山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

今日はπの日

2024-03-14 | うんちく・小ネタ
 3月14日は3.14にちなんでπの日だそうです。
πとは3.141592653589793238462643383279502884197169399375 ・・・と無限に続く神秘的な数です。
この数の頭から5個の数を取ってきて3/14の1:59ないしは3/14の15:9にセレモニーが行われることもあるそうです。
私はこの頃、食い気の方が勝ってπより、アップルパイのことを連想することの方が多くなったような気がします。
そもそもπの日を言い始めたのは、バレンタインデーと同じようにお菓子屋さんが言い始めたのではないかと思ったりします。
これまでにも「今日3月14日は円周率(π)の日だそうな」「πの日にちなんで」と同じテーマで投稿しておりました。どうもこの時期投稿ネタが少なくなるようで、このような記事を書いてしまうようです(笑)

 さてπは無限に続く巡回しない小数です。無限に続くと言えば、
1-1/3+1/5-1/7+・・・
といった無限項の和(無限級数)というのがあります。驚くなかれこれがπ/4に等しいというのです。
 他にも
1+1/2^2+1/3^2+1/4^2+・・・=π^2/6
など多くの級数が知られています。先人はこんなものを良く考えたものだと感心させられてしまいます。
 これらはπという数の近似値を手計算でも求められることを示しています。最初の例だったら小学生でも求められることでしょう。しかし、この計算は恐ろしく時間が掛かりそうです。でも現代はコンピューターという武器を手に入れました。そしてもっと効率的に計算できる手法も研究されております。
 そして何とこの度、百数十日かけて100兆桁ものπの値が求められたそうです。この飽くなき探求心には唯々敬服するしかありません。実用的には一見無駄なことのように思えますが、これを追求するためには多くのバックグラウンドが必要です。このバックグラウンドの充実が新たなる進化に繋がるのです。
 目先の成功や利益にとらわれているだけでは画期的な進化は望むべくもありません。無駄結構。好奇心の赴くまま大いにチャレンジしましょう。

 

ファースト? ファスト?

2023-08-19 | うんちく・小ネタ
 最近テレビ等で「ファストフード」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。何かしら新しい言葉かと思いきや「ファーストフード」を指しているようです。昔人間にとって何となく異様な響きに聞こえてしまいます。
 そこで”fast”という単語を調べてみますと米国では【fǽst】、英国では【fɑ'ːst】と発音されていることに由来しているようです。しかしながら、実際に聞き比べてみますと両方とも「ファースト」と聞こえます。英国の方が少々長い位でしょうか、少なくとも「ファスト」と詰まってしまう程ではありません。それより顕著なのが【ǽ】と【ɑ】の違いです。特に【ǽ】の発音は難しいですよね。

 オリンピックの時によく使われた言葉として「アスリートファースト」というのがありました。こちらの方は同じ「ファースト」でも全く意味が違います。同じカタカナ表記なのに色々と紛らわしいことです。

 以前取り上げた「スパット? スポット?」のように外来語を日本語化するための、いわゆるカタカナ英語は大変便利なものです。これによって日本語は融通無碍に外来語を取り入れることが出来ます。しかし、一方では多くの混乱を招いてしまうこともあります。その最たるものが和製英語と言われるものでしょう。日本だけでしか通用しない言葉です。例えば「テレビ」「ハンドル」「ガソリンスタンド」「バックミラー」などでしょうか。

 言葉は生き物ですから、常に流動的に変化していくものなのでしょう。最初は異様に思えても使い慣れてしまえば何の気なしに日常的に使うようになってきます。
 ひところ「ら抜き」言葉が取り上げられていましたが、今やら抜きが当たり前です。面白いことに日本人へのインタビューで、当人は「ら抜き」でしゃべっているのに、わざわざ「ら」を付けたテロップを当てていたりしています。これは何か意図があってしているのでしょうか。
 
 ですから「ファストフード」でもこれが主流になれば「ファーストフード」は使われなくなるでしょう。最初は違和感を覚え、何となく落ち着きが悪いかも知れませんが、その内慣れてくるものなのでしょう。
 私などは慣れる前にこの世から居なくなっていることでしょう(笑)


マイナ保険証を使っているところを目撃!!

2023-08-09 | うんちく・小ネタ
 私が日頃からお世話になっている診療所のことですが、片田舎で来院する患者の8割以上は高齢者だと思います。そこに何とマイナ保険証の受付機が導入されております。これまであまり気にしたことが無かったので、何時ぐらいからかは定かではありませんが、もうかれこれ半年以上は経過していると思います。
 これまで待合室で待っている間に使用しているところを見たこともありませんでした。ところが歳の頃は40代と思しきお兄ちゃんがマイナ保険証を読み込ませているところに出くわしました。確か私より20秒くらい前に入って行ったはずですが、未だ顔認証に手間取ってあーだこーだやってます。院内はマスクをしてくださいという貼り紙がしてあるにも関わらず、マスクを外してブツブツ言いながら顔を近づけたり離したり、顔を上に向けたり俯いたりと悪戦苦闘しておりました。
 こちらはその横をすり抜け何時もの如く保険証を窓口に置いてくるだけで完了です。待合室に座っても、まだ悪戦苦闘しております。それから1分ほどたってやっと認証手続きが完了したようです。
 しかし、呼び込みの順番はそのお兄ちゃんが先になりました。そうなんです。田舎の診療所は殆どが顔見知りなんです。そのお兄ちゃんが入り口を入った瞬間、既に受付完了なんです。カルテなどの必要なものは既に用意されております。ですからどんなに受付手続きに手間取ろうが入り口を入った順が、余程のことが無い限り診察順ということになるのです。

 マイナ保険証の受付装置は機械であり巨大なネットワークシステムの一部でもあります。機械ですから壊れることもあるでしょう。ネットワークシステムですから通信障害も発生するでしょう。ソフトウエアの不具合だって発生します。巨大なシステムであればあるほど障害発生確率も大きくなります。そして障害は皮肉なことにそのシステムの一番脆弱な処を狙ってくるのです。蟻の一穴からという諺もあります。ゆめゆめ油断なさらぬように願う次第です。

 しかし、田舎の診療所では人による顔認証システム(至ってアナログ?)が十分に機能しておりますので診療不能になることは無いと思います。しかしながら、病院レベルになると結構大変な事態に陥ってしまうかも知れません。顔認証に長時間かかってしまうことも往々にしてあるでしょう。40代位の手慣れたものであろうお兄ちゃんだって、あんなにまごついていたんだから況や高齢者は・・・。
 受付機の前で大渋滞が発生し、診察室はガラガラなんてことにならなければ良いのですが。
 
<参 考>
集中と分散~利便性と危険性 」「アナログを見直そう」「デジタルは万能か?


集中と分散~利便性と危険性

2023-05-27 | うんちく・小ネタ
 最近マイナンバーカードの問題が次々と明らかになってマスコミを賑わせております。原因は人為的なミスだと主務官庁の方々は他人事のような認識でおられるようですが、そもそも人が入力するのであればミスが発生するのが当たり前です。そのことを前提としてシステムを構築する必要があるのに監督官庁がその程度の認識しかないのは異常なことだと言わざるを得ません。今後は入力に万全を期すとともに全てのデータを突合してチェックするそうですが、現在進行形でどんどんデータが増えていくのですよ。現実的解決策と言えるのか甚だ疑問に思います。かつて年金問題が発生した時に突合突合と大騒ぎしましたよね。過去のデータでさえ結局うやむやになって仕舞ったのに、現在進行形の突合をどのようになさるのか高見の見物させていただきたいと存じます。少し脇道に逸れてしまいましたので、話を戻します。

 そもそもマイナンバーは全国民に固有の番号を割り当て、この番号をキーとして当該国民の諸情報を一元管理することを目的としたものです。
 さて管理される各種情報は一体どのようなものながあるのでしょうか。先ず思いつくのは、戸籍・住民票関連、税務関連、各種免許関連、年金、健康保険、雇用保険、銀行口座関連などでしょうか。それに加えて、国が必要と認める個人情報が含まれるということになるのでしょう。

 これらの諸情報は現状でも個別のシステムで管理運営されています。ということはそれぞれのシステムで固有の番号が個人に割り当てられているはずです。ですからマイナンバーとそれぞれのシステムのナンバーを紐づけされており、あるいはマイナンバーの逆引きが出来るようになっていれば、マイナンバーカードなど必要ないのではないかといった疑問が湧いてきます。
 例えば今話題になっている健康保険で言えば、健康保険証のナンバーがキーとして情報が管理されています。だから同一健康保険組合の中であれば、必要な情報を検索できるはずです。しかし、転職等で健康保険組合が変わった場合には従前の組合の情報にアクセスできません。このような場合などにマイナンバーで検索して健康保険組合の変更履歴を辿ることができれば、当該健康保険組合の情報にアクセスすることが可能になります。そう言った意味でマイナンバーによる一元管理を可能にし利便性が高まることとなります。
 さて、ここまでの話にはマイナンバーカードは登場しておりません。マイナンバーカードが無くてもできることなのです。もちろんマイナンバーを管理するシステムと健康保険組合のシステムがそのような機能を構有している必要がありますが・・・。と言うか、恐らくは既にそのようなシステムになっているものと思われます。

 では何故マイナンバーカードと健康保険証を一元化する必要があるのでしょうか。確かに2枚のものが1枚に集約化出来て便利になるということはあるでしょう。更には運転免許証も近々統合化される予定とか?
 ここにマイナンバーカードを普及させるための策略が透けて見えているのです。まさに飴と鞭の政策なのです。後先考えずにがむしゃらに突き進んで行くのか全くもって理解不能です。国は余程の必要性に迫られているとしか考えられません。それはいったい何なのでしょうか⁉

 さて、私たちが日常生活をおくる上で普段身に付けているものと言えば、運転免許証、クレジットカード、Suicaなどの交通系のカードなどでしょうか。運転免許証以外はほとんどスマホで出来ますので、持ち歩かない方もいらっしゃるのでは?
 運転免許証を待ってない方はもしかしたら身分証明書代わりに健康保険証を持ち歩いていらっしゃるかも知れませんが、そんなに多くないものと思われます。
 ですからマイナンバーカードと運転免許証を統合化するということなら未だしも理解できますが、病院に行くのにマイナンバーカードを持ち歩くというのは如何なものでしょうか?
 
 持ち歩くということは、もしかしたら失くす可能性があるということです。マイナンバーカードを失してしまうと統合化されたもの全てを失うということとなります。セキュリティ対策が万全であって悪用されることは無いと喧伝されております。一応それを信用することにしましょう。しかしながら、新しいマイナンバーカードが手元に届くまで機能不全に陥ってしまいます。
この期間は現在のところ1ヶ月程度が見込まれるということです。現在の保険証であれば1週間程度で再発行されるでしょうし、運転免許証だったら即日交付してもらえると思います。それとも警察署で免許証の代用となる証明書を発行してもらえるかも知れません。
 何れにしても危険は分散させておいた方が良いということは言うまでのこともないしょう。投資は危険がつきものです。大怪我をしないためには分散投資が勧められております。
 便利だから何でもかんでも集中させれば良いというものでもありません。情報であっても一元管理するより、サブシステム毎に分散管理した方がより安全性の高いものにすることが出来ます。確かに、似たようなシステムが多くなってしまい効率が悪くなってしまうかも知れません。しかし、万が一のことが発生した場合の被害を限定(局所化)し極小化することを可能にします。
 果たして国が採るべき方向は利便性・効率性を追求することでしょうか。それともベストの効率は求めないが、より堅牢なシステムを構築することでしょうか。

 以前、住民基本台帳カードなるものを作成しました。マイナンバーカードと異なり金額は忘れてしまいましたが有料でした。当時は鳴り物入りで利便性が高くなるので作りましょうと言われておりました。私も職務上知識として知っておきたかったので作成したものです。しかし、あれだけ高額の宣伝費用を掛けたにも関わらず結果は皆さんご存じの通りです。そしてマイナンバーカードが発行されることとなってカードの発行は終了ということになってしまいました。
 結局、所得税の電子確定申告で1回、無線従事者免許証の申請で1回(この場合は住基コードの記載だけでカードは不要でした。)だけです。
 マイナンバーカードも同じ轍を踏まないように願うばかりです。

アナログを見直そう

2022-12-22 | うんちく・小ネタ
 アナログ規制の見直しを岸田総理がぶち上げているそうですが、要は行政手続きを今日的に見直そうということでしょう。これまでに行政改革、規制改革、行政手続きの簡素化、ペーパーレス化、窓口業務のシームレス化・・・とか何とか言って、ほぼ全ての内閣が課題として取り組んできたはずなのにまだ言うかといった感じです。これまでの取組が上手く行っているならば、とっくの昔に出来ているのではないですか!?
 そしてこともあろうに「アナログ」といった言葉を持ち出して何を言いたいのかさっぱり分かりません。どうせできないのだから「アナログ」という本来見当違いの言葉を持ち出して胡麻化そうとしているとしか思えません。これは「アナログ」に対する冒とくに他なりません。

 そこでアナログを復権させるべくここに立ち上がった次第であります(笑)
 
 近年、音楽レコードなどのアナログ音源が見直されてきてブームが起こっているという報道を見聞きするようになり少々心強く思っているところです。利便性で言えば圧倒的にデジタル音源に軍配が挙がります。デジタル化することでデータ量を小さくし、保存性を高め、通信による配信を可能にし何時でも何処でも映像や音を視聴できます。
 一方、そもそもの音源などはアナログなものですから、これをデジタル化(AD変換)するときに必ず犠牲にするものが出てきます。私たちにとってデジタルデータは単なる数値ですのでそのままでは見聞きできません。ですからデジタルからアナログに変換(DA変換)してやる必要があります。ここにも変換に際して犠牲にするものがあります。この二回の変換で音源の忠実性が損なわれてしまいます。
 それが許容できる範囲であれば特に問題ないのですが、オーディオマニアの方々にとっては問題となるようで、そういった方々によってアナログレコードが見直されているのです。

 そもそもアナログとデジタルに優劣などないのにデジタル=先進的、アナログ=時代遅れといった図式を持ち出してデジタル化することが時代の流れだと言わんばかりに吹聴しているのが可笑しいのです。デジタルやアナログを政治の世界に持ち込んでくること自体が無理筋な訳です。もっと適切な言葉はいくらもあるでしょうに!?
 もう馬鹿々々しくて付き合いきれません。

 せっかくですからアナログを復権させるために色々な例を取り上げてみたいと思います。

① 時計 
 時計にはデジタル時計とアナログ時計があります。(デジアナ時計というものもあります)
 高級時計はほぼアナログです。デジタル時計は比較的安価なものが多いようです。これは好みの問題が多いでしょうが、単に時刻を知りたいときにはデジタルが便利でしょうし、後何時間とかいう時にはアナログが便利でしょう。
 余談ですがアナログ時計には短針と太陽の位置から南の方角を知ることが出来るなどといった使い方もできます。

② スピードメーター
 未だにアナログ表示が多いように思われます。デジタル表示と併用されているのも見かけますが、デジタルのみというのはあるのでしょうか?
 内部ではデジタル変換されているのでデジタル表示が安価にできるのですが、わざわざアナログ表示にしています。

③ タコメーター
 これは圧倒的にアナログ表示ですね。バイク用にデジタル表示のものがあるようですが、車載の標準装備でデジタル表示のみという車種はあるのでしょうか?

④ 燃料計
 これも圧倒的にアナログですね。残量7.5リッターとか表示されても唸るだけですよね。

⑤ 圧力計
 単に現在の圧力を知りたいだけならデジタル表示が便利です。しかし、圧力計には危険な圧力に対してどれ位の位置にあるのかを知るといった用途のものがあります。デジタルでも設定して色を変えるなどといったこともできますが、アナログの方がより直感的に把握ができます。

⑥ 温度計、湿度計
 これはどちらでも良いような気がします。余談ですが、テレビなどで気温計という言葉をよく耳にしますが、さて気温計ってあったかな?

⑦ 距離計
 長さを測るだけならデジタル表示が便利です。全体のどれ位に位置しているかだったらアナログですし、後どれ位というのでったらデジタルかな?

 色々書きだしていて気づいたのですが、全て何かを測るものばかりですね。そもそもアナログ量を数値化して我々が認識することをデジタル化と言いいているのですから当たり前と言えば当たり前のことですね。アナログ計器は人間がデジタル化していて、デジタル計器は計器自体がデジタル化してくれて、その結果を表示しているだけのことなのです。その表示方法が目的にとってどちらがいいかというだけの話なのです。

 そう考えるとアナログ規制って何なのか増々疑問が膨らんできます。報道の例では官報公示がアナログでWeb公示がデジタルだそうな。これは表示方法が異なるというだけの話ですよね。要は官報が発行されて初めて効力が発生するといった法律の建付けだけの話なのですから、アナログやデジタルといった言葉は全く無関係なことです。
 更に言えば、公示による効力はその時刻や内容を含めて法的に重要なことです。現在の官報での公示が或る省庁のWebサイトに公表されたことになったとします。ハッカーがそのWebサイトを攻撃して内容を書き換えたとしたらどうなるのでしょうか。ほんの短時間かも知れませんが、それを見て信用して行った法律行為は善意の第三者として保護されるのでしょうか。
 マイナンバーカードを含めて色々な問題を抱えていそうですが、ここであげつらっても仕方ありません。もう老い先短いこの身ですから取り立てて重要なことではありませんが、これから長い人生を歩まれる皆様にとっては大問題となって降りかかってくる可能性すらあります。
 デジタル化という言葉に振り回されることなく、本質的な問題を捉えるようにしていただきたいと思います。
 
<参 考> 
デジタルは万能か?







佐賀弁・筑後弁お国言葉比較考(18)-「せぎる」と「せっきる」

2022-06-20 | うんちく・小ネタ
 田植えの時期を迎えております。田植えの前に水田の代掻きを行います。その際、大量の農業用水が必要となります。当地のような山麓部では昔から農業用水の争奪戦が繰り広げられてきました。それに纏わる言葉も多くあるとは思いますが、今回は標題の言葉を取り上げました。

 水を堰き止めることを佐賀弁では「せぎる」と言います。これは一般的に使われている「瀬切る」から来ているようです。
筑後の方では「せっきる」と言っていました。「せぎる」が筑後弁特有の詰まりで「せっきる」となったものか、「堰く」「塞く」は流れを止めることを指しますので「堰き切る」から来ているのではないかと思われます。また筑後弁で戸を閉めることを「戸をせく」と言います。この語源もおそらく「塞く」なのではないかと想像します。
 
 このこととは関係ないものと思われますが、腹が痛いことを筑後では「腹がせく」と言っておりました。この「せく」はどこから来ているか見当もつきません。或る説では「癪(しゃく)」から来ているのかもというのがあります。「先生(せんせい)」が「しぇんしぇい」となるように「せく」は九州北部では「しぇく」といっていたと思われますので、癪が変化して「せく」なったというのは説得力がありますね。

 今のところ入梅しても降雨量が少なく水不足が懸念されます。取り敢えず我が家の水田は無事田植えが完了してホット一息ついているところです。水田はただ水を張っていれば良いというものではありません。稲の生育段階に応じて水張りの高さ、あるいは中干といった水管理をしていかなければなりません。必要な時に水が足りないと大変困ってしまいます。しかしながら、天候は如何ともしがたいものです。昔みたいに命がけで水を争うようなことはなくなりましたが、今でも我田引水ということで少なからず我が儘を貫く人がいるにはいます・・・。



デジタルは万能か?

2021-10-09 | うんちく・小ネタ
 9/1にデジタル庁が発足しました。私にとっては何となくピンとこない名称に思えて仕方ありません。そもそも名称はその実態を的確に表していることが望ましいと思います。デジタル庁と聞いた時、何する役所か全くもって想像できません。デジタルでなくもっと適切な名称があったと思われるのですが・・・。
 それとこれに関連してもう一つ気になることが、デジタル≒先進的、アナログ≒遅れているといった風潮があることです。先のデジタル庁もデジタルと言っておけば先進的なことをやる役所みたいな安易な発想から生まれた、というか風潮に乗っかったのではないかとも思われます。確か前の担当大臣であったかと思いますが、役所の窓口業務が書類重視というアナログ的なことを未だにやっているから手続きが遅くなるのだといったニュアンスの発言をされていました。別にアナログを引き合いに出さなくてもペーパーレス化や窓口業務のシームレス化などといった言葉が既に使われていたでしょう。何を今更アナログと対比させてデジタル化と言わなくても良さそうに思うのですが・・・。

 そもそもデジタルとは数値的(離散的)、アナログとは連続的なといった広い意味で様々な分野で用いられております。例えば、1mの物差しでものの長さを測ります。一般的な物差しは1㎜刻みで目盛りが付けられていると思います。そうすると目盛りと目盛りの間は目分量で読み取ることになります。もっと精度を上げたければ、ノギスやマイクロメーターなどを使いますが、最終的には目分量によることになります。
 しかし、デジタルの計測器を使えば、目分量によらずたちどころにその計測器の精度による桁数で丸めて数値化して表示してくれます。
 アナログ的な計測器では測定者の熟練度によって精度が左右されることもありますし、計測に要する時間が長くなります。また、計測データの記録を自動化することが難しいといったこともあります。
 半面、デジタル計測器は読み取り作業を内部で処理して結果のみ表示することができますので短時間で計測が可能です。精度も計測器の性能を上げれば、それなりのものが作れます。データも通信などで自動的にPCなどに取り込み加工することができます。
 しかし、デジタル計測器は、物差しに比べたら遥かに高価なものになります。

 また、車などに搭載されているタコメーターを想像してください。もしこれがデジタル表示されていたらどうでしょうか。例えば、7,000rpm以上がレッドゾーンだとします。今4,000回転だから7,000回転まで3,000回転の余裕があるなどといちいち頭で計算しなければなりません。第一3,000回転と3,001回転といった差に何の意味があるというのでしょう。タコメーターで欲しい情報は、現在の回転数が凡そレッドゾーンの何割くらいであるかといったものでしょう。
 
 要は、用途によってデジタル表示が便利なのか、アナログ表示が便利なのかといった使い分けが重要なことなのです。先の例で出したタコメーターは昔は正にアナログ計測器でしたが、現在では一旦デジタル変換し、内部ではデジタルデータとして処理され、表示にはわざわざアナログで表示されているものも多くなっております。
 アナログで表示した方が我々人間にとっては直感的に理解できることが多いのです。しかし、モノづくりの観点から言えば内部処理はデジタル化した方が安価にできるからそのような流れになっているといった方が適当でしょう。

 このようにアナログとデジタルは全くもって優劣はないにも関わらず、デジタル≒先進的、アナログ≒遅れているといった風潮に違和感を覚えます。
 こういう私はアナクロ的なのでしょうか!?


閾値は「いきち」or「しきいち」?

2021-05-20 | うんちく・小ネタ
 今朝のワイドショーでコロナワクチンの抗体のことであるコメンテーターが「いきち」と何回も言うので、これはやらかしたかと思っておりますと、その後訂正などもなくそのままになっておりました。それで少し気になって調べてみましたところ何と生物や心理学などの分野では「いきち」というのだそうです。
 私は物理や電子工学などの分野での「しきいち」に慣れ親しんできておりましたので、それ以外に読み方だあるなどとまったくもって思ってもおりませんでした。
 そしてそして元々は「いきち」が正しい読みのようで、後になって「しきいち」が広まって認められたといった経緯のようです。私の中では閾値は「しきいち」と読むものと頭から思い込んでいたものですから何とも早合点してしまったということでした。
 日本語って本当に難しいものですね。


スパット? スポット?

2021-03-26 | うんちく・小ネタ
 ボウリングをやっている人でスパットを知らない人はほとんどいないと思います。ファールラインから12フィート位先にあるあの7個の三角マークのやつです。
 英語では"spot"と表記します。日本語には「小さな領域」、「点、場所」、「地域、地点」などと訳されています。これは日本語にも溶け込んでおり「観光スポット」、「撮影スポット」、「スポット照明」などと用いております。この場合カタカナで「スポット」と表記します。しかしボウリングではあくまでも「スパット」であって「スポット」ではありません。
 これはボウリングが盛んな米国人の発音が「スパット」と聞こえるから日本でもそのように用いられるようになったのだと思います。しかし"spot"を英国的に発音すれば「スポット」になりますし、ローマ字読み的にも「スポット」ですから、ボウリング以外ではこちらの方が広く定着したのでしょう。このような単語は"hot"、"holiday"など沢山ありますが殆どが「ホット」、「ホリデイ」と英国的な表記が用いられております。
 私たちが英語を学び始めたときは、英式と米式の切り替え時期で表記や文法は米式になっていたと思いますが、発音は併記されておりました。ですから前述のようなことは如何にもありそうなことですし、それこそ当たり前みたいに思うのですが、最近の英語教育の現場ではどのようになっているのでしょうか。
 先日"YouTube"で日本人と日本語が流暢な米国人(?)プロボウラーが「ボウリングではスパット、デートではスポットって使うけどなんでー?」的な掛け合いをしているのを視て可笑しかったので記事にしてみました。




カレー~トロトロ派VS.サラサラ派

2021-02-10 | うんちく・小ネタ
 最近はボウリング場に週休二日で通っております。仕事の合間を縫ってボウリングしておりますので、勢い犠牲になるのが食事です。こんな時に何といっても便利なのがカレーです。作り置きしておけばチャチャっと食事を済ませることができます。飽きも来ないので極端な話、何食続いても大丈夫です。

 ところで皆さんは「トロトロ」と「サラサラ」のカレーのどちらがお好みですか?
実は私は「サラサラ」派なんです。
カレーのルー、「ドロドロ派」VS「サラサラ派」 国民の8割が支持したのは... - Jタウン研究所 - Jタウンネット」によりますと圧倒的に「ドロドロ派」が多いようですね。私の生国は福岡県の筑後地方です。そのことと関係しているかどうかは分かりませんが、昔っからサラサラのカレーが好きです。というかカレー風味は何でも好きです。我が家の台所には業務用のカレー粉の缶がどんと鎮座しており、様々な料理に使われます。

 以前、焼酎のお湯割りに関して「焼酎のお湯割り-お湯が先か焼酎が先か? 」という投稿をしました。ここでも私は「お湯後派」という少数派に属しております。

 カレーや焼酎などどっちでも良いものは笑って済ますことができますが、政治や経済的問題などは国家のあり方が問われますし、社会や個々人の利害が衝突することもあります。

 例えば、議員定数削減についても「議員定数削減しか方法がないのか?」のように国民の圧倒的多数は削減を求めておりますが、私は議員を増やした方が良いと考えております。

 多くの国民は兼業農家を快く思っておられないでしょう。この点についても「なぜ兼業農家を続けるのか(1)」~「なぜ兼業農家を続けるのか(8)
で主張させていただいております。

 どうも私は少数派になることが多いようです。こんな私でも不利益や息苦しさを感じない日本で良かったと思います。これからもそんな日本であり続けて欲しいと願っております。




調和平均とドルコスト平均法

2021-01-07 | うんちく・小ネタ
 投資の世界ではドルコスト平均法は結構有名な用語です。投資対象は時々刻々価格が変動しますので、購入のタイミングが非常に難しいものです。一番高い時に買ってしまった場合には永遠に利益を得ることができないかもしれません。
 そこで一気に投資せずに投資金額を等分し一定間隔をあけて等分した金額分だけ購入するといった時間分散させる方法です。株式の場合で言えば、毎月一定の日付で10,000円分だけ買い付けます。つまり一株1,000円であれば10株買えます。翌月800円に値下がりしていれば12.5株となり、翌々月に1,100円に値上がりしていれば、9.09株、・・・。といった具合に購入していきます。いわゆる株式積立といったものです。
 時間分散には次のような方法もあります。毎月購入する数量を固定する方法です。先の株式の例でいえば、毎月一定の日付で10株ずつ買い付けます。初月に株価が1,000だとすると10,000円、翌月800円ですから8,000円、翌々月は1,100円ですから11,000が購入額となります。

 さて、どちらの投資法が有利でしょうか!?

 前者の場合、購入金額は10,000×3=30,000円で、購入株数は10+12.5+9.09=31.59株となり、平均取得株価=30000/31.59=949.67円です。
 後者の場合、購入金額は10,000+8,000+11,000=29,000円で、購入株数は10×3=30株となり、平均取得株価=29,000/30=966.67円です。

 比較してみますと前者の平均取得株価が低くなっており、前者の購入方法が有利であることが分かります。たまたま有利になるような値動きにしたのではないかといった疑問をお持ちになった方もいらっしゃるかも知れませんので、一般化して考えてみましょう。

 ここでは簡単のため2回取引することとします。各月の株価をa円、b円とし、前者の毎月の購入金額をc円、後者の毎月の購入株数をd株とします。

  前者の場合、購入金額はc×2=2c円で、購入株数はc/a+c/b=c(1/a+1/b)株となり、平均取得株価=2/(1/a+1/b)円です。
 後者の場合、購入金額はa×d+b×d=(a+b)×d円で、購入株数はd×2=2d株となり、平均取得株価=(a+b)/2円です。

 あれあれー、どかかで見たことがある式ですね。前者が調和平均で、後者が相加平均と言われているものです。高校の数学で相加平均・相乗平均の関係というのを学びます。
 一般に、a>0、b>0のとき、
 (a+b)/2≧√ab≧2/(1/a+1/b) (等号となるのはa=bのとき)
という関係が成り立ちます。
 即ち、価格が変動するならば、必ず相加平均の方が大きくなるということです。裏を返せば調和平均が必ず小さくなります。ということで価格が一定でない限り、調和平均である前者の方が取得コストが小さくなるということがお分かりいただけたと思います。
 この関係は2数だけの場合に限らずn個の数でも成立します。(証明は結構面倒なので割愛します。)

 ドルコスト平均法というのは調和平均のことだったのですね。数学で学んだ時には全く気にも留めなかったことでも、世の中には上手く活用している方々がいらっしゃるのに感心します。

 このドルコスト平均法を活用した商品は数多く存在するようです。先の例の株式の他、金、プラチナなどの商品取引あるいは投資信託などありました。調べたらもっともっとありそうです。中でも面白かったのが金などの貴金属現物取引です。株式などの場合月1回の取引というのが多いようですが、金などの場合、毎月の積立金額を営業日で割った均等額を毎営業日毎に購入するといった方法があります。月1回となれば毎回高値掴みする可能性(逆に安値ということもありますが・・・。)がありますが、毎営業日となるとより平均化ができることにもなるでしょう。

 ドルコスト平均法にもメリットばかりではありません。デメリットもあります。その最大なものはあくまでも平均ですので、最高のパフォーマンスは出せません。もちろん最高のパフォーマンスとは、最安値で全額を購入し、最高値で全てを売り抜けるということです。しかし、これは神業でない限りできないことでしょう。ですから色々な投資法が考案されているのだと思います。








佐賀弁・筑後弁お国言葉比較考(17)-「そうけ」と「しょうけ」

2020-12-10 | うんちく・小ネタ
 画像のような竹で編んだ籠のようなものを佐賀弁では「そうけ」、筑後弁では「しょうけ」と言います。これらの呼び名は佐賀や筑後に限らず、結構多くの地域で使われているようです。語源は笊笥(そうけ)が訛ったものらしく「そうけ」が本来の言い方のようです。(※)

 これは軽くて頑丈ですので、農作業には必須のアイテムです。佐賀に来た当初「そうけ」と言われても何となくピンときませんでしたし、今でも「しょうけ」と呼んでしまいます。幼少期に慣れ親しんだことはなかなか抜けないようです。



(※)
 訛ったというよりかは、筑後弁では「さ」⇒「しゃ」、「し」⇒「しぃ」、「す」⇒「しゅ」、「せ」⇒「しぇ」、「そ」⇒「しょ」発音されるように「そうけ」⇒「しょうけ」となったのではないかと推測しております。
 このような発音は筑後弁だけではなく、武田鉄矢氏が「先生」が「しぇんしぇい」とおどけて(?)言っているように筑前の方でも同様のようです。もしかしたら九州ではもっと広い範囲でそのような発音となっているのかも知れません。福岡県に「しょうけ峠」というのがあります。これも「そうけ」が訛ったものとされているようです。
 しかし、佐賀弁でも同様に「しゃ、しぃ、しゅ、しぇ、しょ」と言っておりますので、何で「そうけ」だけはそのまま残っているのか疑問に思うところです。



K値について~またしても物理学者がコロナ対策に貢献!

2020-06-02 | うんちく・小ネタ
 最近、報道で「K値」なるものの存在を知りました。これまた物理学者が考案したものです。以前、「科学」と「技術」 でご紹介した「新型コロナウイルスの蔓延に関する一考察 」も物理学者が提唱されたものでした。

 早速、ググって論文”Novel indicator of change in COVID-19 spread status"と「K 値で読み解く COVID-19 の感染状況と今後の推移」という文書を入手しました。

 私が改めて述べるまでもなく「スライドで分かる「K値」の考え方」といった分かり易く解説したものがありますので、ご興味がある方はご参照ください。

 疫学的数理モデルは、専門外の者にとっては近寄り難いものに思えます。この頃良く耳にする「実効再生産数」などと言った数値によって拡大/収束が決定付けられるとのことです。ではこれを如何にして求めるかという問題が重要となります。しかし、未経験の感染症ですから、基本的なデータからして怪しいものです。事実、発症してからうつるとされていたものが発症前からうつるとなったり、症状が消えてから2週間と言われていたものが1週間すればうつらなくなるといった知見が出てきました。普通に考えれば、これらのことは実効再生産数の計算に影響しますよね。
 そのような中で登場したのが「K値」です。
しかも、
 K=直近1週間の感染者数/総感染者数
という中学生でも理解できるシンプルな式です。そして過去の感染者数という1つのデータしか使用しないにも関わらず、色々なことが分析できるツールとなっております。
 
 確かに疫学的数理モデルは定量的な評価が可能である点では優位性があるのでしょう。しかし、未経験の事態に対しても適用可能かどうかは定かではありませんし、少なくとも過去の知見から類推するしかないでしょう。そして新たな知見によって補正が必要になることもあるでしょう。
 しかし、場合によっては定性的な評価ができるだけでも有用なことは言うまでもないことでしょう。例えば、現時点で感染の拡大に向かいつつあるのか、収束に向かいつつあるのかだけでも分かればどれだけ助かることか?

 物理においては、実験データを直線や曲線で近似し定性的な性質を掴み、雑多な現象の根底に潜むものを解き明かすといった手法は良く用いられます。疫学的数理モデルでは細かな計算はできるかも知れませんが、病気の本質が解明されていないなかで計算のパラメータが果たして正しいと評価できるかは疑問です。
 しかしながら「K値」の計算においては、日々公表される感染者数というデータのみで計算できるといった大いなる利点があります。
 ましてや「K値」においては、簡単なモデルにも関わらず将来予測が可能となり、それから外れた場合にはいち早く警報を発することも可能となります。

 このような研究はやはり物理学者ならではのことではないかと考えます。複雑雑多な現象を分析し、規則性・法則性を見出し数式化するといった物理研究のプロセスは、例え分野が異なるものであっても有効に機能するといったことの証になっているものと考えます。



十人十色

2020-05-11 | うんちく・小ネタ
 十人十色とはよく言ったもので、およそ人は色々な考え方や行動をするものだと感心させられます。翻って考えると同じ考えや行動をとることは異常なことだと言えるのかも知れません。コロナの影響で人類は否応なしにその異常なことをせざるを得ない状況に追い込まれております。
 しかし、中にはそれに従うことをしない人もおります。自粛破りと言うべきことでしょうか。一方、自粛破りを非難する方々もいます。その極端な例が自粛警察なるものでしょうか。
 
 さてコロナの話は置いておき、十人十色と言われるような多様性はどのような効用があったのでしょうか。つらつら考えますに人類がこのように進化してきたのは多様性のお陰だと考えます。人類は他の生き物と比べ決して強い生き物とは言えません。単に物理的力からすれば超弱小な生き物であります。例えば、人類に近いとされるサルにさえ敵わないでしょう。中にはクマを一撃で倒したとかいう超人もいらっしゃいますが・・・。
 その人類が如何にして強豪ぞろいの自然界を生き延びてきたのでしょうか。偶然の出来ごとだけとは言い切れません。先に挙げた多様性も大いに貢献しているのではないでしょうか。例えば、皆が尻込みしてやろうとしないことを果敢にやり遂げる者。皆がやって大丈夫そうなことを確認したうえでやり始める慎重な者。それでもなお慎重な臆病者。などなど・・・。その多様性があったればこそ今の人類があるものと考えます。
 ある戦争体験者から聞いたことがあるのですが、最前線で塹壕から突撃するとき一番真っ先に飛び出す人には弾は当たらず、二番手、三番手が大抵やられてしまうそうです。理由を尋ねたら、いきなり飛び出しても狙って引き金を引くのに間に合わないが、二番手以降が続くことを予想して予め狙いを付けられているからだといったことだと記憶しております。逆に飛び出さずに最後までジッと忍んでいた方が生き残る可能性だってあるはずです。それは結果論にしか過ぎません。
 大体九州人は気が短いので、一番真っ先に飛び出す奴が多いとも言っておられました。このように気候風土や育った環境で人の気質というものが形成されていきます。その九州人でさえ色々な人間がおります。ましてや日本全体を思えば・・・。
 このように同じ行動をとらないこと、そしてその結果を人類が共有できる社会を形成できたことが、人類を生き延びさせた要因ではないのでしょうか。

 今回のコロナ対しては、皆で自粛して感染しないことを選びました。これは感染症対策の基本と言えるのかも知れませんが、ワクチンが開発されるまで感染爆発の危険性を常に孕みます。これが長期間に渡れば渡るほど経済はひどくなっていきます。人の命と社会の命との究極の選択を迫られることになるかも知れません。
 ただ、”Yes"か”No"の二元論で割り切っても良いのでしょうか。十人十色と言われる如く多様な解決策があるのではと思っている次第です。

<参 考>
自然界の多様性する過去の投稿⇒「害虫といわれる昆虫について(農薬そして雑草と共存することについての一考察)



「科学」と「技術」

2020-05-08 | うんちく・小ネタ
 コロナで仕事が激減し、百姓仕事以外は引きこもり状態にありました。そこでやっと「虚数の情緒~中学生からの全方位独学法」 の読破にチャレンジし始めました。現在、400ページを超えた辺りを読んでおります。
 そんなおり今朝方のテレビ番組で九大の小田垣先生の研究が紹介されておりました。(詳細は「新型コロナウイルスの蔓延に関する一考察 」をご参照ください。)
 実は小田垣先生は物理学者です。なのに何故専門が違うコロナに関する研究を発表されただろうかと気になる方も多いのではないかと思います。
私は前々からコロナの専門家会議に物理学者を入れたらとブログに書こうかと思ってはいたのですが、私が書いたって何の影響もありませんので止めてしまいました。というのもPCR検査を多くすると医療崩壊を起こすとか色々な理由で、検査数を抑えていることに対して専門家会議が異議を唱えておりませんでした。漠然と変な方向に進んでしまっている印象を多くの方々が抱いていたのではないかと思います。いわゆるその道の専門家は、現場や色々なことを考慮に入れ過ぎて適切な判断ができなくなる状況に追い込まれることが往々にしてあります。この点、門外漢は客観的に分析出来て何が重要なことであるかを洞察することが可能です。特に物理学者は諸問題を分析し、帰納し、数式化し量的考察を行うのを常としているのです。ということで今回良い実例を見せていただいたのです。

 だいぶわき道にそれてしまいましたが、「虚数の情緒~中学生からの全方位独学法」 の37ページから数ページに渡り引用させていただきます。
 -以下引用ー
 わが国では、「科学技術」と一括りにして語られる場合が多いが、これは本当に面倒な問題を惹き起こす複合語である。<中略>「科学」と「技術」は全く別物である。それは、寧ろ正反対の方向性を持ったものである。この両者を混同する所に多くの悲劇が生じる。その最も大きな違いを簡単に言うと、「専門性の違い」となろう。ここでは、それらに従事する人、即ち「科学者」と「技術者」の違いから説明していこう。
 「科学者」は、固有の専門を持たないのが普通である。<中略>本来、科学者は、自らの興味、或いは、その時代その国の必要性に考慮して、軽快に多くの学問間を渡り歩くものなのである。<中略>敢えて「専門」という言葉に拘泥すれば、科学者にとっての専門とは「科学的な考え方」の事であり、本来それ以外には無い。科学者は、この「科学的な考え方」を唯一の武器に、興味ある分野を片っ端から攻略していく「狩猟民族」なのである。<中略>
 逆に「技術者」は専門を持つ。専門を持たなければ、それは「技術者」とは呼べない。彼らは、生涯を通して同じ作業を遣り続け、その道の職人、一芸名人になるのである。<中略>勿論、技術者も他分野への興味は持つ。然しながら、その興味は後で本来の自分の分野での技術を高める為、その目的の為の好奇心に留まることが殆んどである。<中略>当然、科学と技術に、善悪、優劣のある筈もなく、お互いが補い合ってこその存在であるが、それは決して「科学技術」などと一括りにできるものではない。対立し競い合いながらも協調し合う、「相補的」な関係である。
-引用終わりー

 このように物理学者である小田垣先生が医学の分野に取り組まれることは不自然なことでもなんでもないことなのです。むしろ当然のことなのかも知れません。
 お医者さんと一口に言いますが、その中には臨床を中心にされている方、研究を中心にされている方など様々でしょう。医師免許を持たない医学博士もいらっしゃいます。先の科学者と技術者の分類に従えば、研究を中心にされている方は「科学者」、臨床を中心にされている方が「技術者」とでもいえましょうか。心臓や脳外科医はよく職人に例えられます。それほどに匠としての技が求められている訳です。

 さて、先ほどのコロナの専門家会議のメンバーは「科学者」なのか「技術者」なのか、もしくはその両方を兼ね備えた方々なのか気になるところです。今後の政府の判断は専門家会議の結論に大きく左右されることになります。
 そういった意味で専門家会議のメンバーには専門外(現在は弁護士だけ)の方も参加してもらいたいと思っております。