遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『螺鈿迷宮』 海堂 尊  角川書店

2013-09-27 10:43:40 | レビュー
 本来なら、『ケルベロスの肖像』を読む前にこちらを読んでおいた方が、話の展開がつながる。『ケルベロスの肖像』の前段に位置づけられる作品だ。平成18年(2006)11月に初版が出ていて、今は文庫本にもなっている。
 後からこちらを読むと因果の連鎖を回想していくおもしろさが加わるという利点がある。たとえば、医学生の天馬大吉がどんな役回りを果たしていたのかや、怨念の重みが逆に重なってきて興味深いと言える。『ケルベロスの肖像』では、愚痴外来の田口先生がメインであり、天馬大吉は脇役的存在である。だが、なぜ天馬大吉が登場するのかがよくわかった。
 実は、こちらの作品では、東城大学医学部の留年医学生天馬大吉が中心人物の一人である。

 序章「アリグモ」は少し興味深い投げかけになっている。冒頭、「アリグモという虫をご存じだろうか」で始まる。そんなの知らない!
 蜘蛛の一種だとか。「蟻の脚は六本、蜘蛛は八本。アリグモは蟻としては余分な二本の脚を触覚に見せかけることで、蟻に擬態する。そして、仲間と勘違いして寄ってくる蟻を襲う。ついでに言えばオスは大きな牙を持つので、より蟻に似ているのはメスの方である」そうだ。
 序章の末文は、「最近、世の中には『アリグモみたいなヤツ』が密やかに増殖している気がする。僕たちはアリグモから決して目をそらせてはならない」である。この序章、いくつも伏線が隠されているようで、思わせぶりなところがあっておもしろい。ここに出てくる「僕」が天馬大吉のことなのだ。彼の故郷が桜の宮であり、今は時風新報という弱小新聞社桜宮分室社会部主任補佐である別宮葉子(べっくようこ)、通称ハコが小学校以来の幼なじみであることがわかる。さりげないテレビニュースの話が、この作品の一番底辺に潜む因果連鎖となることが、序章の再読でわかった。アリグモの如く「擬態する」、仲間にみせて「殺戮する」というのが、『ケルベロスの肖像』に連鎖していくテーマの象徴的側面になっているようだ。医療の擬態という局面で・・・・・。

 さてこの作品の舞台は、桜宮市にある碧翠院桜宮病院である。時風新報桜宮支所編集部、つまり別宮葉子が厚生労働省医療政策局局長名で、介護保険関連事業の病院として、碧翠院桜宮病院の医療制度についての取材要請をうける。その取材記事作成のためにハコが大吉に潜入取材をさせて記事ネタを収集しようとするのだ。その話を大吉は拒絶する。
 大吉にOKさせるために、大吉が入り浸っている雀荘「スズメ」での賭麻雀という手をある人物を通じて利用する。大吉はこの人物をカモにするつもりだったが、逆に百万円の借金を背負う羽目になる。「借用しました金百万円は、依頼業務の遂行により返済致します。天馬大吉」という契約書をその人物に書く羽目になる。そういう風に仕掛けたのはハコだった。
 その人物とは、「メディカル・アソシエート」という名称で医療関連会社を運営している結城である。正真正銘の博打打ち。実態は病院買収関連の企業舎弟である。なぜ結城が絡んでくるのか。実は彼の妹と結婚した立花善次が桜宮病院を調べていて、行方不明の状態になっているからなのだ。本家からの預かりの善次が結城の妹・茜と結婚したのだ。
 ハコの狙いである潜入取材を大吉がボランティアとしての医療現場でのお手伝い活動を通して行うということと、結城が行方不明の善次が病院内に居るのかどうか捜してほしいということが、重なってくるという次第。

 ボランティアで応募した大吉が、碧翠院桜宮病院にボランティアとして受け入れられ、院長や副院長から話を聞くこと、患者との交流から、様々な事情が見えてくるというストーリーである。大吉にとっては、小学生時代の遊び場でもあり、その建物の異様さに恐れさえも抱いていた病院の実態が徐々に見えていく、そしてとんでもない結末で終わるという展開になる。碧翠院桜宮病院、デンデンムシの建物が爆発炎上して消滅し、院長桜宮巌雄を含む家族4人の焼死体発見という報道事実が残る。

 なぜそうなったのか。そこには医療行政の方針が関係する。そして、碧翠院桜宮病院と東城大学医学部付属病院との微妙な関係、その関わりの変化に因果関係があるのだ。ここにアリグモの一面が読み取れるかもしれない。医療従事という観点で仲間に見えるようでありながら、実態はちがうという認識という点で。この辺りは、現代日本の医療が抱える高齢化社会、介護保険制度における医療実態が投影されているように思う。
 本書には著者による現状分析のための情報が様々な観点から、アイロニーも含めてちりばめられていると判断する。その舌鋒に批判的視点が鮮明に読み取れ、考える材料にもなっている。

 碧翠院桜宮病院はかなり不思議な設定である。ある意味で鵺的な存在になってきている病院という位置づけだ。桜宮病院と碧翠院は独立した施設。桜宮病院は「赤煉瓦が積み上げられた三階構造。上層に行くにつれ床面積が減じる。だから遠目には巻き貝のようにも見える」。この貝殻の隣に立つ東塔がセピア色の色調に塗り替えられたことにより、桜宮の子供達にとり、でんでん虫という異名が確定した病院なのだ。
 碧翠院桜宮病院の敷地内を県境が走っていて、桜宮病院はK県、碧翠院はS県にある。 桜宮病院は医療機関だが、碧翠院は寺であり、市に土地を貸していて、火葬場が隣にあるという環境なのだ。診察、末期治療から骨壺まで、流れ作業だと口の悪い人は言う。
 桜宮病院長は桜宮巌雄院長、軍医あがりの医師、副院長は桜宮小百合、呼吸器内科の医師である。そして、一卵性双生児の妹で医者のすみれが居る。碧翠院の代表は桜宮巌雄の妻・華緒で、もとは医者でもあった。すみれはこちらの副院長であり、碧翠院の実務を仕切っている。心療内科的カウンセリングを守備範囲とする医師。
 この病院には2つの側面がある。一つは病院長が主として携わる側面である。それは巌雄院長が死亡時医学検索を行うのだ。警察から送り込まれてくる屍体の解剖を必要に応じて実施する。そして、死体検案書を作成する。東塔地下1階には、画像診断室があり、レントゲンとCTがある。巌雄院長は、自らが取り扱った屍体はすべて画像を撮り、解剖しているのだという。小百合とすみれは終末期医療分野を担当している。
 
 巌雄院長は大吉の質問に答えて語る。明治の初めの頃に、桜宮市南端のこの地に曾祖父が病院を建て、その隣に医療施設・碧翠院が建てられた。医療と宗教が渾然としていたという。碧翠院は医学専門学校に認定され東城院と名を変えた。その東城院が桜宮市北端に移り、東城大学医学部の母胎となる。その抜け殻として寺・碧翠院が残ったという。東城大は社会の中心において生の医療を取り扱い、桜宮は死の医学を押しつけられた形になったという。桜宮病院と東城大学医学部はその沿革において兄弟だったのだ。
 しかし、その後の発展、医療行政の方針の変化野中で、両者の関係が変化してきた。
 そして、そこに桜宮一族が東城大学医学部に敵愾心を抱く原因が醸成されてきたのだ。 敵愾心を強烈に表し、行動を起こそうと画策するすみれ副院長。巌雄院長は独自の展望から、Aiの先駆的な記録を作成し続けてきている。それは隠れた爆弾にもなる情報を秘めるものだった。

 大吉はボランティア活動を始めるとすぐ、桜宮病院内で怪我をする。そして怪我が重なっていく。ボランティアの仕事という形で来たのに、姫宮という名前の看護師が原因で怪我をする。怪我を重ね、その治療を病院でして貰いながら、入院患者との関わりを深め、潜入取材と結城からの依頼課題としての探索を進めていくという謎解きのストーリーである。怪我をさせる因になる姫宮と怪我をさせられる大吉の関係、そのやりとりがユーモラスに描かれる。だが、姫宮は単にミスで怪我をさせたり、そそっかしくて失敗するというだけではない局面があったのだ。
 姫宮という名前でぴんと連想できる人は、海堂ワールドをよくご存知の人だ。実は姫宮看護人自身が、某省からの潜入であり、その上司にあたる人物も臨時の皮膚科医として登場してくる。俄然話はおもしろく展開する。

 本作品のタイトルにある「螺鈿」は螺鈿細工の螺鈿である。それには深い悲しみと癒やしが秘められている飾りでもあった。

 本書の楽しみはこのあたりの謎をときほぐしていくことである。そして巻末は映画に採り入れられている手法のようなシーンで終わる。続編を予感させる結末である。つまり、『ケルベロスの肖像』という続編が発刊される伏線が組み込まれていた。

 最後に、著者特有の医療行政、医療行為に関連する記述-主に登場人物たちに語らせているのだが-をいくつかご紹介しておきたい。こういう情報は読者にとって現実の医療を考える思考材料になる。

*いいか、医学生、覚えておけよ。死亡時医学検索は、医療における警察の役割を果たす。そこに金を拠出しない国家とは、警察に金を出さない国家に等しい。 p111
*現在の行政の原則は、経済効率が優先されているから、その裏で弱者の切り捨て作業が進行している。その原則を医療現場に適用すると、真っ先にヤリ玉にあげられるのが、終末期医療、救急医療、産婦人科や小児科、そして死亡時医学検索などの、金喰い虫や縁の下の力持ち、という地味な部門なのよ。  p160
*インフォームド・コンセントは、最終的には医者と患者の双方が納得することが、正しい診断と理に適った処置よりも大切だという考えに行き着くんです。互いに納得できれば、真実なんてどうでもいい。どう転んでも、医者の言い訳に使われるのがせいぜいでしょう。ま、その程度のことですよ。  p177
*患者が亡くなった時に検索せずして何が医学だ。医学は、出自の悪い学問のクセに、今や貴婦人のよに振る舞っている。笑止千万、一番大事な自分の母胎を軽視している現代医学は、いつかどこかで破綻する。・・・医学とはな、屍肉を喰らって生き永らえてきた、クソッタレの学問なんだ、ということを。  p241
*死因がわからなければ、治療の適切さを判断できない。犯罪が見過ごされる可能性もある。そんな現状を打破しようとして、一部の臨床医が解剖できない症例に画像診断を適用すべきだと主張した、それがオートプシー・イメージング、略してエーアイさ。エーアイは死体の画像診断だから、死因解明効果は抜群。ある法医学者が遺体をCT検査してみたら、体表検索の20%に間違いや不充分な点があったという報告もある。 p317
*死にたい人を死なせてあげるのと、殺すのは違う。それから確実に死ぬとわかっている人の最後をコントロールしてあげることの、どこが悪いの?延命だけの生を続けるのは医療の傲慢。どうせ死ぬなら他人に役立つように死ねばいいでしょ。  p345
*役に立たないもの、手間のかかることは切り捨てろ。それが今の官僚たちの思想の底流だ。厚生労働官僚である白鳥は、苦い薬を無理矢理呑まされたような顔をした。 p375


ご一読ありがとうございます。

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本書に出てくる語句からの波紋でネット検索してみた。一覧にまとめておきたい。

オートプシー・イメージング(Ai)は画像診断の特異点であり、
  Aiの導入は社会的要請になるだろう
  海堂 尊(医師・作家)
 作家名での論文を検索していて見つけました!「日獨医報」掲載のもの、2008年
 
アリグモ :ウィキペディア
アリグモ 「衛生動物だより」No.009 pdfファイル :「京都市」
日本のアリグモ属 同定の手引き  石田岳士氏
 
公的介護保険制度の現状と今後の役割 
  平成25年度 厚生労働省 老健局 総務課 pdfファイル
介護保険 :ウィキペディア
介護保険制度 解説・ハンドブック(手引き) :「WAM NET」
 
画像診断と死亡時医学検索 江澤英史氏  pdfファイル
死亡時医学検索の問題点(法医学の立場から) 岩瀬博太郎氏 pdfファイル
死亡時画像病理診断(Ai=Autopsy imaging)活用に関する検討委員会
 中間報告
 平成20年3月  日本医師会への中間報告
死亡時医学検索における超音波画像診断 内ヶ崎西作氏 
   :「オートプシー・イメージング学会」
 
Ai情報センター ホームページ
 
東京都監察医務院 東京都福祉保健局
  東京都監察医務院とは
 
死体解剖保存法 :「電子政府の総合窓口 イーガブ」
死体解剖保存法 :ウィキペディア
 
ホスピス :ウィキペディア
ホスピス(末期癌患者さんへの対応):「泌尿器科診察室」
緩和医療 :ウィキペディア
ターミナルケア :ウィキペディア
みんなのホスピス ホスピスを考える横浜市民の会
 

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『ケルベロスの肖像』   宝島社

『玉村警部補の災難』   宝島社

『ナニワ・モンスター』 新潮社    1201020

『モルフェウスの領域』 角川書店

『極北ラプソディ』  朝日新聞出版




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