小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

バンコクにて

2015-02-01 23:54:57 | 中国
2015/02/01(日)
 バンコクに着いて長旅の疲れを取る為、毎日ノンビリ過ごした。溜まっていたブログもようやく旅の分は完了した。もう一週間程滞在して9日に帰国予定です。
1/25日にバンコクに早朝到着したので、宿のマンションのチェックインには早過ぎた。その前に両替をしなくてはならなかった。午前中時間を費やす為に、マンガ喫茶に行って見た。しかしここも10時からで、開店まで待つ羽目に成った。午後に成って両替所へ行くと閉まっていた。そう言えば日曜日だった。ATMで引き出しても良いのだが、現金を両替したかった。止む無くマーケットにある両替所に行き、両替する事が出来た。マンションに行き10日程滞在でチェックインした。宿に落ち着き、溜まって居た厚手の洗濯物を洗濯機で洗った。バスタブが有ったので、久しぶりにお湯に浸かった。その後今日まで
 1/26(月)スクムビットへ買い物に行く。 
 1/27(火)床屋へ行く
 1/28(水)タイ古式マッサージへ
 1/29(木)部屋で過ごす
 1/30(金)再度両替へ
 1/31(土)ウェークエンドマーケットへ買い物
 2/01(日)インドラスクエアで買い物
と1日一つの事をやって終わった。
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ルアンナムター三日目

2015-01-16 23:44:46 | 中国
2015/01/16(金)曇り後晴れ、ルアンナムター三日目
 午前中ノンビリ目を覚まし、朝飯兼昼飯をマーケットに買いに行った。



             不思議な野菜?

            こちらはスイーツ

             米
午後から街の北西にある小高い山の上にある、仏塔に行って見た。確か一番西側の道を北に歩いて行った記憶がある。そこで一番西の道に出て、歩いて行くと大きな建物で行き止まりと成った。この四階立ての建物は中国の援助で建てられた、学校だった。背後に仏塔が遠くに見えるので、抜けられるかと思って入って行った。しかし全体が塀で囲まれ、裏には抜けられなかった。門まで戻り、一つ東側の道を歩いて行った。行く手に広場が現れた。その先の斜面に地元民の通る道が見え、その先に大きな寺院が見えて来た。広場を横切り斜面の小道を登ると、広い道路に出た。この舗装道路の坂道を登って行くと、まだ未完成の寺院が建っていた。しばらく工事が中断しているようで、屋根瓦が何箇所も剥がれ落ちていた。大きな道路はジグザクに登って行くので、脇の近道の小道を登って行った。一段上の平らな場所に出て、そこから階段を登るとさらに上の段に出る。ここに着くと見覚えのある、蛇の手摺の階段があった。そこを登ると左右に三体づつの民族衣装の像が出迎えて呉れる。その先に鐘撞堂が在り、その奥が仏塔だった。現在改装中で竹の足場が架けられていた。上部が赤く塗られているが、まだ彩色が終わっていなかった。

           電動バイクに乗る子供達


             立派な学校

            広場の先の小道

            建設中断のお寺

            ゴムの採取

            蛇の手摺の階段

           改修中の仏塔

 裏に回ると金色の数体の仏像と涅槃仏が左右にあった。中央は岩屋になっていて、仏像と地元の神が祀られていた。ここで数時間、持参した笛を吹きながらノンビリ過ごした。改装中の職人が来て仕事を始めたり、子供達が箒の材料になるのか、葦の穂を採りにやって来たりした。

            その裏手

            岩屋

          涅槃仏

         仏塔からの街並み

         箒の材料を採る子供達

           仏塔前の出迎え像
 宿に戻りビールを飲んで夕方まで寝た。夕食はナイトマーケットに行って、ローカルフードを酒のツマミに買った。今日は川エビは無かったので、小魚のビリ辛バナナの葉の蒸し焼きと焼き鳥を買った。味はなかなかオツなもので、ツマミには良かった。

          夜のナイトマーケット
食後ベッドでブログ日記のの下書きを書き、22:00に眠りに就いた。
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勐腊ー磨憨(Mou Han)ールアンナムター(ラオス)

2015-01-14 23:28:32 | 中国
2015/01/14(水)
 今日は直接ルアンナムターに行くか、磨憨に行くか迷っていた。朝9時に宿をチェックアウトした。ルアンナムター行きは14:00なので、取り敢えず磨憨まで行くことにした。1時間程の近距離なので、途中の村々で降ろしたり、乗せたりしながらのローカル乗り合いだった。磨憨に着きまずは町を見学。ここも建築途上の街なので、至る所工事中が目に付く。目抜き通りでも建物は作ったが、内装が出来ていない建物が多く見受けられた。町を北上しUーターンして、国境のイミグレ(入出菅)まで行って見た。6年前は国境のゲートも無く、入菅も普通の平屋の建物だった。しかし今は大きな国境ゲートが出来、イミグレも大きな建物に成っていた。

                  磨憨行き乗り合い

                 原生林が残って居る

                 途中のローカルバス駅

                  道は良い

                 途中で給油

              磨憨の街

             至る所工事中

            紅木(マホガニー)工芸の店

             ゴミ収集車

             中国ゲート

             イミグレーション(入出管)
 磨憨の街もざっと見たので、一泊するほどでも無かった。そこでラオスに出る事にした。バス待合所でルアンナムター行きのチケットを買おうとしら、何か言っている。こちらが分からないので、出札の女の娘は携帯に英語の翻訳を示してくれた。ここでは磨憨発のキップのみで、国際バスは途中乗車に成るので、バスの中で買うのだそうだ。日向ボッコをしながら、15:00のルアンナムアター行きを待つ事にした。

            磨憨バスターミナル

              時刻表

             路地の飯屋
 15:00少し前に反対側の道路にバスが着いた。何処行きのバスかと呑気に構えていた。と言うのはルアンナムター行きは、このターミナルに寄る物と安心して居た。しかし向かいのバスは乗客の乗り降りが多い。もしかしたらルアンナムター行きか?と思い、待合所を出てみた。正しくルアンナムター行きだった。発車する所だったので、慌てて呼び止め何とかセーフだった。中国人の団体と思しき一行が大半で、僅かに席が有った。
 乗り込むと闇両替の人が乗り込んでいて、車掌と間違えてしまった。取り敢えず100元を両替したが、38Kキープしか渡さなかった。後で分かったが公定の半分だった。してやられた!!
イミグレに着くと、バスを囲んで大勢の両替商が群がって来た。バスに乗って居た両替屋は、これに先んじて居たキレ者だったのだ。ここで出国手続きをしなくてはならないのだが、中国人達は降り様としない。降りても買い物に走り回って、イミグレの方には行かなかった。そんな人達がどっと来ると、イミグレが混雑するのでさっさと手続きを済ませ、出口でバスを待った。

             ラオス行きバス
しかし乗り合いの中国人達はやって来ない。二人の人が運転手に先に行くと告げ、ラオスの国境の方に歩いて行った。ああこれは先にラオス入国を済ませた方が得策だと、分かった。私も運転手に先に行くと告げ、ラオスのイミグレまで歩いて行った。ラオスのイミグレは大きな国境ゲートの一部がその部屋だった。入国カードを書きスンナリと入国。ゲートの外でバスを待つことにした。天気が快晴となり青空が眩しい。山間部にあるゲート付近は周りが森に覆われ、空気も澄んで心地よい。バスを待ち、乗り合い客の中国人達が来るまで、30分近く待った。ラオス側はボーテンと言い、小さな農村で泊まる所もない。

            ラオスゲートとイミグレ

             バス車内

            山間を抜ける
山間部を2半ほど走り、ルアンナムターだと言って降ろされた。以前の記憶と一致しないので、辺りを見渡した。街の中心にある、ナイトマーケットが目に着き、瞬時に記憶が呼び戻った。以前に宿泊した宿に行って、泊まることにした。一泊80K(\1200)キープだった。

              ナイトマーケット

              ルアンナムターの町並

               宿の部屋
 公定レートの両替所が有ったので、200元(\4000)を両替=260Kキープだった。夕食はナイトバザールでビアラオ(10K)を飲みながら、チャーハン(23Kkp=\345)を食べた。
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勐腊(Mung La)二日目

2015-01-13 23:56:38 | 中国
2015/01/13(火)晴れ 
 昨日は町の目抜き通りを北の方に歩いて見物して来た。今日は裏通りに入って、町の東側の通りを歩いて見た。大きなホテルの建物が有るが、中身が出来ていなかった。その先が農道と成り大きなビルの工事現場だった。その先は畑と成り、ササゲやトウモロコシやバナナ等の畑に成って居た。農道から街の方に進むと、町の外郭は農村の集落に成って居る。立派な寺院が有ったので、人気の無い寺を見学。誰も居無いと思ったら、小僧が門の小屋に居た。少し坂道を登って、街の大通りに出た。この通りを南に下り、宿に向かった。途中バイク屋さんが有り、スズキやHONDAの看板を掲げていた。

         まだ内装が出来て居ないホテル

          大掛かりな工事現場

           送電線も途中まで?

           トウモロコシやささげの畑

            市外地の村

            バナNも栽培

             村のお寺

             伝統的な家
 夕飯は屋台街で食べようと思ったが、料理名を言わないとダメなので、ちょっと煩わしくなり、あちこち彷徨い歩き、あるホテルの1階レストランを見つけた。客も大勢入って居るので、値段の割に美味いと思いここに入った。ここはちゃんとメニューがあり、注文もし易い。しかし漢字の羅列で、いまいち実物の実感が湧かない。取り敢えず、ビールと写真のあった物をツマミに頼んだ。頼んだのは一見野菜風サラダと思ったのは、出て見れば大根の炒め物だった。それと餃子を注文して、これはそのまま、予想通りだった。〆て38元(\760)の夕食だった。


            あるホテるのレストラン

             これが注文品



       ここの名物料理(皆んなが食べていた茶碗蒸し)

        食べ物横丁の焼き鳥屋
 宿に戻り数十チャンネルの中国TVを見る。アニメの熊出没と言う番組が面白かった。
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景洪(Jin Phon)-勐腊(Mung La)

2015-01-12 23:37:22 | 中国
2015/01/12(月)景洪ー勐腊
 景洪(Jin hong)に何日滞在しようかと考えた。今回はこの周辺に行って見たい所は思いつかなかったので、先に進むことにした。取り敢えずラオス国境近くの大きな街、勐腊(Mung La)へ行く事にした。11時に相相兵館をチェックアウトした。景洪客運バスターミナルへ行くが、次のバスまで時間が有った。そこで随時運行の版納バスターミナルへ行った。まず近くの飯屋快餐で腹ごしらえをし、12:00発の勐腊(Mung La)行きに乗ることにした。バスはマイクロバスで勐腊までは頻繁に出ている。途中道路脇の山林は全てゴムの木が植えられ、元の亜熱帯の樹林は無かった。途中の町の発着所と熱帯雨林公園に寄り、2時間40分程で到着した。


            販納バスターミナル

           勐腊行きバス

           山間を走る


          途中のローカルバス駅

          周りはゴムの林
勐腊のバスターミナルは物凄く立派な建物だった。以前の記憶では道路脇の路地を入った様な所だったが全然違っていた。兎に角泊まる所を探そうと駅を出ると、目の前に新しいビルの宿が有った。新亜州兵館で値段を聞くと80元(\1600)だと言う。100元位は仕方ないかと思っていたので、泊まる事にした。部屋の広さも設備も良い所だった。唯何故か停電でシャワーが水だった。部屋を見せてもらった時、受付の娘が天井の照明を指して、電気が無いみたいな事を言っている。受付に行くと、今停電中との事だった。

          勐腊のバスターミナル


          新亜州兵館
 荷物を置いて、街中を見物に出た。この町は宿場町の様に、道路に沿って南北に伸びている町だ。道に沿って北のほうにブラブラ歩いて行った。町中至る所で建築中で工事中だった。急速に発展し続ける息吹が感じられる。交差点でクレーン車を使って大掛かりな、工事をしていた。此の所為で交差点は渋滞する。そうするとバイクが歩道を走り始めた。交通ルール等無いに等しい。

              勐腊市街地

           交差点でクレーン車を使って工事
郵便局のある交差路まで行き引き返した。この郵便局、ホテルも兼ねている。中国では大きなビルの公共機関が同時にホテルも経営している。景洪のバスターミナルもそうだった。戻る途中オープンテラスの所で、ビールを飲んだ。ツマミは隣のテーブルの客の物を頼んだ。しかしこれは失敗。出てきたのは鳥の足とパクチ(コリアンダー)を和えた物だった。鶏の足はゼリー状の所が少なく、骨ばかりで殆どツマミにならなかった。付き出しにスイカの種が出てきたが、これも食べるには技が必要でツマミに成らず。戻って夕方から停電で灯が無いので、寝てしまった。

               郵便局のホテル

             オープンテラスの店

             頼んだ鶏足のサラダ
 8時半頃電気が来て、明かりが点いた。夕食に外に出ると、道路一つ向こうの屋台路地はまだ停電中で復帰していなかった。仕方なく宿の前の飯屋に行った。このターミナルの通りは電気が点いて居る。この少菜屋で野菜3種類と肉の炒め物を注文した。出てきたのは野菜の夫々の炒め物と、肉の炒め物だった。一緒にと言った積り何だけど・・・・・。

            一緒に炒めて欲しかった
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景洪二日目

2015-01-11 23:03:51 | 中国
2015/01/11(日)晴、景洪二日目
 ラオスで使う分両替のし易さから中国元に換えておこうと思った。日本円の両替は中国銀行でしか取り扱って居ない事は、河口で知った。昨日歩いていて何処かに中国銀行があった。記憶を辿って宿の前の道を南に下った大きな交差点の角だったのを思い出した。午前中に出かけ両替をした。確か両替申請書を記入しなくてはいけなかった。用紙がどこにあるか分からなかったので、窓口で両替したいと申し込んだ。行内にいる係りの人が、用紙を持ってきて呉れた。書類と現金とパスポートを出した。行員が円の両替に慣れて居ない所為か、書類やパスポートをいろいろチェックして、30分位掛かってようやく両替出来た。中国はまだドルが強いようで、ドルなら直ぐに両替出来る様だった。

            中国銀行のあるビル

            メコン河岸はレストラン街
 天気も何日振で青空が見えた。景洪市の東にメコン河が流れて居る。そこに掛かる西双版納大橋へ行ってみた。橋の袂に緑地公園があった。夜市の看板が有ったので、夜店で賑わうのだろう。この大橋は中央部の塔で橋を吊っている構造になっている。歩道部分を歩いて河を渡った。メコン東岸も高層ビルの建築ラッシュだった。このメコン河を船で下ってタイに抜ける航路あったが、現在では廃止され、スピードボートが運行して居るらしい。しかし料金は航空券並みとか。戻って宿の近くの快飯店で、ご飯を食べた。

             メコン東岸も建設ラッシュ

              橋の袂の緑地公園

             その東側は呑屋街(後ろが大橋)

              橋の上からメコン河下流


             景洪港と水上レストラン

            西双版納大橋のレリーフ
 ここに来てハノイの汚れた空気で気管支をやられ、その上景洪までの長距離バスで疲れが出た。午後は部屋で夕方まで寝ていた。夕方晴れて温水シャワーが熱くなったので、シャワーと洗濯をした。夜になって今朝行って見た、夜市に行ってみた。メコン岸沿いには、バー風な店が軒を連ねていた。しかし皆明かりが薄暗く、客の姿が殆ど無かった。時間が早い所為か?
 夜市に行くとメコン河の堤の上の道が、何百メートルも夜店が出ていた。食べ物屋、ジュース屋、衣料、日曜雑貨、女性用化粧品etc.等様々な店がでて、物凄い人が出ていた。余りの長さに途中で引き返した。焼き鳥風なものを買って部屋でテレビを見ながら、ビールを飲むことにした。しかしこの焼き鳥風な物は余り美味くはなかった。

           夜のメコン河


          夜店の賑わい
 夜はテレビを見て過ごした。中国のテレビはチャンネル数が半端じゃない。各省のテレビ局があり、さらに大都市のテレビ局、その他軍や党のテレビ局と数百チャンネルに及ぶのではないか。アニメチャンネルが有ったのでそれを見て楽しんだ。
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景洪(Jin Phon)初日

2015-01-10 23:53:11 | 中国
2015/01/10(土)雨、景洪
 景洪汽車客運ホテルを9時にチェックアウトする。

            景洪汽車客運ホテル
6年前に一度景洪に来ているが、地図が無いので自分位置が分からなかった。ホテルを出て右の方(南)へ歩いて行った。すると見覚えのある、民芸品通りのゲートが向かいに有った。ここはミャンマー系の玉(翡翠)を売る店が軒を連ねて居る通りだった。そこを通り抜けて、反対のゲートに出てさらに右折(南)へ行った。大通りの十字路が有り、角に中国銀行があった。ここを右折(西)して歩いて行った。すると緑地帯や公園風の所の脇を通った。ここで漸く自分の位置が分かった。この先に池があり街の中心部で、市民の憩いの場所だった。以前何度もここに来たので、思い出すことが出来た。兎に角何処か宿を見つけなくてはならないので、景洪汽車客運ホテルの所まで戻った。目の前の路地を抜け一つ東の通りに出た。すると目の前に安宿らしきものが有った。行ってみると、すこし路地を入った所にアパートと宿が一緒に成った様な宿があった。気の良さそうなおじさんが、一泊50元(\1000)と言うので泊まる事にした。

             民芸品通りのゲート

             向かいの路地に宿を発見



         路地の先が相相兵館

          隣はアパート   

         もう一つのバスターミナル(近郊へのバスが出る)

             地図が有った売店(他の売店は売っていなかった)

             大きな電気店

             見覚えの有る広場前のレリーフ
             広場の地下はスパーマーケットに成って居た

 兎に角市内地図が無いと、目的の場所まで行けないので、地図を探して歩いた。確か前泊まった、工科大学の経営するドミトリーの近くで買った気がした。そこまで行って見たが、店は発見できなかった。地図を探してあちこち歩き廻る内に、競技場近くのキオスクみたいな路上スタンドでようやく手に入れた。雨の1日なので余り出歩く気もせず宿に戻って寝て過ごした。
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建水ー景洪

2015-01-09 23:58:54 | 中国
2015/01/09(金)雨、建水ー景洪
 10時に興裕兵館をチェックアウトした。バスターミナルに向かい、駅前で朝食を食べた。米銭(米のうどん)が朝食の定番なのでその店に入った。ここのシステムは、まず豚、鶏、牛のスープにするか言って、チェケットを買う。それからスープの窓口に行き大丼のスープを貰う。トッピングする薬味が、10種類位あるので適当に入れ味を作る。次に隣の窓口で米銭を入れて貰うのだった。始めに米銭の窓口に行ったので、入り口のチケット売り場へ行けと(多分?)言われた。何とか朝飯に有り付けた。これだけでは物足りないので、小竜包を買い込んだ。これが後々夕飯代わりになった。

           食券を買う

          スープの窓口で丼をもらう

          麺の窓口で入れて貰って完成

           結構混んでいた
 13:30の発車なので、ターミナルの待合室の椅子で過ごした。丁度地元警察の交通事故撲滅大キャンペーンをしていた。チラシやカレンダーを配っていたのだが、通る人に積極的に配ることは無かった。しかしビラを貰う人が居ると、広報班やテレビ局のカメラマンが撮影に熱心で、こんなに熱心に広報活動をしていますと宣伝するのだと思った。実際はそんなに熱心に広報活動はして居なかった。

              交通事故撲滅キャンペーン

              展示が凄い(屍体がモロ)
 13:00になっても乗車口の所に景洪行きのバスが現れない。係に聞くと奥の方に停車して居ると言う。バスの中は暖かく待合室で寒い思いをする事は無かったのにと思った。このバスは開元から来たバスで、定刻に発車した。乗客は疎で2席を一人で使う状態だった。

                景洪行きバス
 建水から石屁(Shi Phing)までは高速で順調に行った。所が石屁のターミナルで1時間程停車していた。時間調整か運ちゃんの都合かは不明だった。大体このバスが景洪に何時に着くのか、さっぱり分からなかった。バス代が50元だと約4時間位乗っている。それからすると16時間近く掛かる頃になる。と言う事は明日の朝景洪に着くと言う事が、途中で段々分かってきた。
 石屁を出て北上して高速に乗るのかと思っていた。しかし山道に入り、峠を越して峡谷を延々下って行った。途中の電柱の表示から紅河に向かっている事が分かった。この峡谷の道は何箇所か洪水で抉られ道が欠けていた。ガードレールも無く雨で濡れている山道は、スリップしたら一貫の終わりだとスリル満点の道だった。この峡谷を延々2時間近く下り、紅河に出てようやくホッとする道になった。これから紅河に沿って遡り元江に出た。ここから高速に乗り、順調に飛ばして行った。途中普洱(Pho Lei)で食事タイムで30分程停車する為、ドライブインの食堂に立ち寄る。他のバスも数台止まっていて、ずいぶん混雑していた。料理を頼むのが面倒なので、食事はせず朝の小竜包で済ませた。

              石屁の街

              渓谷を下る


             道路の欠落が多数

          紅河に出てやっと渓谷を抜けた

           紅河市との分岐元江へ向かう

           道も格段に良くなった


            ドライブインの食堂
 ある所で兵士が検問に来た。皆寝ていたのを起こされた。パスポートを出すと、この前の様に持って行くかと思ったら、直ぐに返してくれた。そこからトンネルを数カ所潜り抜け、大きな街に入った。何とここが景洪(Jin Phon)だった。23:30着10時間のバスでした。さて宿を探さなくてはと思っていると、客引きが声を掛けて来た。一泊90元(\1800)だと言うので、これから探すのも無理なのでここに決めた。バスターミナルがホテルになって居た。景洪客運兵館だった。部屋に入って荷物を解いていて、PCの鞄をバスの棚に置き忘れた事に気が付いた。慌てて駐車場に駆けて行き、乗って来たバスを探すが、沢山バスが停車していて中々見つからなかった。開元から来たバスと覚えていたので、ようやく見つけた。幸いまだ運転手も居てドアも開いていたので、鞄を取り戻せた。終着駅だったのが幸いし、宿も同じ場所だったのが幸いした。


           景洪客運駅ホテル
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多依樹ー建水(Jian shui)

2015-01-08 22:45:19 | 中国
2015/01/08(木)雨
 朝目が覚めたら雨だった。雲の中なので一面のガスで見通しが利かない。もう数日滞在のつもりだったが、此の様な天気が続きそうなので出発する事にした。少し歩くと二人の人が車待ちをしていた。新街鎮に行くと言う。一緒に乗り合いを待った。来た車は一杯だったが、一人分席を空けてくれて、乗せてくれた。来るときは公共バスだったので10元だったが、乗り合いバスは15元だった。新街鎮に着き建水(Jian Shui)行きを探すと、3時間位待ち時間があった。昆明(Kun Min)行きの乗務員が12:30発で建水も通ると言ってくれた。後1時間程あるので、腹ごしらいやトイレに行って過ごした。乗車すると寝台夜行バスだった。昆明から元陽に来た夜行バスの戻りの便の様だった。いざ出発になると、エンジンが掛からない。かれこれ、1時間ほどいじって居たが、もう一台居たバスに乗り換えることになった。

             雨雲の中の多依樹

         昆明(建水)行きバス新街鎮バスターミナル

              寝台バス車内
 南沙の街までは山の下の道だった。ガスの中を下っているので、見通しが利かなく何処を走っているのか、皆目検討も付かなかった。街らしき所に入ったので、南沙だと分かった。南沙から一旦元陽(Yien Yang)に来た時の道を蛮耗まで戻り、そこから北上して高速のインターチェンジから高速に乗った。高速は1時間ほど快適に走り17:30建水に到着した。高速を降りて市内に入り、バスターミナルで無い所で降ろされた。取り敢えず目の前の興裕兵館に宿泊した。一泊50元(¥1000)だった。

             南沙の街

            蛮耗から北上

            高速道路を建水へ

            昆明ー河口(Hei Ko)間の鉄道

            洗車場でトイレ休憩


            興裕兵館

明日この先に行く為に、バスターミナルを確認に行った。明日は4-5時間先の元江(Yien Jian)辺りまで行こうと思った。しかしその先の普洱(Po Rei)行き等しか出ていなかった。最終目的地は景香(Jin Phong)行きが有ったので、その切符を買った。200元だった。
 夕食を食べようと食堂に入った。メニュウが分からないので、隣のテーブルで会食をしていたグループの料理を指差しで注文した。これが中々上手くて正解だった。

               建水バスターミナル

                景洪行きチケット

              隣のテーブルのを指差しで注文
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棚田巡り

2015-01-07 23:12:43 | 中国
2015/01/07(水)晴れ
 朝6時に起きて、朝の棚田を見に行った。まだ周りは暗いが大勢の観光客が展望台に集まっていた。ここは入場料が必要なので、裏の小高い山の登って見ることにした。お金を払いたく無い人は他にも居る様で、二人程後から登って来た。昨夜から雲海が登って来て谷を覆っていて、近くの棚田しか見えていなかった。やがて薄明かりになり、棚田が鏡の様に成って来た。日が昇る方に雲があり朝日は見えなかった。9時近くまで雲が流れて、棚田に映る様子を眺めていた。雲海が少しづつ下に下がっていった。

              展望台の裏から眺める夜明けの棚田

               一番左

                中

                右の順のパノラマ
左手の方の崖に上に家が在り、そちらが谷の全体を見られそうで展望台より絶景が見られそうだった。そちらに行ってみると、泊まれる所があり聞いて見た。オーナの若者が今日で宿を閉めるので、宿泊は出来ないとの事だった。止まりかったったら隣の家に明日尋ねると良いと教えてくれた。
 その近くに観光客が居て、この地域の地図を持っていた。見せて欲しいと言うと何と日本人だった。深圳に住んでいるKさんだった。宿の人に展望台では無く、景色の良いところがあると教えてもらって此処に来たと言っていた。ここは黄草冷村で崖の淵なので、眼下に棚田の絶景が広がっている。しばらく二人で話しをしながらしばらく景色を眺めていた。脇の道を村人や水牛が通って行く。のんびりした村の風景だ。

         崖の突端に在るClif Cafeへの道

              Clif Cafeからの眺め

         展望台に入場料を払えば呉れる地図
出会ったのも何かの縁なので、一緒に食事をする事にした。近くのレストランのある所で米麺を食べる。Kさんがこの先に緑になった棚田があると聞いてきたのでそちらに行ってみた。これがなかなかの歩きでがあり、往復3時間の行程だった。途中愛春村と言う所で、良いビューポイオントが有った。そこで写真を撮って居ると、そこの所有者が来て、お金を払いと言う。確かに道路際は篠竹の囲いが出来ていたので、もしかしたらと思っていたらやっばりそうだった。一人5元を取られた。Kさんが中国語が出来るので、一人幾らと言う看板が無いのはおかしいと、文句を言った。金を要求したおばさんは、中国語が良くわかないらしかった。一緒にいた女の子に、通訳してくれと言ったら、自分はお金をもらって居ないので出来ないと言っていた。一緒にいるので、家族かと思ったら、全然そうでは無かった様だ。

             禁煙の看板がある学校

             水路の補修?

            荷台で遊ぶ子供達

        昼御飯を持ちながらやって来た子供達

            個人の展望台から

          そのオーナーと他所の娘

           伝統的な組紐編み

           棚田の畦道を歩く

           伝統的な家屋

           薪を取ってきたおばさん

          黄草岭の展望台こちらは無料だった。眺めは抜群

            展望台からの眺め
 戻って天気が良く成って来たので、シャワーを浴び洗濯をした。午後夕日が棚田に綺麗なバータに二人で行くことにした。ここは片道9Kmもあり、歩いて往復すると4-5時間は掛かる。車を使って行くのかと思ったら、Kさんは歩くと言う。午前中で歩くのは十分だったが、付き合うことにした。途中大きな甠村と言う町を通った。来る時に長い休憩停車した町だった。ここで地元の人が果物などの買い物をしていた。周辺の人はここまで買い出しに来るようだった。ここまでが半分の道程で、さらに1時間ほど歩きようやく目的地の展望台に着いた。ここも有料展望台で、4箇所の展望台に入れる券で、100元だと言う。ここだけで100元は高いので、近くの見晴らし箇所を探して先に歩いた。しばらく行くと小高い茶畑が在り、眺めが良さそうなので登ってみた。丁度日没ギリギリに間に合った。ここの棚田の全景は展望台の方に行かないと見えなかった。

           夕日が美しく映える棚田はまだ?

            ようやく展望台に到着しかし有料

           近くの茶畑から日没直前

           この山には桜が咲いていた
帰りもKさんは歩くと言う。私は本当は車でも捕まえて帰ろうかと思っていた。彼が歩くと言うので仕方無く歩いた。とch日が落ちて暗くなり、懐中電灯をつけて歩いた。丁度満月を過ぎて、月の出まで時間が有ったので、満天の星空と成った。途中甠村で夕食を食べる事にして食堂に入った。野菜と肉を適当に見繕って炒めてもらった。食事済ませさらに1時間ほど歩いて、ようやく宿に戻る事が出来た。今日は疲れた。途中の村で買ったビールを飲んで、直ぐに寝てしまった。
コメント
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