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花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ご報告。

2013-12-29 22:04:25 | Weblog
仙台に戻った。マンションをリフォームし、引っ越しを終え、ようやく落ち着いたところだ。


定禅寺通り「光のページェント」


「せんだいメディアテーク」の中から見る

しかし、寒さ&忙しさもあり、段ボール箱の山はなかなか崩せない。ブログも更新したいのだが、資料がどの箱に入っているのか探すのが大変(^^;;。年末年始でなんとかしたいと思う。

ご無沙汰、申し訳ありませんでした。

2012-04-22 01:12:00 | Weblog
すっかりご無沙汰をしてしまい、申し訳ありませんでした。

去年8月初めに兄の遺体が見つかり、母は行方不明のままですが、ふたりの葬儀をばたばたと済ませました。やはり精神的に引き籠ってしまい、ブログも放置したまま休んでしまいました。もう元気になったので、ブログを再開したいと思います。

で、韓国の「ヴァティカン美術館展」が中止になったことをお知らせします。私も期待していたのですが、本当に残念です。ガセネタになってしまい、申し訳ありませんでした。<m(__)m>

東日本大震災

2011-05-11 23:45:35 | Weblog
3月11日の東日本大震災から2ヶ月経った。石巻の実家は津波で流され、母と兄が未だ行方不明のままである。義姉は職場が高台で助かり、それだけは幸いだった。GW初めに、身内だけで仮の49日をささやかに弔い、なんとか心の整理をつけてきた。

ブログを休んでいる間、たまたまネットの「ほぼ日」から吉本隆明による旧約聖書「ヨブ記」講演会の記録を聴いた。

吉本は「ヨブ記」の「神」とは「自然」のことなのではないかと言う。当時のメソポタミア地域のアニミズム信仰が一神教へ移行する過度期に成立したのではないか、とも。

確かにヨブが与えられた不条理とも言える過酷な試練は「自然」による災いだと考えると納得できる。ヨブの前に顕現した神が言う訳のわからぬ言説も…。人知の及ばぬところに「神=自然」は在る。

今回の大震災で色々と思うことは多かったが、とにかく今生きていることを感謝し、今を大切にしながら進むしかないと考えるようになった。




メリー・クリスマス!

2010-12-24 00:29:47 | Weblog
皆様、メリー・クリスマス!

ご無沙汰していたら、あっという間にクリスマスになってしまった。その間に、ようやくエコポイント期限すべり込みでアナログTVからデジタルTVに買い換えることができ(でも12月納品)、そのための事前大掃除(電気屋さんが来室するから)によりPC前が本や荷物の物置き場になり、やっとこの休みの掃除でPC前に座れるようになった。

さて、そんなわけで12月は美術展にも行く暇もなく、PCも触れず、仕事と掃除の日々。でも、まだ12月は終わっちゃいない。今年最後の美術展は何になるのだろうか?

お盆の帰省

2010-08-22 04:12:27 | Weblog
先週、お盆の帰省をしてきた。金曜からの2泊3日という短いものだったか、久しぶりに食と読書を楽しむことができた。(いつもは粗食だし、最近は読書する暇もなし(^^;;)

■食
友人のるふなさんと食事をした「うめ治」の限定ランチが感動もの!女性が喜びそうな少しずつ何種類もあるお料理・デザートがテーブル上に運ばれた時は目が喜んでしまった(笑)。特に竹筒入りの茶碗蒸しはタピオカが入っているのか、プチプチ食感が面白く山椒の薬味も効いて美味しい♪それに食後の紅茶付きで1,050円(税込)だなんてリーズナブル過ぎ(感涙)。るふなさんの話だと、通常はマダム客が多くあっと間に売切れてしまうそうで、お盆中ということでラッキーだったかも。(るふなさんに感謝!)

 

さて、帰省の楽しみのひとつは「ホヤ」を食べること。ホヤは東北から北海道で食されているようで、東京ではなかなかお目にかかれない。それに東京では新鮮なホヤに当たったことがない(高級店に行けないし)。ということで、今年も我が家行きつけの和食店でホヤのお造り(ホヤ酢)を食べて大満足♪
で、翌日はフレンチということで、鮮魚苦手の義姉もニコニコと出かけたら、何とオードブルにホヤが登場! ホヤとグレープフルーツを合えたもので、私的にはこの意外な組み合わせは美味しかったのだが、義姉はもちろんダメ(^^;;。おかげで2人分を胃に収めることができた♪


ホヤとグレープフルーツのオードブル

■読書
塩野七生さんのマルコ・ダンドロを主人公にした殺人事件シリーズは単行本になった時点で既に読んでいたのだが、あまりに昔なのでストーリーがすっかり記憶から飛んでしまっていた(^^;;。ということで、兄の本棚からごそごそと埃を被った3冊を探し出し読み始めた。もちろん、目的は『法王庁殺人事件』(朝日新聞社・刊)の再読。パウルス3世の息子であるピエル・ルイージ・ファルネーゼとその長男アレッサンドロ枢機卿が登場だもの。

塩野さんの小説ではアレッサンドロは利発で性格の良い少年として描かれている。ところが、「カポディモンテ美術館展」がらみで再読したロベルト・ザッペリ著『ティツィアーノ【パウルス3世とその孫たち】』(三元社・刊)では逆に嫉妬深さが強調されており、なかなかに興味深いのだ。


『法王庁殺人事件』             『ティツィアーノ【パウルス3世とその孫たち】』

それに、ザッペリは以下のように述べる。
「ニーチェが彼の著書『アンチ・クリスト』で、ブルクハルトの影響で判断を誤り、挑発的にも「教皇としてのチェーザレ・ボルジア」を、決して到達しえなかったルネサンスの頂点として描き出した時、彼は思いちがいをしていた。「あらゆる価値の価値転換」という命題は、まさにパウルス3世が自ら設定したあの目標(ファルネーゼ家のパルマ・ピアチェンツァ公国設立)に他ならず、アレクサンデル6世の息子であるあの惨めで向こう見ずな男チェーザレ・ボルジアのものではない、ということにニーチェは気づいてなかった」

いやはや、挑発的だこと(笑)。塩野七生さんとロベルト・ザッペリの視点はかなり違っているようで、これもまた読書の面白さと言えるのかもしれない。

丸善「松丸本舗」

2010-01-31 02:47:22 | Weblog
千鳥ヶ淵にあった山種美術館は私の好きな美術館のひとつであった。過去形なのは引越し先がどうにも気に入らないから(^^;;;

だって、千鳥ヶ淵の頃は桜並木やお堀を眺めながらの散歩ができたし、隣組(?)のイタリア文化会館に寄り道することもできたし、二期倶楽部のカフェでお茶することだってできたのだから。そして、そのカフェではお茶しながら松岡正剛氏のセレクト書店も眺められたのだ…。

ということで、今日(昨日)、久しぶりに丸善丸の内店に本探しに行ったついでに、噂の書店中書店「松丸本舗」なんぞを覗いてしまった。

松岡氏らしい知の一大饗宴とも言える書籍の数々が所狭しと犇いている。幅広いジャンルから選ばれた本の凝った並べ方を興味深く見ていたら、アート関係の棚にありましたね、カラヴァッジョ本が数種(笑)。棚には、バロックとロシア・アヴァンギャルドに注目!などという謳い文句までが書かれていた。カラヴァッジョとマレーヴィッチだったら、ミステリー「名画消失」じゃない?と、思わずツッコミたくなる(笑)

ちなみに、ロシア・アヴァンギャルドとイタリア未来派ってなんだか似ているように思えるのだけど、これって私が現代美術音痴だからだろうか?(^^;;;

さてさて、「松丸本舗」を一巡りして帰ろうと思ったら、本舗入口付近の平台に話題の確率本「たまたま」と、関連本らしい2種類の本が並んで平積みされていた。で、思わずその装丁に目が釘付け!


「確率で言えば―日常に隠された数学 」青土社 (2001/02)
ジョン・A. パウロス (著), John Allen Paulos (原著), 松浦 俊輔 (翻訳)
(原画:ヒエロニムス・ボス(コピー)《いかさま師(マジシャン)》サンジェルマンアンレー)


「なぜ金融リスク管理はうまくいかないのか」東洋経済新報社 (2009/9/18)
リカルド・レボナト (著), 茶野 努 (翻訳), 宮川 修子 (翻訳)
(原画:カラヴァッジョ《いかさま師(カードプレイヤー)》キンベル美術館)
【参考】原書の装丁(カラヴァッジョ同作品だが、レイアウトが若干異なる)

いやはや、確かに関連本ではあるが、装丁まで関連しているなんて、懲り過ぎ!!(笑)

謹賀新年

2010-01-03 23:33:02 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年はかなりサボってしまいましたが、今年は何とか頑張りたいと思います。
そりゃあ、何と言ってもカラヴァッジョ没後400年ですしね(^^;;

で、話は変わりますが、元旦にTVでウィーンフィルのニューイヤー・コンサートを見ました。毎年、曲に合わせたバレエ・シーンが登場して目を楽しませてくれますが、今年は美術史美術館がバレエの舞台でした。(YouTube画像→ここ

エントランスから2階へ...踊り手達が移動したのはヴェネツィア派の展示室!ティツィアーノ作品の前でのバレエというのは殊更に嬉しいものでした♪

それで思ったのですが、ブリューゲルやデューラーが背景じゃ色気は無いし、ラファエッロじゃ端正すぎてポルカやワルツに似合わない、同じくバロック絵画は重過ぎる。だってカラヴァッジョ《ロザリオの聖母》前なんて想像できないでしょ(笑)

ということで、やはり色彩豊かで官能美漂うヴェネツィア派が一番しっくり似合うのだと納得したのでした(^^)

なんとか復帰しました。

2009-11-22 03:10:35 | Weblog
すっかりブログ後無沙汰してしまいましたが、なんとか復帰しました。
コメントやメールへのご返事が大変遅くなり、本当に申し分けありませんでした!!<m(__)m>
頭痛・目の痛みから始まり、色々なことが重なって、PCからずっと離れていました。なんだか浦島太郎のような気分です(汗)。

忌野清志郎さん葬儀式

2009-05-10 03:30:48 | Weblog
5月9日、青山葬儀場で行われた忌野清志郎さんのファン葬儀式に行ってきた。


会場看板

午後1時前に乃木坂駅に着いたのだが、既に延々と参列するファンの長蛇の列が続いており、その列は根津美術館前交差点を折り返し地点とし、また乃木坂に戻るという壮大な迂回路を呈していた。ファンたちは炎天下の下辛抱強く立ち続け、のろのろと進む。

列の中には頭をピンク色に染めた青年やら子連れのご夫婦やら…ファン層の広さが良くわかる。まわりには関西からの駆けつけ組みも多く、北海道から来た方もいた。清志郎だからこそ参列するので、ファン葬はこれが最初で最後だと言う方ばかり。清志郎を慕うファン各々の強い想いが延々と続く列に込められているのだ。

列の中で私は昔観たライヴ・シーンを色々思い出していた。いつのライヴだっただろうか、珍しく初期の「ヒッピーに捧ぐ」を演奏したことがある。せつせつと感情を込めて歌う姿には凄みが漂い、会場は息を呑みながら歌の世界に引き込まれていた。清志郎のヴォーカリストとしての深さを強く印象付けられた曲だった。いつもは元気いっぱいエネルギッシュなロック・ステージを見せてくれるだけに、バラード曲が返って心に残るのかもしれないが…。

さて、ようやく会場に入場できたのは午後5時半ごろだった(5時間ぐらい並んだことになる(^^;;;)。ロック葬ということで会場にはRCの曲が流れ、清志郎(イマーノ)のイラストで有名な「ヒトハタウサギ」の巨大な風船人形が出迎えてくれた。


ヒトハタ(一旗)ウサギ

献花式の行われる屋内に入場するまでの間、流れる清志郎の歌声にあわせ、皆それぞれ歌っている。その時、「雨上がりの夜空に」になった。すると歓声があがり、一際大きな合唱になった。私もなんだかウルウルしてくる。

屋内会場に入場すると、最後の遺作になったラジオ局用の曲が流れ、祭壇には清志郎の遺影と御位牌、御骨、そして、全国を廻った自転車、愛用のギター、ドラム…今は形見となってしまった品々が並ぶ…。
でもね、一番ショックだったのは御骨になった清志ちゃんを見たことで、もうステージでジャンプしたり、マイクを振り回す姿が見れらないのだと、まるで最後通告されたようで辛かった。

遺影の清志ちゃんはネクタイを締め、ちょっぴり照れたような微笑を浮かべている。シャイな清志ちゃんらしい素敵な写真だ。


参列者は会葬カードと引き換えに遺影と同じ写真カードを頂戴した

献花し、ご冥福を祈りながら、心から「ありがとう!」と手を合わせた。去年の武道館に行けなかった私は、この一言だけでも最後に告げたかったのだ。

会場を出ると、乃木坂駅からのファンの列はまだ続いていた。凄いなぁ、清志ちゃんは。こんなに沢山の人々を魅了し、心だけでなく、行動として動かすことができるのだもの。忌野清志郎は日本一のロッカーだぜ!

忌野清志郎さんを悼みながら...

2009-05-06 17:08:49 | Weblog
帰省した5月2日の夜、テレビのニュースで忌野清志郎さんの早過ぎる死を知った。再び倒れたと聞いた時も、きっと元気に復活してくれると信じていたのに...。本当に、本当に、悔しく、残念でならない。ご冥福を心から祈りたい。(合掌)


初めてRCサクセションのライヴを観たのは81年夏、菅生(SUGO)での“ロックンロール・オリンピック”だった。「ぼくの好きな先生」を除けば当時ヒット中の「トランジスタ・ラジオ」ぐらいしか知らなかったのだが、友人が見逃せないよ!と誘ってくれた。それではと出かけたてみたら…そのパワー溢れるステージにもう完全に魅了されてしまった。清志朗が聴衆を巻き込みながら歌い踊りジャンプする….RCの楽曲、叩き出すリズムに私の足も地を蹴り跳んでいた。


私のバイブル本

その夜、菅生に宿泊する私たちは敷地内ホテルのレストランで食事をしながらコンサートの余韻に浸っていた。ところが、そこに出演者たちがぞろぞろ…ハウンドドック、ARB、生活向上委員会のメンバー、そしておもむろにRCが…。まさか打ち上げ会場だったとは!

RCは私たちの隣のテーブルに座った。シャワーを浴びすっぴんになった清志郎はエネルギッシュなステージからは想像できないほど静かで、にぎやかなのはチャボの方だったかもしれない。私たちは恐る恐るサインと握手を求めたのだが、いやな顔を見せずに応じてくれた。私は着ていたTシャツの背中にサインをしてもらった。


サインしてもらったTシャツ

握手した清志郎の指は白く細く、黒のマニュキアが印象的で、その感触は天使の羽に触れているような軽さで…静かな微笑みを浮かべた姿には後光が射していて…その時、清志郎は「天使」なのだと思った。

2009年5月2日、天使は空に踊り、そして消えた。お月さま おねがい...