小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

ウボンラチャターニ

2009-01-30 21:14:47 | タイ
1月30日

ウボンラチャターニで一泊したのは、先史時代の岩絵を見ようと思ったからです。ガイドブックにウボン近郊にこの岩絵の事が出ていました。ウボンラチャターニの博物館にそのレプリカがあるので昨日見に行きました。赤い岩料で魚や人物の絵が描かれています。其の実物を見たい物だとガイドブックを良く読んで見ると、それは通過して来たラオス国境近くに在る事が分かりました。そこに行くには、途中ウボンと間違えた町まで行き、ローカルバスを乗り継いで行かなくては成りません。バスの乗り継ぎには時間が掛かり、日帰りでそこまで往復するには目一杯です。今日の夜行列車でバンコクに戻る予定ですので、時間までに戻れるかどうか不確定です。結局あれこれ思案して、見に行くのは次の機会にする事にしました。

       博物館

      公園のモニュメント



            市場


 空いた時間を市内のお寺を巡る事にしました。インフォメーションセンターで貰った市内地図の観光スポットの寺を4カ所程訪ねました。市内には随所にお寺が在りますが、観光スポットのお寺には古い木造のお堂が在ったのが印象的でした。

      ワットツンガムアン(ThungaMuan)

        ワットブラパ(Wat Brapa)
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ラオスから歩いてタイへ

2009-01-29 23:14:11 | ラオス

 1月29日朝チャンパーサックの村からソンテウ(乗合いトラック)でパークセーに戻りました。市場脇のソンテウの溜り場に着くと、わっとドライバーが寄って来て、何処に行く?と聞く。タイのウボンラーチャターニに行きたいと言うと、国境のワンタオへ行けと言う。いーや、そうじゃなくてウボンに直通バスで行きたい。と喚いていると、若者のダライバーがバスターミナルまで連れて行くと言うので、オートバイ動力のトゥクトゥクに乗った。所が歩いても5分と掛からぬ近場だった。しかし1日2本の1便は既に出発した後でした。しかたなく又ソンテウの溜り場へ戻りました。国境のワンタオに行きたいと言っていると、タクシーに乗れ、乗れと皆で言う。タクシーは高いから嫌だと言うと、20000キップ(約220円、ビール2本分)で行くと言う。本当?まあそれで行くならOKと、タクシーに乗る。車には中国人の若者3人が既に乗っていて、後一人満席に成るのを探していた所だったのです。タクシーと言っても、個人のボロ車でしたが、それでも国境までの田舎道を快調に飛ばし小一時間で到着。中国人達はタイに行くのかと思っていたら、ラオス側の市場に姿を消して行きました。広い道路を歩いて行くと、左側に立派な建物が在り、ハハーンここが入出国管理所と思い階段を上って行くとそうでした。出国の窓口にパスポートを出し判を押してもらって、OKです。

 ラオス(ワンタオ)ータイ(チョーンメック)国境

 道路に開いたゲートが有りその向うにビルが見えます。そこがタイ側のチョーンメックのイミグレーションです。道路の方は車専用で、人は左側の通路を歩く様になっていました。通路はイミグレーションの建物の入り口へ続き、ここで入出国カードをもらって記入。パスポートとともに提出して、入国スタンプを押してもらって入国が完了。このラオス、タイ間わずか数百メートルてくてく歩いて国境を越えるのです。他のラオス、タイ間の国境はメコン川を渡って越えなくてはならず、唯一ここだけが歩いて越えられるのです。

     タイのイミグレーション

 イミグレーションの建物を出ると、ソンテウやタクシーの溜り場です。バスは無いかと探していると、バイクタクシーがバスターミナルまで行くと言うのでこれに乗車。ターミナルまでは数分、歩いても10分位の所だった。このターミナルからバンコク行きのバスが並んでいた。今日はウボンラチャターニまで行ってそこで一泊するつもりなので、そこ行きのバスを探す。日本に小さい時に少し住んでいたと言う人に会い、バスを教えてもらう。これに乗れと言われたのはバス(?)は、大型トラックの荷台にベンチを置き、人間用としたものだった。ローカルな市民の足は小型トラックを人間用にしたソンテウだが、このバスはその大型版だった。

    チョーンメックのバスターミナル

        これがローカルバス

このバスで1時間半程乗ってバスターミナルに到着。そこからホテルの有る所に行こうとトゥクトゥクやソンテウの運ちゃん達に聞くが、さっぱり要領が得ない。地図を見せてもチンプンカンプン。その内にウボンラーチャターニはバスで行けと言われた。ガイドブックを読み直して、ハタと気がつきました。ウボンラチャターニまでは途中の町で乗り換えると言う事を。ウボンラチャターニと思っていたのは全然別の町でした。道理で市場の名前を聞いてもチンプンカンプンの訳でした。バスタターミナルに戻ってウボン、ウボンと叫んでいると、前のトラックバスと同じ物がウボン行きでした。これに乗って更に1時間ようやく目的地、ウボンラチャターニに到着です。


      着いたのは途中の町だった
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買い出しは流しを待つ

2009-01-28 23:59:01 | ラオス

 チャンパーサックの村々では朝夜明け前からあちこちで鶏が時の声を上げその煩い事。人々も暗い内から起き出して通りに出てます。見ていると、自転車や天秤棒で野菜や食べ物などを運んでいる人他達が通ります。ハハーン朝市から今日の食材を買って来たんだなーと思っていました。所がこの村々には朝市がありません。エッ?それじゃあの人達は、買って来たんじゃなくて売りに歩いている訳?そうでした。ここでは必要な食材や、食べ物は表に出て売りに来るのを待っていれば良かったのです。売り歩く人達には自転車で売る子供達が多く居ました。多くが野菜を売り歩いていますが、籠の中に鍋が有るのを発見。何?と聴くと、自家製の惣菜でした。タケノコの千切りを辛く炒めたもので早速買って食べてみました。ウ~ンこれは酒の摘みに行けるわ。

         移動コンビニ


         流しの八百屋

 オカズも売っていた
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遺跡は何処?

2009-01-28 23:18:09 | ラオス
 1月26、27、28日とチャンパーサックに滞在。

チャンパーサックに着いて、とある宿の前で降ろされる。他のゲストハウスを探すが一本道の両脇に家々が点在するのを見渡しても見つからない。村の中心部(?)から遠いのかと思い、取り敢えずこの宿に一泊。宿代50000キップ(約550円)ながら、質的には高かった。

     初めの宿

昼時なので昼食を頼み、自転車も借りてワットプーに出かけました。自転車で行くのかと聞かれたので、そうだと答えた。その後何も言わなかったので、精々2,30分程度と思って一本道を漕ぎ出しました。ガイドブックでは遺跡は山の斜面に在ると言う。道はメコン川に沿って南下。西側に岩山があるがそこまでは水田が広がっている。程なくこの道を山の方に曲がって行くのだろうと、思っていました。しかし道は真っ直ぐ南下。山の方とは並行に進み一向に山の方に近づかない。10時を過ぎると焼け付くような太陽がジリジリ照りつけ、まだかまだかと思いつつ、酷暑の中、結局50分もかかってようやく遺跡の入り口に到着。アーシンド!!

  行けども行けども遺跡は見えず

    乾期の田圃が続く

    道端で蓮根を売る少女達

 ようやく世界遺産のゲートが見えた。
 しかし此所から更に15分も先だった。
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ワット・プー(山の寺の意味、クメール遺跡)

2009-01-27 23:11:20 | ラオス
1月26、27日

自転車で2日間カンカン照りの道を往復2時間弱かけて通いました。このワット・プーはカンポジアでアンコール・ワットを築いたクメールがこの地から南下して行った。各所に次々にプレアンコールと言うべき建造物を築き、最終的にアンコルーワットに仕上げて行った。それでこのワット・プーにも随所にアンコルーワットの原型を見る事が出来る。入り口を入ると右手に大きな人造池が広がり、1km位これに沿って行きます。すると左右に先ほどの人造池の半分の池が在り、真ん中が両側に石柱が並ぶ参道になります。

         全景

      パライ(人造湖)

     一直線に続く参道

これを過ぎると一段高く成り、左右に石作りの宮殿が現れ、可成り崩壊していて内部には入れません。現在左側の宮殿は修復中でした。

      一段高く成り宮殿が現れる

         北(右側)宮殿

         南(左側)宮殿

緩い勾配の石畳の参道を登って行くと参道は急勾配の石段に成り、左右の山の斜面に幾段もの石組みのテラスが続いています。この急な石段の左右には、プルメリアの巨木の並木になって、白い花を咲かせています。多分建造当時、参道階段脇に植えられたもので、1600年以上経っていると思われます。植えられた花壇の石組みをはみ出し、巨根が無数に張っています。

       緩い傾斜の石畳の参道

  急な階段      その上のプルメリアが植えられた階段

この階段を上り切ると巨木が生い茂る平らな場所に成り、此処に本殿やそれに付随する様々な施設が在った様です。

          本殿

    門柱の戦士の像     女神の像

        門柱上部のシヴァ神

振り返ると遥かにメコン川を越え東のベトナム国境の山々まで広がる茫漠たる平野が広がっています。

      茫漠たる平野

宮殿の奥は絶壁に成って居て、下の部分の岩屋から水が湧き出し、これを利用した水道設備が残っています。クメールはヒンドゥー教を信奉し宮殿や岩にはヒンドゥーの神々が浮き彫りにされています。

      奥は岸壁

      岩に掘られたヒンドゥーの神々

    岸壁の下から湧き出す水を利用

 宮殿の右手に行くと絶壁から剥がれ落ちた巨石がゴロゴロしている場所にでます。この巨石に像や蛇が浮き彫りにされり、ワニの形に彫り込まれた巨石がある。このワニの石は明日香の酒石の様に、一カ所流れ出す様な溝が在ります。一説には人身御供を捧げたと言われ、血が流れ出す溝だったのでは。

         象岩

    蛇石(祭壇?)    ワニ石(人が入る凹みに成っている)

アルバム(ラオス/ワット・プー)
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パークセーからチャンパーサックへ

2009-01-25 23:02:47 | ラオス

 1月25日の朝6時にパークセーの北バスターミナル到着。トゥクトゥクやバスのドライバーが寄って来て何処に行く尋ねる。自分の車を使ってくれと言う事です。チャンパーサックに行きたいと言うと、別のバスターミナルだと言う。それじゃそちらへとトゥクトゥクを走らせる。市内を過ぎマーッケト脇のソンテウ(乗り合いトラック)の溜まり場へ。朝の活気ある市場を歩き回って、朝飯にフー(ウドン)を食べ腹拵えをする。

     ラクソーン市場
ブラブラ歩いているとトゥクトゥクやソンテウのドライバーから幾度も声を掛けられる。チャンパーサックに行くのだと言うと、別の南バスターミナルだと言う。ここまで着たドライバーは切符はその辺で売ってると言い残して去ってしまった。切符売り場も見当たらず、別の南ターミナルから普通のバスが出るかと思ってそちらに移動。

     市内移動のトゥクトゥク
所がこちらはもっとローカルなバスターミナルで、チャンパーサックなどの村々に行くのはやはりソンテウでした。

 南バスステーション(ベトナム行きもここから)

     村々への足ソンテウ
チッケット売り場の人に聞くとソンテウの一台を指し、30分ほど後の午前8時に出ると言う。所がこの車人待ちをして2時間も待ち、出発時間を過ぎ超満員になってもまだ人と荷物を載せようとしていた。ようやく超満員の人と荷物を載せ、舗装道路ながらあちこち穴のある道を80キロ位の猛スピードで走ります。

  超満員の車内、荷物は屋根に満載
途中から横道に入り、さらに道は悪路に。程なくメコン川の岸に出ました。ここで戦時中に使われたような鉄の川舟二台の上に台を敷いたフェリー(?)で対岸へ。待って居た車が次々に丸太を並べた台の上に乗って行きますがスリル満点。乗客は狭い車内を避け台の上へ。車を待っていた食べ物売り家の人達もドット一緒に乗り込み、売り込みに精を出しています。乗客の人達も思い思いの食べ物を買い込んで立ち食いをしています。ゆったり流れるメコン川を15分かけて対岸へ渡りました。その対岸がチャンパーサック郡で、川沿いに小さな村々のある、鄙びた農村でした。

    メコン河のフェリーの渡し場

     物売りの人達も一緒に付いて来る

       乗客も腹ごしらえ

 何故ここに来たかと言うと、ここにクメールの遺跡で前アンコールワット時代のワットプーと言う世界遺産になったのが有るからです。まだ有名観光地とは程遠く、ゲストハウスも5,6軒しか無い様な寒村なのです。夜行夜行の連続なのでここで少しノンビリ滞在して骨休めをしたかったのです。

      村外れのホテル(?)

     水浴を楽しむ村人

    村の後ろ(西)は水田
アルバム(ラオス/パークセーからチャンパーサーク)

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ルアンプラバンからビエンチャンへ更に南部のパークセーへ

2009-01-24 23:31:33 | ラオス

1月23.24とルアンプラバンで過ごし24日の夜行バスでビエンチャンに向かいました。当初ルアンプラバンにはメコン川を船で下る予定だったのが、旅行会社に頼んだチケットが何故かバスになってしまった。それで予定より早く着き日程に余りが出たので、ビエンチャンからノンカイに出る予定を変更して、南部のパークセーまで足を伸ばすことにしました。ルアンプラバンで宿を相部屋にした韓国人の李さんと同じバスでビエンチャンに向かいました。ビエンチャンには11時間のバスの旅で朝7時にバスターミナルに到着。市内へトゥクトゥクで行きました。5年前に訪れた時とはすっかり様子が変わり、中心部の広場に来て初めて記憶と一致しました。前回はメコン川沿いにゲストハウスは無くて、宿を探すのに苦労しましたが、今は通りの彼方此方にゲストハウスが目白押しです。昨年ビエンチャンに来た李さんの案内で、彼が前回泊まったゲストハウスで半日の宿泊で部屋を取りました。

     ビエンチャンの街角

 半日休憩したゲストハウス(喫茶店、食堂を併設)

 メコン河沿いの屋台(此所は変わっていなかった)

     春節を祝う中国系住民

通りを彼方此方歩き前回を思い出していると、私を呼ぶ人が居ます。エッ?こんな所で誰?と呼ぶ方を見ると、ナント昨年7月モンゴルを一緒に周ったブラジル人カップルのマルコさんじゃありませんか!お互い奇遇な再開に吃驚と感激。彼らはあれから、中国、インド、ネパール、タイ、と旅して来てラオスに入って南部に向かう途中でした。そんな事が有りましたが、夜までノンビリ休息して南部方面のバスターミナルに行きました。ターミナルまではベトナムに行くと言う李さんと同行してターミナルでお互い無事な旅行を祈って別れました。

     ビエンチャン南バスターミナル
 ビエンチャンから南部のパークセーまではデラックスな寝台夜行バスでした。ルアンプラバンからビエンチャンまでの座席の狭いエアコンバスとは大違い。二人用のスペースに私一人でゆっくり休んで行くことが出来ました。

パークセー行きの寝台バス
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ルアンナムターからルアンプラバンへ

2009-01-21 22:05:19 | ラオス

1月21日朝トゥクトゥクの運ちゃんが30分の早く部屋に迎えに来た。朝霧に包まれた道をバスターミナルへ。アレ??舟でのチケットを頼んだ積りだったのが、エー?バスになっちゃてたの。韓国製のかなりくたびれたバスで山道を延々11時間。暗く成ってからルアンプラバンに到着。韓国人の李さんと一緒にトゥクトゥクで町へ向かい、適当な所で降りる。所が自分の場所が何所か分からず、暫く右往左往してしまった。まあとにかく宿を探して幾つか当り、10万キップ(約1100円)の部屋を相部屋で泊る事にしました。翌日明るく成ってから、もっと良い宿を探しました。ここは5年前に来た所ですが、ツーリストが増えかなり変わっていました。李さんも昨年来ているのですが、宿代も倍近くに値上がりしたそうです。
 ルアンプラバンはメコン河の畔、カーン川が合流する地点にある岩山の周りに開けた町です。この岩山のてっぺんには寺があり、町を一望できる眺めの良い場所です。

     岩山から町とメコン川を見下ろす。

目抜き通りから横道に在るWat Tauゲストハウス

メインストリートが終わり近くのシェーントーン寺

 カーン川がメコン河に合流する所に、以前には無かった対岸の村に渡る竹の橋が出来ていた。この橋は村人が作った物らしく有料だった。その村は織物と、紙漉工房が有ると看板に出ていたので、行ってみました

      カーン川に架かる竹の橋

       機織する少女

      紙漉の工房
 ルアンプラバンは寺も非常に多く、早朝僧侶の托鉢の列を見る事が出来る。寺に行くと若い修行僧達が、向学心に燃えていろいろと話をしてくる。

   川の畔で会った若い僧    寺で刺繍をする人

ルアンプラバンのナイトマーケットも有名です。メインストリートの一部を歩行者天国にして、少数民族の人達が伝統的な布や衣類、工芸品を路上に並べ賑わいます。前来た時よりも更に大規模に成っていました。


       ナイトマーケット
裏路地の朝市も様々な食材売られ、大賑わい。ここも面白い。

     裏路地の朝市

     肉、魚、右端は何?

     正体はネズミ?

  コオモリも食材        お供え用の花
 
1月22,23日とルアンプラバンで過ごし24日の夜行バスでビエンチャンに向いました。
アルバム(ラオス/ルアンプラバーン)

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景洪(ジンホン)から何処へ行こうか?

2009-01-20 23:02:17 | 中国/雲南
1月18日猛混(ムンフン)から景洪(ジンホン)に戻りました。25日までには中国を出なくては成らないので、ハテ如何し様かと思案してました。最初は昆明まで出て飛行機でタイのチェンマイに飛ぼうかと思っていました。しかし景洪(ジンホン)からメコン河を下りタイのチェンセンまで週2度のボートが有る事が分かりました。これも良い名と思ってチケットを取ろうしましたが、一週間先の分まで満員でした。それじゃやはり昆明まで出て飛行機でタイか、バスでベトナムに出ようかと考えました。しかし20日以降中国の春節(正月)が始まり、大量の中国人が移動するため乗り物のチケットを手に入れるのが難しく成ります。そんなこんなを考えた末に昆明に行くよりも来た道をラオスに戻るのが近道と成りました。
 1月20日景洪(ジンホン)からもと来た道を戻りラオスのルアンナムターに引き返しました。2泊してバスでルアンナムターから古都ルアンプラバンへ向かいました。一度訪れた事の有るルアンプラバンで2泊、夜行バスでビエンチャンに行き、再び夜行バスでラオス南部のパークセーに行きます。
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猛混(ムンフン)の日曜市

2009-01-15 23:10:03 | 中国/雲南

 1月14日に西定(シーディン)の木曜市を見て猛海(ムンハイ)に戻り、バスを乗り換えて猛混(ムンフン)に向かいました。途中道路工事を大規模にしている所が有、その度に何度か待たされました。それでも5時頃に着きました。猛混(ムンフン)はちょっとした町で西定とは大違いです。ここで日曜市が立つというので、それを待って3日間滞在する事しました。バスは大通りのT字路が終点で、目の前角にホテルが有りましたが、五月蝿そうなのと安く無い様なので少し歩き回って宿を探しました。商店街の外れの横道の奥に宿の看板を見つけて行って見ました。部屋はOKと言う事でしたが、多分外人が泊まるのは初めてらしく、公安に行き伺いを立てていました。宿の目の前が町の市場で、朝から賑わっていました。宿の一回はインターネットカフェで夜遅くまで若者達が集まっていました。表通はミニバンの溜まり場となっていて、何時も車の出入りがあります。通の両側は商店街で日用雑貨、建築資材、バイク屋、床屋、食堂と種々雑多な店が軒を連ね、歩道まで品物を並べていました。この大通りで日曜市が開かれるのかと思っていました。

      猛混(ムンフン)の町

          ホテル

          大通り

 裏通りに入るとレンガの塀で囲まれた、やはりレンガ作りの趣のある家々が在ります。しかし所々に新築コンクリート作りのの立派な家が建ち、またあちこちで建築中でした。景洪(ジンホン)からここに来る間での村々でも、新しい家々が目立ちました。こんな辺境の農村部まで、古い家屋から新しい文化的な家屋に変わりつつ有ります。これを見ると様々な資材が必要で、世界的に様々な資材が高騰してるのが分かる気がします。
 日曜日になっても市場や商店街はいつもの通りでした。違ったのは徐々にトラクターや耕運機で少数民族の人々がやって来て、民族衣装が多く目に付くようになった事でした。西定(シーディン)は前日の静けさが嘘の様な賑わいとなったので、人込で歩けなくなる様に想像していたので、期待はずれでした。結局ここの市も周辺の人々の買出しの為の市だったのです。正午まで見て歩き景洪(ジンホン)に戻りました。


        町の裏通り

町外れの裏通りの永輝兵館(一階はInternet)

      二階が住宅と客室2部屋

         日曜市 

      布売り(機織りで織った布)

      刃物売り(たぶん鍛冶屋)

     箒          子豚

      魚売り

      野菜

      買い出し

アルバム「雲南省/猛混(ムンフン)」
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