また4:00amに起床。
小田原で停車するその日最初の新幹線を捕まえて、兵庫県三田市の母のところに行く予定。
本日の音楽。
まだ若いけど、彼らの歌はなかなかいいよ♪
IL VOLOといいます。
二番目に出て来るピエロ君がかわいらしい。
**********
お出かけの準備をして、妻にクルマでJR藤沢駅に送ってもらった。
あぁ~眠い。
小田急江ノ島線の江ノ島駅近くを通過中。
駅の1日の始まりなんて見たことないあなたへ。
JR東海道線藤沢駅の1日はこうやって始まるのです。
改札前のシャッターは閉まっている。
ヒマである。
ひな鳥の声がどこからか聞こえる。
駅の高い天井には鳩除けの金属がびっしり取り付けられている。
それでも鳩夫婦は住まいを確保したようで、ここからピーピーひな鳥の声が聞こえてくるのでした。
お父さん鳩かお母さん鳩かしらないけれど、彼らは忙しくひなを世話している。
我々人間もだが、鳩も生きて行くのが大変だ。
まだ改札に入れてもらえない。寒いわぁ。
これがJR藤沢駅の改札前のシャッターが開いた瞬間。
朝の5時前にはホームについたが、まだまだ小田原行きの電車は来ない。
東海道線のホームにあるNEWDAYS(JR東日本系のコンビニ、キオスク)はこんなの。
やがてやって来た藤沢駅を通る最初の東海道線下りの電車で小田原へ。
小田原到着。6:00am前から賑わうJR小田原駅。
いつ見てもこの提灯、立派だねぇ。
JR小田原駅内を通路で移動。JR東海道線のホームとJR東海道新幹線のホームは、その間に小田急線のホームを挟んでいて、東海道から新幹線への乗り換えにかなり距離を要する。
新幹線側の小田原駅に入る。
朝からかまぼこを売っている。
かまぼこを見ていると猛烈に腹が減って来た。
起床から2時間経っているのだ。
かまぼこを食うわけに行かず、焼きそばパンとお茶を購入。
うまいねぇ。東華軒(小田原市の食品製造会社)の焼きそばパン。「これでもか!」と焼きそばが詰め込んである。少々食べ難いくらいな状態のそばとパンのコンビネーション。その食べ難さを伴ったボリュームで、満腹感。
高校生の時、私はこの焼きそばパンとカレーパンばかり食っていた。
来たぞ、ひかり号。
これに乗って新大阪駅へ。
新大阪駅の構内。こちらはJR在来線の駅構内。
いつもダイハツ車が展示されている。
商都大阪。人が行き交う。観光客も多い。
さて、乗り換え。新大阪駅から大阪駅へ移動しましょう。
新大阪駅上空は雲一つない快晴。
途中で乗り換え、すごいスピードでJR三田駅へ到着。
降車する人の数が少ない。
中途半端に田舎な郊外の街、三田。
こちらではグローバル・スタンダードと同じエスカレーターの右側立ち。左側立ちの東京がヘンなのだ。
駅前の阪急系ビルへ。私は阪急大好き。
母の好きそうな袋入りお菓子をいっぱい買って、タクシー乗り場へ。入院中の母に会いに行くのである。
母はここ8年ほどひとり暮らしをしてきた。年齢(83才)なりにあちこち体にガタが来ているが、それに加えて今年春からパーキンソン病のゆるい症状が出て来たので、その薬を飲み始めた。新たに与えられた薬を正確に飲めば驚くほど母の調子はいい。パーキンソン病など無いが如しだ。しかし多種多様な薬を時間ごとに正確に「昼食前にはこれ」「昼食後にはそれとあれ」と飲んで行く作業は高齢な母には難しいらしく、それを失敗してしまった。一旦飲み始めたパーキンソン病の薬を飲んだり飲まなかったりすると、恐ろしいことに意識が薄れ、実際に見えない人やものが見え、手足の動きが鈍って転倒を繰り返してしまうことになる(ヘタすると骨折して寝たきりになりかねない)。一人暮らしでは、そうなると食事もまともにとれない。
転倒して朦朧としているところを通いのヘルパーさんが発見、以前からこの病気で通っていた兵庫県三田市内の大きな病院に担ぎ込まれた。そんなわけで、ここのところ私は結構な頻度で三田市を訪れている。入院中は当然薬をスケジュールにしたがって飲ませられるので、母はみるみるうちに回復して、この日も病院内をスタスタ歩いていた。
ご覧の画像(↓)は母の病室から見る三田市の風景。
今回私が三田市に行った最大の目的は母の新居探しである。
退院後、母のひとり暮らしはもはや無理と病院も判断。退院後はケアつきの住宅で暮らすことになった。以前からお世話になっているケースワーカーさんや入院中の病院の担当者さんと、私の間で相談が繰り返された。今回の訪問直前に母の公的介護レベルが「要支援」から「要介護2」へアップするというややこしさもあって、入居する住宅選びについてもケースワーカーさん達の判断によるところが多かった。
病院から外出許可をもらい、タクシーで母と一緒にその候補先の一つを見学しに行った。
24時間の見守りがつく高齢者向け住宅を見学する。食事と薬の管理をきっちりしてもらえることが必要で、あとは環境や間取りや設備の充実ぶりと予算で判断すればよい。
ひとつの施設をゆっくりと見学した後、再びタクシーに乗り和食レストランへ。母は病院の食事から久しぶりに解放され、喜んだ。
私はまずはプレモル。
病院から外出許可をもらうには、私が責任をもって薬を飲ませることが条件となっていた。
この日、昼食前に薬が1つ、昼食後に別の薬がもう1つ必要だった。
画像は昼食後に飲む薬。テーブルの上に出しておかないと、飲ませるのを私まで忘れそうだ。
私の釜めし御膳。
おいしそうなかき揚げ付き。プレモルと一緒に食べる。うまい。
母は「私ね、肉が欠乏してるねん。ステーキを食べるわ。病院はお肉をあんまりくれはらへんねん」と言う。
黒い鉄板の上でサーロイン・ステーキと野菜を焼く。
元気そうでなにより。どんどん肉を食べなはれ。
これは私の釜めし。
「あちこち見ても仕方ないし、午後から見る予定だったところはキャンセルして、さっき見た新築のピカピカで、病院が経営しているところにしたら?」と私が言うと、母が「そうするわ」と言った。
薬のおかげで母は元気とは言え、一度にたくさんの用事をこなすのは母にとっては疲れることなのである。
ということで、先ほど見たばかりのケアつき高齢者住宅の施設長さんに電話して、再度、部屋を詳細に見せてもらうことにした。
【つづく】
小田原で停車するその日最初の新幹線を捕まえて、兵庫県三田市の母のところに行く予定。
本日の音楽。
まだ若いけど、彼らの歌はなかなかいいよ♪
IL VOLOといいます。
二番目に出て来るピエロ君がかわいらしい。
**********
お出かけの準備をして、妻にクルマでJR藤沢駅に送ってもらった。
あぁ~眠い。
小田急江ノ島線の江ノ島駅近くを通過中。
駅の1日の始まりなんて見たことないあなたへ。
JR東海道線藤沢駅の1日はこうやって始まるのです。
改札前のシャッターは閉まっている。
ヒマである。
ひな鳥の声がどこからか聞こえる。
駅の高い天井には鳩除けの金属がびっしり取り付けられている。
それでも鳩夫婦は住まいを確保したようで、ここからピーピーひな鳥の声が聞こえてくるのでした。
お父さん鳩かお母さん鳩かしらないけれど、彼らは忙しくひなを世話している。
我々人間もだが、鳩も生きて行くのが大変だ。
まだ改札に入れてもらえない。寒いわぁ。
これがJR藤沢駅の改札前のシャッターが開いた瞬間。
朝の5時前にはホームについたが、まだまだ小田原行きの電車は来ない。
東海道線のホームにあるNEWDAYS(JR東日本系のコンビニ、キオスク)はこんなの。
やがてやって来た藤沢駅を通る最初の東海道線下りの電車で小田原へ。
小田原到着。6:00am前から賑わうJR小田原駅。
いつ見てもこの提灯、立派だねぇ。
JR小田原駅内を通路で移動。JR東海道線のホームとJR東海道新幹線のホームは、その間に小田急線のホームを挟んでいて、東海道から新幹線への乗り換えにかなり距離を要する。
新幹線側の小田原駅に入る。
朝からかまぼこを売っている。
かまぼこを見ていると猛烈に腹が減って来た。
起床から2時間経っているのだ。
かまぼこを食うわけに行かず、焼きそばパンとお茶を購入。
うまいねぇ。東華軒(小田原市の食品製造会社)の焼きそばパン。「これでもか!」と焼きそばが詰め込んである。少々食べ難いくらいな状態のそばとパンのコンビネーション。その食べ難さを伴ったボリュームで、満腹感。
高校生の時、私はこの焼きそばパンとカレーパンばかり食っていた。
来たぞ、ひかり号。
これに乗って新大阪駅へ。
新大阪駅の構内。こちらはJR在来線の駅構内。
いつもダイハツ車が展示されている。
商都大阪。人が行き交う。観光客も多い。
さて、乗り換え。新大阪駅から大阪駅へ移動しましょう。
新大阪駅上空は雲一つない快晴。
途中で乗り換え、すごいスピードでJR三田駅へ到着。
降車する人の数が少ない。
中途半端に田舎な郊外の街、三田。
こちらではグローバル・スタンダードと同じエスカレーターの右側立ち。左側立ちの東京がヘンなのだ。
駅前の阪急系ビルへ。私は阪急大好き。
母の好きそうな袋入りお菓子をいっぱい買って、タクシー乗り場へ。入院中の母に会いに行くのである。
母はここ8年ほどひとり暮らしをしてきた。年齢(83才)なりにあちこち体にガタが来ているが、それに加えて今年春からパーキンソン病のゆるい症状が出て来たので、その薬を飲み始めた。新たに与えられた薬を正確に飲めば驚くほど母の調子はいい。パーキンソン病など無いが如しだ。しかし多種多様な薬を時間ごとに正確に「昼食前にはこれ」「昼食後にはそれとあれ」と飲んで行く作業は高齢な母には難しいらしく、それを失敗してしまった。一旦飲み始めたパーキンソン病の薬を飲んだり飲まなかったりすると、恐ろしいことに意識が薄れ、実際に見えない人やものが見え、手足の動きが鈍って転倒を繰り返してしまうことになる(ヘタすると骨折して寝たきりになりかねない)。一人暮らしでは、そうなると食事もまともにとれない。
転倒して朦朧としているところを通いのヘルパーさんが発見、以前からこの病気で通っていた兵庫県三田市内の大きな病院に担ぎ込まれた。そんなわけで、ここのところ私は結構な頻度で三田市を訪れている。入院中は当然薬をスケジュールにしたがって飲ませられるので、母はみるみるうちに回復して、この日も病院内をスタスタ歩いていた。
ご覧の画像(↓)は母の病室から見る三田市の風景。
今回私が三田市に行った最大の目的は母の新居探しである。
退院後、母のひとり暮らしはもはや無理と病院も判断。退院後はケアつきの住宅で暮らすことになった。以前からお世話になっているケースワーカーさんや入院中の病院の担当者さんと、私の間で相談が繰り返された。今回の訪問直前に母の公的介護レベルが「要支援」から「要介護2」へアップするというややこしさもあって、入居する住宅選びについてもケースワーカーさん達の判断によるところが多かった。
病院から外出許可をもらい、タクシーで母と一緒にその候補先の一つを見学しに行った。
24時間の見守りがつく高齢者向け住宅を見学する。食事と薬の管理をきっちりしてもらえることが必要で、あとは環境や間取りや設備の充実ぶりと予算で判断すればよい。
ひとつの施設をゆっくりと見学した後、再びタクシーに乗り和食レストランへ。母は病院の食事から久しぶりに解放され、喜んだ。
私はまずはプレモル。
病院から外出許可をもらうには、私が責任をもって薬を飲ませることが条件となっていた。
この日、昼食前に薬が1つ、昼食後に別の薬がもう1つ必要だった。
画像は昼食後に飲む薬。テーブルの上に出しておかないと、飲ませるのを私まで忘れそうだ。
私の釜めし御膳。
おいしそうなかき揚げ付き。プレモルと一緒に食べる。うまい。
母は「私ね、肉が欠乏してるねん。ステーキを食べるわ。病院はお肉をあんまりくれはらへんねん」と言う。
黒い鉄板の上でサーロイン・ステーキと野菜を焼く。
元気そうでなにより。どんどん肉を食べなはれ。
これは私の釜めし。
「あちこち見ても仕方ないし、午後から見る予定だったところはキャンセルして、さっき見た新築のピカピカで、病院が経営しているところにしたら?」と私が言うと、母が「そうするわ」と言った。
薬のおかげで母は元気とは言え、一度にたくさんの用事をこなすのは母にとっては疲れることなのである。
ということで、先ほど見たばかりのケアつき高齢者住宅の施設長さんに電話して、再度、部屋を詳細に見せてもらうことにした。
【つづく】