山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

TPPについて(20)-強いものが生き残るのか、生き残ったものが強いのか?

2013-07-29 | 農業

 テレビで、あるIT企業が農業に進出したケースが紹介されました。そのインタビューの中で、「今までの農業は家庭菜園の延長みたいなもので、果たして産業といえるのか?」と疑問を呈しておられました。そして、「強い農業となって勝ち残れるようにならなければならない。」と・・・。

 一方で、佐賀県唐津市在住の農民作家である山下惣一さんは、「生き残ったものが強いのだ。何としても生き残ってみせる。」と仰っておられます。

 かつて地球上には恐竜が繁栄していました。これは強いものの代表といえるでしょう。しかし、環境の変化に適応できずに絶滅したことはよく知られているところです。その後の地球上には、環境の激変に耐えて生き残ったものが繁栄しております。人類もその一つで、今や地球上にのさばり、他の生物を圧倒し、あまつさえ地球環境を破壊するにまでに至っております。

 恐竜は他の生き物を圧倒する強さで、当時の地球上にのさばっていたものと思われます。その強さの所為で、絶滅に追いやられた種は一つや二つではすまないでしょう。巨大な生き物は、その生命を維持するために大量の食料を必要とします。何らかの原因で食料が絶たれたとき、一番弱いのが巨大な生き物なのです。弱小の生き物は、少量の食料で生きていけるように効率的に出来ております。

 さて、強い農業を目指すといわれております。大規模経営であったり、スマートアグリであったりするのでしょうか。大規模経営で利益を大きくするためには、単一作物を作付けせざるを得ないでしょう。スマートアグリにしても、慣行農業に比べると格段に初期コストが掛るでしょう。となると高収益性の作物に限られることになります。収益があがる作物が、そんなに沢山あるとも思えません。行き着く先は、結局のところ価格競争といったことになります。それはそれで勝手にやってくださる分については文句を言う筋合いにはありませんが、弱いと言われている現在の農業を巻き込み、そして淘汰することの無いように願いたいものです。

 食卓に並ぶ食べ物はバラエティーに富んでおります。当然のこととして、大規模経営やスマートアグリが見向きもしない作物の方が多いでしょう。それを一体誰が作るのでしょうか。全て輸入品で賄うということでしょうか。そんなことはあり得ません。儲かりもしないものをわざわざ日本人のために作る奇特な方がいるとは思えません。

 やはり、日本の食卓は日本人の手で守るしかないのです。勝ち残れるような強い農業だけでは、日本の食卓は守れません。先のIT企業が馬鹿にした家庭菜園の延長みたいな農業があったればこそ、何とか維持できてきたという側面があるということも見逃せないと思います。いわゆる自給的な零細農家は、実に多くの作物を栽培しております。自家消費で余った分については、直売所で販売するなどして地域の食卓を豊にしております。山下惣一さんが提唱されている地産地消(地域の人達が、地域の農家を喰い支える)といった関係が、ある意味本来の農業のあり方ではなかったのではないかと思います。このような農業は、とてもではありませんが産業といえるものではありません。果たして、農業は産業でなければならないのかといった疑問を持っております。

 強い農業といわれるものが恐竜のような末路を辿らないことを祈るばかりです。

<参考> 「TPPについて(13)-攻めの農業って?」「TPPについて(16)-高付加価値農産物について」「TPPについて(17)-農業の経営規模拡大の行き着く果ては?」「TPPについて(18)-六次産業化とはいうものの・・・」「スマートアグリについて」「スマートアグリについて(2)」「スマートアグリについて(3)


TPPについて(19)-いよいよ交渉に参加しましたが・・・

2013-07-24 | 農業

 TPP交渉への参加が認められ、いよいよ交渉が開始されました。これまでの交渉内容が書かれたテキストと呼ばれる分厚い資料を入手でき、次第に詳細な内容が判明するものと思われます。このテキストの内容が一部リーク記事などで漏れていたようですが、かなり厳しく情報管理されていたようですので、明けてビックリ玉手箱といったことになりはしないかと懸念されるところです。

 このような背景がありますので、国民に交渉に関する情報が逐一提供され議論の対象にされる可能性はかなり低いものと考えられます。ある日突然、このように決まりましたと提示されることでしょう。

 交渉団とは別に利害関係団体も情報収集と圧力を掛けるために多くの人数を送り込んでいるようです。これらの圧力団体には、ある程度の情報は知らされることはあるかも知れませんが、核心的な情報は明かされないものと思われます。特に、損害を被る側には・・・。

 「TPPについて」で書いておりますように、既に結論は出ているものと思われます。これから行われる交渉は、ある意味一種の儀式みたいなものです。我々はこんなにも一生懸命に頑張って交渉しましたというエクスキューズのために過ぎないでしょう。そして損害を被る方々には、これこれの補償をしますから何とか我慢してくださいといったことになるのではないでしょうか。

 私にとっては、TPPに参加しようがしまいがどちらでも良いのです。それは、食料の自給がかなりの部分で可能であるからに他なりませんし、多くを望まないといった生活スタイルであるからかもしれません。

 多くの消費者の方々は、経済的側面からTPPを考えておられるのではないかと思います。先のことより今日明日の生活が大事といったことも理解はできます。しかしながら、ここは目先の利益より、将来を見据えた長期的展望に立った議論が必要ではないかと思っている次第です。

 特に、若い世代の方々にとっては、何れ自分達自身に降りかかってくる切実な事柄です。TPPだけでなく、憲法、原発・エネルギー・環境、社会保障などなど、多くの問題が山積しております。無関心でいて欲しくありません。


与党の大勝は、日本にとって良かったのか悪かったのか?

2013-07-22 | 政治・経済・社会

 昨日の参議院議員選挙の結果、与党が大勝し、いわゆる衆参のねじれが解消しました。先ずは、レベルの低い政治劇を観なくて済むようになっただけストレスが軽減されたものと歓迎したいと思います。ただ、諸手を挙げて喜んでしまって良いのでしょうか?

 最大の懸念は、自民党が先祖返りをしてしまわないかということでしょう。とにもかくにも民主党が政権を取ったのは、自民党が愛想をつかされたからに他なりません。野党時代には政権与党(民主党)には政権担当能力が無いとの批判に終始していたようにも見受けられます。確かに、その批判は正鵠を射ていたと思います。しかし、そのことが真摯に反省する機会を奪ってしまったのではないかと思ってしまいます。

 良くも悪くも長期間に渡って政権を担ってきたのは自民党であった訳です。あれが悪いこれが悪いといっても、それを作ってきたのもある意味では自民党自身であったともいえます。政権を取り戻し、衆参で安定多数を得た現在、驕り高ぶることなく、政権を失った原因を見つめなおして、より良い未来を目指していただきたいと願うのみです。


今年はセミも梅雨明けが分からなかったようです

2013-07-15 | ブログ

 ここ数日、セミの鳴き声が聞こえてきました。昨年は、7/21だったので一週間ほど早い鳴きはじめです。よくセミが鳴きはじめると梅雨が明けるといいますが、ことしはさすがのセミ君達も予想が当たらなかったようです。

 梅雨明け以来、一週間ほどは一滴の雨も降らず、高温の日が続きました。ここ数日は夕立といってもほんのパラパラといった感じの降雨がありましたが、焼け石に水といったところでしょうか。以前の私でしたら、畑の作物にジョウロで水遣りに掛りっきりになっていたことと思います。しかし、自然農を学び、実践しはじめますと作物との対話をより重視することが出来るようになったように感じます。炎天下に萎れている作物をみると水をやらねばといった衝動に駆られます。しかし、夕方になるとしっかりと立ち直ります。夕方になっても元気が無くなってきたなと感じたら水遣りをするといった具合に作物を観察して対応するようになりました。ですから夏場においても夕立などの自然の降雨だけで充分に水分を賄うことができ、人工的な潅水は殆ど不要です。

 自然農の場合、作物が育つために必要な最低限の除草しかしません。除草も根っこから抜くのではなく、上部を刈ってその場に置きます。ですから土が露になることはありませんから、日光の直射による水分の蒸発もかなり抑制されます。

 また、作物の方も水分を求めて根を深くまで伸ばしていきます。逆に、水や養分が潤沢にある環境では根張りも弱くなってしまいます。逆境において、逞しく成長した作物から得られる果実ほど有難いものはないのではないかと思います。いただく方も心して有難くといったことになり、その美味しさも一入といったことになろうかと思います。

 


「自然農」を始めるための畑に最適!?

2013-07-12 | 政治・経済・社会

 「畑は畑として活用を図ることにしました」とは言ったものの、広狭(300~1700㎡)さまざまですが12筆ほどあります。その他に杉や檜の山林ときておりますので、とてもとても一人では手が廻りかねます。先日も梅雨明けの暑い最中に草刈に行ってきました。下の画像は、その時のものです。眺望は抜群です。空気が澄んでいれば阿蘇の山並みも見えます。この畑だけは、一昨年までは時々手入れをしておりましたので2時間ほどで作業終了しました。それでもなかなかの重労働でした。

 その他の畑は、みかん栽培を止めて(みかんの木は伐採済み)から10年以上経過しております。元みかん畑ですから日当たりは良好です。但し、笹や蔦などが蔓延っておりますので開作が必要です。長期間耕作しておりませんので、自然農を始めるのに向いているのではないかと思います。

 所在地は、佐賀県小城市です。長崎自動車道佐賀大和ICから約15分、多久ICから約10分程度です。どなたか自然農を始めたい方がいらっしゃいましたら無償で用地をお貸ししてもよいと考えております。ご興味があれば、一度見学にいらっしゃいませんか?

  当方へのご連絡は、当事務所の「お問合せ」ページの問合せフォームからお願い致します。

<参考> 「自然農について」「耕さない農業」「雑草と共存する農業」「害虫といわれる昆虫について(農薬そして雑草と共存することについての一考察)

Photo

元みかん畑から大牟田方面を望む。


人間が咄嗟にとる行動について

2013-07-10 | 大空への憧れ
 人間がとっさの時にとる行動は、時としてより悪い事態を招くことがあります。この度のサンフランシスコで発生したアシアナ航空の事故でパイロットの操縦操作がそうだったのではないかと思います。
 専門家でもないものが何を言うかといったご批判もあろうかとは思いますが、飛行機好きの戯言としてお聞きくださればと思います。

 着陸時に規定より低高度かつ低速度というのは、最低最悪の状況です。何故そのような事態に陥ってしまったかは、今後の調査を待つしかありませんが、そのような状況でパイロットが取りうる操作は、パワーを入れて、決して機首上げをせず、運を天に任せること位しかないと思います。

 何と非常識なことを言っているのかと訝しく思われるでしょう。高度が下がっているのだから操縦桿を引いて機首上げをすべきだと思われることでしょう。事実ネット上でもっと早く機首を上げるべきだったといった指摘が散見されます。

 しかし、エアスピードが下がっているのに機首上げ操作を行うことは、更なるエアスピードの低下を招き、最悪の場合には失速に陥ってしまいます。今回の事故でもパワーを入れて数秒後に失速警報が鳴動したと報道されております。(何故そのようになるのか興味がある方は、「操縦訓練記(9)-学んだことと今後の課題」 をご参照下さい。)

 しかし、地上が間近に迫ると頭では理解していても本能的に操縦桿を引いてしまいます。もし私がそういった状況に直面したら、果たして操縦桿を引かずにいられるでしょうか。全くもって自信がありません。エアラインのパイロットはそのような訓練を十二分に受けていても、やはり操縦桿を引いて(ないしは維持して)しまったのです。

 もし、パイロットがパワーを入れると同時に操縦桿をいくらかでも戻していたらグライドパスか改善した可能性があるのではないかと考えます。岸壁に尾部が激突していると言うことはメインギアがある主翼は地上にあった訳です。ほんの数メートル前に行くことが出来れば、そしてフレアのような機首上げ姿勢でなかったとしたら、滑走路外ではあるけれどもギリギリ着陸できた可能性があるのではないかとも考えられます。

 このように飛行機の操縦は、一般常識からかけ離れています。だからこそ、咄嗟の時に正しい行動ができないと言えるのでしょう。人間がとる本能的・反射的行動を抑制して正しい操作を行わせるのは理性と正しい知識と訓練の積み重ねしかないのではないかと思います。

 それにしてもNTSBの情報発表は迅速ですね。日本の場合には、警察が入り犯罪捜査といった側面がありますので、情報がなかなか公表されませんし、当事者の証言も自分に不利な事柄については口が堅くなってしまいます。「取調べの可視化について」でも書いておりますように、被害者感情を抜きにして言えば、医療過誤や航空・船舶・鉄道事故など公共性が高い場合については、当事者を免責にしたうえで、真相究明及び再発防止を図った方が犯罪者をあら捜しするより社会的意義が高いのではないかと考えます。


自民党の日本国憲法改正草案について(3)-第97条の削除

2013-07-10 | 政治・経済・社会

 迂闊にも現行憲法第97条が自民党案では削除されているのに気付かず新聞報道ではじめて知りました。

 このことは「日本国憲法改正草案 Q&A」にも触れられておりません。何となくこっそりと削除しようといった思惑があるのではないかと邪推してしまいます。この規定は、現行憲法が保障する基本的人権についての制限的改憲を許さないといった条項と受取れます。即ち、より多くの基本的人権を盛り込む改憲は可能であるが、制限するような改憲は許されないとするものです。

 他国にも改憲手続きによっても改憲できないとするコアな条項がある憲法があります。基本的人権に関しては、このコアな条項に類するといった規定であると考えられます。「憲法改正について思うこと」や「憲法第96条の先行改正について」などで述べておりますように、憲法について多くの議論が捲き起こることは望ましいことです。自民党草案の第96条改正で全てのハードルを下げるより、コア部分は現行憲法の条件で、それ以外は自民党案のようにハードルを下げるといったこともありではないかと思います。

 話を元に戻しますと「自民党の日本国憲法改正草案について(2)-公益及び公の秩序」でも述べておりますが、改正草案では基本的人権をより制限的にしようといった思惑が見え隠れしております。特に第21条第2項を新設するにあたって、第97条が邪魔になったのでしょうか。もっとも現行憲法第11条の規定は、そのまま残されているので、重複して規定されていたものを整理したといった意味合いがあるのかも知れませんが・・・。

 このあたりも明確に説明していただきたいものだと考えます。


評論家とは因果な商売ですね

2013-07-09 | 政治・経済・社会

 サンフランシスコ国際空港でのボーイング777型機事故の報道に際して、某航空評論家がテレビ出演されておりました。事故からそう時間が経過しておりませんでしたので事故原因は何かといったことが当然のテーマとなる訳です。求められるのは、その道の専門家(航空工学やパイロット)です。しかし、その某評論家は客室乗務員出身の方でした。無論、操縦経験があるのかも知れませんし、航空工学について豊富な知識をお持ちかも知れませんが・・・。

 依頼する方もする方ですが、自分の専門外のコメントを求められることが分かりきっているのに出演するのも如何なものかと思ってしまいます。放送の時間帯が重なるから、最適な評論家は他局から既にアサインされてしまっており、無理やりに頼み込まれたといった事情があるのかも知れません。しかしながら、航空評論家といった看板を上げている以上、質問に対して「その件に関しては知りません。」とはなかなかというか口が裂けても言えないでしょう。自分の知識を総動員して、あたらずと言えども遠からずといったコメントをするしかないでしょう。核心に迫るどころか何となく上っ面を撫でただけといった内容になることは目に見えております。酷いコメンテーターになると頓珍漢なことを言ったり、間違ったことを言ったりとなってしまいます。

 いくら商売とはいえ、依頼を断わる勇気を持つことも時には必要なことかも知れません。一度断わると二度と依頼が来なくなるかも知れないといった恐怖は誰しも思うことです。しかし、天下に大恥を晒してしまうより、なんぼかましだと思います。ご自分の専門分野までも低く見られてしまうことにもなりかねません。

 視聴者側も評論家のコメントを鵜呑みにすることなく、常に自分の頭で考えることが大切なことであると考えます。


自然農について

2013-07-08 | 農業
 一般的に自然農(自然農法)とは、①不耕起、②無農薬、③無肥料、④不除草であることとされているようです。書籍やネット情報を調べてみますと、色々な手法がありますが、私が目指すところの「自然農」は、川口由一さんが提唱されている、「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵としない」(川口由一編【自然農への道】創森社より引用)にもっとも近いように思います。

 自然農を手探りではじめて3年近くになりますが、まだまだ分からないことが多く試行錯誤状態です。今まで、不耕起、無農薬、不除草に関しては自分なりの理解を書いてきましたし、納得できているつもりでおります。しかしながら、無肥料については、なかなか納得がいきません。

 あるブログ主からご紹介いただいたのが川口由一さんでした。早速、数冊の著作を読ませていただきました。今までの取り組みに理論的裏付けをいただき、多いなる励みとなりました。それでも、未だに無肥料に関しての疑問が氷解するには至っておりません。

 川口さんが提唱されている「持ち込まず、持ち出さない」というのは、自給自足的な自然農においては、田畑で栽培したものを動物が食し、その残滓や排泄物を田畑に還元できてはじめて循環が成立します。しかしながら、現代においては排泄物を田畑に還元するというようなことは余り行われていないでしょうし、私のところでもやっておりません。僅かに、食物の残りなどの有機物をコンポスト化して土壌に還元するようにしておりますが・・・。

 よって、完全な循環を形成させることは難しいのではないかということになります。人間が食したものは、その分だけ循環の環から外れてしまうことになります。それに見合う分の物質を補給してあげなければ、その物質が土壌から失われていくことになります。このことが長期間続けば、次第に地力が損なわれてしまい、完全な無肥料を貫くことはできないのではないかといった疑問に突き当たります。

 確かに、川口さんの実践では、草々を刈りとりその場に敷くといったやり方すので、慣行農業における草取り(根から取り除き、焼却などして圃場から排除)に比べれば、循環比率が高くなっております。また、殺虫剤などの農薬を使用しませんから、昆虫や小動物の宝庫となります。これを求めて鳥なども集まります。ですから、これらの死骸や糞などの有機物が外から持ち込まれるといったことも考えられます。これで無肥料にできることを充分に説明できるものなのでしょうか?

 また、窒素のように微生物によって、空気中の窒素が固定されるとが知られています。また、炭素も光合成によって空気中の二酸化炭素から固定することができます。植物体を構成する全ての物質が、未知の仕組みによって獲得できるというのであれば無肥料でも可能であるといえますが、現段階ではその仕組みの解明には至っておりません。

 更に、動植物には微量元素が不可欠です。これらに関しては、土壌構成物質の元である岩石中に含まれる鉱物を植物の根が出す酸の作用によって溶出させ吸収しているといった考えがあります。これはこれで説得力がありますが、これも時間の経過と共に減少していくことは明らかなことで、何時かは欠乏することとなります。もっとも、植物に必要な量は、極微量であるから土壌中に存在する量からすれば数千年のオーダーであるから全く問題ないと言えるのかも知れません。しかしながら、カルシウムやマグネシウムの欠乏を防ぐために、石灰や苦土石灰が散布されております。これは、厳密な意味では肥料には当たらないかも知れませんが・・・。

 自然農を説明する上で、この無肥料というのが一番難しいし、理解が得られないところだと思います。ですから、「農業の常識は、自然界の非常識」「農業の常識は、自然界の非常識」-その2で取り上げたような、不可思議な理屈を考え出さなければならなくなったのかも知れません。

 とにかく論より証拠である。数多くの実践例が示すとおり、立派にやっていけているではないかといった考えもあろうかと思います。しかし、これとても私にとっては、「熱交換塗料が熱を消す???(2)」と同様においそれと同調することができません。

 さはさりながら、他の農法に比べれば私の理想とするところに近いものですし、実践しながら学び考え続けて行きたいと思っております。できれば、無肥料に関しても解明の糸口でも見つけることができればと思っております。

 <参 考> 「現代農業は巨大な化学実験場か?」「耕さない農業」「雑草と共存する農業」「害虫といわれる昆虫について(農薬そして雑草と共存することについての一考察)」「自然栽培って?」「無肥料栽培について




畑は畑として活用を図ることにしました

2013-07-05 | 農業

 以前耕作放棄地を太陽光発電所にしたらなどと書きました。(参考:「元みかん畑(耕作放棄地)に太陽光発電所を・・・」)

 しかし、畑は畑として活用することが大切であると考えを改めました。百姓として、とんだ心得違いをするところでした。山にまで手が廻らないのは事実ですが、このまま放っておいてはますます状況を悪化させるだけです。いたるところで農道の法面が崩れかけております。今ならまだ間に合うかも知れません。自分一人では大したことは出来ませんが、手の届く範囲で頑張ってみたいと思います。

 さて、活用を図るとなると何かを栽培しなければなりません。以前、ヘーゼルナッツとレモンを植えましたが、管理できずに下の畑に下ろした経緯があります。この二の舞とならないようにしなければなりません。さて、何としたものか?

 さしあたっては、プルーン、キウイ、柿、梅を候補にしております。また、蕎麦の栽培も検討しております。このような検討をしている時は楽しいものですが、実際に栽培を始めると・・・。

 おっと、その前に梅雨が明けたら竹と草を刈らなければなりません。当初の開墾から比べれば大したことはないでしょうが、大変な作業になることは容易に想像できます。真夏の南向きの斜面での作業になりますので熱中症になるかもですね。

 まぁ、このような苦労も収穫の喜びが味わえるからやっていけるのだと思います。たとえ赤字になっても。兼業農家だからできることであるとも思います。ただ、私のところも、ご多分に漏れず跡継ぎがいません。私が百姓できなくなったらどうなるのでしょうね?

 田んぼは借り手があるとは思いますが、山の畑は再び荒地に戻ることになってしまいます。開墾する前の雑木林に戻れば良いのですが・・・。今更、畑を活用することを考えるより、元の雑木林に戻す算段を考えた方が賢明なのかも知れません。

 どちら様か、先行事例をご存知の方がいらっしゃいましたらご教授願えませんでしょうか?

<参考> 「電田プロジェクト」「電田プロジェクト-その2」「兼業農家は是か非か?


規制緩和をすればすべてうまく行くのだろうか?

2013-07-04 | 政治・経済・社会

 いよいよ参議院議員選挙が公示され、選挙戦に突入しました。政策の中に規制緩和を声高に叫ぶ政党があります。アベノミクスの三本目の矢にも規制緩和が謳われております。特に電力、農業、医療が重要だといわれております。しかしながら、規制が諸悪の根源で、これを緩和すれば全てがうまく行くといった簡単なものなのでしょうか。私には一種の幻想のように思われてなりません。

 電力改革については、既に「発送電分離ですべてがうまく行くのだろうか?」や「発送電分離について」で疑問を呈しております。

 また、農業に関しては「農家の農地所有のあり方について」「TPPについて(8)-農地法」その他、当ブログの農業カテゴリで色々と述べさせていただいております。

 更には、川柳ネタでも「改革をすればするほど変になる」と駄句っております。

 何事にも表と裏があるように二面性があります。ましてや現代社会は複雑ですので、二面性どころか多面的ですらあります。規制緩和について再度言わせていただくならば、剥き出しの資本主義を修正するために社会の知恵として種々の規制が生まれたはずで、それなりの理由や背景があります。規制緩和を議論するならするで、これによって得られる利益と不利益を慎重に比較考量し、それでも社会的利益がはるかに勝れば、不利益を被る方々に充分な配慮を行った上で行う必要があります。規制することは悪であって、緩和することは善であるといった単純な議論はいただけません。

 多くの政策は、結局のところ直接的・間接的に国民に跳ね返ってきます。我々は、国民自身が国民の代表を選び、政策を選択する権利を有する幸せな国に住んでいます。この権利を行使し、まともな代表者を国政の場に送り出したいものです。


インターネット選挙運動解禁だそうですが・・・

2013-07-01 | 政治・経済・社会

 インターネットを使った選挙運動が、今回の参議院選挙から解禁になりました。遅きに失している感は否めませんが、一応前進したということでは歓迎したいと思います。

 しかしながら、各党の対応を眺めてみますとIT企業に乗せられた結果なのかも知れませんが、何となく変な方向に走ってしまっているものが見受けられます。いくら金を掛けたか知りませんが、ユーモアを通り越して吹き出してしまいそうになったものもありました。そんなものに金かけるより、地道な選挙活動をした方が何ぼかましだと思ったりしますが・・・。

 それにしても選挙運動には制約が多過ぎるように思います。あれこれと事細かに制限されております。その最たるものが戸別訪問の禁止でしょう。戸別訪問を禁止しているのは日本と韓国くらいと言われるくらい諸外国では当たり前の選挙運動です。戸別訪問が禁止されている理由として、買収などの選挙違反の温床となるなどとされておりますが、本当の理由は別のところにあるように思います。日頃はグローバルスタンダードを強調しているにも関わらず、この点には目を瞑ってしまうことに対して甚だ疑問に思います。

 ネット選挙運動が解禁されたからといっても政党そのものが信用されていない状況では、ネットで提供されるコンテンツには何の意味もありません。単に政党や出演している党首の自己満足に過ぎないと思います。