花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

国立西洋美術館「プラド美術館展」サクッと感想(2)(^^ゞ

2018-03-25 01:20:59 | 展覧会

この展覧会の副題が「ベラスケスと絵画の栄光」なので、まずはベラスケス作品から(^^ゞ

今回の展覧会には宣伝文句にあるようにベラスケス作品が7点出展されており、静物画を除いた各章にベラスケス作品が配されている。ボデゴン(厨房画)などの静物描写力の素晴らしさを知っているだけに、ここはちょっと寂しいものがあるのだけどね

さて、今回出展のベラスケス作品の制作年は殆ど1630年代に集中しており、マドリード宮廷時代作品であることが了解される。例外はセビーリャ時代1619年制作の《東方三博士(マギ)の礼拝》だけなのだが、実は私的に一番興味深い作品はこのベラスケス初期作品なのである。何故ならば、カラヴァッジョの影響を色濃く見ることができるのだから

 

ディエゴ・ベラスケス《東方三博士の礼拝》(1619年)プラド美術館 

画面左前方から光は中央の幼子イエスへ向かう。聖母子を周囲から際立たせる明暗表現(テネブリスム)やその自然主義的リアルな人物表現など、カラヴァッジョの影響がビシバシ感じられてしまう。初期のベラスケスは本当にカラヴァッジェスキと言っても良いように思えるのだ。

更に、私的にどうしても気になるのは横顔を見せるヨセフであり、その視線は幼子に向けられているようにも思われるが、何故かカラヴァッジョ《ラザロの蘇生》における(イエスではなく)光源の方を見る横向きの男をも彷彿させるのである

カラヴァッジョ《ラザロの蘇生》(部分)(1608-09年)メッシーナ州立美術館

ちなみに、この作品の登場人物は画家の身近な人々をモデルにしていると考えられているようで、手前の博士はベラスケス自身、その後ろの博士は岳父のパチェーコ、聖母は妻(パチェーコの娘)、イエスは生まれたばかりの娘らしい。なにやら、マンテーニャ《神殿奉納》を踏まえたジョヴァンニ・ベッリーニ、更にマリアーノ・フォルトゥーニまで通じる、画家の家族への記念碑的作品の系譜に連なるような気がしてしまった

で、美術ド素人の私にはよくわからなくて困っていることがある。実は、参考としてロベルト・ロンギ「ベラスケスの《聖トマス》と16・17世紀のイタリア-スペイン関係」を読んでいたら...

「若いベラスケスに関連して、カラヴァッジョやカラッチョーロではなく、リベラの名前を持ち出そうとするする説明はスタンド・プレー以外の何物でもないだろう。それは、リベラが、セビーリャの画家の総合的な精神とは、考えられる限り逆の精神の持ち主であったということを理解していないうえに、年代の点でも調停しがたい難点があるということを考慮していない。リベラの名声がナポリで固まるのは、1610年代も終わりのことにすぎず、したがってその時にはすでにベラスケスは一人前の画家になっていたのである。」(ロベルト・ロンギ『芸術論叢Ⅱ』より)

ベラスケスとリベーラの精神の違いって何なのだろう??接点はなかったのだろうか?? 誰か教えていただけると嬉しいのだけれど...