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山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

原発をどうすべきか

2013-01-04 | 政治・経済・社会

 先ごろ、安倍総理のインタビューが報道されておりました。テレビを視ただけですので不正確かも知れませんが凡そ次のような趣旨であったと記憶しております。

「選挙結果は自民党の原発政策が一定の理解を受けたものである」

「これから作る原発は安全である」

 インタビューの中で上の2点が少々引っかかりました。「謹賀新年」でも述べておりますように、今回の選挙において、原発政策を白紙委任したものと解することには疑問に思います。また、これから建設する原発は、最新の知見を盛り込んだものになるから安全であるといったことに対しても違和感を憶えます。どのような対策を盛り込もうが、完全無欠なものを作ることは不可能でしょう。これこれしかじかの対策をするから安全であるとすることは、新たなる原発神話を作ることに等しいと考えます。更には、「既存の原発はどうなの?」と問いたくなってしまいます。

 私自身、未だに原発をどうすべきであるかといった問に答えを見出すことができておりません。賛成反対の立場から多くの主張があります。感情的議論は別として、双方それなりの説得力をもっております。賛否の間で日々揺れ動いているといったところが正直なところです。そのような時、安倍首相のような発言を聞くと原発反対の方に気持が傾きます。

 そして今、残念に思うのは、このような重大な決定に関して、国民が直接関与できないことにあります。先の安倍首相の言葉のように、国民が原発を容認したかのように勝手な理解の仕方をされることに強い違和感を憶えます。確かに、間接民主制とはそういったものだと仰るならば、それはその通りでしょう。しかしながら、議会で多数を占めてしまえば何でもできると考えるのは早計だと思います。先の民主党政権のように、マニフェストに書いていないことを国民に信を問うことなく平然とやってのけてしまうといったことの二の舞にならないように願いたいものです。

 やはり、原発問題のように国民生活あるいは、子々孫々にまで重大な影響の及ぶ事案は、直接国民が選択するようにすべきであろうと考えます。でなければ、万々が一事故が発生した時に忍受せよと言われても御免被ります。一人一人の国民が、直接決定に関与することにより、自覚と責任が生まれるものと考えます。