遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『万能鑑定士Qの探偵譚』  松岡圭祐  角川文庫

2014-10-30 09:34:48 | レビュー
 この作品の冒頭で、また一つ凜田莉子の過去のエピソードが付加される。13年前の小学校時代の莉子の姿がわかるとともに、莉子が遠足で石垣島の野底岳(ぬすくだけ)に登ったときにひとりはぐれて雨宿りに寄った山小屋での非常に怯えた体験が語られる。莉子はそこで”マーペー”という女性の壁画を目にし、風邪をひき発熱していたのもあったようだが、その絵に睨まれていると泣きわめき手足をばたつかせて暴れたのだ。この”マーペー”に睨まれたという恐ろしい記憶がマーペーにまつわる伝説とともに、莉子の深層意識である種のトラウマとなったようなのだ。この作品は底流において、莉子がこのトラウマとどう対峙するかがテーマの一つになっている。この点がストーリーでの情感を盛り上げてい上で効果を発揮している。
 ネットで調べてみると、マーペーの伝説は実際にあるようだが、壁画はフィクションのようだ。

 この作品では、凜田莉子は波照間島に帰郷し、そこで古民家に「万能鑑定士Q」の看板を掲げてほそぼそと店を営んでいる。そして、その近くの古民家に小笠原悠斗が『週刊角川』の八重山オフィスとして一人駐在している。そこに事件を抱えた25歳の樫栗芽依が身を隠すために石垣島から渡ってくる。それはちょうど島の祭「ムシャーマ」の行われている日だった。島に上陸し、外からの訪問客がやけに目立つ雑踏の中で、小笠原にぶつかりそうになり、言葉を交わす。そして本名を名乗ってしまう。
 祭の翌日、岡山県警の警部他が島に渡ってくる。波照間島の照屋巡査部長がその応対をすることになる。その朝、荻野編集長から電話で八重山オフィスの閉鎖撤収を命じられているため、是が非でも八重山オフィス存続の記事ネタ探しで、照屋巡査部長のところに小笠原は出向いていた。そのため、この警部等の来訪に出くわし、同行取材をすることになる。警部が捜査対象としていたのは、樫原芽依だった。
 南端荘という宿に1週間の連泊の形を取っていた樫原芽依は、所持品の一部を破却・焼却して荷物を残したままいち早く島を抜け出していた。

 一方、その朝、莉子はスコット・ランズウィックという老紳士の来訪により、享保年間に作られた村上彫堆朱の漆硯の鑑定を依頼される。莉子は思い過ごしかもしれないが気になる点があると、一箇所、竜の爪の仕上げ方について指摘したのだ。老紳士は勉強になったと言って引きあげるのだが、この鑑定品が実は事件への伏線の一つになっていく。

 南端荘で樫原芽依が借りた部屋を警察が調べているところに、莉子が現れる。遺留品に含まれていた1万円札が偽物であることを即座に指摘する。そして、小さく破り捨てられて散らばっていた紙片の一つから莉子はヒントを得る。

 島に戻った莉子は父親から探偵の真似事などやめろと言われていた。
 おばあが莉子のところにやてくる。小さな島のこと、小笠原の借りた古民家の家主からおばあが小笠原が月末で波照間島から撤収するということを聞いたのだ。そして、莉子に尋ねる。「莉子。あんた平気かね」と。「これを最後の機会とするさ!」「・・・・それより、じっとしとると落ち着かんじゃろうよ。ゆうべ宴会にきてた樫原芽依さんって子に、小笠原さんが惚れんとも限らんさ!」「小笠原さんの取材とやらにもういちどだけ手を貸して、思う存分にやれば、その過程で自分の気持ちに整理もつくじゃろ。ためらいを残さずに島に戻っておいで。なら心穏やかに暮らせるようになるさ!」
 「いまどう思っとる。率直に言ってみるさ」「・・・上京した5年前に戻ってやり直したい」・・・おばあはきっぱりと莉子に言う。「自分できめるさ」と。そして付け加えたのだ。「石垣に行く機会があったら、野底岳に行ってマーペーさんに会ってくればいいさ」「あんたはマーペーさんに目をつけられてなんかいねえ。それとも、いまだに度胸はねえか」と。
 このおばあの意見に背中を押されて、莉子は小笠原の取材に協力することになる。
 そして、莉子が見つけた樫原芽依が細かく破った印刷物の断片らしき紙片に「→日本国」というかろうじて読み取れる活字表記を手がかりに、探偵の役割りを果たし始めるのである。
 
この探偵譚の面白いところはがいくつかある。、
 樫原芽依という勉強熱心な女性が学生時代に特異な行動を取っていたのだ。それはある意味でうしろぐらいところとなる過去だった。大学卒業後、銀行員となり顧客先から受け取った5000万円を銀行に運ぶ帰路に金を強奪される事件が起こるのである。必死に犯人を追い、追い詰めた結果、運搬していたのが偽札だったとわかる事件。警察は樫原芽依自体を容疑者の一人として捜査対象にする。樫原芽依は自分の学生時代のことが明るみにでることを畏れ、自分は被害者で無実だと思いながら、逃避行の及ぶ。小笠原は波照間島に上陸した樫原芽依の印象から、彼女に罪が無いことを取材で明らかにしようと試みるという次第。その取材の成功には、莉子の感性と論理思考という協力が不可欠なのだ。つまり、「→日本国」という極端な断片情報から、莉子はある推理を既にできるのだから。
 樫原芽依の居所を直接探し求めるというのでなく、樫原芽依の過去から現在を追跡しながら、樫原芽依の居所を警察よりも早く発見するという展開のおもしろさが加わる。
 さらに、その探偵行程の中で、村上彫堆朱の漆硯に関する情報が交差してパラレルに収集されていく。その点情報が莉子の頭脳に累積されていく。そして、樫原芽依の関わる事件と村上彫堆朱の漆硯の問題が、遂に結びついて行くという意外な展開になる。さらにおもしろいのいは、そこにあのマーペーの壁画が絡んでいくという巧妙なしかけである。
 サービス精神が旺盛なのか、探偵行程の中でも、いろんな小さな問題・事件を莉子が解決していくのをエピソード風に著者は盛り込んでいく。
 一方、波照間島で逮捕されたコピアの取り調べが秋月警部補の下で進展しているが、それにあの雨森華蓮が協力する。そこから、これまた意外な事実が見えていき、さらに再び凜田莉子の存在に結びついて行くというおもしろさ。挿話風に重要な伏線が張られていく。

 この探偵譚で莉子と小笠原がどこの土地に取材行するかを移動途中の場所も含めて時系列的にご紹介しておこう。勿論、出発場所は、波照間島である。
 波照間港埠頭→(高速艇)→石垣島→新石垣空港(長い待ち時間を利用して、莉子は野底岳のマーペーに行く)→(飛行機)→新潟空港→村上彫堆朱美術館→(レンタカー)→山形県鶴岡市→新潟市→2日間の単独行動(莉子は倉敷市に、小笠原は京都市に)→倉敷市内で合流し取材→樫原芽依の居所発見→倉敷貸会議室センター倉敷市内での樫原芽依に関わる事件の解決
 ところが、これで莉子にとっての探偵譚は終わらなかったのである。そこから莉子に関連しては重大な事件へと意外な展開が始まる。マーペーに関わる莉子の命が関連した事態の発生と、舞台を東京に移しての大団円である。
 
 この探偵譚が遂に幕を閉じた時点で、莉子が選択した生き方は?  
 それを楽しみに本作品をお読みいただくといいのでは・・・・・。

 『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅳ』を読むと、この探偵譚とのつながりがより明確になってくると思う。万能鑑定士Qのシリーズは、それぞれに独立した作品として読めるが、その背景部分でゆるやかに繋がっていく。この作品を読む楽しみを深めるには、少なくとも『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅳ』を読了しておくと、一層興味深いだろう。
 

 ご一読ありがとうございます。


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本書に関連する語句をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。

野底マーペー  :ウィキペディア
マーペー   :「石垣島検島誌」
野底マーペーを登る  :「Ishigaki」

紙幣のABC(基礎知識)  村岡伸久氏
  村岡氏はウエブサイトの内容を「偽札百科」として出版されているそうだ。
日本銀行券  :ウィキペディア

村上木彫堆朱  :「村上堆朱事業協同組合」
村上木彫堆朱  :「小杉漆器店」
村上堆朱会館  :「村上市」


  インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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万能鑑定士Qに関心を向け、読み進めてきたシリーズは次のものです。
こちらもお読みいただけると、うれしいです。

『万能鑑定士Qの攻略本』 角川文庫編集部/編 松岡圭祐事務所/監修

☆短編集シリーズ
『万能鑑定士Qの短編集 Ⅰ』
『万能鑑定士Qの短編集 Ⅱ』

☆推理劇シリーズ
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅰ』
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅱ』
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅲ』
『万能鑑定士Qの推理劇 Ⅳ』 

☆事件簿シリーズは全作品分の印象記を掲載しています。
『万能鑑定士Q』(単行本) ← 文庫本ではⅠとⅡに分冊された。
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅲ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅳ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅴ』 
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅵ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅶ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅷ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅸ』
『万能鑑定士Qの事件簿 Ⅹ』
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅠ』
『万能鑑定士Qの事件簿 ⅩⅡ』


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