小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

バガンへ出発

2015-12-21 23:20:29 | ミャンマー
2015/12/21(月)
 宿を正午にチェックアウトした。バスターミナルまでのタクシーを頼むと、他の人も居て相乗りが出来た。17:30出発なので、昨日行ったBBQ通りの居酒屋?へ昼飯を食べに行った。戻ってきて途中の公園で時間潰した。17:00少し前に宿に戻り、タクシーが来るのを待った。佗にドイツ人の女性とイタリア人の男性が一緒だった。乗る時に宿のスタッフがバスのチケットを見せて呉れと言う。提示すると、バス会社を調べ運転手に告げて居た。3人共別々のバスなので、そのオフィスまで行くように言って呉れた。ラッシュ時間帯なので、1時間半掛かって19;00に到着した。自力でバスのオフィスを探した時は随分ん訪ね歩いたが、運転手も聞きながらその前まで行って呉れた。降りる時にスタッフに聞いた一人2000kyを渡すと、3000kyだと言う。それは違うと言って、2000kyを渡した。ダメ元で言った用だったが、こちらはスタッフに確認して置いたので、それしか払わなかった。
 バス会社の間合室には大勢の客が待って居た。カウンターにチケットを見せるて、チェックインをすると20:30発のバスと成ると言われれ、それまで待つことになった。若い女性の隣に座って居たら、流暢な英語で話し掛けて来た。どこの人か解らなかったが、フィリピン人の情勢のアイシーさんだった。同じパガンに行くと言っていて、同じバスだった。
 バスは飛行機並みの設備を備えた、デラックスなバスだった。LCCの座席のビジネスクラス並で、リクライニングもかなり余裕があった。窓際の席だったが、隣に欧米人の女性3人組みの一人が座って居た。水とお菓子コーヒーのサービスが有った。途中ドライブインで30分程の食事休憩と15分程のトイレ休憩があった。
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旅程を変更

2015-12-20 23:59:13 | ミャンマー
2015/12/20(日)
 朝4時に目が覚めそのまま7時まで、ネットサーフンをして仕舞った。ベッドにスマホが落ちていたので前の泊り客かと思ったら、上の段のベッドの人だった。スマホの目覚ましで上の人が取りに来た。一昨日まで泊まって居た時は、朝食込みだと思わず外に食べに行って居た。今日は8時から一階に食べに行った。
 昨夜寝ながらこれからの旅程を考えた。パガンまで行き、当初は29日にバンコクに戻る積りだった。しかしビザの期限は1月11日まで有る。宿泊予算のドルがまだ手を付けて居ないので、マンダレーさらにインレー湖にも行く事にした。朝食から戻り、ネットでエアアジアのヤンゴンーバンコク便の日時の変更をした。出発地もマンダレーに変更したかったが、キャンセル再予約と成るので日時の変更だけにした。
 滞在費用をもう少し両替して置きたいので、アウン・ボジョレー・マーケットに行った。しかし看板を出して居る所は、$、ユーロ、シンガポール$しか両替出来なかった。この前も歩いて居たら、声を掛けて来た客引きの若者が居て、両替か?と言っていた。歩き回っていたら、その若者に出会った。名前はマウルとか言って居たが、彼に両替する所に案内して貰った。普通の店で、結局ブラックマーケットだった。かって中国やインドで、いろんなリスクを感じながら両替をした事があったのを思い出した。確かに空港よも可成り良い率だった。
 マーケットを出て中国人街の方に食事でもしようと行った。ミャンマーの料理は油濃くて、流石に毎食だと胃もたれがして来た。バーベイキュー通りのSt.17に行くと、野菜の惣菜が多い、飲み屋を見つけた。客も結構入って居て繁盛している様子。ここに入り野菜惣菜3品とご飯とビールを注文。タイのスタイルの様に、皿に盛ったご飯に惣菜を載せるのかと思ったら、違っていた。惣菜は小皿で出し、ご飯は椀2杯も出てきた。値段を聞いて書いてくれと言うと、マレーシア語で言って来た。3200kyだった。マレーシア人と思ったの?店を出て様々な露天商を見ながらブラブラ歩いて戻った。歩き疲れたので、夕方まで昼寝をする。起きて夕食を食べに出た。アノーヤタ通りのの北側のSt.38にシャン族のレストランが在ってそこに行った。この前歩いていたら野菜料理が並べて有ったので、憶えて居た。陳列ケースには何も無くなって居たので、店じまい?と思ったがやっていた。一組のカップルがチャーハンを食べて居たので、同じ物を注文。ミャンマー語のメニューを持って来たので解らないと手を振ると、英語のメニューを出した。そこにヨーグルトがあったので注文。なかなか美味しかった。チャーハンにはタマネギのスライスと青トオガラシの薬味が付いて居た。これを混ぜビリ辛のチャーハンが美味かった。
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往きはよいよい帰りは?

2015-12-19 23:43:16 | ミャンマー
2015/12/19(土)
 3時過ぎに外で人の声が騒がしい。早朝着いた参拝客がワイワイ騒いで居るのだった。泊まったバンガローが駐車場の脇だったのが失敗だった。7時まで寝て、朝の散歩に町中を散歩しに行った。町中は朝着いた観光客や参拝者で混雑して居た。道の脇や路上の店も、呼び入れに余念がない。そんな町中をブラブラ歩いて見た。取り合えす駐車場の在る方に行って見る。予約して居たバスが何処か、探しに行った。帰りも同じバス会社だった。バスの停車位置を確認して、その先に行った。川が在り竹作りの橋が沢山架かって居た。下の川はゴミが浮いて居たが、意外と澄んだ水が流れていた。橋の先には建屋が並んで居た。その入り口毎に橋が架かって居る。建物の入り口だったのだ。建物は奥行きの長い建物で、山小屋の寝床の様な場や、その奥が食堂、水場と続き、ミャンマーの参拝者の簡易宿泊所だと判明した。雑魚寝なので一泊幾らなのか聞き忘れた。ここに泊まる手も有ったのだ。但し外人が泊まれるかどうか?
 宿に戻り食事込みの朝食を食べた。部屋に戻り退出時間まで、ベランダで笛を吹きながら過ごした。ホテルの駐車場は満車に成って居て、続々人がやって来た様だった。それで夜明け前から騒がしかったのだ。今回部屋選びに時間が無かったので、ちょっと失敗した。場所の問題と、設備が老朽化して、使いない物が多かった。エアコン空冷できず、扇風機故障、代替え機もしかり。シャワーや水道も水漏れ、出が悪い。タオル、セッケン無しと行った類。部屋やトイレは十分ほど広かったのだが・・・・・・。
 正午にチェックアウトなので、宿を出る。1時のバスなので、時間が早いのだが行ってみた。バスを確認すると、これは既に1時間過ぎた11時発バスだと言う。エーッ!?脇の受付にチケットを見せると、このバスに変更するか?と聞く。勿論OK。窓際の席だったが、女の子が座って居た。番号を勘違いした様なので、通路側に座る。乗ってもまだ来ない人が居る様で、出発したのは定刻より1時間半遅れだった。戻りも同じルートで見覚えのある所を通って行った。途中やはり休憩で30分ほど停車した。約4時間でバスターミナルに到着。通りを渡り路線バスに乗る。ダウンタウンのスーレーパゴダに行くと思い、スーレー?と聞くと OKと言う。夕方のラッシュじでもあり、かなり時間が掛かるだろうとは思って居た。1時間過ぎて見覚えのある、中央駅西側の線路を過ぎてもダウンタウンの方に行かず、西の方に行ってしまった。流石に少々不安に成り、車掌の若者に、スーレーパゴダに行くかと尋ねたら行くと言った。結局このバスはスーレーパゴダには行かず、その付近を通過するバスだった。車掌がここで降りろと言ってくれて、38stで降りた。暗くなったのでどの通りか見当がつかず、人にパゴダの方向を聞いて自分の位置を確認した。宿は39St.なのでたどり着く事が出来た。着いたのは7時少し前だった。
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不思議な岩チャイテーヨー

2015-12-18 23:33:35 | ミャンマー
2015/12/18(金)
 早朝宿をチェックアウトした。不要な荷物は宿に預けて置いた。昨日確認して置いたバス乗り場から、バスに乗った。バスターミナルまでのルートは幾つか有るようで、昨日とは同じ道では無かった。早朝なので渋滞も無く、40分でターミナルに到着。所がバスはターミナルに入らずに通過してしまった。終点がターミナルだと思ったのは間違いだった。一つバス停を行き過ぎ、歩いて戻る羽目になった。前日に予行演習をしてもこの有様である。出発までにはまだ2時間程有るので、明後日パガンに行くバスのブースを確認しに行った。数回あちこちで訪ねて、漸くたどり着いた。一番奥東寄りの新しい建物にElie Expressの看板があった。このターミナル発はバス会社のピックアップで無いと、乗り場を探すにのかなり苦労する。
 チャイテーヨー行きのバスは略、定刻に発車。ターミナルを出ると直ぐに田園風景と成る。広々した水田地帯で、まだ一部刈入れが残って居る物も有った。2時間半程走りドライブインでトイレ休憩に30分程停車した。北上を続け小さい村や街を通り過ぎ、線路に沿って進み東に向かうと、大河の鉄橋を渡った。段々平地では無く成り、ゴムの木のプランテーションが目立ってきた。出発してから4時間半、終点のキンプンの町に到着した。停まった所の目の前が、シーサーレストランだった。その脇の道の奥が、目指す宿シーサーホテルだった。以前の参考にした人の記事ではゲストハウスと成って居たが、ホテルと名称が変わって居た。坂の途中にも同じ看板があったが、そのまま行き突き当たりのホテルに入った。バンガロータイプのコテージが列んで居た。一泊25$と言うので取り敢えずOKした。チェックインして1時近くなので、直ぐにチャイテーヨーに行く事にする。ここからは国営のトラックが唯一の交通手段だった。行くと数台のトラックが居て、ゾウの乗り場のような足場から大勢乗り込んで居た。以前の記事ではギュウギュウ詰めで、手摺も無く立ちどうしだったとあった。しかし改善したらしく、5-6人掛けの長椅子が固定されて居た。前の椅子が手摺になって、支える事が出来る。終点までが一般2500ky最前列3000kyだった。二番目の列に坐る事が出来た。乗り込んだ時、既に満席状態だったが、フルに成ってから発車した。15分程山道をアップダウンして停車、ここで料金を徴収して居た。10分位停車してここからカーブの連続の登りとなった。以前はジェットコースター並みと書かれて居たが、道も整備されそれほどのラフな運転では無かった。料金所から15分で尾根上の平地に出て、ここが終点だった。しかしチャイテーヨーは見え無い。遥か向こうに建物のある小高い丘が在り、そこが目指すチャイテーヨーの有る所のようだ。終点からは歩くか、輿で行く事ができる。荷物だけのポーターの人たちも居た。お土産やが続く道を、大きな荷物運ぶポーターについて行った。この人達はチャイテーヨー付近のホテルや土産物屋で必需品を運ぶ強力だった。
 やがて入口の門に着いた。ここから素足に成って階段を上る。門の所がチェックポイントで、持ち物の検査をして居た。かなり入念に見て居た所もあったが、空いているゲートに行ったらそのまま行けと言われて、チェック無しだった。実は検査官がスマホの最中だった。門を上ると平らなタイル張の広場になって居た。少し行くとビューポイントが随所に在り、不思議な岩チャイテーヨーが見えて来た。崖の上に落ちそうで落ち無い、大きな岩がチャイテーヨーで法力のお陰とされ敬われて居る。たしかインドにもこれと同じような名所があった。インドの岩は斜面に在ったと思ったが、こちらは崖っぷちで本当に危うさがある。この岩は金箔が貼られ、上には仏塔が建立されている。岩に近付き触る事もできる。しかし荷物を持ったままではダメと静止されたので、行か無かった。チャイテーヨーの周りのいろんな角度からの参拝所がある。敬虔な仏教徒のミャンマーの人達が、おもいおもいの場所で参拝をして居た。高台の正面の参拝所は女人禁制だった。勿論触るのも論外である。広場にはイベント会場にあるようなテントが並び休憩所となって居た。多分有料?15分ほど見て歩き、休んで笛でも吹こうかと思ったが、人が多かったので戻る事にした。
 帰りはトラックでは無く、旧参道を歩いて下ってみる事にした。3時なので2時間半も有れば、下れるだろうと思った。しかしこれがかなりの尾根歩きで、しっかりノンストップで3時間掛かってしまった。尾根上には転々と茶店が続き、参拝者を待って居る。しかし現在は歩いて登る参拝者がどれほど居るのだろうか?登ってくる幾組かの若者達に出会っただけだった。ガンバレと声援を送ってやった。下り着いた時には日は落ちて終い、足元も見ずらく成って居た。6時に漸く麓の明かりの有る、キンプンの町に着いた。流石にノンストップ3時間の下りは疲れた。
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インド人街、中国人街の方に足を延ばす

2015-12-16 23:07:49 | ミャンマー
2015/12/16(水)
 朝2時間程街歩きをした。インド人街から中国人街まで足を伸ばした。途中お粥を売って居る路上店が有ったので食べてみた。豆腐の様な物が有ったので、聞くと試食を呉れた。杏仁豆腐だった。お粥は西洋風のポーリッジでミルク粥だった。
 明後日のチェーズーティーヨーへ行く為の、バスのチエッケトを買いにボージョー・アウンサン・スタジアムへ行った。競技場に行ってしまったが、バスチケット売り場は、中央駅の向かえの競技場の外側だった。小さいブースでバスチケットを発売していた。とのバスが良いか見当がつかず、適当な所でチケットを買った。7000kyだったので、途中乗り継ぎなのかもしれない。一応指定席だったが、エアコンバスかどうかは確認しなかった。
 戻る途中中央駅のホームに行って、循環電車に乗ってみる事にした。次の電車は冷房車なので、 300kyだと言う。取り敢えずその切符を買ったが、反対ホームに普通車が入って来た。隣の人に循環電車か?と聞くと、そうだと言う。慌てて線路を横切り隣のでんしゃに飛び乗る。各駅停車で、物売りが次々に入って来るローカル列車だった。所が1時間ほど走って、長い時間停車して居たと思ったら、そこから引き返してしまった。全てが循環列車では無く、途中折り返しの電車もあったのだ。往復2時間の小旅行を楽しんで、中央駅に戻ってきた。午後の2時を過ぎたので、昼食に麺を食べようと、シャン地方の麺屋「999」へ行って見た。ミャンマーとしては結構薄味なのだそうだ。
 喉が渇いたのでスーレーパゴダにある、飲み屋に行って生ビールを飲んで、喉の渇きを潤した。少し酔ったので、中央公園に行き、独立記念塔の下で周りの人に混じって3時間ほど休憩した。陽が暮れてきたので、宿に戻りシャワーをした。7時からこの39St,のローカル飲み屋へ夕食と飲みに行った。今日も勤め帰りや、近所の常連さん達で賑わって居た。お茶の葉とエビのサラダを注文したら、想像して居た物と全然違った物が出てきた。発酵したお茶の葉に砕いた干しエビを混ぜた物だった。改めてエビ入りの野菜炒めを注文して夕飯にした。
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シェダゴン・パゴダ参詣

2015-12-15 21:04:59 | ミャンマー
2015/12/15(火)
 2時から起きてWiFiに接続したが、やはりスピードは遅く画像のあるページは開くのに時間が掛かったので、ブログの更新は出来なかった。再び寝て7時半に起床。8時から食事をしようと街に出た。路上の屋台では麺類が中心なので、ご飯類を探したが見当たらなかった。竹筒飯が有ったのでそれを買った食べた。戻って9時からシェタゴン・パゴダへ歩いて行った。多分1時間も歩けば着くと思い、タクシーやバスは使わなかった。地図を見ながらシェタゴン・パゴダの南山門に到着。トンネルの様な山道の階段を登り、入館料の所で外人料金8000ksを払う。その先がシェタゴン・パゴダ基壇だった。黄金に輝くパゴダが陽の光に反射して眩い。パゴダを時計回りに回り、ガイドブックに従い様々な仏や仏塔を見物した。大勢のミャンマーの人々や、観光客で賑わって居た。2時間程回りながら過ごし、昼時に成ったので西参道から降りて行った。途中で結婚シーズンらしく、何組かの記念撮影のの現場を目にした。
 腹が空いたので人民公園に在るカルチャーセンター内の、レストランに行った。トイレを尋ねたら店の外だと言う。出て探したが、見当たらない。戻って来てスタッフに再度尋ねる。こちらだと案内してくれた。トイレの表示が入り口に有るだけなので、分らなかったのだ。ミャンマーの麺料理を注文。屋台とは一桁違う5000kyだった。
 食事を済ま歩いて帰り、ボジョレー・アウウンサン・マーケットに、寄った。宝石、布地、お土産物の店が犇めく、一大マーケットだった。日本語で話し掛けて来た若者が居たが、あまり相手にしなかった。そこを出てスーレーパゴダの所にビールの店が有ったのを、思い出して寄った。喉が渇いて居たので生ビールの美味かった事。宿に戻り歩いて疲れたので、2時間ほど昼寝をした。
 目覚めてシャワー洗濯をして、昨日のCharm39の居酒屋に飲みに行った。今日も大入りで、皆飲みながら、テレビを見ながら楽しんで居た。
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ミャンマーへ

2015-12-14 23:46:07 | ミャンマー
2015/12/14(月)
 5時半に目を覚まし、起きてしまった。WiFiの接続が良好な内に、ブログの更新を済ませておきたかった。6(日本時間8)時からNHKの朝ドラを見る。パッキングを完了したら7時前だった。予定より1時間早く宿をチェックアウトする。近くの BTSの駅まで歩いて行き、終点のモチットまで行くが僅かに8分程だった。29番のバスを待って、ドンムアン空港に向かう。空調バスは17バーツだった。国際線ターミナルビルが現れたドンムアンで、バスを降りる。エアアジアのカウンターでチェックインを済ませ出国審査を出たのは、まだ9時前だった。まだ2時間近く待ち時間があったが、待合室近くの廊下の椅子で過ごした。
 ヤンゴン行きの便はほぼ満席の状態だった。平坦なタイの平野を西に進むと、山脈が現れそれを超えるとミャンマーに入る。タイの空はスモッグがあり靄って居たが、ミャンマーの空は澄んで来て居た。山岳地帯から平野部になる所に、湿地帯の様な模様が現れた。平野部に入ると乾燥した大地にゴマ粒の様に点々と人家が点在していた。雨季には一面の水田なのだろう。やがて大河が海に流れ出し、堆積物が様々な模様を描いて上空を通過。そして村や町の中にパゴダが在るヤンゴンに到着。約1時間のフライトだった。入国審査は長い列で、20分以上並んだ。両替をしようと幾つか在るブースの一つに行くと、ドルとユーロしか扱ってなかった。タイバーツの表示がある所で、円も両替出来た。1\=8チャットの率だった。入国時にも手荷物のレントゲン装置に入れられた。空港を出てタクシーには目もくれず、ガイドブックとブログで読んだ乗り合いトラックを探しに左に歩いて行った。しかし駐車している車は有るが、それらしいのが見当たらない。探していると親切な人が乗り場まで案内してくれた。空港よりかなりの距離があった。ダイハツのHIJETと言う軽トラが、その乗り合いトラックだった。終点セーマイ市場まで10分200チャットだった。着いた所の反対側の右手にバス停が在った。幾つかバスをやり過ごしスーレーと言っていたバスに乗り込んだ。後部座席に居る人が、空いて居る席に入れてくれ座る事が出来た。満席て立ちで無くて助かった。少し行くと渋滞に成った。空港までの高速道路を建設中で、一車線になるので渋滞が起きるのだった。その箇所を過ぎれば、快調に飛ばしていた。隣のおじさんがカタコトの日本語を話し、いろいろ沿線の説明をしてくれた。45分程走ってシェタゴンパゴダが左手に見えた。1時間程でダウンタウンに入ったが、これからが道路混雑で渋滞が始まった。目的地のスーレーパゴダが見えるのに、30分近く掛かった。終点はスーレーパゴダ一つ南の通りだった。少し戻ってスーレーパゴダから東に歩いて、南北の39St.を探した。通りは順番に番号が付いていると思ったら、名前のある通りは番号に加算され無いのだった。39St.を見つけネットの地図で表示が有った、西側を探すが宿が見つからない。往復しても無いので、反対側の東側を見るとこちらに在った。ネットで予約していたLittle Yangon Hosutelで小綺麗な宿だった。ネットで予約済みと言ったが、確認が取れるまで手間取っていた。8人部屋ドミトリーで一泊20800チャット(約20$)だった。まだ新しい宿で、ガイドブックにも載ってい無い。非常に清潔で綺麗な部屋で、シャワーも暑いお湯が出る。
 荷物を解いて街中を歩きに出た。スーレーパゴダ周辺のゲストハウスを見て来た。他の宿は古い外観だった。オキナワゲストハウスは別館も出来て居た。4時過ぎて日没が近くなるので、戻って来た。途中食事をしたいと思って居た。しかし路上の屋台は麺類だったので、飯屋を探した。カレー店があったので、鶏肉カレー(2300 チャット)を食べた。コンビニが在ったので、入ってみると酒類を売って居た。ミャンマービール(1600KS)と水を買って帰った。部屋に戻りビールを飲んで喉を潤した。そしてシャワー洗濯dqを済ませた。ところが洗濯物の干し場が無かった。
 帰る途中居酒屋の様な所を見つけた。ちょと飲み足らなかったので出かけて見た。仕事帰りの人達で賑わって居た。食事もできる様でメニューがちゃんと有った。生ビールもあり、ちょとしたツマミも有るので一杯やるのには丁度良い。生ビール一杯(700KS約75\)だった。
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ウィークエンド・マーケットを見に行く

2015-12-13 23:42:35 | タイ
2015/12/12(土)
 週末なのでウィークエンド・マーケットに出かけて見た。このマーケットはバンコク市内の北の方にあり、規模としては市内最大では無いだろうか。手前のBTSサパンクワイ駅から、路上に延々と古物市も立つ。ほとんどが仏様のお守りなのだが、まるで闇市の様な感じで面白い。マーケットは何時もながら、こんなに人が集まるものだと思うほどの人出だった。向かいの生鮮食料市場にも行って見たが、御土産や雑貨を売って居た所が空きスペースに成って居た。この場所は時々模様が変わって居る。

         路上の古物市

         マーケットのヒト・人・人

          青果市場
2015/12/13(日)
 明日ミャンマーに発つので、荷物の整理をしながら過ごした。
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バンコク市民サイクリング

2015-12-11 23:42:00 | タイ
2015/12/11(金)
 午後から出かけると途中に人集りがして居た。テレビカメラ車もあり、何かの撮影かロケかと思いながら通り過ぎた。同じ黄色のTシャツの人達が、道行く人にランチボックスとペットボトルを配って居た。私も頂いたがエッ?何?と言った感じだった。その先に行くと歩道でゴザを敷いて場所取りをしている人達が居た。手旗も用意しているので、王族の移動でも有るのかと想像して居た。

           テレビカメラ車が出て居た

           ランチボックスの無料配布

            沿道で場所取り
雑誌を読みにマンガ喫茶に行く為、バスを待っていると通常ルートでは来ないバスが来た。無料バスだったのでこれに乗った。

           トンローのマンガ喫茶
マンガ喫茶を出て帰りのバスに乗ると、途中で打ち切りに成って仕舞った。高架鉄道 BTSで帰ろうかと思ったが、歩く事にした。しばらく歩くと大通りが封鎖されて通行止めに成って居た。それでバスが運行出来ず、途中中止に成った様だ。通行止めの先は車両通行禁止で何かのイベント用だった。歩道には自転車宣伝の黄色いTシャツの人達が詰めかけて居た。


          通行止めのプロンチット通り
ラチャダムリ交差点まで行くと、このイベントが判った。今日はバンコクの市民サイクリングだったのだ。ラチャプラロップ通りにまで、自転車の集団が来るは来るは、何千何万人と言った人達だった。沿道にも声援を送る人達が大勢集まって居た。テレビでもバンコクの多くのチャンネルで生中継で放映して居た。



         続々と来るサイクリングの集団

          声援を送る沿道の人達
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次の旅の情報を集める

2015-12-10 23:16:17 | タイ
2015/12/8(火)
 日中はWiFiの回線がビジー状態で中々繋がらないので、朝5時起きしてブログの更新をした。それから寝たので少し遅く起きた。日中は何処にも出かけず、部屋でミャンマーのガイドッブックを読んで下調べをした。

2015/12/9(水)
 今日はWiFiが繋がらずテレビや情報誌を見ながら過ごした。昼時に食事にインドラスクェアへ出かけて行った。ここはインド人が多く集まるショッピングモールで、衣料、雑貨、電化製品等の多くの店が集まっている。

          インドラスクゥエアのショッピングモール

           様々な店がひしめく
3階にフードコートがありタイやインド料理のブースが集まっている。行く途中新空港までのシティリンクの駅があるが、大勢の警官が集まっていた。シティリンクは高架鉄道だが、在来線の上に作ったのでここが踏切になっている。偶にしか列車が通らないが、帰りに踏切が閉じていた。どんな列車かと思ったら、ものすごく長い貨車だった。



2015/12/10(木)
 持って来たサブザックのファスナーがバカになり、閉まらなくなってしまった。調整しても戻らないので、諦めて新品を買うことにした。昨日と同じインドラスクェアに出かけ、旅行カバンの店で購入した。帰りに散歩方々戦勝記念塔の方を遠回りして帰った。
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