山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

コピペの横行に思うこと

2014-03-26 | 政治・経済・社会

 最近コピペの話題で盛り上がっておりますが、これは以前からも指摘されてきておりましたし、私自身もブログで取り上げてきました。(参考:「日本はパクリ天国?」「コピペによるブログ記事の作成について皆様はいかがお考えでしょうか? 」「技術用語の解説には著作権がない?」)

 報道でもあれこれ理由が挙げられておりますが、結局は個々人の良心あるいはプライドといったものに帰着するのではないでしょうか。この点は「個人的良心と組織」でも若干ふれております。特に、組織に属する個人が、組織または個人の利益を図るために他者の権利を侵害するような場合に、その罪悪感が希薄になる傾向があるように思います。後ろめたい気持は持っていながらも自分の労力を減らすことがコスト削減に繋がり、結果的には組織のためになるのであるといった正当化が行われてしまっているのかも知れません。これ等は、悪いことをしているといった認識があるから未だ良い方なのかも知れません。コピペなどは当然の行為であると思っている方々も多いように聞きます。

 例えば、自社製品の取扱説明書の一部にネット上の情報をコピペし、製品に同梱したり平然とネット上に公開しているようなことは、自社製品の説明を自らの言葉で語る事が出来ないといった能力の証明をしているようなものです。それを指摘されたら、技術用語の解説には著作権がないといって開き直る。そんなことを言ったら自分の首を絞めるようなことでしょうに。一事が万事です。取扱説明書がそのようなものでしかないのであれば、製品そのものにも疑いの目を向けられることにもなりかねません。私は、このようなメーカーの製品は恐くて使えません。

 ちなみに、他のメーカーでも同じ内容のコピペがありました。営利企業の中にもこのような考え方が横行している状況は、全くもって嘆かわしい事態だと思います。「もの創り日本」の名が廃るというものです。ほんの一時期このようなことでコストダウンに成功して利益が上がったとしても、そのうちボディーブローが効いてきてノックダウンしてしまうでしょう。日本の未来が暗澹たるものに思えてきます。


人間て身勝手なものなんでしょうかね?

2014-03-18 | 政治・経済・社会

 当事務所では省エネ・節電の無料相談を行っております。業務に差支えがありますので、電話相談はお断りの表示をしておりますが、それでも断わり書きに気付かず電話で相談される方があります。折角電話されてこられたのですから無下にお断りするのも気がひけますので、とりあえずお話をうかがいます。しかし、一方的に自分の正当性を主張したり、長時間に渡り色々と語られますが、同じことの繰り返しであったり、何が問題点なのかさっぱり分からないといったことが往々にしてあります。

 何かでお困りになって相談されている気持は分からないでもありません。しかしながら、こちらも他に業務を抱えながらやっているのです。電話は当方の都合などお構いなしに突然割り込んできます。タイミングよく休憩中ならまだしも、マーフィーの法則にありそうですが、大体において手が離せないようなときに電話が架かってくるものです。名乗りもせず、こちらの都合も聞かず、いきなり用件を切り出し、滔々と自己主張をなさいます。報酬をいただけるのであれば我慢もしましょう。ですから、相談される側も一定の節度を持っていただけたらと思っている次第です。

 電話相談をお断りしているのは、上記の理由以外にもあります。相談内容をメールなどの文書にまとめていただくことで論点が明確になったり、激高した感情が醒めたりといった効用がでます。私はそれを空いた時間にじっくりと読み、考えることができます。電話では、そのようなことはなかなかできません。先ずは、相談者を落着かせることから始めなければならないこともあります。そして、当方が必要とする情報を一つ一つ尋ねなければなりません。下手をすると30分、一時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。そして、相談者の期待に沿わないような不本意な結論となることが多いものです。そうなると相談者は、サッサと電話をお切りになります。電話の切れた後のビジートーン(ツー・ツー・ツー)だけが虚しく聞こえます。

 私からするとそのような相談者は身勝手に思えますが、相談者からみたらまた別の見方もあるのかも知れません。無料相談などといった看板を掲げておきながら、変な理屈を捏ね回して相談者を身勝手と謗る。お前こそ身勝手な奴だと思われているのかも知れませんね?

 だったら止めてしまえといった議論もあるでしょうが、この無料相談も一定の役割を果たしていると思っておりますので、何とか継続して行きたいと思っております。ただ、私も人間です。何時身勝手な理由で、無料相談を止めてしまうかも知れません。

追伸-電話相談に限らず、人に何某かの手間を取らせたのでしたら、参考になろうがなるまいが何らかの返答はすべきではないでしょうか。当方から送付したメールに対して、届いたものやら届かなかったものやら、参考になったものやらならなかったものやら・・・。別に御礼を言ってもらいたいのではありませんが、いくらネット上の事とはいえ、それが人としての礼儀というものではないでしょうか。


πの日にちなんで

2014-03-14 | うんちく・小ネタ

 今日は3.14(πの日)ということで、以前も話題に取り上げました。(参考:「今日3月14日は円周率(π)の日だそうな」)

 再びπを話題にしてみたいと思います。日頃お世話になっているπですが、3.14・・・と無限に続く無理数であることは皆さんご存知のことと思います。この無限に続く数の羅列をスパーコンピューターを用いて何兆桁まで計算したとかが報道されます。これを見聞きするたびに何のためにやっているのかなーと疑問に思うことが度々でした。実用的にはほとんど意味のないことです。スパコンの性能を自慢するため。自己満足のため。などと色々と忖度していたところです。

 ただ何事もそのように実用的に意味があるかどうかのみによって判断することは、人間の進歩を阻害してしまうように思います。知的好奇心がなければ科学は進歩しないでしょうし、利益ばかり追求するような社会ではギスギスしたものになってしまうでしょう。

 πの桁数だって、色々と知的好奇心を満足させてくれることでしょう。一見ランダムに並んでいるように思える0~9の数字ですが、数字の出現回数のバラツキはあるのかないのか。あるいは、同じ数字が連続して並ぶことがあるのかなどといった興味深い疑問が一杯出湧いてきます。

 小数点以下762桁目から始まる6個の連続した9の並びのことをファインマンポイントというそうです。次は、193,034桁目から始まる9、222,299桁目から始まる8、などがあるそうです。連続2個、3個、4個、・・・と一体何個まで並ぶことがあるのか興味が尽きません。

 ここで登場してきたファインマンは、言わずと知れたノーベル賞物理学者のリチャード・P・ファインマンのことで、私が敬愛する物理学者の一人です。学生時代に愛読していた「ファインマン物理学」は今でも時折読むことがあります。また、

 大貫昌子訳「ご冗談でしょう、ファインマンさん」Ⅰ・Ⅱ-岩波書店

はファインマンさんの人となりが見事に表わされた自伝で、ファインマンさんを好きになること請け合いです。

 脇道に逸れてしまいましたが、無駄なことと思えるようなことにとんでもないものが潜んでいることがあるかも知れませんし、何にもないかも知れません。だから人生って面白いんじゃないですか?


蛍光灯器具生産終了?

2014-03-12 | 省エネ

 報道によりますとパナソニックが2015年度中に住宅用蛍光灯器具の生産を終了する予定であるとのことです。政府も2020年までに全ての照明をLED製にすることを目指しているとか。他の照明器具メーカーも追随する見込みであるそうです。但し、蛍光灯自体は製造を続けるとのことです。

 さて、世の中から蛍光灯が無くなり、LEDに統一されてしまってよいものでしょうか。LED技術の進歩やコスト低減等々により、以前に比べコストパフォーマンスも随分と改善してきましたが、まだまだ蛍光灯優位であることに変りはないようにです。(参考:「LED照明 VS 蛍光灯」)

 LEDにおけることと同様に蛍光灯においても技術の進歩とコスト低減は可能であることでしょう。にも関わらず、政府の方針はLEDという単独の照明に統一してしまおうということです。LEDのみに絞ってしまう危険性は本当にないのでしょうか?

 LEDだけで既存の光源の代替が可能なのでしょうか。トイレや階段の照明のように極短時間しか点灯しない照明に本当にLEDが適するのでしょうか。このような場合には白熱電球だって省エネやライフサイクルコストの観点からみても全く問題ないでしょうに。むしろ、LEDの方が資源の浪費に繋がる可能性が高いように思われます。

  照明器具だって用途に応じて多くの光源が選択できる方が望ましいと私は思うのですが・・・。今回の生産終了の決定は、P社の社内事情に因るものが大きいのではないかと邪推しております。即ち、多様な生産ラインを維持するのはコストアップの要因である。LEDに絞り込むことによってコスト削減が図れるではないかと。これは、住宅用蛍光灯の蛍光灯器具が対象となっているからです。業務用の蛍光灯器具については何ら言及されておりません。こちらの方は、まだまだ利益をあげられる可能性があるとお考えだからなのでしょう。

 もし私のあて推量が当っているとすれば、泉下の幸之助さんもさぞお嘆きのことと思います。