小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

2015大晦日宿のパーティに参加

2015-12-31 23:30:54 | ミャンマー
2015/12/31(木)ワイナリーへ
 今日は別に予定が無い。宿の朝食は何時もパンなので10時近くに、麺類でも食べに行こうと出掛けた。シャン族の麺料理の店で「ムセ」と言う店だった。地図を頼りに行ったが、見つからず通り過ぎてしまった。引き返して探すと、何時も生ビールを飲む店の前だった。麺が売り切れると店じまいだそうで、閉まり掛けて居たので見過ごしてしまった。まだ客が居たので、同じものを指差し注文して食べる事が出来た。

         ミャンマー名物モヒンガー(米麺)

         シャン麺店「ムセ」
 店を出てボート乗り場から、運河沿いに南に行って見た。運河沿いは物資の運搬の拠点なので、倉庫の様な建物が並んで居た。見るとタバコの葉やトマトなどを積み出していた。街を出外れると直ぐに湿地が広がっていた。牛がのんびり草を食べている。その先に大仏を祀ったパゴダが在り、真新しい色彩をしている。

            物資の積み出し

            のどかな田園風景

             真新しい大仏
 更に橋を渡って行くと集落の中に入って行った。家々を眺めながら行くとT字路になったので、左折して東へ向かった。田園や別の集落を通り過ぎて行った。子供達がサッカーをして、遊んで居たり、床屋さんや大きな寺が在った。埃っぽい田舎道から大きな幹線道路に出た。インレー湖の東を走る道路で、自転車がパンクして歩いて来た道だ。
 この途中にレッド・マウンテン・エステートと言うワイナリーが在り、この前は歩く羽目に成ったので通り過ぎた。そこに行って見る事にした。入り口の看板がありそこから、東の山側へ入って行く。しばらく行くと立派な門が建って居て、その先は坂道なので歩いた。小高い丘の上にエストランが在った。観光客が居て、ワインを楽しんでいる。4種類のワインがテステング出来るので、注文して見た。ワインの味は通で無いので、よく分からなかった。眺めの良い場所で飲むワインは格別の味だったかもしれ無い。

         レッド・マウンテン・ワイナリーのゲート

             4種類のワインテースト
 ワイナリーから戻り歩いた道なのであちこち見覚えがあった。自転車屋を探してバイクの修理屋を見つけ、パンクを修理でき無いか?と聞いた所などを過ぎた。その先で昨日トレッキングで自分で降りて来た、道があった。子供達が集まって凧上げをしていた。凧糸を巻き取っているのが、車輪の様な形で面白かった。
 大きな通りを進めば町に行けるが、同じ道を行くのは脳が無いので途中から脇道に入った。自転車ごと拾ってくれた、青年が出て来た道だった。町の南の端の様で、洒落たレストランやゲストハウスがあり、こちらの方を探しても良かったと思った。

             洒落た感じのレストラン
 町中に戻り、やっぱり生ビールを飲みに行った。ツマミに何かと見ると大きな煎餅が有ったので、注文して食べたがこれは無料だった。宿戻り夕方までノンビリ過ごした。夜になり大晦日のパーティに呼んで貰った。親類友人達が集まり、皆んなでワイワイ言いながら過ごしていた。客は入れ替わり立ち替わりで、やって来て居た。他の家も年越しパーティで、賑やかな音楽が聞こえていた。


            大晦日の宿のパーティに参加
 日付が変わる前に寝て仕舞ったが、新年になった時刻に単発の花火の音がしていてだけだった。宿の
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インレー・トレッキング

2015-12-30 23:52:44 | ミャンマー
2015/12/30(水)
 宿にトレッキングを申し込んで置いた。朝ガイドに電話して、8時にやって来た。60台と見えるロバートさんだった。直ぐに歩き始め、東の山側へ向かった。途中駄菓子屋に寄り、村人へプレゼントのお菓子を買う事を勧められたので、キャンデーを買った。山道に入り一軒の農家に寄った。庭先にトウモロコシが山積みに成って居た。彼の説明では家畜の飼料だそうだ。家の中に入ると、家族が火を焚いて団欒していた。宿の主人は酒らしき物を飲んでいた。ガイドが土産のキャンディをプレゼントした。お茶と自家製の餅と魚の卵の茹でた物をご馳走に成った。酒も盛んに勧められたが、まだ歩き始めたばかりなので、遠慮して置いた。

             トウモロコシを干して居た農家

              お茶をご馳走に成った
 村の山道を越えて行くと、子供たちの歌声が聞こえて来た。他の幾つかのトレッカーとも、後になり先になりして出会った。緩い登り坂を行くと、白い仏像と、象の置物が有った。その先が鍾乳洞で、少し入った所で僧侶が仏像を守って居た。ここから洞窟が行く筋に分かれて、懐中電灯を頼りに奥の方に行って見た。狭い通路を行くと、所々の広い空間に仏像が安置されていた。別の穴に行くと先は狭く成り、歩いては行けなく成り引き返した。ガイドの彼は僧侶の所で待って居て、案内して来なかった。帰りに僧侶に何がしかの、喜捨をして出た。

               幾組かのトレッカーも


                鍾乳洞

               洞守りの僧侶に喜捨

               洞窟の中
 それから歌声の聞こえた学校に行った。これは公立の学校では無くて、寺が運営する寺子屋の様な物だと説明して居た。この学校は長野県の渡辺氏と言う日本人の寄付で作られた物だった。100人程度の子供達が、1-7クラスまで有って、女性の先生から授業を受けて居た。中学位までの授業で、それから上の学校は街の方に行くとの事だった。今の時期公立の学校は、乾期の休みに入って居るとの事だった。

              寺院が運営する学校
 学校の先の小高い山の方に行くと、僧侶がワイヤーを金ノコで切って居た。何を作っているのかと見ると、目の前の大きな岩の所に、塔が作り掛けて有った。その材料を作って居たのだ。展望台で眺めが良いから、見て来いとガイドが言うので行って見た。確かに眼下に村々が散在て、眺めが良かった。この山を越えて行くと、ダムが見えてきた。その脇でセメントを溝に埋める作業をしていた。側溝を作っているのかと思ったが、土地を囲む塀を作っている様だった。

            展望台を作成中


            展望台からの眺め

            村の自家用車
 或る村に入り、茶店の様な所で休憩となった。昼時前だったが、麺を出して呉れた。私が食べている間ガイド氏は別な所で酒を飲んで居た様だった。食事が終わっても中々出ようとしない。様子を見ると、すっかり酔って仕舞い歩ける状態で無かった。店の人もバイタクで帰れと言って居た。私も一緒に乗って行けと言われたが、まだ歩き足らないので断った。自分で道を聞きながら街の方に向かって歩いて行った。村から平地の方に降りると、大きな舗装道路に出た。よく見ると昨日トラックの青年に出会った見覚えのある所だった。その先は車で通って居たので、迷う事無く街に帰り着いた。しかしロートルのガイドで愉快な人だった頼りにならなかった。

              子守

             茶店で休憩

             昼食時のモヒンガー

           すっかり酔ってガイド不能



            夕食のBBQ店(セインタダナ)   
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インレー湖サイクリング

2015-12-29 23:36:21 | ミャンマー
2015/12/29(火)
 今日は借りた自転車で、湖畔をサイクリングした。出かける前に郵便局に寄り年賀状を出して置いた。昨日の局員が憶えて居て、ワーこんなにと今更ながら驚いて居た。高橋さんも行くと言うので、一緒に出かけた。ボート乗り場の橋から西に向かって行った。この道が舗装なのだけれど、物凄い凸凹の悪路だった。15分程悪路に苦戦しながら、山際のT字路に着いた。ここからは一部舗装工事中な所も在ったが、道路状態も良くなり快調に飛ばす事が出来た。やはり15分程進むと右手の山の上に仏塔が見えて来た。その前がカインダイン温泉だった。水着で入るプールの様な露天風呂だった。入浴料10$と言うので私は止めた。男女、外人の入り口は別々だけれど、中は一緒で別々のプールが在るだけだった。高橋さんは入ると言うので、ここで別れた。

            カンダイン温泉

            坊さんも温泉行き?
 くだりが続く道でどんどん進んで行った。村人や僧侶が温泉の方に歩いて居た。途中に大きなリゾートホテルがあった。やがて村らしく成り、Y字路の所に着いた。ボートサービスの看板が出て居たので、ここがカンダイン村だと分かった。ボートマンらしいおじさんが寄って来て、何処に行くか?と聞いて来た。対岸のミンタウク村に行きたいと行ったら、直ぐにOKした。渡賃は10000kyと2倍の値段だったが、一人で一隻チャーターしたのでまあ良しとした。
 ボート乗り場まで細い畦道をバイクで先導し、着いて来いと言う。着いて行くと向こうから村人が来て鉢合わせに成った。村人が傍に避けて暮れたが、細い一本道なので、バランスを崩し傍の湿地へ落ちてしまった。村人が慌てて助け起こして呉れた。その先は乗らずに押して行った。ボートにに自転車も積み込んでもらった。おじさんが年寄りで手動エンジンが力不足で掛からなかった。近くに居た青年に頼み始動する事が出来た。

           転けた狭い一般道
 カンダイン村の水上家屋の間の狭い水路を進んで行き、浮島の畑を過ぎてインレー湖に出た。今日は南風がやや強く、湖上は波が有った。20分程かかって、湖を東に横断ミンタウク村に着いた。こちらは湖に、長い長い桟橋が突き出て居た。その根本の陸地に上陸した。ボートマンが近くにマーケットが有ると教えて呉れた。


            カンダイン村の水路

            湖上はやや波あり

          ミンタウク村の長い桟橋
 五日市で今日はこの村で市が立つ日で運が良かった。竹林の中の無舗装の道で、本当にこの先に市が在るのと思うほどだった。奥に小屋掛が連なった、大きな市場があった。ローカル市なので、地元の人と一部の観光客で賑わって居た。竹筒ご飯を売っていたので、昼食用に買った。

          ミンタウク村の五日市

           一段落

           スパイス売り

           野菜売り

           鍛冶屋
 30分程市場の中を見て廻った。そこから出てニャウンシェに戻って行った。快調に飛ばしていたらワイナリーのある所まで来たら、ナッなんと!パンクしたではないか。仕方なく押して歩く羽目になった。自転車屋を探したが、人家も無く村らしい所にもみ当たらなかった。思案に暮れたが歩く他手はなかった。街までどの位あるか見当がつかない。まだ正午前なので夕方までには着くだろうと、腹を括った。しかし途中の村で軽トラの青年に出会い、運んで呉れるように頼むと快く承諾してくれた。地獄に仏とはこの事かと言った心境だった。お陰で正午に町に戻る事が出来た。貸し自転車やへ行って、自転車を換えてもらった。

          ニャウンシェへ湖の東を北上

          ここでパンクして仕舞った
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インレー湖遊覧

2015-12-28 23:58:52 | ミャンマー
2015/12/28(月)
 今日はインレー湖遊覧に出かけた。同じ宿のフランス人カップルと一緒だった。7時に迎えに来ると言われたので、ロビーで待っていた。てっきり車で運んで呉れると思ったが、青年が来てボート乗り場まで歩いて案内した。橋の袂に沢山の観光用のボートが舫ってあった。案内した青年がボートマンだった。15分程川を下ると、広々したインレー湖に出た。沢山の遊覧ボートが行き交って居た。ここのボートもタイと同じく、船尾から長い棒を出しその先にスクリューを付けているものだった。日本の様に船外機エンジンでないので、スクリューが水中に無い。それで船尾に物凄い水飛沫を立てながら走って居る。

                ニャウンシェの船着場

               飛沫を上げて疾走するボート

                遊覧ボート
 インレー湖には足で櫓を漕ぐ独特の風習を持った、漁師が居る。そんな漁師に近付くと、ポーズを取って居る。その後やはりお金をねだりに来た。写真を撮ったが、チップはやらなかった。インレー湖は浮島に野菜畑があり、見張りの作業小屋が点々と在った。

             足で炉を漕ぐ漁師

              漁師
 1時間程湖上を走って水路に入り、集落に着いた。イワマと言う村で、きょう水上マーケットが開かれて居る筈だった。しかしお寺の周りに、観光客相手のお土産物売りの市が在っただけだった。一部食料品も売って居る場所が有ったので、お茶を買った。つまみに良さそうな、ピーナツと干しエビも買った。

             イワマの寺院

             この周りが市場

              野菜売り

              屋台

              花売り

              乾物売り

          ボートで行商(多く集まれば水上マーケット)

             水路に架かる橋
 30分程休憩して、水路を遡って行った。時々堰があって流れが速くなるのを、調整して居た。その先にやはり大きな寺院ファンディーウー村に到着。ボートマンの青年は英語が話せないので、ここに何が有るのか説明が無いので分からなかった。あちらに行けと指差す方に歩いて行った。おおきなマーケットが在ったが、全部開いてなくて人も居らず閑散として居た。山の上に金色のパゴダが連立して居るが、そこまでは距離がありそうで行けなかった。大きな通りに出て、橋を渡ると大きなお寺が在った。ファンディーウー寺院だった。参道を入ろうとしたら、撮影料が必要だった。それを嫌って川沿いに歩いて行った。すると小さい山門が在って、入って行くとファンディーウー寺院と続いて居た。その奥の方に遺跡に成ったパゴダが在ったのでこれを見物した。中々面白い彫刻のレリーフが在って興味深かった。

            村々を結ぶ橋

           流れを調整する堰

           水路は生活の場

           ファンディーウー村

            僧院

           マーケットは市の立つ日でなかった

           遺跡の様に成ったパゴダ

           学校帰りの子供
 30程で船着場に戻ったが、フランス人カップルは居なかった。出る時にどの位居られるのか?と聞くので、時間はこちらが決めればと言って置いた。それでゆっくりして居た様だ。彼らが来るまで、ボートマンの溜まり場で笛を吹いて待った。ボートマンの青年はすっかり、待ち草臥れた様子だった。
 彼らが来てイワマに戻って、お土産売り場に寄った。首長族の女性たちが、観光客相手に機織りや写真のモデルに成って、お金を稼いで居た。カップルは現地の水上マーケットが見たかったので、こんなお土産売り場は嫌いだった。水上マーケットは既に終わって居たので、相談して町に帰る事にした。
 町に戻り正午を過ぎていたので、適当なレストランに入った。ふと見ると生ビール有るではないか。喉が渇いて居たので飛びついた。序でに野菜炒めを、油控えめで注文して昼食にした。

            よく飲みに行った食堂
宿が町外れなので、自転車がないと不便だった。貸し自転車をさがして、マーケットの周りを探した。自転車が沢山停めてある所は、店の利用客で貸し自転車屋では無かった。それらしき所を見つけて行くと、新車の販売店だった。貸し自転車屋を教えてもらって、ようやく借りる事が出来た。そして郵便局を探して、年賀状用の切手を買った。小さい地方の郵便局なので、切手の爆買いが出来るか心配だったが、買う事が出来た。
 宿に戻り夕方まで切手貼りをした。5時に成ったので夕食を食べに出た。ロータスと言うレストランに行った。手書きのメニューの家族経営の店だった。ご飯と魚スープと思ってライススープを注文した。出て来たのは魚と野菜の入った、お粥だった。想像していた物と違ったが、お腹にも良いので良しとした。戻って来て宿のお姉さんに切手貼りを手伝って貰った。
 そこで高橋さんと言う日本の青年に出会った。ビールが飲みたいと言っ居たが、宿には置いて無い。私が買ってきたのが有ったので、一緒に屋上で飲む事にした。一人旅で昆明経由で来たとかで、いろいろ旅の話が弾んだ。
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インレーへバスで行く

2015-12-27 23:57:09 | ミャンマー
2015/12/27(日)
 バスのピックアップが6時半と言うので、3時に起きて日記付けやパッキングを済ませた。6時から朝食はまだダメかと思ったが、一番乗りで出来た。6時半のピックアップをロビーで待って居たが、なかなか来なかった。バスの出発時間の7時半近くにやっと来た。乗り合いトラックでさらに別の宿で人を待ちさらに遅れた。バスセンターには30分遅れて到着した。ここでも乗客を待って結局出発したのは1時間遅れの7時半だった。バスは予約制の為、全部の乗客が来るのを待って入る。時間になったら出発すると言う事では無い。時間を守ら無い乗客が居ると、こんな事になる。予約客だけかと思ったら、当日の客も乗せて居た。座席は予約で埋まって居るので、通路に小さい椅子に掛けさせて居た。途中でも客を拾って、通路もギュウギュウになるほど、乗せて居た。隣の席が出発時には空いていたので、通路の人が座って居た。しかし途中から予約の人が来て、座席は本当に予約で埋まって居たのだった。
 出発するまで慌ただしくバスに乗り込んだので、トイレに行っている暇が無かった。次の休憩まで我慢出来るか心配だった。しかし途中で他の人がトイレと言って、路肩に停まったので一緒に用をたす事が出来てホッとした。

             インレー行きバス

             途中でも乗客を拾う

             満員の車内

              食事休憩
 バスには運転手と車掌の他に、検察の様なおじさんが乗り込んで居た。外国人だけチェックされ、国籍、パスポート番号、行先等を一覧表を回して書かされた。周りの外人は途中のカローまでだった。遅れた時間を取り戻そうと、運ちゃんは猛スピードで飛ばし、急ブレーキと荒っぽい運転だった。途中二箇所でトイレ休憩と食事休憩が有った。バナナを買ったり、焼飯を注文して食べた。30分の食事休憩を過ぎてからは、時間を取り戻したのか、通常のスピードになった。道もカーブの多い高原の登りになった。周りに松の森林が目立つ様になって来た。やがて広々とした高原地帯に出た。そんな高原に在る町がカローだった。道は舗装道路で所々に料金所が有った。高原高速道路会社と看板があるので、私企業が高速道路を作って居る様だ。高原地帯を過ぎると行く手に盆地の様な平地が見えて来た。そこを目指しバスは下って行った。インレー自然保護地帯の看板が出て、ようやく目的のインレーに入った。
 東に向かって居たバスが、インレー湖への分岐で右折して南に向かった。左手に運河の様な水辺に沿って走って行く。すると入域料金所が有り、外人は一人10$を徴収された。程なくインレ湖畔の終着駅のニャウンシェーの町に着いた。出発してから8時間半の17:00の到着だった。

              高原に入ると松が目立って来た

             カロー付近の高原地帯

             高原からインレー盆地に下る

             入域料金所

             ニャウンシェのバス発着所
 降りると直ぐに乗り合いトラックの運ちゃんが来た。パガンで一緒だったアイシャーさんが予約して呉れた、Friday Innと行き先を告げ運んでもらった。かなり町外れだが、何とか暗くなる前に宿に到着した。

           トラックタクシーで宿へ

           Friday Inn

           レセプション

             部屋
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大周回してパゴダ巡り

2015-12-26 23:02:08 | ミャンマー
2015/12/26(土)
 朝食を食べに行って、日本人のリタイア組の人に会った。しばらく話し込んだ。腹を壊したとかで、体調不良の様子だった。今日インレーに行くと言う。ここより寒そうで、それを心配して居た。しばらく話し込んだので、パゴダ巡りに出るのが遅く成った。
 今日はメインロードの南側を走るアノーヤター通りを行った。途中右手に観光客の車があるパゴダを見つけ、寄って見物する。さらに通りを進んで左手の無舗装の道に入った。大きな寺院を目指して行くと、スラマニ寺院に到着。門前市を成して賑わって居た。上の階に上がる階段が有ったので、登って見た。しかし出窓に出ただけだった。ここでしばし笛を吹いた。
 西の方にダヤマンジー寺院が見えたので、そこを目指した。この前シェサンド寺院から行こうとしたが、砂地で自転車が行けず断念して居た寺院だ。ここも上部に上がる階段が有ったが、閉鎖されて居た。その南側にノッグンと言う小さい寺院があり、上のテラスに上がれた。ここで眺めが良いので、暫し笛を吹いた。
 そこからどちらに行こうかと迷って、無舗装の車が走る南東に向かう道に入った。長い道のりで、観光バスやピックアップトラックが通ると、砂埃が凄かった。皆有名な寺院を目指して居ると思って走って行った。見えてきたのは金色に輝くパゴダの在る、ダマヤッズィカ寺院だった。ここも大きな寺院で門前市が出来て居た。横笛を吹いて居た少年が居て、まだ初心者だった。借りて見本に吹いて見せた。この寺院前を横切る幹線舗装道路が有って、これで戻る事にした。途中から少し細い舗装道路に入って、北に進んだ。ミンナントォ村に出て、ここから左折して無舗装の道に入った。これはスラマニ寺院の方へ行く道で、アノーヤター通りに抜ける道だった。時々砂地にハンドルを取られながら、頑張って自転車を漕いだ。アノーヤター通りに出る前に、人が登っている寺院が有り寄って見た。眺めの良い寺院でこれが穴場のブレディ寺院だった。
 3時近くになって居たので、流石に水だけでは腹が空いた。Pann Cherry隣のHein 食堂へ食事をしに戻って行った。まずビールを飲みたかったが、切らして居て出て来なかった。宿に戻り、前の小店でビールを買って飲んだ。やっと喉の乾きが収まった。
 流石に疲れたので、夕方まで一眠りした。起きて埃まみれに成って居たので、シャワーを浴びた。夕飯を食べる程の腹加減で無いので、飲むだけにした。この前皆んなで食堂を探してた時に、居酒屋風な店に入り出て仕舞った事があった。Power 5と言う店でレストランの奥の店が居酒屋だった。瓶ビールを注文して良く見ると、生があるでは無いか。他の店では見つからなかったが、流石飲む専門の店だった。
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ポッパ山

2015-12-25 23:57:58 | ミャンマー
2015/12/25(金)
 今日もWiFiの繋がりの良い朝に、ブログ更新の為早起きした。7時に成ったので朝食を食べに行くが、ライスと言ったが出なかった。まだご飯が炊けていなかったのだ。仕方無いのでパンにした。ポッパ山へのシェアタクシーがピックアップに来るまで、G.H.のロビーで待って居た。序でに明後日のインレー行きのバスの予約をした。11000kyだった。JJ Expressのデラックスバスは18000kyと言っていた。8-9時間なので朝一番のバス7:30発にして置いた。
 シェアタクシーが来て、もう一人かおりさんと言う女性の方が一緒に乗り込んだ。先に男性二人が乗って居た。さらに二箇所の宿を周り客を拾っていった。初めはミニバンに乗って居たが、途中で別の乗用車に乗り換えた。そこにはイスライル人のカップルが乗って居て、ドイツ人男性とロシア人女性も加わった。
 途中のドライブインで30分程休憩が有った。椰子の樹液から椰子酒と砂糖を作って居て、その販売もして居る所だった。道路脇で牛を使ってヤシの実を絞って居てた。その重しに子供を載せていたので、人集りが出来て居た。このドライブインで、かおりさんもこちらの車になった。理由はナゾで皆なぜ?っと首を傾げていた。イスライル人のカップルはずーっとおしゃべりをして居た。隣のドイツ人男性と英語で話している時は意味が分かった。

              椰子のコプラから油絞り

             椰子の樹液を煮詰めて砂糖作り

               椰子酒から焼酎作り
 途中一部舗装が途切れた部分が有ったが、舗装された道路を飛ばして行った。人家の無い所に道端に次々に人が出て、手を出して居る。ヒッチハイクかと思ったが、そうでは無いらしい。物乞いの人達だった。何故こんなに多くの人がと不審に思ったが、後でその訳が分かった。ポッパ山に着く前に狭い道で、登り降りの車で渋滞に嵌り動けなくなってしまった。歩き出す人も居る。後歩いてどの位と聞くと、20-30分だと言う。それなら歩くと決め歩き出した。他の人も同じだった。

               途中から大渋滞
 車の間や脇の路肩を大勢歩いて居る。いつもこんな様子?と運ちゃんに聞くと、今日だけだと言う。今日25日はクリスマスで、ミャンマーでは祝日だった。それで多くのミャンマーの人達が、聖地ポッパ山にドット押し寄せ大渋滞と成って居たのだ。日にちの選択を誤って仕舞った。
この多くの人出目当てに、あの物乞いの人達も道路に出て居たのだった。しばらく行くと展望台が在り、入って行った人が居た。遥か向こうに岩峯の上に寺院があるポッパ山が見えて居た。
まだ随分あるが、此処が入り口かと思って仕舞った。入り口を入ると入場料200kyをお鉢に入れた。脇にナッツ神の像が祀ってあるコンクリートの道を下りて行った。その先にパゴダが在り、道が途切れて仕舞った。えー?ここで行き止まりかと思った。別の道を探すと脇から下に続く階段が有った。谷の向こうにポッパ山参道の入り口らしき物が見えて居る。ここを下ればそこに出るだろうと山勘で思った。階段は途中から獣道に成った。沢まで降りゴミ捨て場を登ると、人家の裏側に出た。表に出て行くとそこがポッパ山の登り口だった。山勘は外れなかった。

            展望台入り口

         谷に下り登り返したらゴミ捨て場

           参道入り口は大混雑
 入り口は大勢の参拝客で大混雑して居た。登る人達にと一緒に行った。延々と続く階段は登るに従って狭くなり、登り降り別々にして入るがそれも大混雑。老若男女が打ち揃っているので、なかなか進ま無い。階段は増々急勾配になるので、手摺に捕まりながら登った。もし誰か足を滑らしたら、人雪崩が起きて大惨事となるのはと思うとゾッとする。

         下り側の混雑(この上では両側)
 何とか無事に山頂に到着した。此処も人々で大混雑して居る。いろんな参拝所が在り、熱心にお祈りをして居る人も居た。若い人達は物見遊山と行った感じだった。頂上を一回りして、早々に下る事にした。最初はゆっくり景色を楽しみながら、笛でも吹こうかと思って居たが断念した。下りも登る時程は無かったが、かなりの混雑だった。参道入り口に降り立つと、1時間経って居た。

         頂上からの眺めはバツグン

         様々な祠が在りナッツ神を祀る

           参道手前からポッパ山
 車をさがして歩いて来た道を下って行った。流石にもう渋滞は無く成って居た。と言う事は車も上がって来て、何処か入り口周辺に駐車してるのではと思った。そこで途中で引き返し、路上駐車をして居る車を探して歩いた。しかし何処にも見当たらなかった。自力で帰る方法をみつけなければならないかとも思って居た。入り口付近に居ると、同行の人達が丁度降りて来た。ラッキーだった。彼らに車が何処に駐車してるか聞くと、ヤンゴンレストランだと言う。参道に来るカーブの手前に、食堂が軒を連ねて居たので、その何処かではと思ったが違って居た。その先と言うとポッパ山リゾートかと思ったがそれも違った。途中から登り降りの車でまた渋滞に成って居た。結局登り渋滞で動けなく成った下にあったレストランで、そこから歩きで往復する羽目に成った。 
 車とドライバーを見つけ一安心。レストランに入り、腹も空いていたがまずビールを注文した。かおりさんドイツ人、ロシア人と、一緒に乾杯しながら記念写真を撮り合った。

           乗り合わせ同士で乾杯
帰りはかおりさんはバンの方で帰れと迎えの運転手は言う。皆顔馴染みに成ったので、このまま一緒の車で良いと言ったが、聴き入れて呉れなかった。この理由が何故だか分からない。車に乗ったらかおりさんの手荷物が残って居た。やっぱりこちらの車で良かったのにと話しあった。こんなに大混雑のポッパ山のトレッキングに成るとは、予想外だった。それでも無事に帰る事が出来て、宿に4時に戻って来た。
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日の出見物

2015-12-24 23:48:45 | ミャンマー
2015/12/24(木)
今日も3時からブログの更新を行った。5時過ぎにアイシャーさんと一緒に日の出を見に行った。途中あかりさんのG.H.に寄って、彼女と待ち合わせした。暗い中をシュエーサンド寺院に向かった。今日はあかりさんだけで、彼女も電動バイクで無く自転車にした。
 寺院に到着すると、もう既に人が居た。この寺院は夜間のライトアップは無くて、暗いままだった。6時過ぎになってようやく薄明かりに成って来た。明るくなっても中々太陽顔を出さない。一面に広がるバガンの平野に無数に散在するパゴダが、シェルエットに成って浮かび上がって来る。地平線の方までハッキリしてきた頃、遠くに遊覧熱気球の群れが浮上して来た。ちょうど日が昇り、太陽の前を通過して行った。7時半頃まで眺めて居て戻った。

         ダヤマンジー寺院の方から日の出

         日の出の熱気球

        シェサンド寺院で日の出見物

        朝日に浮かび上がるパゴダ群

        早朝托鉢の尼さん達
 宿に帰って一緒に朝食を食べた。アイシャーさんは昨夜コーヒーの飲み過ぎで良く寝なかった様子で、食後二度寝をしてから観光に出かけると言う。私は9時過ぎから一番近くのシェジゴン・パゴダに出かけて行った。長い回廊の参道がある大きなパゴダで、大勢の人達で賑わって居た。一巡しながら、金色に輝くパゴダや付属の建物などを見て廻った。帰ろうと思い回廊を出て行くと、自転車を置いた場所が見当たらない。何回か行ったり来たりして、ふと別な出口だと気が付いた。同じような回廊なので、勘違えして居た。やっと自転車を置いた場所に戻った。

           参道入り口の狛犬

          シェジゴン・パゴダ
 ブーパヤに行こうと、オールドパガンに向かった。途中右手の寺院の上に人影が有った。上に登れる様なので行って見た、しかし登り口が中々見つからなかった。まさか外の外壁を攀じ登った?と思ったら、堂内部の入り口の隅に祠の様な入り口が在った。狭い暗い階段を上ると、エーワラディー河が目の前に見え、素晴らしい景色が広がって居た。小さい寺院なので最上階のテラスは物凄く狭く、やっと腰掛ける位しか無かった。しばらく景色を眺めながら、笛を吹いて休憩した。 

           上に登れたパゴダ

         エーワディ河がすぐそこだった

          スラマニ寺院
 昼近くブーパヤに着いた。脇の階段から川岸に降りて行った。階段には多くの物乞いの人達が居た。川岸にの露天商の屋台があり、飲食物を売って居た。川船遊覧の客相手の店だった。境内に入り、川岸に面した回廊に降りてしばし休憩。境内で持ってきた食事が出来ないので、下の空き場所でピクニックをして居る家族が居た。私も何処か飲んで食事のできる店を探したが、パゴダ附近んには見当たら買った。アーナンダ寺院付近の、何度か行った同じ食堂に行ったが満席の様だった。その先を探してミャンマー料理の店に入った。こちらも大勢入って居た。ビールを飲んで居る人は無いので、ビールが有るか?と聞いた。有ると冷蔵庫の中を見せてくれた。それではここで昼食を食べようとした。所が単品とビールをオーダーしたら、カレーセットで4000Kyしかダメだと言う。それじゃ止すと言って、再度昨日の飯屋へ。チャーハンとビールを注文。今日は客が多かったらしく、家族全員小さい子まで働いて居た。冷えていないビールを持って来たので、これじゃダメだと言った。やがて持って来た理由が分かった。今日は客が大入りでそれで冷やしたビールが売れ切れてしまったのだ。
 帰る途中別の登れる寺院を見つけた。先の寺院では無かったが道路を挟んで向かい側だった。再度先の寺院を訪ねテラスに上がって、暫く過ごしてから帰った。アイシャーさんが戻って居て、インレー行きに出発するまで、おしゃべりしながら過ごした。彼女は凄く人なつ恋くて、直ぐに他人と友達になれる人で、待って居る間にも何人かと親しく成って居た。出発する彼女を名残を惜しんで見送った。
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地元の村祭に行く

2015-12-23 23:39:49 | ミャンマー
2015/12/23(水)
 4時起きしてグログを更新出来た。アイシャーさんは朝日を見に出かけると言うので、5時に出て行った。8時半からアイシャーさんが友達になった、現地の人に村を案内して貰う事になっていた。さらに他のHGに泊まって居る、明理さんとオランダの青年も一緒に行くと言うので、私も参加させて貰った。その人達と日の出を見に行ったのだが、彼女は7時半に成っても戻らなかったので、先にGHの朝食を食べた。奥の方に食堂が在り、トーストとパンだけで無くご飯も有ったので良かった。アイシャーも戻り案内人のカウチさんが来て村に案内して貰った。女性二人は電動バイクで、男性陣は自転車で行った。初めアイシャーさんが、自転車で大丈夫?と心配顔で聞くので、後を追い掛けるから問題無いと答えて置いた。途中私の自転車のチェーンが緩んで居て、スピードを出し過ぎたので外れて仕舞った。カバーが有り直ぐに掛け直す事が出来無い。ここで断念かと思って居ると、カウチさんが戻って来てバイクに積んで有る工具を出して呉れたので治った。

         自転車で飛ばし過ぎでチェーンが外れる
 しばらく行くと右手に見覚えのある金箔の仏塔が見えて来た。よく見ると昨日来たアーナンダ寺院だった。間も無く左手に夕日見物で有名な、シュエ・サンド寺院も見えて来た。それで何処に居るか分かった。それなら今日は大回りをした訳で、オールドパガンを目指し、真っ直ぐ来れば良かったのだった。
 ニューパガン方面の道に出て、少し行った所のミィンカバー村に到着。今日此処で僧に成る為の托髪式が有るのだと、カウチさんが言う。村の中に入って行くと、人の家の庭の様な所を横切って行く。石橋が有りその先に漆器工房の店が在った。更に村落の路地を行くと、所々で大勢の人が何かを待っている。先の方から大音響の楽隊を乗せた山車のような物がやって来た。キーボードや太鼓を演奏している楽隊だった。その後から、煌びやかに着飾った女性の列が続いた。きっと何かのお祭りで、そのパレードのようだった。馬に乗った若者が来ると、今度は象に乗った稚児さんの様な子が現れた。その後から馬に乗った稚児達が続々と続いた。最後は二頭立ての牛車が四五台と続く長い長い行列だった。これが何のお祭りなのか、クウチさんからは説明が無かった。しかし絶好のシャターチャンスなので、皆んな写真を撮るのに夢中だった。先ほど道端に大勢並んで居たのは、この行列を待って居たのだった。

             先頭の楽隊



           着飾った女性達の行列

            像も現れた

           チャグチャク子馬の様な行列

            最後は二頭立の牛車
行列が行って仕舞ったので、カウチさんがこちらに行こうと、ニューパガンへ行く大通りに連れて行った。橋の欄干に腰掛けて行列を待つのだと言う。先ほどの行列は大通りに出て来る様なのだ。待っていると先の方で楽隊の音楽が聞こえ、行列が出てきた。しかし大通りは来ずに、横切って居る。こちらに来ないのか?と思って居ると、一緒に待って居た子供達が村を回って又出て来ると教えて呉れた。行列がやって来ると、車も増え観光客もやって来るはで渋滞気味に成った。車や人が邪魔で写真的にはこの場所はあまり良く無かった。

             大通りでパレードを見物
 行列見物の後、近くのヒンズー寺院ぽいパゴダと金箔の仏塔の寺院を案内してもらった。この寺院は壁画が沢山有ったが、剥奪されたり色褪せて居たりした。入り口にはヒンズーの女神カリーの壁画が残って居た。それから道路から少し入ったパゴダに案内して行った。ここでカウチさんが絵を売り歩いて居る人だったが判明。お土産にどうですかと最後には言うのだった。
 良い所を案内して貰ったので、感謝の気持ちは重々なれど旅の途中で余り荷物を増やしたく無かった。アイシャーさんが申し訳程度に一枚買って上げて居た。

           ナガーヨン寺院

          カウチさんは絵売りだった

         この村には漆器工房が沢山在った
 お昼を食べに行こうと言うので、アーナンダ寺院の先の食堂通りへ案内する。シュエーサンド目指して地元の人が行く細道を行ったので、カウチさんは我々を見失った。昨日の食堂でビールとチャーハンを皆んなで食べた。喉が渇いていたのでビールの美味さが喉に滲みた。

          ローカル食堂で昼食(メニューは無い)
食後私と明理さんは再度村に行き、托髪式を見に行く事にしてアイシャーさん達と別れた。
 村に戻り人々に式は何処と聞きながら、探して行った。最初は髪を切る仕草でその会場が分かると思ったが床屋に案内されて仕舞った。合掌する仕草を加えて、漸く意味が通じた。煌びやかに飾った式場らしい所にたどり着いた。あの行列の楽隊や、稚児の様な子達も居た。托髪式は?と尋ねるともう終わったと言う。エーエッ!折角たどり着いたのに。でもまだ何か始まりそうで、待ってる人達が居る。明理さんと暫く様子を見る事にした。暫くしてからバリヒンズーの神主さんの様な格好の人が、マイクで延々と音楽に合わせて説教をして居た。その間に稚児の様な子達が、金箔の仏様や、親や、おばあさん達に拝礼をして居た。その内に小さい子が托鉢して場内を一周、見物人がお金を喜捨して居た。私も少しお布施をした。

           村の中を会場を探す

            剃髪式会場

          式は終わったが何か始まりそう

            盛装した子供達が集まる

           神主?が長々と説教

          集まった人達にお布施を乞う

           最後に聖水を注いで終了
 4時近くになり、昨日に続き皆んなで夕日を見シュエ・サンド寺院に行った。大勢の人達がやって来て、最上テラスは満員だった。日没まで笛を吹きながら、日が落ちるのを待った。途中で或る人から、静かな時を過ごしたいと言われたので止めた。5時半山の端に日が沈んで行った。帰ってから皆んなで待合せして夕食を食べに行った。明理さんがお勧めの、ポーンチェリーG.H. 隣のサダサイ食堂で、楽しい夕食を食べた。

            5時半日没

           皆んなで夕食
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パガンのパゴダ巡り

2015-12-22 23:19:15 | ミャンマー
2015/12/21(火)
 バスはまだ暗い朝5時にニャウンウーのバスセンターに着いた。暗くて終点だと言う気がせず、一部の人しか降り始めなかった。降りると大勢の車の客引きが押し寄せてきた。一人なのでピックアップトラックが無いかと聞くと皆タクシーだと言う。するとスクロの運転手が居てそれに乗った。ニャウンウーの街までは車で10分位らしが、自転車では30分程掛かった。まだ夜が明けておらず、星空が綺麗だったが寒かった。部屋が有れば泊まる予定のPANN CHERRY GHに行って見たが、満室だと言われた。多分シングルは!運転手が別のGHに連れて行って呉れた。そこで出発時に会った、アイシーさんとバッタリ。彼女も部屋を探してここに連れて来て貰ったのだった。部屋はツインのエアコンの部屋なら有ると言われた。一泊22だと言う。私は想定内の料金だったが、彼女には高過ぎた値だった様だ。宿の女主人?が相部屋にしたらどうと言って来た。彼女に持ちかけて見ると、ちょっと思案していたがOKして呉れた。5泊分前払いして、二日目からは20$にして貰った。部屋に入って荷物を解いてやっと落ち着くと、7時を廻っていた。少し寝る事にした。アイシーさんは日の出を見ると言って居たが、起きたら外が寒いので出かけなかった。暖かく成ってから、行く事にした様だった。
 近くのレンタル自転車を5日レンタルする。1000/日だった。サドルの高さを私の足の長さに低めて貰った。オールドパガンを見物に出かけに出発するがその前に腹拵えと近くの食堂へ。大勢の客で賑わって居て、そこでカレーうどんを食べた。いざオールドパガンへ出発。デコボコの舗装道路を行くと、右手に幾つかのパゴダが見えて来た。ニャウンウーの外れにある、シェエジィーゴン・パゴダで、屋根付きの参道も見えて来た。オールドパガンのタラパー門までの間に左右に、レンガ造りのパゴダが次々に見えて来た。門を入り少し行くと、右手からくる道路があった。幾つかのパゴダの名前を示す指導標が立って居たので、そこを取り敢えず右折した。すると左手に白い四角錐の様な塔が見えて来た。インドスタイルの仏塔マハーボディ・パヤーだった。外から眺めて通り過ぎた。その先に行ったが暫く仏塔が現れてこない。さっきの分岐まで戻り先に進んだ。道直角に左にカーブする。左右に次々に仏塔が見えて来た。左の小道に入って行くと、行く手に大きな寺院の様な物が見えた。近づくと手前の所から、土産物売りのおばさんが呼びかけ来た。返事をしないでいると、日本語、英、仏、独、伊、スペイン語と変えてくる。商売しながら身につけたのだろうが、驚いてしまう。自分のいる所は唯一のヒンズー寺院ナッラウンなので、見て行けと言って居たのだ。目の前の大きなタビィニュ寺院が先と言うと、順路ではこっちが先の方が良いと繰り返し強調して居た。かまわずそのまま先に進む。タビィニュ寺院には、四方の入り口で砂絵を書いて居たアーティスト兼土産屋がいた。内部に入って回廊を一巡りした。東側に金箔の仏像が安置されて居た。
 その後幾つかのパゴダを見て歩き、大きな仏塔を目指して行くと、上に人が登って居るのが有った。行ってみると、これが有名なシュエサンドー・パゴダだった。五層の基壇の上に仏塔が乗った大きなパゴダで最上階の基壇からの眺めが素晴らしい。パガンの仏塔群を一望出来る。最上階で1時間ほど笛を吹きながら、眺めを堪能した。その時あった日本人に夕日を見るなら、4時頃にきて場所を取って置く方が良いと教えてもらった。
 昼食を食べに食堂を探しに行った。メニューはと聞くと、ミャンマー料理なので無いと言う。それではと指差し会話帳でご飯と魚を注文。出てきたのは小皿に盛った、8皿の品々。どれが魚料理?とにかく飲みながら食べた。その後夕日の場所取りに行くまで、アーナンダ寺院、ブー・パヤー、ゴドーパリン寺院と見て廻った。異彩な感じのダヤマンヂー寺院に行こうとしたが、道が途中で砂地に成り漕げなくなり引き返した。16:00じ近かったので、夕日見物のシェーサンダー寺院に再び行く。夕方になるに連れ続々観光客がやって来た。17:00頃には最上階は満員状態だった。日没までまで眺めを楽しむ。日没後涼しく成って来たので、大急ぎで宿に戻って来た。
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