遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅠ』  松岡 圭祐   角川文庫

2014-08-15 11:42:18 | レビュー
 シーズを出版順に読んでみようかと思っていたのだが、入手した本の都合で順不同となった。一端乱れれば、あとはまあ手に取れた順に読み進めていくことにしよう。それぞれが独立した事件を扱うはずだから、どれから読んでもかまわないだろう。ということで、第11作を読む事に・・・・・・。

 この作品、地元の京都が取り上げられているので一層興味を抱いて読み進めることができた。その理由は、観光都市京都。寺社仏閣における観光ビジネス化した寺社拝観、記念・お土産としての信仰及び寺社関連グッズ販売などというある意味で事業といえる局面に焦点をあてているからである。寺社を取り巻く関連産業(その恩恵を受ける地元商店街を始めとした様々なサービスを含む)を含めて、「観光」の対象となっている寺社仏閣の現状に対する冷めた視点がこの作品の発想基盤になっている。この点に切り込んだ作品構成がおもしろい。

 かつては、寺社は熱心な信者の信仰心と浄財の喜捨/布施を基盤とするといえども、寺社建立及びその維持には、当時の天皇家、政権の担い手、地方豪族などが檀越、いわば庇護者となり寄進を継続する形でその運営のための財源のかなりの部分を供与し、負担ていたのだろう。また寺社が時の政治権力と結びつく形でもあった。それが得られないと、寺社は荒廃するだけ。多分純粋な一般庶民の信仰心だけでは、寺社仏閣という物理的存在物が維持できるわけがない。
 明治以降は、神仏分離、政教分離、信仰心の変容・・・・など、様々な変動を経て、寺社仏閣がその物理的存続をはかる財源を得る手段が変化せざるを得なくなったのは事実。寺社の美観を維持するにも金がかかる。寄進を受ける手立て、拝観収入その他がなければ、寺社仏閣の建物と境内の庭園などを維持ずるのは大変だろう。寺社仏閣の観光化は確かに仕方がない側面がある。だが、それがビジネス化することの是非を論じるのは、信仰との関わりからみれば、重要なことであるのも事実。

 ちょっと脇道にそれてしまった。この作品、年齢が二十代前半の水無瀬瞬が登場する。ほっそりと痩せ、すらりと長い脚で長身、長い髪、おとなしそうな顔つきだが鼻がつんと高く、目もとは涼し気で、高貴さと優しさ、少しばかり神経質そうな生真面目さが適度に入り混じるという姿態。だがどこか豹を連想させるほど、動作が軽やかで優雅という雰囲気の人物である。京都から東京に出て、代官山と神楽坂でイタリアンレストランを経営し成功させた。年商は両店あわせて10億、経常利益は3億。そんなビジネス成功者なのだ。
 その水無瀬瞬はお寺の息子だった。金閣寺の近くに土地を持っていた祖父が、僧侶でもなかったのに、半ば唐突に思い立ち寺を草創して音隠寺を作った。どの宗派にも属さない単立寺院である。瞬の父・直輝はその寺を継ぎ、ほそぼそと貧乏寺を維持してきた。借金に追われ、寺はうまくまわっているとはいえない状況なのだ。
 久しぶりに音隠寺に戻った瞬は、両親に宣言する。「父さん、僕、寺を継ぐよ」と。

 水無瀬瞬はあっさりと長い髪からスキン・ヘッドに切り替える。単立寺院だから寺のしきたりはあって無きが如し。寺も自営業。寺と主張するから寺。住職だといえば住職。という観点で寺をとらえる。つまり、自営のビジネス事業という見方だ。
 そして父にいう。建前の宗教論は不要。京都市内の有名な寺々は拝観料をとり、お札やお守りみたいなグッズを売り、おみくじというアトラクションで稼ぐ。人は寺にお釈迦様に会いに行く。それを楽しませればよい。人は目新しい歓び、風変わりなイベントを求めて寺社にも足を運んでいる。つまり、集客力のある人気スポットにできるか。その中で、寺社拝観で信仰心の一端を自ら感じて悦ぶ局面があれば人々は満足ではないのか。瞬の考えは、ビジネス視点で、音隠寺を集客力のある人気スポットにすれば、訪れる人々が満足する。満足させられればそれでよい。そのことで音隠寺が隆盛するのだから・・・。
 瞬は5年で、音隠寺を集客力のある人気スポットに仕上げ、着々と音隠寺の境内拡張整備、伽藍の建立整備を進めていく。
 それができたのは、水無瀬瞬が数ヶ月前に記している祈願文の内容が悉く的中し、成就するという祈願予言を実現させていることが話題となり、人々が己の祈願実現を求めて、音隠寺に殺到したことから始まる。
 世間には、知る人ぞ知る伝統的な寺という噂が流布している。一方、その祈願文は僧侶・水無瀬瞬の自作自演ではないかという疑いも渦巻いている。
 音隠寺の突然の隆盛に京都市内の多くの寺社は影響を受ける。中には音隠寺と協力提携するシンパの寺社も出てくる。相対的には、反音隠寺の立場が大勢であり、集団になって水無瀬瞬にやり過ぎな側面を匂わせて抗議に出向いてくる場面もある。単立寺院の立場なので、水無瀬瞬は丁重に対応するが相手にしない。
 とまあ、こんな背景の中で、『週刊角川』の取材記者・小笠原悠斗と、鑑定を依頼されて同行した万能鑑定士・凜田莉子が、ひょんなことから噂に上っているこの音隠寺を訪れるのだ。そこから水無瀬瞬が人気スポットにするために仕組んだ祈願文の謎解きが始まる。

 この事件簿は、メインは水無瀬瞬の半ば公開状態で行っている祈願文の行為が、僧侶による自作自演のまやかしであるのかどうかの解明、謎解きである。それを凜田莉子がおこなう立場に投げ込まれるというもの。
 ところが、ストーリー展開はそう単純には進まない、いくつかの脇道エピソード、事案の解決を伴いながら、それがメインの事案にも、何らかの縁でリンクする局面があるという構成になっているから、おもしろい。
 このストーリーもいくつかの脇道事案が重なっていく。
 小笠原と凜田がそもそも関西に出かけたのは、滋賀県に所在の出雲製氷の工場にヘチマ水100%の化粧水製造過程に於ける契約違反の横流し容疑の問題解決の場に立ち合うためだった。この事案、事前の情報収集段階で莉子がほぼ問題の核心を見破ってしまうというもの。お陰で、時間のゆとりができて、東京に戻るまでに、少し京都観光をという小笠原の発案が裏目にでたのだ。乗ったバスが彼ら2人を音隠寺に導くことになる。
 音隠寺には、ちょうど定期的に行っている祈願書の開封パフォーマンスがある日であり、その開封パフォーマンスの少し前だったのだ。『週刊角川』からは取材記者宮牧が現場に来ている。小笠原と莉子は、雑踏から逃れるためにも、宮牧に合流する。だが、祈願書開封の場面を莉子が見聞したことから、そこに不審な裏の仕掛けがありそうなヒントをつかみとってしまうのだ。つまり、莉子の着眼が証拠で裏付けされるか否か、もし裏づけされるなら、宮牧にとっては大スクープとなる。莉子はこの事案解明に巻き込まれていくという次第。

 そのプロセスで、メインの事案にも様々な切り口から関わりを深めていくことになるが、そのものの問題解決としては独立した脇道課題がエピソードとして出てくる。そのエピソードは、結果的に小笠原と莉子の関係を深めるものでもあり、水無瀬瞬にも重要な意味をもつことであるのだが。
 その事案とは、櫂摩耶の両親の住む実家でもある、洋館風のひどく古びた木造二階建てアパートを、金をかけずにリノベーションして、短期間で満室にするという課題なのだ。諸般の行きがかり上、莉子が小笠原の協力を得て、この課題解決に取り組んでいく。それは、水無瀬瞬が櫂摩耶に無理な相談事ですよと拒絶したことにもよる事案だったのだ。
 そこには、別の背景が潜んでいたのだけれど。それは読んでのお楽しみ。
 この課題はうまく解決するのだが、そのプロセスで莉子は水無瀬瞬についてのあるヒントを得るきっかけにもなるという次第。

 さて、もう一つ重要なことを記しておこう。
 この水無瀬瞬は、高卒まではドン底の成績で、勉強もできず、友達もいない内気な子供で世に出てからも集団生活からつまはじきにされがちな男だったのだ。それが、ディスカウントショップ”チープグッズ”店長、あの瀬戸内陸との出合いで、無駄のない論理的思考を獲得し、内に秘められていた商才を開化させたのだ。ちょうど、凜田莉子が瀬戸内陸と出会った時には、水無瀬瞬はチープグッズから巣立っていたのである。
 つまり、瞬は莉子にとって先輩にもあたる。瀬戸内陸から学んだ論理的思考は二人に共通する。その二人が、この京都で対峙することになる。ある意味で、手の内を知った者同士の頭脳比べの感を呈していく。だから、一層おもしろくなるともいえる。

 この作品では一つの進展がある。櫂摩耶のアパート課題の問題解決プロセスで、莉子と小笠原の関係において、互いの気持ちの持ち方が、櫂摩耶が触媒となって一歩前進するという点である。それは、小笠原の意外な行動でも現れてくるという展開になる。その行動の結果が、音隠寺の祈願書からくり解明に重要なくさびを打つことにもつながるというおもしろい進展になる。

 さらに、水無瀬瞬が音隠寺の箔づけに、安倍晴明が使ったという「晴明六壬式盤」探しが後半の事案に加わり、ストーリーがピークに登り詰めていくという趣向である。この話の展開も謎解き絡みでおもしろい。本書冒頭の目次の裏に記された「亥趙塚神社屏風」の文言が、この後半の謎解きの起点になるという趣向である。最初にこの屏風文を読んだとき、何これ? どんな関係があるの? 山科にこんな神社ってなかったとおもうが・・・。
勿論、この神社名は本書でのフィクションだが。こんな神社と古墳がほんとにあったら、おもしろいのに・・・・残念というところ。後半、謎解きの展開に引き込まれる。
 さて、最後の結末をどう迎えるか・・・・それは、読んでのお楽しみである。
 
 このストーリーも少し潤色したら、映画化してもおもしろい作品になりそうである。
 特に寺社仏閣の代表者たちが水無瀬瞬に直談判に行き対峙する場面など、ちょっと脚色するとアイロニカルな滑稽味が生み出され、けっこう面白い場面になりそう。また、小笠原が鴨川に飛び込んで・・・・というシーンもおもしろいと思う。ただし、四条近くの鴨川って浅くて深みのところってあったかな・・・という気もするが。少し下流に行けば、まあ深いところもあるのかも。水無瀬瞬が古箱から祈願書を取り出し開封するシーンも、作りようによっては、荘厳で緊迫した祈願的中シーンが絵にできそうな気がする。ぼろアパートのリノベーション事案も映像化で一つの山場づくりができそう・・・・
 こんなことを空想したくなる作品でもある。


 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する語句をいくつかネット検索した。一覧にしておきたい。

単立  :ウィキペディア
単立寺院について  :「お寺ネット 仏事の相談室」

六壬神課  :ウィキペディア
式占    :ウィキペディア
占事略决  :ウィキペディア
安倍晴明  :ウィキペディア
安倍 晴明について  :「陰陽師本舗」
晴明神社 ホームページ


京都観光総合調査  :「京都市」
京都市外国人観光客動向・意識調査報告書  平成20年2月

京都の観光業は努力が足りない?  :「東洋経済 ONLINE」
  日本と英国の観光業界比較
   ミセス・パンプキン :グローバルマザー  2014年06月02日


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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