遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『秘見仏記』 いとうせいこう・みうらじゅん    中央公論社

2014-12-27 14:06:09 | レビュー
 本書は現在、角川文庫として『見仏記 <2> 仏友編』として出版されている。単行本で読んだので、出版社の表記をそのままとした。
 『見仏記』は、拝仏という信仰の視点ではなく、一方、仏像美術研究という学者視点でもなく、その中間の「見仏」という視点で二人が互いの思いを語り合うという面白いスタンスでの見仏プロセスが絵(マンガ)と文章で綴られたものだった。それは二人が1年強をかけ全国の寺々の仏像を見て回った記録の出版だった。

 本書はその第2弾である。従って、そのスタイルは当初の延長線上にある。しかし、この2冊目は、「まるで仕事とは関係なく仏像を見ようと思い立ち、突如として旅に出たのである。しかも秘見仏と称して。」という二人の個人的な思いつきからスタートしたという。秘かに二人だけで見仏を楽しもうよという意味と、普段はなかなか見られない秘仏的な仏の見仏がしたいものという意味が「秘見仏」に込められているような気がする。
 最初に滋賀県湖北の寺々が秘見仏先となったのは、なるほど・・・・とうなずける。湖北は観音の里として、それなりに知られてきているが、京都・奈良のように観光産業化していない土地柄である。当時ならまさに秘見仏候補地として最適だっただろう。今では長浜市辺りまではかなり観光化してきているのだが。
 前作とは異なり、この秘見仏は、同行者なしに、著者二人だけで東京と目的地を往還するというチャレンジ体験記である。その分まさに弥次喜多道中的要素が増加し、所々で思わず、ニヤリとしてしまう意外なエピソードがあり、実におもしろい。
 秘見仏でスタートしたのも、当初だけで、結局その秘見仏録が連載されていくことになったようである。そして、編集部のスタッフが途中から、秘見仏の行程スケジュールの設定の裏方を担当していくようになったようである。奥書を見ると、『小説中公』に1994年1月号~12月号の連載となった付記がある。

 まず、著者二人が秘見仏した行き先を地域ごとにまとめておこう。
滋賀: 西野薬師堂、赤後寺、渡岸寺、小谷寺、石道寺、己高閣・世代閣・知善院
京都: 東寺・仁和寺・法金剛院
四国: 極楽寺・井戸寺・丈六寺・蓮華寺・豊楽寺・中島観音堂・雪蹊寺・竹林寺
    北寺
東京: 五百羅漢寺・安養院・目不動尊・宝城坊
鎌倉: 東慶寺・建長寺・円応寺・鶴岡八幡宮・覚園寺・光明寺・長谷寺・高徳院
北越: 宝伝寺・明静寺・西照寺
佐渡: 長安寺・長谷寺・国分寺・昭和殿・慶宮寺

 結果的に第2作となったこの「秘見仏記」は、副産物としての側面がおもしろい。それは「男の二人旅」というテーマである。著者いとうは、この異様な風体の男二人を、旅の行程で出会う人々がホモと勘違いしていないかと気にしながら、見仏の旅をするという光景が折り節に書き込まれていくからである。時には、ホモと見られないように、反応し行動するというシーンがおもしろおかしく書かれている。

 そして、秘見仏の旅の過程で、まずは、こう考察する。
 「男はいつからか、美しいものにははなやいではいけないことになっているのだ。・・・・・武士の文化が問題なのかもしれなかった。武士の感覚や掟が現在の男二人旅を封じたのであれば、旅の形態は長いこと抑圧されていたことになる」(p79)と。
 さらに、連載が始まっているいずれかの時点で、ある編集部の一人に、男の二人旅の存在について、歴史的事実を調べてもらうという位に、「男の二人旅」を意識しているのだ。もちろん、ほぼ20年前の世相を背景としての話ではあるが。
 この「秘見仏記」が連載された時点での著者いとうは、当初の考察を最終段階では、次のように修正している。
 「我々が滅びたと考えていた男の二人旅は、原理的にはこの国に存在していなかった。とすれば、私とみうらさんがホモ扱いされるのはしごく当然の話なのだ。
 ただ、なぜ女二人だと違和感がないかはなお不明なところである。おそらく、ここには日本がもつ性への偏見があるというのが、今度の私の説だ。つまり、女は社会的に子供扱いされていて、どんな年齢でも性的な結びつきとは無縁に感じられるのだ。彼女たちが性的であり得るのは、それを支配する男の前だけと考えられているのでる。だから、レズなど思いつかない。
 以前は男二人旅への白い目を歴史的な背景の前でとらえていたが、ことは性を支配する側の文化的な問題だった。そして、支配する側である男はそのかわりに、二人旅という楽しみを失ったのだ。それを”女子供のすること”と自己の中で抑圧しながら」(p227)と。
 この考察の変転はこの作品の副産物として興味深いところである。どのあたりで、どう変化していったのかを読み取っていくとおもしろい。
 そして、最後にこんなことを著者いとうは記している。
 「わが国における旅行は、あくまでも生産中心志向で始まり、最終的には非生産的な者の独壇場になっているのだった。中間はない。」(p234)
 「旅は視野を広げるために行うものだと言われるが、私にとっては逆だ。個人の視野が限られていることを痛感するためにこそ、旅はある。それがどうも憂鬱で、私は旅を好まない」(p244)と。

 秘見仏への行程を含めて、目的地での仏を見るという姿勢・視点の中で、ちょっと惹かれた文章を抜き書きしてご紹介する。

*ここ(注記:滋賀県・湖北)は近畿でありながら、空だけ北陸だ。私はそんなわけのわからない形で土地をとらえ始めた。しかし、その二重性のようなものは前日見た仏像にもあらわれている気がした。技術の高さによる美は京都や奈良に匹敵するのに、必ず独特の不思議な暗さをもっているからだ。 p34
*密教のキュートさは、その裏に隠微なものを隠し持っているところにある。 p37
*秘密は右足にあった。全体が静的であるからこそ、曲げた膝が目立つのである。しかも、微妙なポイントとして、その右足の先で親指が反り上がっていた。それで、すっと歩き出すような感じがするのだ。  p40
*たいていの写真は同じ目線で撮影されており、実際自分が見たアングルでは再体験出来ない。・・・「現代人はねえ。せっかくパースつけて彫ってあんのにさ、真正面から見てどうするのよ」 p41
*藤原期の阿弥陀には、どうも傲慢な見おろし方が多いような気がしたが、それでも腹がたつわけではない。むしろ、明らかに自分より上の存在が見ていてくれている、といった感覚を呼ぶ。 p75
*「仏像って、ちょっとセクシーじゃないですか。男か女か、わからないような感じで。修行しなくちゃいけないのに、なんであんなセクシーな物を置くんですかね」
「生身に近いなまめかしいもんを前にして、かえって煩悩を消す修行をしたんとちがいますかなあ」 p115
*実際には、ブタの神のような風貌の鬼卒像が、私の鑑賞的な目をひきつけた。筋肉隆々でこん棒を握り、足にひづめをを持つ姿は、アジア文化の想像力をよくあらわす異形の力にあふれていた。 p206
*リアリスティックに人間のバランスを持つものより、そこまでコミカルに表現された形の方がマジカルなのかもしれないと思った。たぶん、精霊というものへの想像力は、人体を極限まで省略化するところから生まれてくるはずなのだ。私が好きなアジアの仮面も、そのデザインはもちろんだが、顔だけがあるという省略性にこそ、魔術性の源泉がある。 p231
*平安後期の作である観音は、ずいぶん古くから手首をなくしていたらしい。だが、そのおかげで人の想像力を刺激し、ひとつの物語を生じさせたのである。不合理はいつでも、人間の脳みそを活性化させるのだ。信仰者には申し訳ないが、手首欠損の言い訳から神話が生まれるのだから面白いと思った。 ←宝伝寺水保観音堂の十一面観音像 p247-8
*現に目の前にあるものを再現しようとすれば、そりゃ負けるよ。だけど、再現したいと思うこと自体が罠だからね。絵も文章も、それそのもので何かを獲得しなくちゃ。 p285
*形あるものはすべて滅びる。たとえ、それが仏の姿をしていても。  p312

これらがどんなプロセスの中で発想された文章かを、この作品を読む過程で位置づけ直していただくとよいのではないか。

 ご一読ありがとうございます。


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本書に説明が付されているものもあるが、出てくる用語・事項並びに関連派生事項について、私的関心からさらにネット検索してみた。一覧にしておきたい。

「君は千手観音」大日本仏像連合  :「やせっぽちのBLUES」

西野薬師堂 :「仏像ワンダーランド」
渡岸寺・十一面観音  :「近江の寺」
小谷寺  :「仏像ワンダーランド」
己高閣・世代閣     :「長浜・米原・奥みわ湖」
知善院(六瓢箪めぐり) :「長浜・米原・奥みわ湖」
七仏薬師 「仏様の世界」 :「飛不動 龍光山正寶院」
丹後の七仏薬師  :「丹後の地名  七仏薬師信仰」
善膩師童子  :「和尚の日記 - 毘沙門堂勝林寺」
  仏像 善膩師童子像  江戸時代 (清水 隆慶 作)
木造最勝老人像 (金戒光明寺 京都市左京区)  :「京都府」
阿弥陀五尊像の意義  :「データーベース 『えひめの記憶』」
真言七祖像  :「コトバンク」
松雲元慶 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 :「コトバンク」
天恩山五百羅漢寺 ホームページ
東慶寺  :「鎌倉ぶらぶら」
日向山 宝城坊日向薬師 ホームページ
長安寺  :「にいがた観光ナビ」(新潟県公式観光情報サイト)
民話「水保の観音」(海谷渓谷) :「糸魚川市総合観光辞典」
日野邦光  :ウィキペディア
佐渡 北豊山長谷寺(チョウコクジ)  ホームページ
佐渡国分寺 ホームページ
昭和殿  :「佐渡観光協会」


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『見仏記ガイドブック』  角川書店
『見仏記』  中央公論社