小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

大晦日街中を歩く

2016-01-31 23:42:42 | ミャンマー
2016/12/31(土)晴 
 昨日島巡りのツアーに参加したので、今日は予定がないのでブラブラ街中散歩する事にした。初めにマーケットに行って見た。外周の南側の通りを歩いていると、焼き米麺を作って居るおじさんが居た。何人か女性が出来るのを待って居た。このペイの郷土料理で米麺とイカとモヤシを炒めた物で、カーヂーカイッと言う食べ物だった。早速私も注文して食べて見た。所謂焼きウドンの様な物だった。トウガラシが効いて居てピリ辛で、ビールに合いそうだった。
 マーケットの南側はニンニクや玉ねぎ、トウガラシと言った卸問屋風の店が連なっていた。中に入ると、生活雑貨、衣料店が狭い通路を挟んで迷宮のようだ。北側の部分は食料で肉、魚、青果や花屋の店のエリアになって居た。北側の外周には果物屋が軒を連ね、綺麗に積み上げてアート作品の様だった。
 マーケットから海岸通りから一つ東側のBロードを北上して行った。この通りはコロニア風な軒並みが続き、その一方車の修理屋が多かった。途中から東に折れ、ヤイカイバウン湖に出た。この湖畔にはジーゼルエンジン5基が稼働する発電所が有り、大きな音がしていた。湖にはお堂がありちょっとユニークなポーズをした僧の坐像があった。湖畔を一周する積りで歩き出すと、竹梯子で椰子の木に登るおじさんが居た。何をするのか暫く観察。椰子の木てっぺんには竹筒がぶら下がり、椰子酒を作って居るのが分かった。その椰子酒の回収に来たのかと思った。スルスルとてっぺんまで登って行き、椰子の花芽を専用の道具で挟んで、潰していた。椰子酒は花芽を切ってそこから出る樹液を集める物と思って居た。ここではそうでは無くて、花芽を潰して置くと、暫くしてそこから樹液が染み出して来る様だ。おじさんはその作業をして居たのだった。湖畔に椰子の並木数10本あり、皆竹筒が下がりおじさんの椰子の木の様だ。椰子酒はココナツ椰子の木から作ると思って居た。しかしこの椰子の木、うえを見上げると別の種類の実が付いて居た。それはこの前以前から気になって居た、あの椰子の実だった。確かに葉の形がココナツ椰子とは違っていた。
 湖畔を一周して、脇のボギョケ路を北に向かって歩いて行った。この通りの両側には大きなお寺の建物が連なって居た。その先にはローカルな市場があり、こちらが魚市場の様だった。すでに昼近くで、商いは終わっていた。その先新しい建物があり、伝統医療の病院だった。その向かいは造成中で向こうに観覧車もあり、大規模遊園地が作られる様だった。ここから西に折れ海岸通りに出た。
 暑くなりBlue Skyと言うタイ、中華料理のレストランに入った。ビールを飲みながら昼食にして一息つく。食後ティンドーヂーパヤーに行き日陰で暫く休んだ。小学生と思しき子供達の団体が来て居た。何処から来たのか尋ねようとしたが、うまく通じなかった。一人の子に尋ねたら大勢集まり興味深々の様子で、人垣が出来た。写真を撮ると言ったら、大勢すぎて入り切らなかった。引率の先生が皆んなを連れて帰って行った。
 宿に戻りシャワーを浴び海岸通りの、居酒屋に飲みに行った。初めYar Shwe Suと言うシーフド店に入ったが生ビールがなさそうなので、別な店に行く。この前最初に行った店で、生ビールと料理を注文した。ピッチャーで注文したのを憶えて居て直ぐに分かった。この店の名前が分からなったが漢字で雲南小吃と出て居た。かえりに夜店を見物しながらブラブラ歩いた。
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ドイ・デン・チュー・パゴダ

2016-01-24 23:51:27 | タイ
2016/01/24(日)
 昨夜アイシャーさん達と楽しく飲んだので、8 時前に寝てしまった。其の所為で4時半に目が覚め、そのまま起きて画像のアップロードを続けた。昨夜アイシャーさんが、ドイ・デン・チュウ・パゴダがミャンマーのチャイティーヨー見たいで、行って見ると良いと勧めてくれた。グーグル地図のアプリでルートを探して置いてくれた。オフラインで使えるので、iPadを持参して出かける事にした。朝食の用意が無いので、何か腹に入れ無いと長距離にサイクリングはきついと思った。GHの近くを探したが、まだ朝からやって居なかった。少し足を伸ばすと、飯屋があった。鳥飯で客が何人か入っている。ご飯の上に鳥の切り身を乗せた物でスープが付いて居た。
 9時前にGHを出発。国境方面に向かい、国境手前の信号機の有る所で、右折して北に向かった。良く舗装された道で、この舗装道路を辿って行けば良い様だ。モエイ川に接近し緩やかな登りを行った。大きく分岐する所は無く道なりに進んで行った。警察の検問所の有る所で二股に道が分かれて居る。右側には門が在った。道を確認の為、お巡りに尋ねた。右側に行けと言われた。此処からあと7Kmとも教えて呉れた。道は緩やかな下りや上りが有り、下りは良いが帰る時はしんどそうだ。道なりに行くと、途中舗装したばかりの所があった。其の先が一部分舗装が痛んで悪路に成って居た。其の先は又良い舗装状態の道だった。

           目指すパゴダは左の山の向こう側


              パゴダへの道
 人が歩いて居たので、パゴダに行くのはこの道で良いか尋ねた。するとここがそうだと言う。まだまだ先だと思っていたが、思って居たより早く到着した。参道の入り口にドイ・ディン・チュの看板が有った。参道は森の中で、家々が点在して村の様に成って居た。森が切れると寺院がありその後ろに石段が続いて居る。何人かのグループがその石段を上がって居た。石段は真ん中に手摺が有り、登り下りを分けている。その手摺で子供達が遊んで居た。この石段は800段有るそうで、かなり登り甲斐の有る石段だった。

              入り口

              参道の周りは集落

               登り口

               順路案内板

             手摺で遊ぶ子供達
 途中で老年の女性達を追い越して行った。杖を突きながら登って居たので、大変そうだった。可成りな急勾配でだが、ゆっくり休まずに登って行った。中程で水平な道に成り、洞窟に仏像が祀ってあった。そこを通り抜けると、さらに200mの指導標があり、また石段が続いて居た。そこを登り切ると岩峯の上にパゴダとお堂が有り、仏像が安置されて居た。アイシャーさんがお勧めの、転がりそうな金箔を貼られた岩は見当たら無い。お参りに来て居た人に、写真を見せて尋ねると下の方だと言う。岩峯から下りに成って居て、竹林の中の小道が続いて居た。その先にその岩が有った。子供達がその前でお祈りをしていた。ここからの眺めが良いので、笛を吹いて居るとの先に追い越した、老婦人達が居てその一人が日本人で、「五木の子守唄」をリクエストされたので、応じた。こんな所で日本人に会うとは予想外だった。40分ほどこのドイ・ディン・チューパゴダで過ごし帰途に着いた。
帰りは途中から、来た道とは別ルートで戻り10分程早く着く事が出来た。

            途中の洞窟

             さらに上に続く石段



            岩の上の二つのお堂

             竹林の下り

            転げ落ちそうな岩
午後バスの時間まで部屋を使って良いと言ってくれたので、ブログの更新や画像のアップロードをしながら過ごした。
 8時にバアスターミナルまでバイクで送ってもらった。何台かのバンコク行きのバスが来たが、チケットを見せると、別のバスだと言わたれた。チケットの出発時間の9:40の所にタイ語と数字の14と印刷されて居た。このあタイ語の意味が分からず、マネージャーに聞いても彼がミャンマー人らしく解らなかった。チケットを示し尋ねている内にこの14と言うのはバスの入ってくるホームの番号だった。そこに待って居ると13番ホームに入ってきたのが、私の乗るバスだった。

 バスはほぼ定刻に発車途中二度程検問があり、パスポートチェックを受けた。ミャンマー人の女性には検問所に呼び、可成り厳しくチェックをしていた。途中食事休憩で休んだだけで、午前5時半にバンコクの北バスターミナルに到着。
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再度街歩き

2016-01-23 23:14:15 | タイ
2016/1/23(土)
 昨夜は早く寝たので、3時頃に目が覚めた。そのまま起きて画像のアップロードをして朝になった。朝食は昨夜の持ち帰りで済ませようと思ったら、ご飯が入って無かった。スープだけ包んでくれて、ご飯を入れてくれ無かった。仕方ないのでスープだけで朝食にした。
 午前中一昨日市内を周って、写真を撮ってないので同じコース周ってGHの写真を撮って来た。マーケットに出る路地で、焼き鳥とカオニャーオを買って朝食の追加にした。食べる所をさがしながら、昨夜のナイトマーケットに出る所の寺院に行った。ナイトマーケットはこの寺院の境内を通って行く。一方の入り口が一方通行なので、この境内を抜ける道が頻繁に使われて居る。タイやミャンマーでは、街中で一休みしたい場合寺院が最適だ。街中でもここだけは静かな憩いの空間がある。ここで先ほど買って来た、焼き鳥とご飯を食べた。

    ワット・チュンポル・キリ(この寺院で現在位置が判明)

             ワット・メイソート・ナダン
 11時に成り再度ミャワディーに行って見る。ミャンマーの入管の係官はまた来たの見たいな顔でささっと通して呉れた。イミグレ周辺の路地に入って見ると、ローカルなマーケットに成って居た。その次の通りに入って見ると、地方行きのバスの発着所に成って居た。切符売りのブースがあちこちに出て居た。少しメイン通りを西に行くと、婦人物の衣料店が両側に並んだ横丁が在った。何処まで続いて居るか入って見た。延々ん500m以上続いて居た。メインロードに戻り先に進んだ。日差しが強く一休みしたかったので寺院をさがした。道路の左側に在って、境内での木陰で一休みした。

           路地裏市場

           長距離バス発着所

           衣料専門路地
3時に戻るとタイ側のイミグレが混んで居た。外国人優先なのでパスポートを示すと、割り込んで手続きをして呉れた。まだ宿に戻るのには早いので、タイの川岸に在る国境マーケットを覗いてみた。衣料雑貨、お土産物と何処も同じ感じのマーケットだった。マーケットを抜けると川の堰堤が続いて居るので、行って見た。所々に渡場が有り、住民の人はそれで行き来をして居る。中州に小屋を建て住んで居る人達もいる様だった。しかし凹地はゴミ捨て場に成っていて、衛生環境が思いやられる。1時間近くぼんやり過ごして、GHに戻った。

             国境のリム・モエイ・マーケット

              館内

             船着場(地元の人は渡船で往来)

            モエイ川の岸の道路
 戻ってメールを見ると、アイシャーさんが同僚と食事を持って来ると言って来ていた。まだ時間があると思いビールを買ってこようと外に出たら、もう彼女が来ていた。同僚のミャンマー語の講師のミャンマーの女性だった。アイシャーさんは手足に擦り傷が有るので、彼女のバイクでやって来たのだった。話し好きな彼女なので、次々に話題を振って来るので、話が途切れる事が無い。
話題を考えながらの会話は疲れるが、彼女とはそんな心配は無い。1時間半程おしゃべりをして、同僚のバイクで帰って行った。また何時の日か会えたい物です。

            アイシャーさんと同僚
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ミャンマーの街ミャワディへ

2016-01-22 23:44:36 | ミャンマー
2016/01/22(金)
 4:30-7:00までWebギャラリーに画像をアップロード。朝食は昨夜の料理の持ち帰りで済ませた。9時から国境の向こうの街ミャワディに出かけた。国境までの道には長い長い貨物の車列が、税関検査を待って延々と続いて居た。タイ側のイミグレまでは15分程だった。自転車を近くに駐輪して出国する。空港と同じ手続きだった。沢山窓口が有ったが、外国人の窓口もあり、スンナリ出国出来た。国境の橋を歩いて渡り、やはり外国人の窓口を探して居ると、ARRIVALの部屋に案内された。パスポートと500Bを出して、入国カードをもらい帰りにこのカードと引き換えでパスポートを返して貰う。

             タイ側イミグレ

            モエイ川に架かる国境橋

            ミャンマー側イミグレ

            パスポートと交換カード
 ミャワディの街に入ると、道路脇には車がズラリ駐車して居て、歩道には両替商がビッシリ続いて居た。人混みも酷く中々スムーズには歩けない。西に伸びるメインストリートを歩いて行くと、日本語で話し掛けて来た人が居た。大体観光地で日本語で話し掛けて来るのは、ウンサ臭いので返事をしないて居た。けれどミャンマー人はまだ擦れた人は少ない。人の良さそうな人物なので、少し話をした。自宅で塾を開いて居る先生だった。自宅に案内してくれ、塾を見せて呉れた。午後から授業が始まるとかで、今わ生徒の姿は居なかった。暫く街のマーケットなどを案内して来れ、その後自宅で手料理の魚カレーをご馳走に成った。午後も一緒に街を案内して来れ、帰りの3時過ぎまで付き合って呉れた。

            イミグレ前の賑わい

            イッキ氏の塾

         イッキ氏に昼食をご馳走になる

           街中を案内

           ローカル市場
 4時過ぎにGHに戻るとマネジャーが居たので、自転車を自腹で修理したと言った。すると乗って来た自転車は貸した物では無いと言う。確かに乗る時別の人のIDカードの様な物が有った。しかし私の持っているキーで開いたので、疑わず乗って来てしまった。ところがこの自転車の鍵は壊れていて、ロックされて居なかった。別の自転車を乗って来て仕舞った。マネジャーはこちらの自転車の方が良いので構わ無いと言う。しかし持ち主が探して居ると思い、日没までまだ30分程有るのでイミグレまで飛ばして行った。私の自転車は有ったので、交換して置いて来た。
 戻って来て GHに帰らずに、夕食を食べにナイトマーケットに向かった。二度程案内されたが、複雑な道だったので、記憶を頼りに何とか辿り着いた。一昨日にマネジャーが連れて行った店に入り、シーフードのサラダとスープと勿論ビールを注文した。
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メイソートの街歩き

2016-01-21 23:17:13 | タイ
2016/01/21(木)
 目が覚めたら7時半だった。ここのWiFiはアクセス数が少ないので、非常に早くてバンコクより快適にネットが出来る。昨日のブログと以前の画像をアップロードしていたら、昼近くに成って仕舞った。自転車で町の中を歩いて、自分の居場所を確認に行った。通り一つ南の道路を行くと、大きなマーケット地域に出た。マーケットをブラついて、次に行こうとしたらチェーンが外れてしまった。掛け直すにもチェーンが隙間に食い込み、掛け直す事が出来ない。しばらく悪戦苦闘していたら、近くの人が見かねてトクトクの運ちゃんに道具を貸すように言って呉れた。バールのような物でも中々取れず、手がチェーンに着いて居た油で真っ黒に成った。それでもどうにかしてやっとチェーンを掛け直す事が出来た。
 手を洗わない事にはどうにも成らず、一旦G.H.に戻った。チェーンの緩みを直す様にGHのおばあちゃんに言ったが、埒が開かなかった。しかし息子見たいな人に自転車屋に案内させた。私は単純に後ろの車輪を下げれば良いと思って居た。けれど自転車屋さんは、チェーンの緩みを調製する部品を一生懸命探して取り付けて呉れた。修理代は自腹で40Bだった。
 自転車が治ったので再び町歩きに出かけた。このメイソートの町は東西に長く広がった町だった。国境から来る道が途中で二つに分かれ、北側の道がさらに二つに分かれ、この道が町のメインストリートに成っている。この通りは町中で一方通行で、北側インタラギーリー通りが東行き、南側プラソットビチ通りが西行きに成って居る。この通りにバンコク行きのバスチケット売り場が在り、24日の夜行バスを予約した。街中の信号機の有る交差点で左折して、北に向かった。古いマーケットに出る道と思ったが違って、ガネッシュ像を祀ったロータリーに出た。地図でこのロータリーを東に行けばマーケットだと分かった。行って見ると現在は使われて居ない様子だった。その周りは近隣に行くバスの発着所に成って居た。このマーケット前にZee GHが在り、さらに南に行くと、Green GHがあった。タークからソンテウ(乗り合い)で来た人達はこれらのGHに行って居た様だった。バンコクからのバスで来た場合、インタラギーリー通りに何軒かGHが在るので、そちらの方が便利な様だ。

          ガネッシュの像のロータリー

          使われ無い市場

          zee Guest House





           インタラギーリー通りに在るGH
 メインストリートを横切り南に向かった。細い路地に入って行くと、町の中心のマーケットに続いて居た。狭い通りと露天が並び人も多く自転車は乗って行くのが難しかった。この大マーケットは南北に長く伸びかなりの広さだった。人も多く物資の豊富で、活気あるれた市場だ。街を歩き回り、大凡の地理が分かって来た。



          活気溢れる市場

          細い路地の露天商
 メールでアイシャーさんから連絡があり、夕方食事を一緒する事にした。6時半に同僚のバイクに乗って迎えに来て呉れた。昨日GHのマネージャーが連れて行った、ナイトマーケットに行った。同僚の男性もフィリピンの人だった。3人でローカルフードを食べながら話をした。話好きなアイシャーさんなので、話題に事欠かなかった。ナイトマーケットまでの道は複雑なので、帰りもGHまで送って呉れた。


       アイシャーさん達と会食
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メイソートへ

2016-01-20 23:19:30 | タイ
2016/01/20(水)

ミャンマーからバンコクに戻り、10日間程骨休みをしながら過ごした。ミャンマー旅行中に知り合ったフィリピン女性、アイシャーさんをメイソートに訪ねる事にした。彼女はミャンマーとの国境の町メイソートで、英語の先生をして居る。バスセンターに行くのに、明け方から雨が降り出し、傘を置いて行く事にして居たので濡れるかと心配した。バス停に行く頃には止んでいたので濡れずに済んだ。この乾季の時期は雨は殆ど降らないのだが、今は毎日スコールがある。77番バスで北バスターミナルに行った。フードコートで食事をして、30分前に乗り場に行くと、まだバスは入って居なかった。15分程前に入って来たので、乗り込むと座席が見当たらない。座席の背に番号が有ったので、これがその椅子の番号と思った。そうでは無くてその後ろの席の番号だった。一番前の席なので番号表示が分からなかった。座ると子供連れの親子が席を替わって欲しいと、頼まれて代わった。窓際で外の景色を楽しみたかったが、まあ良い事にした。バスは定刻より20分ほど遅れて出発。この位は遅れた事にならないか・・・。道路事情は流石に良く、4時間ほど走り続けて漸く食事休憩になった。バスチケットには食事代も含まれていて、ドライブインで券を示して好きな物を食べる事が出来る。メイソートのに近づくと山勝ちとなり、上り下りのカーブが続いた。山脈を一つ越え、盆地の様な所がメイソートだった。町に入る前に検問所が在り、チェックを受けた。ほぼ定刻の17:00にバスターミナルに到着。これからの出発便を待つ人が大勢居た。

         バンコク北バスターミナル

         メイソート行き10番ホーム

           食事休憩

           席を交代した子供

        メイソート・バスターミナル
 バイタクを見つけG.H.の名前を告げた。しかし誰も知らないと言う。アイシャーさんの名前を言ったら、アリスホテルと思ったらしく、そこに連れて行った。受付の女性に此処で無くて、Kritsana G.H.に行きたいのだと言った。このスタッフが親切でG.H.の電話番号は?と言って呉れた。幸いメールでアイシャーさんが送ってくれて居たので、メールを開いて番号を示した。そこで電話で場所を聞いて呉れた。バイタクのドライバーがその情報を頼りに探したが、見つからずまたバスターミナルに戻ってしまった。運ちゃん達が集まって再度宿に電話して、漸く場所が分かった。しかし最初のドライバーは行くのを嫌がり、別のトクトクの運ちゃんに連れて行ってもらった。最初のドライバーは曲がる所を逆方向に行って居たので見つからなかった。今度はすんなり宿に到着した。

          場所が分からず探すの運ちゃん達

          これがKritsana Guest House
 しかし宿にはタイ語だけのおばあちゃんだけで、予約していた事が不明確だった。周りに食べる所が在る?と聞いても、バイクで連れて行くから待つ様にと言って居るようだった。しかしなかなか来ないので、周辺を歩いて探したが無かった。取り敢えずビールだけを買って来た。戻るとおばあちゃんの息子の様な青年が、マネージャーだと言って来た。漸く話が通じてチェックインの手続きをした。アイシャーさんが予約を入れて呉れたのを、知らない様だった。とにかく腹が空いていたので、バイクでナイトマーケットの食堂に連れて行ってもらい夕食に有り付けた。

            マネージャーと夕食
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バンコクへ戻る

2016-01-10 23:41:31 | ミャンマー
2016/01/10(日)
 ヤンゴン空港へタクシーを頼んで居たら、30分ほど早く来た。空港までは途中裏道に入り、近道をしてる様子だった。

             ヤンゴンのシンボルともお別れ
空港に着くとチェックインカウンターの場所に入るのに長蛇の列だった。エア_アジアのカウンターが何処にも無く、右往左往して仕舞った。他の空港では3時間前から開いて居るのだが、便数が少ない為2時間前から開くらしい。普通カウンターがどの列か、表示が有るのだが、それも見当たら無い。それもそのはず一列しか無く、全航空会社が使って居るのでどの場所に成るか、予め分からない。2時間前にようやく、エア・アジアのシンボルマークが表示された。Webでチェックインを済ませて居たので、すんなりと手続きが終わった。

          チェックイン・カウンターエリアに入るの長蛇の列
 二階のイミグレーションでは係官の多くが、女性だった。ミャンマーでは女性の官僚が多いと言う。出国て続きを済ませ、待合室に入った。空港が小さい為か、様様な便が一緒の待ち合い室に成って居た。出発予定30分前に、バンコクからの一便が到着。乗客を降ろし、直ちに折り返しバンコク行きの便と成る。1時間のフライトでバンコクに到着した。手荷物だけなので、素早く空港の外の、バス停に出られt。29番の無料バスが来て、ラッキーと思ったら途中のBTSのモッチト駅で打ち切りだった。どの道途中で乗り換えるて行こうと思っていたのでマアいいか。定宿のラチャプロッラプ・マンションには予定通り4時にチェックインした。
 まず一階に有るコインランドリーで、厚手の衣類を洗濯に掛けた。薄手の下着は何時も手洗いしていたが、厚手は時間が掛かるのでそのままにして居た。洗濯が終わるまでビールを買い込んで部屋で一杯やって居た。バンコクに戻りやっと一息着いた感じだった。
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インヤー湖周辺

2016-01-09 23:13:10 | ミャンマー
2016/01/09(土)
 7時半から宿の表で朝食を、ブログ更新しながら食べた。この宿のWiFiはこの通りに在る、OKINAWA2に設置して在るらしくて、部屋では電波が弱くて使い無い。表の通りなら結構早い応答でアクセス出来た。しかしここの朝食では物足りず、マハーバンドラ通りと37St.角のシャン料理の屋台でご飯を食べた。

            シャン料理の屋台

 今日はインヤー湖の周りを西から東に歩いてみようと駅に向かった。環状線のレーダン駅とパラミ駅が、西と東の湖の最寄の駅に成って居る。時計回りの列車でレーダン駅に行こうとホームで待っていたが、反対回りが先に来た。これに乗り湖の東の駅パラミで降りた。


            JRの提供車両
 インヤー湖は南北が長い長方形の緑地帯の中にある。北側の道路を西に向かって歩いて行った。交通信号のあった交差点で北西の角に来たと思って、南へ歩いて行った。30分位歩くと大きな道路に出た。しかし地図と道路が一致しない。人に何度か尋ねたが、自分の居る場所が分からなく成った。やがて右手にインヤー湖が見えて来た。自分では緑地の西側の道路を南に向かって居ると思っていたので、益々混乱して仕舞った。

           インヤー湖
 途中に大きなレストランが有り、その名が地図に有ったのでようやく自分の居場所が分かった。なんの事は無い、西側の道路を南に向かって歩いたと思って居たが、緑地の中を通って東側の道路に出て仕舞ったのだった。それで右手にインヤー湖が見えたのだった。行く手に大きなホテルのビルが現れ、南東の角に達した。

            SEDONAビル
 それから緑地の南側の道路を西に向かって歩いて行った。スーチーさんの自宅前を通って行った。門は閉まっているが、政党の旗が何本もあるので直ぐに分かった。やはり有名地なので、観光客が来て記念写真を撮って居た。

              スチーさん宅前
その先にアメリカ大使館と北朝鮮大使館が向かい合わせに在ったのが面白かった。さらに先に進むとヤンゴン大学の広い敷地の脇を過ぎて行った。
 緑地が切れ賑やかな街に出た。沢山の人々で通りは凄い混雑だった。ここがレーダンの街並みだった。街並みの外れにレーダン駅が在った。丁度列車が入って来た所で、グッドタイミングだった。ここまで2時間の歩きだった。

             丁度列車が来た
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環状線に乗る

2016-01-08 23:39:10 | ミャンマー
2016.01/08(金)
 この前ヤンゴンに滞在した時に、環状線に乗りに行って失敗した。一周電車では無くて、途中折り返しに乗って仕舞って居た。再度一周にチャレンジしようと駅に向かった。この宿の在る32St.を北上してゆくと、アウンサン・ボジョー大通り近くにゲストハウスが何軒か纏まって居た。その先38St.のシャン料理店「999」に寄って朝食を食べた。宿も朝食付きだが、ご飯でないので物足りない。

              32St.に何軒かゲストハウスの看板
 ヤンゴン中央駅に行くと、列車が西から入って来た。機関車を入れ替えたので、周回列車では無かった。しばらく待って居ると人々が動き出し、観光客の集まりだした。列車が入って来て、これは周回列車に間違い無いと思い乗り込んだ。ミャンマー人に確認すると、そうだと教えて呉れた。

               ホームの切符売り場
 発車間際に迎えの席に、日本人の男性が乗り込んで来た。声は掛けずに居たが、降りてから話をした。この前ほど車内は混んでい無かった。いろんな物売りが次々に遣って来て、見てると面白い。検察が一度有った。地元の人はこの前の折り返し駅までに、程んど降りてしまった。
この環状線は地元の足なのであろう。しかしレール面の水平度が悪くローリングやピチングですごい揺れがする。まるで船に乗っているかの様。よくこれで脱線し無いものだと思う位だ。それでスピードも精々30-40キロしか出てい無い。車両は日本で走って居た中古の車両で、JRが提供した車両も走って居た。

              車内検察

             リンゴ販売

              揚げパン売り

             モヒンガー(米麺)売り

              環状線

            提供されたJR車両
その折り返し駅では、農産物を持った運び屋がどっと乗り込んで来た。我先にと窓からも乗り込み、荷物を押し込み、あっと言う間に車内は荷物だらけに成って仕舞った。まるで日本の終戦直後の買い出し列車の様だった。その先の別の駅では、大きな袋を運び込んできた。入り口から入れるのか?と思うほどの大荷物だった。中身は回収したペッTボトルの様だった。
 これらの荷物は何処まで運ぶのかと思っていたら、中央駅までのマーケットのある様な駅で次々に降りて行った。

             大荷物を積み込む
3時間かけて市を一周してヤンゴン駅に戻って来た。乗る前にトイレに行ってい無かったので、慌ててトイレに行った。出て来たら前の席の日本人、谷口さんが声を掛けて来た。歩きながら話して、一緒に食事でもと何時ものスーレー・パヤー西側の居酒屋に行った。札幌の方でリタイアして間も無くで、まだ次の会社で働いて居る61歳の方だった。最近アジアに嵌り旅行をして居るとの事だった。各々酒が好きで進み、7杯も飲んでしまった。谷口さんと別れ部屋に戻って、そのまま眠ってしまった。

            一緒に飲んだ谷口さん
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OKINAWAゲストハウス

2016-01-07 23:06:40 | ミャンマー
2016/01/07(木)
 バスターミナルで群がるタクシー運転手を無視して、腹ごなしにモヒンガー(米麺)を食べた。この前路線バスの終点で降りた所へ行くと、スーレー・パゴダ行きのバスが居た。始発なので荷物を持って居ても、苦労する事は無かった。チャイティーヨーからの帰りは、降りた所が幹線道路に近かったので、途中乗車なのでかなりの混雑だった。荷物を持って居ると乗るのが難しいと思って居た。しかしバスターミナル奥からの始発バスならその心配は無くなり、最安値300kyで済んだ。

              老朽化した路線んバス
 7:15分にスーレー・パゴダに到着。この前の宿Little Yangon Hostelへ向かった。ネットで予約して置いたので、チェックインしようとしたら、予約が2月の日付に成って居た。エーそんなバカなと思ったが、確認して見ると確かに自分のミスだった。12月中に予約したので、カレンダー表示を次の月に送った時に送り過ぎて居たのだった。仕方ないので泊まれる?と聞いたが、今日は満室との返事だった。
 結局荷物を担いで、宿探しをする羽目に成った。この前他の幾つかのG.H.を見て居たので、スーレー・パゴダ付近のOKINAWA G.H.に行った。泊まれるか聞くとラッキーな事にシングルが空いて居た。一泊18$との事なので、即OKして宿を確保した。このG.H.外から見ても、木造のなかなか雰囲気のある宿だった。部屋も古民家の一室と言う感じで、なかなか良かった。以前ベトナムのホイアンで古民家に泊まった部屋を思い出させる。


           OKINAWAゲストハウス
 勿論トイレ・シャワーは共同だったが、シャワーがお湯では無かった。早速夜行バスの汚れをシャワーしようとしたが、朝では冷たく日中の暑く成ってからにした。取り敢えず米麺だけでは朝食は物足りないので食べに出掛けた。アビヤータ通りの38St.にシャン料理の店が有ったので探したが見つから無かった。
 そこで通称BBQ通り19St.へ向かった。地元の居酒屋と言う感じの店で、生ビールが飲めるのが良い。惣菜3品とスープ、ご飯それと生ビールで昼食として腹一杯になった。その後アウンサン・ボジョーマーケットに行き、いろんな店を眺めて廻った。3時頃宿に戻り、暑く成ったのでシャワー洗濯をした。シャワーを浴びたら、ビールが又飲みたく成った。近くの良く飲みに行ったスーレーパゴダの西側の居酒屋(?)に行って、ジョッキ4杯(大瓶2本分)を飲んだ。これで満腹に成り夕食は要らなく成った。

            今日の昼飯

            そこの厨房

            托鉢する尼さん

           こんな日本食堂も
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