遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『アノマリー 水鏡推理』 松岡圭祐  講談社

2016-12-20 14:06:12 | レビュー
 水鏡推理は早くも第4作である。この作品の奥書を見ると、書き下ろしの作品であり、内容は文庫版の『水鏡推理Ⅳ アノマリー』と同じと記されている。単行本と文庫本が同時発売されたようである。単行本は2016.10.14の第一刷発行。こんな出版のしかたもあるのか・・・。それはさておき、今回の筋立ても結構楽しめる。

 気象分野の研究事実の間にフィクションを織り交ぜて構築されたこの第4作も実におもしろい展開に仕上がっている。今回は気象の予測精度という観点がストーリーの重要な軸となり、気象予測という分野の状況が俎上にのぼっている。特に山の天候の予報が外れることへの影響、登山者の遭難・生死の問題が長期的な気象予測や気象制御の研究とからめて構想されている。それがまた一捻りした構造のストーリー展開故に面白い。

 アノマリー(anomaly)という英単語を辞書で引くと、「変則;異常;変則的[例外的]なもの[こと];<生>異形(特徴的型からのずれ);<理・気>偏差;<天>近点(離)角」(「リーダーズ英和辞典」)と説明されている。
 気象学では、科学的に実証はされていないが、10月0日は毎年ほぼ晴れるというような天気の特異日が存在するという。これを一種のアノマリーと呼ぶそうである。「アノマリー。法則や理論と比較し説明不可能な事象のことだった」(p317)本書のタイトルである「アノマリー」は具体的には天気の特異日を象徴しているのである。そして、このタイトルに使われているアノマリーが、この小説の重要なキーワードであり、トリックの要となっている。その持つ意味がトリックに使われているやり方に、説明されるまで気づかなかった。トリックの核心を明かされて、なるほど!である。

 ストーリーの展開について触れていこう。
 冒頭は少女少年院収容者4人が富士山の5合目から頂上を目指して登山を始めるシーンの描写から始まる。おのおの15歳の女子4人-鹿沢由惟・池居杏那・須堂渚・阿島鈴菜-である。まず彼女たちのかなり具体的なプロフィール描写が行われる。なぜそれぞれの氏素性をかなり克明に書き込むのだろうという思いが最初に起こった。しかし、このプロフィールの積み上げが、後の八甲田山での遭難の可能性という展開において様々な人間関係の柵に関わって行く背景になる。
 少女少年院に入っている彼女たちがなぜ富士山登山なのか? それは、初等中等教育局初等教育企画課の統轄補佐である片倉宏之が発案企画した「女子少年登山プロジェクト」の試行なのだ。具体的実行は、NPO法人、非行ソリュート・ラポール・センターの代表、濱浦俊久と、少女4人とは別の少年院で法務教官を務める富永紀香が担当窓口となり、4人をサポートしている。このプロジェクトは、たんなる登山ではなく、夏から秋にかけての3ヵ月の間に、挑戦する山岳の難易度を上げていき、その過程を本人たちに記録させ、登山の経緯をSNSで公表し続けるという企画だった。最終課題の達成までが、非行少年への更正手段であり、この課題を達成すると更正のための長期処遇を短期にあらためるという意図があった。少年院に収容する人数を減らしたいという意図を秘めていた。この登山プロジェクトは非行少年に更生の機会を与える方策と位置づけられていて、その最初の試行なのだ。

 富士山登山が成功すると、そのときの4人の少女少年が登山の行程で自ら撮った動画や写真をSNSで発信していくという形がとられた。SNSを介して徐々にそのプロジェクトの進行状況が浸透し、その試行に対する関心が高まっていく。4人は自分たちの登山中の苦しい顔や状況をクローズアップして撮っていた。そして4人はルックスが優れている子ばかりだったのである。併せて、登山中の景色なども撮っていた。
 4人は、安達太良山、月山、伊吹山を次々と登山し、八甲田山の登山を行うことになる。

 登山の予定日は、日本気象協会では雨で悪天候となると予報したのだが、民間予報会社プレシアンス社の予報は午後から晴れるというものだった。プレシアンス社の予報を利用して4人は八甲田山の登山を始めた。だが、天候の悪化により遭難した可能性が高まっていく。水鏡はこの少女少年4人の遭難事態に関わらざるを得なくなっていく。それはなぜか?

 平成5年に気象業務法が改正され、解説予報業務が完全自由化され、許可事業として民間予報会社(=予報業務許可事業者)が予報を実施できるようになったのである。株式会社ウェザーニューズやウェザーマップなどが事実存在する。これらは実態として気象庁官僚などの天下り先になっている。この民間予報会社としてプレシアンス社が急速にシェアを伸ばしていたのだ。業界を席巻する存在になったのだ。
 一方で、前年に気象予測についてのコンペが厳正な手続きの下で実施され、一定期間の中で民間予報会社の予測を提出した。プレシアンス社の予報の的中率が飛び抜けて高かったことからコンペで1位となっていたのだ。
 だが、「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”に配属されている総合職の浅村琉輝(りゅうき)は、このプレシアンス社が公表している予報モデルに疑問を持ち、調べていたのだった。新ガイドライン策定が忙しい中で、手が空いている一般職は水鏡だけだということで、彼女は浅村の仕事を手伝う羽目になる。
 その手伝いとは、1ヵ月間の気象予報データのチェックだった。気象関係知識のない水鏡は浅村から説明を受けながら手伝い仕事に取り組む。しかし、それは1晩の残業での手伝いに終わってしまう。水鏡は翌朝まで職場に泊まり込むことになる。
 なぜ、1日限りの手伝い仕事になったのか? 浅村はその翌日から忽然と姿を消したのだ。一種行方不明の状況になる。だが、かなりの分量の紙類が入った定形外の封印した封筒を何も言わずに水鏡のハンドバックに入れて、託していたのである。封筒の表には「預かっておいてください。誰にも見せないように」と、ボールペンでの几帳面な筆跡の文面を記して・・・・・。

 たった1日の仕事の関わりだけであった浅村が重要そうな資料を託して消息を絶つ。この縁がきっかけで、水鏡瑞希は、浅村失踪の謎に入り込んでいく。そのためには、プレシアンス社の情報についての収集、霞が関で事情を嗅ぎまわることから始めて行く。その結果、気象庁の総務部情報利用推進課に所属する一般職の藤川豊が瑞希に協力していく結果になる。
 八甲田山のある地域の気象予測は日本気象協会が悪化の予報をしたのに反し、プレシャンス社は天候が晴れに向かうと予報する。このプレシアンス社の予報を利用し、少女4人は登山を開始し、天候の悪化の中で遭難の危機に遭遇する。少女たちが撮影した動画ががSNSを通じて発信される。そして、それが途絶えることになるのだが、クローズアップして撮られた写真の背景に、一瞬だが浅村の顔が映っていることを水鏡は発見する。
 ここから事態がさらに急転回していく。遭難の事態が発生すると、経験上救出は72時間が生死の限界と言われているのである。
 藤川が協力してくれているというものの、水鏡瑞希の孤立無援な謎解き行動が時間との競走の中で始まっていく。一日、浅村との仕事に関わった因縁を理由にして、八甲田山の遭難救出活動の現場まで、ほぼ日帰りで出張することも始める。

 この小説のストーリー展開にはいくつかの観点が折り込まれ、それらが絡まり合っていくいくのがおもしろい。
1. 水鏡や浅村は、”研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”に所属する。プレシアンス社は民間予報会社であり、また、「女子少年登山プロジェクト」の企画は別の部局の主管である。タスクフォースという観点で、彼らが他組織体の主管事項にどういう関わりとなっていくのか? 官僚組織における業務の範疇、縄張りという観点での関わり。

2.なぜ浅村が八甲田山での少女たちの登山写真に写っていたのか?
 それは浅村が調べていた気象予測、プレシアンス社の予報自体との関わりであるはずだ。だが、なぜそれが「女子少年登山プロジェクト」と関係するのか?

3. 動画に浅村が写っていたことが省庁内の幹部たちにどういう影響を及ぼしていくか? 官僚視点から、その事態にどう対応していくか? 官僚の行動の価値観と対処方法の実態という観点。

4. 山での遭難事故に伴う低体温症がどういう状況を呈するのか? 72時間のタイムリミットとの関連がどのように描き込まれていくか? 遭難事故への対処方法、関係者の動きという観点。
 この小説の冒頭で、4人のプロフィールが詳細に描き込まれるが、実際のストーリーの中で、4人の遭難の可能性のある行動を描写する場面は意外と少ない。遭難の可能性という状況に対応する人々の側の様々な局面および水鏡の思考と行動という観点から描かれる。

5. 「女子少年登山プロジェクト」の推進については、その窓口側の官僚の観点もある。その意義について国会審議での対策が必要となる。文科省の生涯学習政策局、生涯学習推進課。民間教育事業振興室に所属する総合職の徳塚淳はその国会対策を担当している。
 彼がその準備のために、一般職の力をどれだけ必要かという観点が描かれている。気象予報の問題が争点に関係することから、プレシアンス社の急速なシェア拡大とその予報についての情報収集を必要とする。徳塚がその点を切り出すと、一般職の安藤が手回しよく、文科省と気象庁との連携から、情報収集先との段取りをつけていた。それは、文科省の主導で実施された「渇水対策のための人工降雨・降雪に関する総合的研究」の担当部署である。文科省内に気象庁からの出向している総合職の官僚がいるという。この総合研究は、第二期の研究が終了したが、まだ実験データの分析中であり、担当部署が存続するという。
 気象庁にコンタクトして情報収集するのは手続きと手間暇がかかるが、文科省が絡む部署なら、情報収集しやすいというあたり、官僚の発想の観点がおもしろい。勿論、民間企業でも類似の発想はあると思うが・・・。
 水鏡が八甲田山現地へ出張し、そこで現地入りしていた浅村の母親から、水鏡は浅村が自宅に残していたメモのなかに、科学技術・学術政策局の萩山・堀辺の名前と内線番号があったことを知る。この2人は、徳塚が情報収集の対象とした総合的研究の関係官僚だった。水鏡は出張報告をした猪橋特別室長を介して、この2人に会うことになる。水鏡のこの2人からの情報収集が気象予報の業界や気象現象自体について、謎の解明への一歩踏み込んだ理解への契機となっていく。
 「渇水対策のための人工降雨・降雪に関する総合的研究」という観点では、官僚がある目的のために予算を獲得するやり方の裏話的な切り口も折り込まれていく。この局面もまた、官僚の生態の一面をアイロニカルに描いていることになる。

 これらの観点が複雑に絡まり合ってストーリーが進展して行く。そして、水鏡は「虎穴に入らずんば・・・」式に、己の推理の先を確かめるために、虎穴に飛び込んでいくことになる。アノマリーという語が謎解明のキーワードとなり、官僚たちの結託の構図が暴かれていく。後半はまさに一気読みさせる興味と面白さに溢れている。
 
 この第4作にも、変わらず”研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース”が平成25年8月、文部科学省内に設置。現在も実在するということが内表紙の裏に記されている。
 この記載がありながら、現在の官僚機構が内在する弊害の側面がアイロニカルにストーリーに織り込まれていく。これはある種の社会諷刺としても興味深い。国家公務員の中の総合職と一般職の関係と職種間の確執、一般職の仕事に対する達成感の問題、総合職の個人が不正を働く上での価値観や感覚、総合職の予算獲りの実態など、リアル感に溢れているように思う。例えば、次のような類いの記述が随所に織り込まれていく。
 25歳の一般職事務官、水鏡瑞希が総合職の課題の手伝いとして残業し、職場に泊まり込んでしまうというストーリー展開の描写。 (p51-p63)
「一般職が死ぬほど働いて達成した業績を、総合職はかっさらっちまう。」(p73)
「総合職どうしが顔を合わせると、互いの利害が絡まり、話が脱線しがちになる。そんな状況につきあわざるをえなかった。」(p147)これは瑞希の立場の描写。
「過去に裁判長がこう発言したから、財務省としてこのように判断した。その命題が定まっているうちは、状況を覆すことはできない。・・・・前例さえ作ってしまえば、幹部ですら流れには逆らわない。」(p252)
「・・・ならば実現可能と信じる政治家に、夢を見させつづけ、財務省から予算を引き出す。利口で現実的、効率的なやり方を選ぶことに、なんの迷いが生じるだろう。
 そのためには、どんな調整にも手を染める。判例すら操作し、財務省の通達を変更させる。官僚なら誰でも試みること。ただ程度の問題だけだった。・・・要領よく立ちまわり、組織での地位を獲得しながら、経済的成功にも恵まれる。国家公務員としての理想の生き方だろう。」(p309)
などである。
 一方で、一般庶民が官僚に抱く誤解の側面-高い給料、特権的待遇、左団扇-という点についても、言及している。「事実はほど遠い。民間に労働時間の短縮を啓蒙する厚労省ですら、百時間ぐらいの残業が当たり前だった。国家公務員に労働基準法は適用されない。過労死しても文句はいえない。有給は存在しないも同然だった。出勤日に休みをとったことにして凌ぐ。国家ぐるみの出勤者帳簿の改竄。霞が関では常識のひとつに挙げられる」(p36)と。だが、そういう省庁の官僚が民間企業の超過残業を追及するというのも逆転したアイロニーを読みながら感じてしまう。
勿論、国家公務員の経験はないので、この風刺的描写について、小説と世間の見聞などからの想像で、そういう面が実態としてあるだろうという感想の域をでない。しかし、このシリーズの特色である研究費、ひいては税金の不正使用への批判的視点からの切り込みはおもしろい。研究費予算獲得に対する官僚の実態描写は実に興味深い。ここらは、フィクションとして虚実皮膜で描き出されているが、巨大な官僚組織のどこにでもありそうな・・・・・官僚よ、ふざけるなと言いたくなる。だから国民の監視が重要なのだろう。

 ご一読ありがとうございます。

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この小説の背景にある、現実世界の事実情報をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
予報業務の許可について  :「国土交通省 気象庁」
予報業務の許可事業者一覧(気象・波浪)  :「国土交通省 気象庁」
ウェザーニューズ ホームページ
ウェザーマップ ホームページ
1.覚醒! 民間気象情報会社の本来の役割 :「ハレックス」
民間気象事業者等の健全な発展  pdfファイル
人口降雨  :ウィキペディア
渇水対策のための人工降雨・降雪に関する総合的研究 :「JCSEPA」
 文部科学省 科学振興調整費 重要課題解決型研究
国内外の人工降雨・降雪の取り組み pdッファイル
  気象研究所物理気象研究部第一研究室 村上正隆氏 平成19年 公開シンポジウム
液体炭酸散布による人工降雨実験の事例報告 -2012年2月27日の実験-
   守田・真木・鈴木・脇水・西山 共著  学術の動向 2015.2
人類を滅ぼす可能性も!?天気を操作するメリットと恐ろしいリスクとは 
         :「NAVERまとめ」
もしかして…最近の異常な集中豪雨は中国の人工降雨の実施か! :「NAVERまとめ」
少年院  :ウィキペディア
少年院  :「法務省」
宇治少年院・京都医療少年院訪問記  :「愛知県弁護士会」
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(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

これまでに読み継いできた作品のリストです。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『水鏡推理』  講談社
『水鏡推理Ⅱ インパクトファクター』  講談社
『パレイドリア・フェイス 水鏡推理』  講談社
松岡圭祐 読後印象記掲載リスト ver.1       2016.7.22
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