在ヨーロッパ各地で見られるイスラム排除など、宗教をめぐる「他者排除」が世界各地で
起きている。そうした対立を乗り越え、宗教が互いに共存するには、どうすればいいのか?中東情勢に詳しい宮田律氏、ドイツの
トルコ系移民に詳しい内藤正典氏、アジア諸国の文化交流政策に詳しい小川忠氏、フランスが専門の宗教学者・伊達聖伸氏
キリスト教と国際政治の関係を研究する松本佐保氏、宗教学者の島薗進氏とともに考えていく。

【徹底討論シリーズ】VOL.7&8「宗教と政治」世界各地で起きている紛争やテロと宗教の関係は?人々を分断や暴力に向かわせるもの
とは何か?世界の宗教と政治の関係を徹底討論 | こころの時代 | NHK

現在、世界各地で起きている紛争やテロ。その背景には、宗教対立があるとも言われている。しかし、本当に宗教が人々を分断し
暴力に向かわせる要因となっているのか?そして、人々を分断に向かわせるものは何なのか?アメリカ、アジア、ヨーロッパ、
中東など、世界に視野を広げて、宗教と政治の関係について、世界各国の事情に詳しい専門家6人が徹底討論する2本シリーズの
第1弾。 【出演者】 島薗進(宗教学者・東京大学名誉教授)、内藤正典(地理学者・同志社大学大学院教授)、宮田律(イスラム
地域研究者・現代イスラム研究センター理事長)、伊達聖伸(宗教学者・東京大学大学院教授)、小川忠(国際政治学者
・跡見学園女子大学教授)、松本佐保(国際政治史学者・日本大学教授)

【徹底討論シリーズ】VOL.7&8「宗教と政治」世界各地で起きている紛争やテロと宗教の関係は?宗教がお互いを認め合い共存する
道筋とは?世界の宗教と政治の関係を徹底討論 | こころの時代 | NHK

現在、世界各地で起きている紛争やテロ。その背景には、宗教対立があるとも言われている。しかし、本当に宗教が人々を分断し
暴力に向かわせる要因となっているのか?そして、宗教がお互いに認め合い、共存するにはどうすればいいのか?アメリカ、アジア
ヨーロッパ、中東など、世界に視野を広げて、宗教と政治の関係について、世界各国の事情に詳しい専門家6人が徹底討論する2本
シリーズの第2弾。 【出演者】 島薗進(宗教学者・東京大学名誉教授)、内藤正典(地理学者・同志社大学大学院教授)、宮田律
(イスラム地域研究者・現代イスラム研究センター理事長)、伊達聖伸(宗教学者・東京大学大学院教授)、小川忠(国際政治学者
・跡見学園女子大学教授)、松本佐保(国際政治史学者・日本大学教授)

 

「舟を編む」でも出てきたセレンディピティという言葉。以前から好きな言葉ですが私にもよくある連鎖です。
ドラマの中で先に進んでそこから見る景色を楽しもうという励ましにも取れる言葉も気に入りました。

 

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ** 


先週のイタリア語ではレッスンの後暑気払い。夢はイタリア旅行に飛び、これからイタリアに行く中級の仲間をうらやましく思いながら
数年後のシチリア旅行計画を描きました。毎年イタリア旅行を目指すMさん。昨年はサルディニアでこの円安になんともうらやましく。
死ぬまでにイタリアとスペインだけには行きたい!(ブータンは観光税が高すぎ、健康を考えてgive up) 夢を見るのは自由。

先生から西洋美術館の写本展がとてもよかったとのメッセージがあり、中世の時代に浸ってみるのもいいかと思いました。
以前から貯と行きたかった展覧会ですが、今週の日曜が最終日とか・・

 


 

 

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8月の短い軽井沢夏休み -2 ・・・・short summer holiday in Karuizawa -2

2024-08-20 23:58:16 | wonderland

8月15日

夜早く寝るので、朝は5時過ぎくらいに目が覚めます。
朝の空気が神秘的です。明け方鳥の鳴き声がして、雨が上がったことを知ります。


朝食は家から持ってきたズッキーニと茄子を焼いて、家に合った最後のレタスとハム。
あとはクリームチーズだけ。レモンとオリーブオイルでドレッシング代わり。前日パンを買い損ねたので、パンなし。
最近はパンを食べないでサラダやスープだけのことも多くなったので全然OKです。

しかし、今回みたいに食糧難のスタートはないですね。卵も持ってこなかったし・・



 

お腹がすいちゃったので、先に食事をして、まだ7時少し過ぎですが、散歩に出かけました。
前日、着いた日の夕方、従弟と少し話した後、近くに散歩に出ようと歩き始めたら、雨がポツポツ降り始め
慌てて戻ったら、あとは豪雨のようにすごい雨になったので、翌朝行くことにしていました。


 
 






 



安藤忠雄建築研究所が設計した別荘はまだ建っていませんでした。





何やら庭に待合のような建物があり、茶室があるのかと思わせる別荘もありました。






 
 

散歩の帰りに従弟の所によると発地市庭まで買い出しに連れて行ってくれるというのでラッキー。
食料を仕入れることができます。交通手段がない私たちにとって大変助かります。

発地まで行くと、まだ開店前なのに長蛇の列。従弟も中に入ったら、もうトウモロコシが売り切れていたなんてことも
あると話していました。彼は仕事も半分リモートなので軽井沢にはよく滞在しているので生活感があります。

中に入れたら、やはりとれたてのトウモロコシの山に人が群がって争奪戦になっていました(笑)

地元の新鮮な野菜を手に入れて、他のものはツルヤで買うことにしました。
ヨーグルトや牛乳、パン、ソーセージ、ドレッシング等。

 いとこからトウモロコシを分けてもらいました。初めてのベビーコーンも。

 

そのあと一緒に、どこかでお昼を食べようということになり、近くのイタリアンがまだやっていなかったので、
とりあえず買ったものを家に置いてから、佐久の眺めのいいイタリアンに行くことにしました。





ジンガラというお店で、ここでも開店前ですが、駐車場は満杯。外の椅子に座って待っている人がたくさんいました。
最初に半分くらい中に案内されて、少し時間をおいてから、入ることができました。

遅い方がラッキーで眺めのいい、2階への案内でした。



 
 

リコッタチーズたっぷりの包み焼はとてもおいしかったけど、もうおなかがいっぱいで、少し残った包み焼を持ち帰りにしてもらいました。




 雲が取れたら浅間山がきれいに見えるすてきな場所です。


お腹がパンパンでもう後は帰るだけ・・

娘が夕方トンボの湯に行く予定と言うと、いとこが連れて行ってくれるとのことで助かりました。
いつもタクシーを使うのですが、この時期なかなかタクシーもなくて。ちょうど彼もお盆休みでゴルフも取れなくて
時間があるとのこと。

佐久からの帰り道はいろいろな畑がありました。

 

家に戻ったら再び散歩。食べ過ぎで歩かないではいられません。
また違うルートを歩きます。



 
 
 
 軽井沢にレンゲショウマが増えました。モミジガサは珍しかな。

 

 トンボの湯で疲れを取りました。


ハルニレテラスまで行って、最初は早い夕食を取る計画でしたが、おなかは全く空かなくて
予定していた希須林は休みだったので帰ることにして、迎えに来てもらいました。



 
 




ハルニレテラスではジェラートだけ食べて待ち合わせ場所のトンボの湯の前に戻りました。
結局お腹がいっぱいで夕食は取る気がしなかったのですが、トウモロコシだけレンジをかけておこうと思ったら
おいしそうで、少し食べました。

8月15日の夜はNHKのドキュメンタリーを見ていたらやはり目をそらすことができず、私が生まれる少し前に
起きた悲惨な戦争の現実にくぎ付けになりました。サイパンで縦走した家族の話や特攻で死ななければならなかった
若い世代の人たち。普通に暮らしていた人たちの記録が一番こたえます。中島飛行機で勤労動員の自由学園の女子学生
のことも紹介されていました。そのあとの岸辺一徳の出ていたドラマも見てしまいました。ドキュメンタリに比べたら
ソフトに作られていましたが、あの時代に対する後悔の気持ちが強く表れていました。

私が花巡りに横山先生の花巡りに参加させていただいて、多くの花を知ることができましたが、その時に先生が必ず
戦争体験の話をしてくださるのが貴重でした。語り続けてつなげていかなければならない大事なことです。

 

Aug. 15  2024   Karuizawa & Saku

 9,836歩 6.5km

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