山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

TPPについて(13)-攻めの農業って?

2013-02-27 | 農業

 TPPに関連して「守りの農業から攻めの農業へ」などとよくいわれております。先日テレビであるコメンテーターが「農業も海外へ打って出ることが必要だ。」といった趣旨のことを述べておられました。

 そのような農業のあり方を否定するものではありませんが、はいそうですかと素直に肯定できるものでもありません。日本の農産物は、高品質で安全であるから、国内はもとより海外でも高く売れるはずであるし、現にそのようにしている農家もある。だから、新規参入を容易にし、そのように努力する農家を育成すべきであると。このような言われ方をすると、今まで殆どの農家は、何の努力もせず、のうのうと生きてきたとでも仰りたいのでしょうか。確かに、そのような側面が無いとは言えません。しかし、ことの本質はそのようなことであったのでしょうか?

 日本が高度経済成長していく過程で産業構造が変化しました。その過程で土地や労働力の供給源となったのは農業ではなかったのではないでしょうか。また、輸出拡大に伴って貿易摩擦が起こり、この犠牲になったのも農産物ではなかったでしょうか。この際、正当な保護政策が取られたではないかと仰るかも知れませんが、では何故に農業が壊滅的状況にあるのかお考えいただきたいと思います。

 まぁ、過去のことを言ってもしょうがありません。問題は今後の農業のあり方についてです。先の主張のような攻めの農業にしても、「この不景気に思うこと」で書いておりますが、全ての農家がそのように突っ走ってしまったら一体全体どうするおつもりでしょうか? 農業の現実を知らない方々が、何となく想像や思い付きで発言されているように思われます。百聞は一見にしかずと申します。一ヶ月くらい実際に農業体験でもしてみませんか。それから、農水省の官僚の皆さんも採用後一年くらいは、OJTを兼ねて農業体験を義務付けるなどすれば随分違ったことになるとも思います。

 かなり脇道にそれてしまいました。先の主張に話を戻しますと、多くの皆さんが、安くて高品質で、かつ安全な農産物が欲しいと仰います。これは二律背反していませんか。高くてもよいということならば理解できますが・・・。

 農業を産業と捉えれば、高く売れる農産物や収益性の高いものに偏ってしまいます。その一方で日本の農産物は高いと仰います。では、儲かりもしない安い農産物を誰に作れと仰るのでしょうか。高い農産物をを手に入れられない者は、海外から安く入ってくるものや、それなりのものを食えということを言外に仰っているのでしょう。

 余りにも極端な議論と言われるかも知れませんが、これらのことは農業のみに言えることではなく、労働集約型の産業に関しても同様のことであろうかと思います。誰かの犠牲の上に成り立っている社会って一体何ものなのでしょうか。 

 自分が安全圏にいるからこそ、そのような発言が出来るのではないかと思ってしまいます。しかし、何時まで安全圏に身を置いていられるか。一寸先は闇と申します。明日は我が身と思って真剣に議論することが求められていると思います。


TPPについて(12)-朝日新聞社説にいう農地の集約化とは

2013-02-26 | 農業

 早晩、TPP交渉への参加表明がなされそうな雲行きになってきました。そのようなおり、本日の朝日新聞西部本社に「農業の強化策 規制改革を、忘れるな」と題する社説が掲載されておりました。この短文の社説の中に「農地の集約化を進める」というフレーズが二度も登場します。この集約化とは一体何を意味するのでしょうか。素直に解釈すれば、現在てんでんバラバラに散在する農地を一箇所に集めて(同一所有者・管理者)効率化を図る必要がある。そのためには農地法等々の規制緩和が必要であるといったことになるのでしょう。

 そもそも集約農業とは、世界大百科事典 第2版によれば「土地利用の集約度の高い農業をいう。集約度とは一定の土地に対する投下費用の大きさのことで、土地の面積当たりの農業経営費でみる。労働比重の高いものを労働集約的農業、物財比の高いものを資本集約的農業という。」(引用中一部省略・変更)とあります。つまり、労力や資本を集中投下し、単位面積当たりの生産性を向上させるといったことを指しています。

 従って、社説の農地の集約化と集約農業の集約とは違った意味となります。朝日新聞ともあろうものが、まさか誤用されているとは思いませんが、紛らわしい用語を用いることは如何なものかと思います。例えば、大規模・集約化農業とよく用いられておりますが、この場合の集約化を社説のような意味に捉えていらっしゃることが多いと思われます。

 この際、言葉の意味を細々と議論しても意味がありません。

 大規模化については「TPPについて(3)-経営規模拡大で対抗できるか?」や「農業ことはじめ(9)-兼業農家について」で述べておりますので、よろしければご参照ください。

 さて、社説の意味での農地の集約化についてですが、これもさほどの効果は無いのではないかと思われます。集約化できる農地は既に集約化されていると思われます。平野部の農地は、農業基盤整備事業等々でかなりの部分が集約化されていると思われます。私が生まれた筑後平野は、確か1980年代だったと思いますが用水路や農道等の整備がなされるとともに農地も一箇所に集められました。また干拓事業などのように新規の農地造成がなされる場合には、そもそもが集約化が行われております。ですから、現在の優良農地といわれているものは、既に集約化が行われているといえるのではないでしょうか。

 ですから、何らかの理由で集約化したくてもできない農地が取り残されているといえるのではないでしょうか。例えば、私が住んでいる山麓部や山間部の農地ですが、集約化したところで大した意味はありません。何故ならば一枚の田んぼの面積を広げることが不可能だからです。傾斜地に田んぼがある場合には、当然ながら高低差が生じます。10アールの田んぼで1m程度の高低差が生じます。田んぼの面積が広ければ広いほど高低差が大きくなります。隣の田んぼとの高低差が大きくなってしまいます。これを集約化すると大規模な土木工事が必要になります。そこまでして何故に集約化が必要なのかといった疑問が生じます。もし実行しても誰もがその費用負担に耐えられないと思います。「灌漑施設の管理作業」で書いておりますように、不要となった整備事業の負担金の支払や管理作業に追われております。

 正直いって私にとってTPPはどうでも良いことです。私は私の守備範囲を最善を尽くして守るだけです。外野席から「あーしろ、こうしろ」と言われたくありません。ましてや補助金やってんだからと言われるくらいなら、こちらから返上いたします。自分の身は自分で守りますので、どーぞお構いなく願いたいものです。特に、集約化の名の下に、せっかく土壌改良してきた農地をアッチのと取替えろなんて、御免被ります。

 農地にしがみついているといわれようとも、独善的だといわれようとも「ならぬものはならぬのです。」 これは銭金の問題ではないのです。それくらい自分の農地に愛着を持っている者がいるということをご理解いただきたいと思います。

<参考> 「農地の集約化と生産性向上の限界」「自然農について

 

 


「物語数学史」

2013-02-25 | 本と雑誌

 小堀憲著「物語数学史」筑摩書房

 この本の特長は、本書のまえがきに書かれているように、以下引用-「できるだけたくさんの人-高等学校の生徒や大学の学生、中学校や高等学校で教えている人たち-に読んでもらいたいと念じて、格調を落とさないようにつとめながら、数学史を語ったつもりである。」-以上

 まさに著者の意図した通りの書となっているように思います。若干の数式が登場するものの、数式が理解できずとも、何気に使っている現在の数学を当時の数学者がいかに考え、創ってきたかが活き活きと伝わってきます。

 受験生が勉強に疲れた時にチョット息抜きがてらに読んでもいいのではないかと思います。


日本原電への1000億円を超える支援報道について

2013-02-22 | 政治・経済・社会

 報道によりますと電力各社が標題のような支援を行うことに対して、利用者や株主から批判の声が出る恐れがあるとのことです。

 私は株主ではありませんが、一利用者として批判するつもりはありません。先の報道では「日本原電の発電していないのに過去最高益報道について思うこと」で書いておりますように、利益が出たら出たで散々叩いておきながら、返す刀で債務超過を回避するための支援を行えば、またこれを叩く。

 一体何を言いたいのでしょうか。世論をどのような方向へ持って行きたいのでしょうか。単に、その場その場で報道できれば良いとでもお考えなのでしょうか。

 もっと本質を掘り下げた報道姿勢を貫けないものでしょうか。そもそもこのような現象となってしまうのは、エネルギー政策が定まらないからなのです。このことに対する問題提起をせずに、枝葉末節のことばかり報道していては、報道機関の役割は果していないと言われても仕方ないでしょう。

 この件で言えば、原発維持するにしても廃止するにしてもそれ相応のコスト負担は仕方ないことです。電気料金値上げ問題にしても「電気料金値上げについて」で書いておりますように仕方ないことのように考えます。

 電力会社を叩くだけでは何の解決にもならないことは明らかでしょう。今後のエネルギー政策をどうするかを早く決めることです。でなければズルズルと泥沼に引きずり込まれるだけではないでしょうか。それとも思考停止したまま座して死を待つ方が好ましいとでもお考えなのでしょうか。


無電極放電ランプをみてきました

2013-02-21 | うんちく・小ネタ

 以前、「無電極放電ランプについて」でご紹介したとき、後日ご報告すると言っておきながら、随分と時間が経過してしまいました。先日、やっとそのお約束を果たすべく、「LVD JAPAN 」さんを訪問しました。

 早速現物を拝見ということで、点灯させていただきました。所詮蛍光灯だろうといった先入観を持っておりましたので、当初予想していたより明るいなーというのが第一印象でした。水銀灯と並べてみると、確かに水銀灯の方が眩く感じます。しかし、問題は実際の使用環境でどうなるかです。水銀灯から無電極放電ランプに取り替えたケースの照度比較データを見せてもらいました。データ上は、実用上差し支えのない照度を確保しつつ、消費電力削減ができているようです。

 「LEDという枕詞」等で指摘しておりますように、LED照明ばかりがもてはやされることについて疑問に感じておりました。今回、実際に無電極放電ランプをみて、その思いを強くしたところです。

 その他、元省エネ屋の本領を発揮して、相当に意地悪な質問をぶつけましたが、それなりに的確な回答をいただくことができました。ただ、最終的には価格であると思われます。LEDと比較すれば価格的には随分とメリットがありますが、ここは企業努力をいただくしかないようです。

 やはり「百聞は一見にしかず」と申します。今までは、ネット情報で何となく良いなーと思っていたものが、現物を見てみることにより、より実感が増すものです。

 照明の場合には、一灯から試験的に導入してみるといったことができますので、色々なものを比較検討してみることができます。LED照明の導入をご検討でしたら、無電極放電ランプも選択肢の一つに加えてみられては如何でしょうか?


記憶はあてにならないものですね

2013-02-21 | ブログ

 今年は梅の開花が遅れているとばかり思っておりました。ところが昨年のブログ記事を見てみると、何と二週間ほど早いではありませんか。

 人間の記憶なんてあてになりませんね。報道などで遅れているなんて言われていると「やっぱりそうなんだ。」などと勝手に決め込んでしまっておりました。記録を読み返せば直ぐにも判ることなんでしょうけど・・・。

 裁判の証人尋問での証言なども、報道内容の影響を受ける可能性もあり得ることを考えると空恐ろしさを感じます。近年、凶悪犯罪が発生するたびに厳罰化の議論が捲き起こります。私としては、厳罰化によって犯罪が減少するとは思えないのですが、やはり被害者の感情からすれば無理からぬことであろうと思います。

 一方で、「取調べの可視化について」で述べておりますように冤罪の危険性といったことも考えざるを得ません。

 このようなことは自分に関わり無いことと思わず、国民一人一人が真剣に考える必要があると思います。自分が何時犯罪に巻き込まれるかも知れません。それは被害者としてばかりでなく、加害者となるかもしれないことは言うまでもないことでしょう。


中国というものを考える際に参考になるもの

2013-02-18 | うんちく・小ネタ

 文藝春秋の3月号に司馬遼太郎生誕90周年記念特集が組まれております。これらを読み進むと、中国というものを考えたときの不可解なものがストンと納得のいくことが多々あります。中国が分からないとお考えならば、是非とも一読されることをお勧めいたします。特に儒教との関わりについては傾聴に値すると思います。

 司馬遼太郎の作品といえば、親父の蔵書であった「竜馬がゆく」を中学時代に読んだくらいでしたが、偶然書店で手に取ったた「アメリカ素描」であったかと記憶しておりますが「文化と文明の違い」についての一節を読み、今までの漠然とした理解がすっきりとしたものになったのを思い出します。それ以来、大ファンになり手当たり次第に読んだものです。現在では、書棚を松本清張作品と二分しております。

 ここ5年くらい文藝春秋を定期購読しております。以前の私は、同じ作家にのめり込むような読書スタイルでした。技術屋であった当時はそれで良いと思っておりました。しかし、営業をするなど外の世界と接する機会が多くなると、多方面に渡って情報を得る必要性を感じます。そんな時、ある取引先の社長さんから、文藝春秋を読んでみたらと勧められました。「価格も手頃だし、カバンの中に放り込んでおけば、良い退屈しのぎになるから」とのことでした。それ以来の読者です。幅広な情報を得られますし、毎回の芥川賞受賞作品が読めるといったことも楽しみの一つでしょうか。

 随分とわき道に逸れてしまいましたが、最近のアジア情勢は緊迫度が高まっております。そのような折りのタイムリーな企画であると思います。


コピペによるブログ記事の作成について皆様はいかがお考えでしょうか?

2013-02-14 | うんちく・小ネタ

 ブログ記事を書くときに他のブログ記事やWebサイトの記述をコピペしていらっしゃる方もおられるのではないかと思います。私の考えは「日本はパクリ天国?」で書いている通りです。この記事に関しては、反論が寄せられまして、「常識からは新しいものは生まれない?」のコメントのやり取りに飛び火しております。

 当方としては営利目的や公的機関のサイトのみに改善方を申入れてきましたが、非営利のサイトやブログについては何もしてきておりませんでした。ところが日本を代表するような大手メーカーの取扱説明書に私が管理しているWebサイトの記述が部分的に無断転載されてネット上に公開されておりました。当該会社に申入れしましたところ「技術用語の説明は、表現の幅が非常に狭く、各社のサイト等にも同様の記述があるので何ら問題ない。」とのことで、念がいったことに同じ表現を用いているWebサイトのURLまで列挙した丁重なるご回答をいただきました。

 このような主張は技術用語の説明に著作権を認めないということでありますので、到底受け入れられるものではありません。指摘されたURLの会社には、当方から申し入れ表現の削除乃至は別表現に改めてもらいました。しかし、件の大手メーカーさんは、取扱説明書の表現を削除し、ネット上からも当該文書は削除されましたが、先の主張を維持し法的には何ら問題ないとしたままです。本件に関しては、今後も納得の行くまで交渉していくつもりです。

 ということで、たとえ非営利のものであっても、先のような主張が罷り通るならば見過ごしにできない状況にあるといえます。ですから、対抗上非営利目的であっても著作権法を遵守するように申入れせざるを得ません。ただ、問題になるのが多くのブログが匿名である点です。私のように実名の場合には、比較的簡単に対応することができますが、匿名である場合には大変な困難が伴います。現在も複数の案件で相手方に連絡を入れても無視されるだけで、全くの梨の礫状態です。

 仕方ないので、事実をネット上で公表し、皆様のご判断に委ねるしかないのかなーと思っている次第です。

 以上のような点につき、皆様のお考えを聞かせていただけたらと存じます。


「よい世の中」-ジョン・ケネス・ガルブレイス

2013-02-13 | 本と雑誌

ジョン・ケネス・ガルブレイス著(堺屋太一監訳)「よい世の中」日本能率協会マネジメントセンター

 別件で本棚を探していたら、久し振りにガルブレイス氏の本を手に取り、懐かしさのあまりパラパラとめくっておりましたら「第14章 官僚的体質」についつい引き込まれてしまいました。結局は最初から読み直す羽目になってしまいました。

 ガルブレイス氏の著作との出会いは、やはりかの有名な「不確実性の時代」です。本棚を見回したら、他に「経済学の歴史」、「おもいやりの経済」、「ガルブレイスのケネディを支えた手紙」があり、それぞれ読んだ時のことを懐かしく思い出します。

 必ずしもガルブレイス氏の主張に全面的に賛成するものではありませんが、含蓄に富んだ示唆を多く受けることが出来ます。例えば、同書から引用しますと「公的機関では、決定された政策の間違いに対しても、人員の増加に対しても、民間企業のように、組織内部から解決法が出てくるわけではない。代わりに、有能で見識のある幹部への信頼と、必要に応じて変化を進んで受け入れる柔軟性が、組織を変革する鍵になる。」途中略「この問題の解決は、行政や立法機関の注意深い指導者の腕に委ねられている。よい社会が効果的に機能するためには、この問題の解決がどうしても不可欠である。」

 現在、官僚に対する風当たりが強いのですが、どこの国であれ、どのような組織であれ多かれ少なかれ官僚的体質は存在するし、それを打破することの困難さは周知の事実です。よい社会を実現するためには、声高にバッシングするだけでは何ら解決しないし、行政機関自体による内部改革、そして立法府の思慮深い適切な関与なしには問題が解決しないことを指摘しております。


国会同意人事の事前報道問題について

2013-02-08 | 政治・経済・社会

 国会同意人事の人事案が事前に報道された場合、この人事案の提示を認めないという「事前報道ルール」なるものがあるそうな。何とも馬鹿げたルールではありませんか。事前に漏れて何が問題なのか理解に苦しみます。

 確かに、事前に漏れてしまうといった情報管理のルーズさは問題かも知れません。しかし、問題なのは、意図的にリークされた場合です。例えば、名前が挙がっている人を除外したければ、報道機関に情報を漏らしてしまえばよいといったことにもなりかねません。

 国会同意人事は、衆参両議院の過半数の同意が必要とされております。国会で審議する以前の段階で、人事案を葬ってしまうことが出来るルールの存在自体が議会制民主主義を否定することに繋がると考えます。

 このようなルールの撤廃を強く求めたいと思います。


イオン関連製品の殺菌性能に対する反証か?

2013-02-08 | うんちく・小ネタ

 「イオンの力?」や「プラズマクラスターイオン掃除機に対する措置命令について」で指摘しておりますように、これらの効能について疑問をもっております。そして、その効能を検証する必要性を感じておりました。

 その後、ネットで情報収集していたところ、日本感染症学会のWebサイトで、独立行政法人国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター 西村 秀一 氏の「殺菌性能を有する空中浮遊物質の放出を謳う各種電気製品の,寒天平板培地上の細菌に対する殺菌能の本体についての解析」なる論文要旨が既に公表されているのを見つけました。

 会員でないので、論文全体を読むことはできませんが、その要旨によれば、これら製品の殺菌能力は、メーカーが主張しているイオン等によるものではなく、オゾンの殺菌能力で説明がつくと疑問を呈しております。

 このような疑問を呈されている以上、これらの製造メーカーは反論の必要性があると考えます。そろそろ消費者庁も本腰を入れていただけないものでしょうか。

 中国からの大気汚染物質の飛来やインフルエンザ等の流行により、空気清浄機のニーズが高まるのもと思われます。早急に行政が関与し、この問題に黒白をつけるよう希望します。


電気料金値上げについて

2013-02-07 | 政治・経済・社会

 電気料金の値上げについて連日のように報道されております。消費者の不満を背景に、電力会社は非難の矢面に立たされております。

 しかし、ほとんどの原発が停止している現状で、電気料金の値上げは避け難いもののように考えます。原発が停止していても維持管理費は当然のこととして必要です。発電もせず、経費だけが発生すれば、誰が考えても赤字になるということは理解できることと思います。

 原発事故後には、たとえ電気料金が上がったとしても原発を無くしていこうという議論がありました。しかし、現実に電気料金が値上げされるとなると反対が激しくなりました。電力会社自体に様々な問題があることも指摘されてきました。先ずは、電力会社に対して経費圧縮努力を求めることは大切なことです。しかし、単なる不満の捌け口として電力会社をバッシングするのであれば、建設的議論はできないものと考えます。

 このような問題が発生するまで何も考えずに利便性を享受してきたのは、我々国民であったわけです。これを機会に、今後のエネルギー問題について真剣に考えることが大切なことではないでしょうか。


佐賀弁・筑後弁お国言葉比較考(10)

2013-02-05 | うんちく・小ネタ

 先日集会で雑談をしておりましたら「さかしか」という言葉に出会いました。みかん山の話をしていた時でしたので「坂」のことであることは想像できます。これは九州弁共通であるかも知れませんが、「~しか」というのは「~しい」が変化したもので、「美しい」⇒「美しか」、「面白い」⇒「面白か」となります。ですから「坂しい」⇒「坂しか」となったものでしょう。

 しかし「坂しい」というのは、「坂」に「しい」がついて形容詞化したものと考えられますが、あまり聞いたことがありません。そしれに、話しているとどうもいわゆる坂道だけでなく、勾配などの傾斜地をも含んでいるようです。

 私の故郷である筑後地方は平野のど真ん中ですので、坂らしい坂はほとんどありません。ですから「坂しか」に対応するような言葉は知りません。もしかしたら、佐賀弁でも山麓・山間部であるからこその表現であるのかも知れません。

 「坂しかー!」 何とも急斜面で難儀している様子が伝わってきます。


立場を変えてみると・・・

2013-02-04 | うんちく・小ネタ

 中国からの大気汚染物質が飛来(参考:大陸からの大気汚染物質飛来)して日本に影響を及ぼしている現状をみるにつけ、日本の空を返せと叫びたくなります。しかし、中国からしてみれば、それは発展途上で起きる必然的な出来事である。日本も高度経済成長時代に公害を撒き散らしたではないか。その時には風下から文句を言われなかっただけのことだろう。第一、公害の被害は我々中国人が最も被害を受けるんだ。といったことにでもなるのでしょうか。

 あるいは、ツバルの国民に立場を変えてみると、確かに日本は対GDP比で比べれば優等生だ。もっと沢山出している国があるのも事実だ。しかし、先に日本は温暖化ガスを25%削減すると国際公約したではないか。なのに今更何を言っているのかということになるのではないでしょうか。この国際公約は宇宙人が勝手に言ったことだからで済まされるかどうか。それは、それぞれの立位置によって変ってきます。

 何事も立場を変えて眺めてみると様相が大いに異なるものと思います。特に国際関係などは、その最たるものでしょう。外交交渉などでは情報収集能力が重要です。孫子の兵法に「彼を知りて己れを知れば、勝、乃ち危うからず」というのがあります。戦略に携わるものは、誰しもが知っているであろう、あまりにも有名な一節です。しかし、言うは易く行なうは難しの典型例ではないでしょうか。敵を欺くための虚々実々の駆け引きや敵味方に間諜の存在を前提とした謀略戦が行われるの中で、何が真実なのかを見抜くことの難しさ。考え得る限りの作戦の立案とその選択、そして遂行。これらの全てが充実してこその百戦危うからずです。

 日本はインテリジェンスが弱いと指摘されております。相手と交渉する上で、先の孫子の言葉を深く噛みしめる必要があると思います。孫子は「而るに爵禄百金を愛んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。」とも言っております。

 先にも述べましたが、国家意思の決定の結末は、良かれ悪しかれ、最終的には国民に降りかかってきます。それが公害問題であれ、外交交渉であれ、戦争であれ・・・。

※ 「 」の中の記述は、「世界の名著 諸子百家」中央公論社から引用したものです。


「物理学史」

2013-02-01 | 本と雑誌

小山慶太著「物理学史」裳華房

 以前「ニセ科学とどうつきあうか」の中で紹介した

小山慶太「科学の歴史を旅してみよう~コペルニクスから現代まで」NHK出版

から物理関連を少し深堀したような内容になっております。

 章立ては「力学の確立と発展」⇒「光学と電磁気学の融合」⇒「熱力学の完成」⇒「微視的世界と量子力学」⇒「相対性理論の誕生と展開」⇒「基本粒子とその相互作用の探求」⇒「ノーベル賞と現代物理学」となっており、ニュートン力学から現代物理学までを概観するものとなっております。

 学生時代に最も興味があったのが量子力学でした。原子物理学の講義で、前期量子論に至る歴史的背景等々も学んではいたものの、それは結論に至る道のみのダイジェストであって、試行錯誤の過程ではありませんでした。そして量子力学完成に至る道・・・。

 自然はかくあるべきといった信念に等しき確信や思い込みを振るい払うことの難しさを感じます。科学者でさえそうなんですから、況や凡人はと思います。

 であるからこそ、科学を学ぶ大切さがあることを教えてくれます。科学史には、小難しい数式は出てきません。そこには科学を通した人間のドラマが展開しております。つまらない小説より、ずっとずっと面白いと思います。