2015/01/03(土)曇り
午前3時過ぎに少し長めに停車していた。トイレに行きたかったので、降りて用を足した。周りにトイレは無くて、女性の乗客は困っていた。ここはラオカイ手前でここから迎えの車で帰る土地の人たちの為に、停車したようだった。出発してから20分程で街に着いた。ラオカイと言っていたので慌てて降りる。まだまだ時間が掛かると思っていたので、3時過ぎに着くとは予想外だった。宿もしまっているし、明るくなるまで過ごす場所を探した。少し歩くと開いている屋台があり、若者たちがゲームに興じていた。フォーを注文して夜明けまで待つことにした。私同様に早く着き過ぎ、休んでいたベトナム人の若者3人組が、隣でトランプをして過ごしていた。自分がラオカイのどの辺りに居るのか不明だった。6時半過ぎに汽笛が鳴った方向に行くと、大勢が歩いてきた。列車で着いた乗客だった。そちらに行くとラオカイ駅に出たので、自分の場所が確認出来た。列車の乗客はサパに行く為、バス乗り場の方に歩いて居たのだった。
午前3時過ぎにラオカイに到着
深夜ゲームに興じている若者達
ラオカイ駅(フリーWiFiが有った)
駅が確認できたので中越国境は線路に沿って北に進めが良い。
国境に向かって歩く(紅河の左はベトナム)
30程歩き国境に到着。
国境ゲートが見えて来た
ベトナム入管
ベトナムゲート
国境橋を中国ゲートと右側が入菅へ
右に中越鉄橋
大勢の若いベトナム人女性が越境していた。出稼ぎ?
出国時も入国時も検疫間にパスポートの提示を求められる。外国人はエボラ出血の地域に渡航歴が無いかをチェックか?出国は簡単に済んだ。中国入国はベトナム人は簡単に入国している。当然入国カードを記入していない。私もパスポートだけ出すば良いと思って出すと、入国カードを書くように言われた。イミグレの左の方に置いてあった。このカード自動記入装置がありパスポートをスキャンすると必要な部分が印刷される。日本人が居て少し話しをした。以前はスンナリ出来たのが今回は使いなかったらしい。手書きで書いていると、装置を使いと言う。やり方が分からないので、係員にやってもらった。顔写真のページをスキャンすれば、必要事項が入国カードに印刷されて署名を書くだけで良い。
イミグレも無事通過。宿を探さなくてはいけなかった。河口の街はイミグレを出ると南北に通りが走っている。安宿を探して何軒か当たってみた。40元(\800)で3畳位でベッド一つの所が一番安かったので、取り敢えずここにする。湘益招待所と言う宿だった。
入菅出口の通り
湘益招待所
2泊する積りで80元とデポジットが要ると言うので、取り敢えず手元にあった200元を払って置いた。これは以前中国に入った時の残りの金だった。後数元しかなかったので、両替に銀行に行った。しかし中国銀行でなくては、両替出来ないと言われる。中国銀行に行くと、今日は締め切りで明日にならないと出来ないと言う。これでは食事も出来ないので、困っていると中国にしては親切な服務員が市中の両替屋に行けと、大まかな地図を描いてくれた。それを頼りに、何度も聞いても分からなかった。郵便局があったので、そこの局員に尋ねてみた。するとこの少し先だと言う。何処?何処?と指差して尋ねると、一緒に案内してくれた。確かに市中の両替屋だった。日本円を出すとダメだとい言う。ここは中越国境の為、ベトナム・ドンと中国元の両替所だった。ベトナム・ドンが300Kドン程残っていたので、取り敢えず両替して38元を得て急場を忍えだ。
街中を歩いていると緑の市内バスが走っている。フロントガラスに新ー旧バスターミナルと書いてあった。イミグレ近くの江河岸に在ったターミナルが移って居たのだ。そこから元陽に行くので場所の確認に乗ってみた。料金が分からないので乗り込んでくる人のバス代を見ていた。このバスはワンマンで、乗車口にブリキの料金箱が有り、そこに2元を入れていた。20分程北が新バスターミナルだった。元陽までの運賃と発車時刻を確認して戻った。
新バスターミナル
路線図
運賃表
街中にセルフサービスの飯屋が2件ほど有った。いろんな種類の料理が並び、ちょとしたバイキング形式だった。御菜もご飯もおかわり自由で10元(¥200)と好都合の飯屋だった。ここで遅めの昼飯にした。
宿に戻って夕方まで夜行バスで来た所為もあって眠ってしまった。夜になっても出歩かず、部屋で日記を付けたりして過ごした。WFiが有りブログの更新をしようとしたが、中国はGoogleがブロックされて居て出来なかった。夜は他の部屋の客や赤ちゃんの泣き声などでかなり五月蝿かった。シャワー室も狭く、お湯も出ないのでシャワーを浴びる気にも成らなかった。部屋も小便臭く、明日は別の宿を探す事にした。
午前3時過ぎに少し長めに停車していた。トイレに行きたかったので、降りて用を足した。周りにトイレは無くて、女性の乗客は困っていた。ここはラオカイ手前でここから迎えの車で帰る土地の人たちの為に、停車したようだった。出発してから20分程で街に着いた。ラオカイと言っていたので慌てて降りる。まだまだ時間が掛かると思っていたので、3時過ぎに着くとは予想外だった。宿もしまっているし、明るくなるまで過ごす場所を探した。少し歩くと開いている屋台があり、若者たちがゲームに興じていた。フォーを注文して夜明けまで待つことにした。私同様に早く着き過ぎ、休んでいたベトナム人の若者3人組が、隣でトランプをして過ごしていた。自分がラオカイのどの辺りに居るのか不明だった。6時半過ぎに汽笛が鳴った方向に行くと、大勢が歩いてきた。列車で着いた乗客だった。そちらに行くとラオカイ駅に出たので、自分の場所が確認出来た。列車の乗客はサパに行く為、バス乗り場の方に歩いて居たのだった。
午前3時過ぎにラオカイに到着
深夜ゲームに興じている若者達
ラオカイ駅(フリーWiFiが有った)
駅が確認できたので中越国境は線路に沿って北に進めが良い。
国境に向かって歩く(紅河の左はベトナム)
30程歩き国境に到着。
国境ゲートが見えて来た
ベトナム入管
ベトナムゲート
国境橋を中国ゲートと右側が入菅へ
右に中越鉄橋
大勢の若いベトナム人女性が越境していた。出稼ぎ?
出国時も入国時も検疫間にパスポートの提示を求められる。外国人はエボラ出血の地域に渡航歴が無いかをチェックか?出国は簡単に済んだ。中国入国はベトナム人は簡単に入国している。当然入国カードを記入していない。私もパスポートだけ出すば良いと思って出すと、入国カードを書くように言われた。イミグレの左の方に置いてあった。このカード自動記入装置がありパスポートをスキャンすると必要な部分が印刷される。日本人が居て少し話しをした。以前はスンナリ出来たのが今回は使いなかったらしい。手書きで書いていると、装置を使いと言う。やり方が分からないので、係員にやってもらった。顔写真のページをスキャンすれば、必要事項が入国カードに印刷されて署名を書くだけで良い。
イミグレも無事通過。宿を探さなくてはいけなかった。河口の街はイミグレを出ると南北に通りが走っている。安宿を探して何軒か当たってみた。40元(\800)で3畳位でベッド一つの所が一番安かったので、取り敢えずここにする。湘益招待所と言う宿だった。
入菅出口の通り
湘益招待所
2泊する積りで80元とデポジットが要ると言うので、取り敢えず手元にあった200元を払って置いた。これは以前中国に入った時の残りの金だった。後数元しかなかったので、両替に銀行に行った。しかし中国銀行でなくては、両替出来ないと言われる。中国銀行に行くと、今日は締め切りで明日にならないと出来ないと言う。これでは食事も出来ないので、困っていると中国にしては親切な服務員が市中の両替屋に行けと、大まかな地図を描いてくれた。それを頼りに、何度も聞いても分からなかった。郵便局があったので、そこの局員に尋ねてみた。するとこの少し先だと言う。何処?何処?と指差して尋ねると、一緒に案内してくれた。確かに市中の両替屋だった。日本円を出すとダメだとい言う。ここは中越国境の為、ベトナム・ドンと中国元の両替所だった。ベトナム・ドンが300Kドン程残っていたので、取り敢えず両替して38元を得て急場を忍えだ。
街中を歩いていると緑の市内バスが走っている。フロントガラスに新ー旧バスターミナルと書いてあった。イミグレ近くの江河岸に在ったターミナルが移って居たのだ。そこから元陽に行くので場所の確認に乗ってみた。料金が分からないので乗り込んでくる人のバス代を見ていた。このバスはワンマンで、乗車口にブリキの料金箱が有り、そこに2元を入れていた。20分程北が新バスターミナルだった。元陽までの運賃と発車時刻を確認して戻った。
新バスターミナル
路線図
運賃表
街中にセルフサービスの飯屋が2件ほど有った。いろんな種類の料理が並び、ちょとしたバイキング形式だった。御菜もご飯もおかわり自由で10元(¥200)と好都合の飯屋だった。ここで遅めの昼飯にした。
宿に戻って夕方まで夜行バスで来た所為もあって眠ってしまった。夜になっても出歩かず、部屋で日記を付けたりして過ごした。WFiが有りブログの更新をしようとしたが、中国はGoogleがブロックされて居て出来なかった。夜は他の部屋の客や赤ちゃんの泣き声などでかなり五月蝿かった。シャワー室も狭く、お湯も出ないのでシャワーを浴びる気にも成らなかった。部屋も小便臭く、明日は別の宿を探す事にした。