遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『私家本 椿説弓張月』  平岩弓枝  新潮社

2014-12-23 22:56:32 | レビュー
 『椿説弓張月』は『南総里見八犬伝』と併せて滝沢馬琴の代表咋として知っている。原作を読むこと無く、映画、歌舞伎・演劇、漫画など様々な媒体を通して部分的に、脚色された変形版として何となく親しんでいるにすぎない。この著者の私家本も原作の発展形の一つといえるだろう。
 この作品を読んでから、少しネット検索などで情報を入手し、馬琴について初めて理解を一歩深めた。本名は滝沢興邦(旧字体では瀧澤興邦となる)で、当時は曲亭馬琴という作者名で世に流布していたそうだ。『椿説弓張月』は江戸時代後期の文化・文政時代に絵入り読本として貸本屋などを通して一般庶民にも読まれたという。文化5年(1808)当時、江戸には665軒の貸本屋があったそうだ。
 原作の『椿説弓張月』は強弓を自在に操る能力を持つ武将、弓の名手、鎮西八郎為朝が主人公であるが、正式の題名は角書きが付いた『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』なのだという。たとえば、ありがたいことに、インターネット上で、椙山女学園大学デジタルライブラリーでこの原作の出版物を拝見することができる。アクセスしてみると、前編6巻、後篇6巻、続編6巻、拾遺6巻、残編6巻という大作なのである。文章中の漢字にはすべてルビが振られ、見開きの2ページの絵が要所要所に挿入されている。大長編だったのだ。ただし、『保元物語』を種本にして、鎮西八郎と称された源為朝についてほぼ忠実に前編・後篇が描かれているようだが、その後に続く続編・拾遺・残編は実在の人物を離れて、伝説・空想世界で活躍する人物物語として展開していく長編伝奇小説となるようだ。琉球に渡った為朝が琉球王国を再建する物語に展開するのである。源義経が大陸に渡りチンギスカンとして活躍したのだという類いの伝承もそれに近いものかもしれない。本編がヒットしてその人気に応えるべく、楽しい続編が伝説などをヒントに創作されたのだろう。1807~1811年に刊行されている。その挿絵は葛飾北斎が描いたという。

 少し前置きが長くなったが、この作品は著者が実在の人物を扱った前編・後篇とそれに続く諸編を一貫させて、独自のストーリーとして組み立て直し、抄訳的にまとまった形の伝奇小説作品に仕上げたもののようである。読後印象と諸情報を総合して、そのように推測する。
 この作品は、「序」「破」「急」「転」「結」という五巻構成になっている。
 この作品、冒頭部分に「江戸の頃、読本作家として名を成した滝沢馬琴が『椿説弓張月』を書くに当ってその背景に取り上げたのは、そのひとつ、後世、保元の乱と呼ばれる事件であった。」と明記する形でストーリーを展開していく。このストーリーで特徴的なのは「鶴」を要所要所に登場させていくことである。鶴が一種の黒子のような役割を果たしている。主要登場人物をコマに喩えると、鶴が必要な箇所で登場するコマ回しのような存在といえるかもしれない。

<序の巻>
 鳥羽上皇(鳥羽院/一院)と崇徳上皇(新院)が皇位継承問題で対立し、それが保元の乱となっていく。話はその乱の前夜から始まる。源判官為義の八男である八郎為朝が、十四、五歳で無位無官ながら、弓の上手であり、強弓を引くという噂から、崇徳上皇の面前に召されて、直接に声を掛けられるという場面が最初のハイライトとなる。そして少納言藤原信西入道の企みで、崇徳上皇の面前で御前試合をする羽目になる。相手は院の武者所に仕えて的弓の名手と評判の滝口の武士2名である。その場の活躍が原作では絵に描かれている。上掲ライブラリーからの引用でご紹介しておこう。

 この御前試合の評判が、為朝を崇徳上皇擁立派の一員と決定づけ、その後の為朝の人生の出発点になるという次第。為朝のこの時の武勇伝が災いし、当時の政治勢力の背景関係から、父・為義に言われて都から姿を消し、九州・豊後国に在地する尾張権守、末遠の許に身を寄せることになる。豊後への船旅で早速海賊退治のエピソードが出てくる。豊後国に着いてからは、祖父が琉球国の者という紀平治と知り合うきっかけができる。彼が後に為朝の第一の家来となっていく。狩りに出掛けた為朝に2頭の狼がなつき、まるで飼い犬の如くに付き従う。木綿山での狩りの途中、濃霧の為に楠の大樹の許で霧が晴れるのを待つことになる。その時うわばみと呼ぶにふさわしい大蛇が出現。その出現が狼・山雄と為朝の従者・重季を失う因となる。鶴が飛来し、一枚の金牌を為朝の頭上へ落とし西に向けて飛び去るところから、徐々に伝奇小説の色合いが加わっていく。
 為朝は三晩続けて同じ夢を見たことから、季遠の居館を去り、諸国回遊の修業に出る。それが、肥後国阿蘇郡での白縫姫との出会い、都よりもたらされた院宣を受けての琉球国への鶴探しの旅、鶴献上のための都への帰還、保元の乱の発生、父・為義の命による為朝の戦場離脱と捕縛後の伊豆への流刑、女護島への上陸へという風に、めまぐるしく為朝の行路は展開していく。

<破の巻>
 女護島での長逗留。そこで”によこ”との間に太郎丸・二郎丸の二児を持つ身となる。為朝が女護島のそれまでの伝統風習を自然な形で変えていくというおもしろさ。知らせがもたらされ、再び伊豆・大島に為朝は戻らざるを得なくなる。代官が悪政を再開したからだ。流刑地の大島で、為朝は簓江との間に男子2人、女子1人の3児を設けていた。この代官は簓江の父でもあることから、簓江は父と夫との間で苦悩する。為朝の許に、源義康からの書状がもたらされる。これが紙鳶(たこ)の奇計のエピソードとなっておもしろい。為朝は大島の代官の讒言により朝廷から為朝誅伐軍に攻め寄せられるのだが、鬼夜叉により舟に乗せられ、己の意志に反して窮地を脱することになってしまう。そして、一旦辿り着いた八郎島の分け島の一つ、来島(こしま)から、為朝は讃岐国白峰の崇徳院の御陵をめざす。この辺りから、ストーリーは一層伝奇的な様相を高めていくことになる。
 崇徳上皇との幻想的な対面、そこから阿蘇をめざした為朝が白縫、紀平治との再会へと展開していく。白縫との間に誕生したのが舜天丸(すてまる)である。
 為朝は九州の諸豪族を平定し、鎮西八郎為朝と呼ばれるまでになるが、京の都は平家一門の全盛の時代。平家方との一戦を為朝は覚悟して戦支度をしているが、商い船の体裁で、二艘の船で肥後国水俣の浦を発進する。
 船出後の天候異変が、為朝の人生を大きく転換していくこととなる。

<急の巻>
 この巻から、話は琉球国があ舞台に移っていく。なぜなら、琉球の地に為朝が漂着していくからである。
 この巻では、為朝が漂着した当時の琉球の王朝の状況が描き出される。いずこも同じ。国王の病弱なのを良いことに、佞臣と結託した王妃が王朝乗っ取りを画策するというお話。王妃・中婦君と佞臣・利勇一派と、寧王女、併妃廉夫人及びその従兄妹・毛国鼎という一群の人々との対立という構図である。そこに、琉球国開闢以来の守護神・君真物の怒りに触れたという恐怖の広がりと旧虬山にある虬塚の妖魔が登場してきて、怪奇性が増して行く。

<転の巻>
 琉球に漂着していた為朝が、赤瀬の女人像の前で、寧王女が賊兵に攻められているところに、登場する。その時点から為朝が寧王女派に加担し、琉球王朝の政争に巻き込まれていくと言う次第。転の巻は、寧王女に為朝が協力し、中婦君・利勇一派との抗争対決への準備が以下に整えられていくことになるかの経緯が描かれて行く。そこには、天候異変で別れてしまっていた紀平治・舜天丸との再会も展開していく。

<結の巻>
 この巻では、童達が歌う歌詞が実現していくことになる。

  神人来たれり  富蔵水清し
  神人来たれり  白沙米と化す

 転の巻から結の巻への展開は、まさに伝奇小説の真骨頂となっていく。おもしろい。
 江戸時代、文化・文政の時代の人々は、馬琴の原作を現代人よりもはるかに神秘性が実在するが如きイメージを想像力で増幅させなが、一方で、恐い物見たさの心を躍らせながら、身近な感覚で読み進んだのではなかろうか。

 いつか、原作のせめて翻訳版でも通読してみたくなった次第である。


参照資料
『詳説日本史研究』 五味文彦・高楚利彦・鳥海靖 編  山川出版社
『クリアカラー 国語便覧』 青木五郎・武久堅・坪内稔典・浜本純逸 監修 数研出
曲亭馬琴   :ウィキペディア
椿説弓張月  :ウィキペディア
椿説弓張月 (椙山女学園大学デジタルライブラリー)


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本作品に関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。

源為朝   :ウィキペディア
26日、源為朝、伊豆大島に流される(保元元年=1156年9月12日) :「歴史人」
為朝神社  :「伊豆大島ジオパーク・データミュージアム」
大島の祖・鎮西八郎為朝 系図

琉球王国  :ウィキペディア
琉球王国とは  :「首里城公園」
琉球王朝史 目次  :「史の館」
なぜ、運天港に源為朝上陸の碑が建っているのか? :「ガイドと歩く今帰仁城跡」
舜天  :ウィキペディア

保元物語  :ウィキペディア
保元物語 現代語訳 目次 :「ふょーどるの文学の冒険」



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