小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

6年振りに蔵王スキー場へ

2013-02-27 23:35:36 | スキー
2/25-27
 今年スキー仲間「こまくさ」で6年振りに蔵王スキー場に出かけました。現地集合としてぞれぞれの都合に合わせてスキー場で落ち合う事にしていました。私とBさんとKUMAさんは前日の夜行バスで行く予定でした。しかし出発日の夕方に前日からの東北地方の大雪で、道路が通行止めの為バスの運行取り止めとの連絡が入りました。仕方無く翌朝(15日)の新幹線で山形に行く事にしました。しかし大宮に行って見ると、山形新幹線は東京ー福島間が運休で福島まで行って乗り換え下さいとのアナウス。東北新幹線で福島近くなると、除雪に手間取り福島からの山形行きの新幹線は午前中運休とのアナウス。山形に行くには仙台から仙山線経由で行って下さいとの事になった。結局バラバラに行くはずだった参加者全員が、仙山線のホームで一緒に成った。宿に着いたのは午後の3時近くだった。初日は滑るのを諦め、温泉に浸かり酒盛りで終わった。


            東北新幹線で仙台へ

              日光連山

            仙山線で全員揃う

             山形駅(払い戻しに長蛇の列)

            山形駅からバスで蔵王へ


            山の宿「鞍」

             夕食
 今回の宿は中央ロープウェイ駅の西側、数分の所に有る山の宿「鞍」だった。なぜか宿の中にはハワイ関連の物が多く見受けられた。看板もマウナクラと洒落が入っていた。オーナーの方は山形山岳会の人で、蔵王の監視員も長年やっている方で、ハワイが大好きとの事だった。KUMAさんとも山岳会で共通の知人が有ったとかで、話しが弾んでいた。
 16日は8時45分から中央ロープウェイに乗り上まで行ったが、中央ケレンデ以上はガスの中なので、大平コースや高鳥コースをを下った。サンライズゲレンデでガスの上がるのを待ちながら滑っていた。しかし午前中は中々ガスが上がらず、何時ものラーメン食堂「テラスサンパル」に11時前の早めのテータイム&昼食に入った。ゲレンデも勿論平日でガラガラだけれど、食堂も我々だけで昼時に少し客が来た程度だった。

           中央ロープウェイ

            中央ゲレンデ

            中央ゲレンデリフト

            ダイヤモンド第2リフト
 午後に成り徐々に雲も取れて来ているので、中央ゲレンデーパラダイスゲレンデを経て樹氷原コースを下り、ユートビア、百万人ゲレンデー大森グレンデと長距離コース下った。クワッドリフトで登り返し、黒姫ゲレンドを下までさらに、黒姫クワッドリフトに乗り、黒姫ゲレンデ全コースを滑った。再び登り返して、今度は山麓ロープウェイ駅まで長距離滑走を楽しんだ。可成り滑ったので休憩する事にしたが、山頂駅の眺めの良い所で休む事にした。蔵王ロープウェイ山麓線は何故か満員電車並のギュウギュウ詰めだった。山頂線はゴンドラタイブなので次々に来るのでこんな事は無い。山頂駅の食堂は結構混んでいた。ここはスキーヤーばかりでなく、樹氷を見に来る観光客も多い。隣の席の人達が、中国語で話していたので声を掛けたら、台湾からの写真グループの人達で樹氷の写真を撮りにやって来た人達だった。昨日の悪天候から粘って良い状態に成るのを待ち続けていると、言っていた。その樹氷だが可成り痩せていて、かって我々が来て居た頃はもっとモンスターらしく成っていた気がした。山頂からはパラダイス、大平コースを下り、4時近くまで滑り宿に帰った。

           地蔵岳

        漸く晴れて地蔵岳をバックに

          地蔵尊前で
 17日は朝から高曇りで8時半初発のロープウェイに乗り、サンライズゲレンデを中心に山交ゴンドラを使って高鳥コースや蔵王ロープウェイを使って昨日同様長距離コースを滑って楽しんだ。11時から昨日と同じ「テラスサンパル」で1時間の昼食タイムを取り、午後2時まで滑りを楽しんだ。宿に戻り温泉後パッキングや宅急便でスキーを送ったりして3時にチェックアウト。3時20分山形駅行きのバスに乗った。
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帰国

2013-02-16 04:01:47 | Weblog
2/15(金)
 昨日クアラルンプールに着き、夜行列車の長旅の疲れを癒した。朝6時に起床してパッキングをして日本に帰る用意をした。空港に行く前にフードコートに朝食を食べに行ったが、何時ものブッフェ形式の素食の所はまだ料理が出来ていなかった。他の屋台で麺と包子を注文して食べた。もう一つのフードコートは新節の休みで営業して居なかった。10時に宿をチェックアウトLRTでKLセントラル駅へ行った。LCC空港行きのバスは、駅の外側だと記憶していたので行ったが、バスが見当たらない。案内所で尋ねると駅の外側地下だと教えてくれた。最初に来た時にバスを降りてから、人の後に付いて行ったら階段を登った事を思い出した。
 チェックインの時間まで1時間程待ち、未だ人も並んで居なくてスンナリ手続き出来た。出国、手荷物検査もわりとスムーズに通過して待合室へ。何時も乗り換えで待合室に入るので、チェックインして入ると待合室の2階になるのだった。何時もながら各フライト待の客で大勢の人達が居た。今回は早めに出発ゲートの待合室への案内が有った。羽田行きはほぼ満席の状態で、新節の所為か中国人の団体さんが居た。羽田で乗り継ぎなのであろうか?
D'-522便は定刻に出発。羽田には1時間弱程早く着いた。しかし入管、荷物受け取りの所が物凄く混んでいた。羽田でこんなに混雑しているのは、初めてだった。空港の利用時間を延長した所為で、乗り入れ便が増えたのであろうか。荷物受け取りテーブルで先の便のが終わってなくて、出て来るまで小1時間程待たされ、結局定刻に着いたのと変わりなく成った。11時近くなったので川越までの終電も無く、到着ロビーで一夜を明かす事になった。
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マレー半島東側を南下国境を越える

2013-02-14 17:57:43 | タイ
2/13,14(水、木)
 ハジャイ駅から国境の街スンガイコロクに向う。各駅停車で行く事にしたら、前のバンコクから来る急行が遅れ、鈍行も1時間遅れの発車となった。

          各駅停車スンガイコロク行き

         線路脇に多く放置されている壊れた車両

         同じ車両に乗り合わせた子供達のグループ
          何かの大会に参加した帰り
スンガイコロクまでは各駅停車で4時間。途中でもう一本の急行に追い抜かれた。駅で先に行った急行は、各駅停車の前の列車が遅れたのかと思ったが、どうも2本前の列車が2時間以上遅れていた様だった。各駅停車は窓が開き、風を感じながら車窓の風景を楽しむ事が出来る。森や湿地帯や川や田圃と行った田園を通り過ぎて行く。途中の小さい駅や少し大きな町の駅に停車しながら進む。

           全部3等車

           山

           川

          湿地帯

     南部に行くに従ってゴムからアブラヤシのプランテーションに

         途中の駅

         南に行く程イスラム寺院

 スンガイコロクには予定より1時間遅れて到着。駅や街のあちこちで自動小銃を持った兵士の姿が在る。タイ最南部のやや緊張した雰囲気が感じられる。此処から国境までは歩いて10分程。バイクタクシーが声を掛けて来たが歩く。

           スンガイコロク駅

           駅正面(これが?)

         少年少女達も乗合いで帰って行った

          スンガイコロク駅前大通り
           国境はこの先

 炎天下を歩いて行くと市街地が切れ、タイ側のイミグレーションが見えて来た。大勢人が並んでいて10分程並んだ。荷物は持ったままで別に検査は無かった。車で通過の人達は兵士が荷物検査をしていた。大勢並んでいたのはマレーの人が、商売で行き来している人達の様だった。ツーリストと思しき人は数人しか居なかった様だ。マレー、タイの人達はパスポートではなく簡単な書類だけで通過出来る様だ。

          タイ側イミグレーション
          これでタイから陸路国境越えは4度目
 この先に川が在りこれがタイーマレーシアの国境。橋の向う側に、マレーシアのゲートがある。橋の脇に鉄橋があり線路がマレーシアまで続いているが、運行はされて居ない。マレーシア側のイミグレーションは車で入る人と歩いて入る人のゲートが別だった。其所にはツーリストが数人しか並んで居なかった。タイ側に居た殆どは車で行き来している人達だった。

           マレーシア側のゲート

            使用されていない鉄橋
              右側がマレーシア

           マレーシア側イミグレーション
 マレーシアに入り時間を1時間進める。国境を越えるといきなり1時間の時差があり、日時計で言えば同時刻なのだが妙な感じがする。取り敢えずタイバーツをマレーシアのリンギットに帰る。写真やの所で両替出来ると教わり両替した。率は10分の1で交換。国境では両国の金が通用。大雑多な交換率だったが、後のクアラルンプールより良かった。これからパシルマスと言う町までいって、夜行列車で12~13時間掛けてクアラルンプールに向う。
パシルマスまではバスに乗った。

           パシルマス・コタバル行きバス
 パシルマスまで35分程で到着駅前で停まらないので、アレレと思っていたら、近くのバスステーションに到着。駅まで行き寝台車を頼むが、無かった。やむを得ず2等座席で長丁場を行く事にした。まだ3時間程あるので近くの飯やで食事をする。バリでも同じ見のナシチャンプルが有ったので、これで腹ごしらい。喉が乾きビールを探したが何処にも無い。そりゃそーだ!イスラム国家だもの。だからマレーの華人はタイまで行ってドンチャン騒ぎをしてるのだった。

          パシルマスバスステーション


            パシルマス駅


            パシルマスの町

           ナシチャンプルがあった食堂
           テーブルの上の紙包み

            ナシチャンプル
 食堂屋駅に居ると突然のドシャ降り。マレー半島も南に下るに従って、スコールが多く成る。飯を食っていると警官が二人雨宿りで入って来て、こちらを見て見慣れぬ風体と思ったらしく、外国人か?パスポートを見せてくれと言う。町中でこんな事は今までに無かった。少しましな服装だったので、目立ったか!?
 駅に戻りクアラルンプル行き夜行列車を待つ。始発駅で無いので、当然遅れて来ると思ったが、5分程の遅れだった。マレー鉄道東線ではこの列車とあと数本しか急行は無く、後は全て鈍行で本数も少ない。クアラルンプール行き長距離列車もこれだけなので、結構利用客も多かった。それと切符を買う時にシニアと言って40%引きにしてもらった。公称13時間(実際は1時間以上遅れて余分にかかる)の2等で25M$(\750)とメチャ安。

          クアラルンプル行き夜行列車

            2等椅子席
 結局予定では7時55分着が9時15分着くと、1時間20分遅れと成った。タイもマレーシアの鉄道も長距離急行では終点までで1時間以上の遅れは、通常のようだった。単線での途中の待ち合わせ、列車の入れ替え等が重なり、遅れが徐々に累積して行く。そのあおりで当然鈍行も予定の時間に運行出来ない。でも誰も文句を言わない。
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ハジャイ東の山へ

2013-02-11 23:19:40 | タイ
2/11(月)晴暑い
 今朝も爆竹の音がしていた。朝市に行くと昨日同様未だ開いて無い店が多い。通りの角で素食の屋台を出してる小父さんが居る。何時もはお客で賑わっているが、新節中はそれ程でも無い。注文し易いのでここで朝食にした。宿に戻り午前中Dusit Hotelに行ってネットサーフィンでハジャイ東の丘陵地帯の地図をみる。市の中心から東に無線の鉄塔やストゥパがある山が見える。ここまで歩く積りで、Google地図でルートを探した。
 駅前通りトォムノーンビッティ(Thumnoonvithi)を東の方に真っ直ぐ進むと、Prince of Songkla大学に突き当たる。その裏手が山なので、行けば山の上に有る寺に行けるだろうと、歩いて行った。大学に出る前に、道の左側に五重塔が見えて来た。市街からも山の手前に見えていた塔で、大きな門にマハパニャ・ビダヤライ(Mahapanya Vidayalai)と書かれてあった。入ってみると左手にある建物に「大智仏教大学」とあり、お寺ではなく仏教大学だと初めて知った。正面奥には大きな布袋様の象が座禅を組んで居り、左手には五重ならず九重の塔が聳え立っていた。右手には巨大な開祖であろうか椅子座像がある。その奥にお堂が有り其の右手に数百体の僧の像が並べられていた。日本で言えば五百羅漢の像であろうか。





             大智仏教大学
 仏教大学を出て突き当たりの大きなカムジャナバニット(Kamjanavanit)通りを右折、暫く行って、プッナカン通りに左折して入る。この道はソンクラ大学の東側の道で、学生街的な様相を呈していた。ソンクラ大学東門を過ぎると構内に新しいホール群がある。各種会議の為のホールの様で、建設中の様だった。その隣にカラフルな建物が有り、大学関係者の宿舎や学生寮かと思った。門の前まで行くと中学校の看板がありモダンな学校だった。其所を過ぎると左側は山となり、所々に造成した新築の住宅が出来ていた。現在建築中の家やコンドミニアム、マンション等があるが、まだ売れて居ない物件もあった。

            ソンウラ大学東門

            コンベンションセンター

             新築建て売り

             新規住宅街

 右側は学生相手の店や、新団地の様な物が出来ていて、現在も発展中の街だと思わせる。


             学生に人気なスイーツ店

             学生相手の食堂

             工科大学も在った。
何所かに山の上のお寺に入る道があると歩いて行ったが、一向に現れない。この山を廻り込んで北側からの道の様にも思えた。2時間弱炎天下を歩いて来たので、流石に疲れた。山頂の寺に行く事は諦め、引き返した。大学近くまで戻り木陰にテーブルが有る小さな店に入りビールを注文して、喉の渇きを潤した。

 更に戻り広い素食食堂に入り昼食にした。ビールも欲しかったが流石にソフトドリンクしか無かった。仏教大学まで戻り塔に登れるか尋ねてみた。OKと言うので階段を登って行った。ぜんぶで九層の塔で八層目が鐘突き階に成っていた。最上階からのの眺めは素晴しい眺めだった。南にハジャイ市街を一望出来、北は眼下に仏教大学内をその先にソンクラ大学や病院と背後の森に覆われた山が見える。宿に戻ったが結局今日は4時間程歩いた。

           塔から南ハジャイ市街

          塔から北の眺め
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新節の学校パレード

2013-02-10 23:30:01 | タイ
2/10(日)
 朝市に行ったが大半の露店は今日も休みで、閑散としていた。それでも日々に必要な生鮮食料などは、店を出していた。

           新節中の朝市通り
午前中からDusit Hotelでネットサーフィンをしてハジャイの情報を集める。ここで2時過ぎまで過ごしたので、部屋に帰って夕方まで一休み。昨日東の川に行った時に一部暗渠にした所がトレーニング広場になっていた。沢山の器具がセットされていた。誰も日中はその器具を使っている人は居なかった。4時過ぎに成ったので、少しそれらを使ってトレーニングをしようと出かけた。しかし4時と言っても未だ日射しは強く夕方からの方が良かった。12種類くらいのトレーニング機材が有り一通り試してみた。役に立ちそうなのは、腹筋台と腕の筋肉を強くする機材位だった。後はトレーニングには少々物足りない物だった。バンコクには至る所に小さい公園が有り、園に市民の為のトレーニング機材が設置されて居り、利用者も多い。それだけ健康に気を配っている人が多いと言う事か。

          各種のトレーニング器具
 軽く一汗かき宿に戻って来る途中に、獅子舞を先頭に中国服の人達の大パレードに遭遇した。この間お寺と間違えた学校の人達のパレードだった。しんがりはトラックの荷台に太鼓を載せた獅子前の楽団だった。

         パレード先頭
   
          二番目

          後続集団(オカマっぽい人も)

          最後尾
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新節の賑わい

2013-02-09 23:11:38 | タイ
2/9(土)晴
 朝市へ出かけて行くと大方の露天商が休みで、果物や生鮮食料などの店だけが開かれていた。昨日までは正月用の買い出しがあり、それで大混雑だった。米麺の店も閉まって居たので、何時もの素食食堂に行って朝食にした。お茶と言ったらまたビールを持って来てしまった。宿に戻りブログの下書をして、Dusit Hotelに行きアップロードした。今日はWiFiは上手く接続出来た。30分程で電池切れになったので切り上げ宿に戻る。

           朝からあちこちで爆竹

           宿の祭壇前の飾り付け

          店の前で焚火をして福を呼ぶ(?)
           あちこちの店前にはお供え物
 昨日駅前通りを東に歩いて行った時に、お寺の廻りに新節市みたいな所があったで其所を見に行った。行って見ると路地が新節の飾り付けがしてあり、露天が仕込みを行っていて未だ準備中だった。路地の奥がメインのお寺だと思ったら、行って見ると中学校だった。其の周りに木工品や、家具等の夜市が開かれる様だ。人も集まっていなかったので、後にして川沿いを南に下った。この向うがこの前朝に来た、ダイイチホテル付近になる。途中で橋を渡り西に進むと、リーガーデンプラザから南に伸びる賑やかな通り、サネハウルソーン(Snehaursorn)に出た。これを南に下りスリポーンバナート(Sripoonvanart)に出て西に向う。通りは線路を潜る様に成っているが、車道のみだった。脇に歩道の様な部分が下がらないで真っ直ぐに有ったので行って見た。確かに歩道で線路部分のみ潜って通り抜ける事が出来た。しかしこの道殆ど廃道に近かった。線路を渡って進むと右側からウッチトラジャ通りが入って来る。右折してこの通りを北上、駅の北側の跨線橋のある大通りペットカセム(Phetkasem)迄歩いた。この通りは大涅槃仏を見に行った時の通りで、跨線橋を越して市内中心部に戻った。途中でレストランで休憩しながらビールを飲む。夕方まで部屋に帰って休息した。

         リーガーデンプラザ前通りに並んだ祭壇

         ドラゴンダンスも有ったが見過ごした。
 夜リーガーデンプラザ前の歩行者天国に行って見た。大勢の人達で大混雑だった。路上に設置された祭壇には中国の様々な福を呼ぶ神々がきらびやかに祭られていた。道路の上には行灯が飾られ、ネオンの様に輝いていた。夜遅くまでこの賑わいは続いていた。宿に戻っても夜中まで、爆竹と花火の音が絶え間なく続いていた。



              夜の賑わい
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地元の人で賑わうレストラン

2013-02-07 23:40:26 | タイ
2/7(木)晴
 朝近くの食堂で米麺と饅頭を食べる。お茶が欲しかったが置いてなかった。其の足で朝市のヨンサン市場に行った。何時もの朝の買い出しの人達で大混雑だった。路上朝市を通り抜け端に来ると、バナナの皮で巻いた物を焼いてるおばさんが居た。何か分らなかったが買ってみた。中はモチ米で作った餅状のご飯だった。日本のチマキと同じ物だった。これは三角になっていたが、別の棒状の物も有り明日試してみる事にした。バナナの葉っぱを皿代わりに出してくれたので、食べ終わった包みの葉を捨てに裏に回ったら、そこでその品物を作っていた。ココナツのコプラと餅米を混ぜてバナナの葉に包んでいた。



           チマキ(?)
 宿に戻り前日の日記を作成。この宿はWiFiが無いので、困って居たらマスヤーがDesitホテルに行けば無料高速のWiFiが使えると教えてくれた。パソコンを持ってそのホテルに行き、受付に居た娘にインターネットを使いたいと告げた。その娘では分らずオーナーを呼んだので、宿の名前を告げここに来ればWiFiが使えると聞いたと言った。直ぐ了解してパスワードを教えてくれた。通常ホテルでは宿泊客にはWiFi環境を無料提供するが、外来の人には提供しないと思う。多分宿のマスターとこちらのホテルは、縁戚関係にあるのだろう。

           Desit Hotel(同族経営)
 帰りに大きなビル「リーコンプレックスプラザ」の前を通ると、ガラス越しに回転寿しのレスTゾランが見えた。入ってみると一階の一画に鮨レストランが在り、一部が回転寿しの席になっていた。物珍しさも有るのであろうか、結構人が入っていた。ついでに館内をエスカレーターで見ながら登って見た。衣料、美容、ファッショングッズと有り、最上階はシナマコンプレックスになっていた。これはもうバンコクの大型ショッピングモールと同じだった。
 宿に戻る前に素食食堂で惣菜をツマミにビールを飲む。宿に戻り昼寝をしたり、夕方までテレビを見て過ごした。夕方BP Grand Towerホテルの南に、何時も大勢の人達で混んでいる、レストランに入った。地元の人達で賑会う店で、料理の注文用紙にチェックをいれて注文する形式だった。チャンビールの宣伝ウェアの娘にビールを注文。メニューは聞くとタイ語の注文伝票を持って来た。分らないと言うと、店先のケースを示し其所で注文しろと言う。一品魚の煮付けを注文、隣の大勢のグループのテーブルのアサリバタの皿を指差し注文。テーブルの人達はアッケに取られていたが、注文が分らぬ場合はこれが一番。幸ここは次々に家族連れや、グループが入り常に満席状態。上手そうな料理を見つけるのに不便は無い。ビールを注文した娘はキャンペンガールなのか、グラスが減ると直に注ぎに来てくれた。


             何時も大盛況なレストラン

  サービス満点のキャンペンガール
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大涅槃仏寺へ

2013-02-06 23:06:05 | タイ
2/6(水)晴
 朝8時過ぎに目を覚ます。近くに麺類を若い娘達が働いている食堂で米麺を食べる。昨日の二人連れに市場の場所を聞いていたので、散歩に行って見た。スパサルンラングサン(Suphasarnnangsan)通りの北側一帯がキムヨン市場で衣料雑貨、生鮮食料などの大きな市場に成っている。特にニッパト・ウツット3通りは路上朝市で大勢の人と物と車で大混雑の盛況を呈していた。朝市をブラついて、帰りに昨日の素食食堂に朝飯を食べに入った。ご飯に3種類の惣菜を載せて、飲み物はと言うのでお冷やをくれと言った。そしたらビールを持って来てくれた。エッツ??朝からビール?、でも線を開けてしまっているので、要らないとは言い難い。何時も惣菜にビールなので、店員のおばさん気を利かせたらしい。

         ヨンサン市場




            ニッパト・ウツット3通りの朝市
 福振興旅社に戻り、駅から3キロ程西に大涅槃仏が祭られている、ハット・ヤイ・ナイ寺院が有ると言うので、歩いて行ける距離なので行って見た。駅の北側の線路を高架道路で跨ぎペットカセム(Phetkasem)通りを西に向う。高架道路にはハジャイ歓迎のゲートがあり、高架の下は古物商や、鍵や個人移動出店に成っていた。
 暫く行くと警察署、学校、軍病院などがあり、大きな川の橋を渡った右手にその寺院が見えた。寺の入口の路地は市場になっていて、ここにも生鮮食料などが露天に店を出していた。立派な門を入ると子供達の賑やかな声がして、境内内に学校が在った。奥に進むと左手に大きな伽藍が在り、そこに長さ34m高さ17mの大涅槃仏が横たわっていた。境内を一周して、寺院脇の川に沐浴場の階段が在る所で一休みした。

            跨線橋のハジャゲート

            跨線橋からのハジャイ駅

           警察署(入国管理事務所も)

            門前路地の市場

           ワット・ハット・ヤイ・ナイ

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宿を替える

2013-02-05 23:46:06 | タイ
2/5(火)晴
 朝8時に起床。昨日行った川の東に行った。大きな中国寺院が二つ程あった。Lamai Songkhro通りに大勢の客で賑わう食堂を見つけた。店先に小さい蒸篭器が沢山積み上げられているので点心の店だと一目で分かる。入ってテーブルに着いたが、注文の仕方が分らず、暫く他の客の様子を見ていた。店先に並んだ点心の蒸篭を食べたいだけ選んで、店員に出せば良いのだった。その時一緒にテーブル番号を告げると、点心を蒸かして持って来てくれる。ここに来る途中で饅頭2個を食べていたので、3種類の点心を頼んだ。他の客がバックテー(肉骨茶)と言う、土鍋スープを食べていたので私も注文した。この店の点心は有名なのであろう、客が引っ切り無しに訪れ大盛況の有様だった。

         中国寺院




         大盛況の「好運肉骨茶」点心店

 宿に戻り午後3時までブログの作成をした。素食形式の飯やに行き、惣菜をツマミにビールを飲注文した。二人の男性が飲んでいたテーブルの隣に運んで、一緒だね見たいな仕草をした。何かなーと思っていたら、そちらの二人も日本人だった。ハジャイに住んでいるらしく、いろいろ話をした。この街でも大使館の把握してるだけでも、50名程の日本人が居るとか。宿を聞かれたので、駅前通りのロビンソン脇のルイスゲストハウスと答えた。いくらなの?と聞くので400/日だと言うと。もっと安い宿があると教えてくれた。1時間程雑談して別れて帰る途中で、そのホック・チン・ヒン(福振興)旅社を覗いて見た。一階が軽食堂に成っていて、奥がレセプションだった。部屋を見せてもらう。一泊220Bでルイス程広くは無いが、清潔で同等のクオリティなので、こちらに変更することにした。ルイスにもどりチェックアウト、前払い分の払い戻しが利かないので、二日分800Bは捨てる事にした。


           ホック・チン・ヒン(福振興)旅社
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列車でハジャイへ

2013-02-04 23:43:40 | タイ
2/4(日)晴薄曇り
 13時に宿をチェックアウトした。センチュリーモール(ビクトリア駅)まで歩き29番バスでファンランポン駅に向う。これから列車でタイ南部最大の商業都市ハジャイに行く。まだ発車まで1時間半も有るので、駅前の食堂に腹ごしらえをと入った。奥のテーブルに迷彩服姿の軍人が数人、女の子を連れて飲んでいた。休暇で息抜きに来たのかと思っていた。
 1時間程前に駅に行きハジャイ行きの列車のホームを確かめ、9番ホームに行った。列車は既に入線していて、自分の乗る寝台車を探した。

        2等寝台列車(列車清掃中)
ハジャイまでは急行で18時間、一晩過ごすので寝台列車にした。3等車の所に、先程食堂に居た軍人達が荷物を入れ乗り込んでいた。休暇だと思ったのは間違いで、これから南部へ派遣される為に、時間待ちをしていたのだった。南部ハジャイ方面はイスラム色が強く、武装勢力も活動している。タイ政府も警戒地域として、国軍を派遣して治安の維持に努めている。そんなちょっときな臭い匂いのする地域でもある。
 列車は定刻に発車、暫くは北に向かい分岐点で西に向い、そしてマレー半島に入って行く。タイの列車もイギリス式なのか、発車のベルの合図もアナウスも無い。時間になると黙って発車する。始発駅では見送りの人等が一緒に居たので、結構乗っていると思ったが発車してみると、可成り空いて居た。しかし途中駅を幾つか過ぎてバンコクエリアを抜ける頃にはほぼ満席に成っていた。やがて検察が来て切符と座席をチェック。2等寝台車は昼間は対面の二人席で、夜は二段のベッドとなる。上段ベッドの向いの席には青年が恋人とやって来て名残を惜しんでいた。
 車窓を眺めながら過ごしていると、途中の駅で物売りが次々に乗り込み、飲み物や食べ物、土産物などの売り声を響かれながらやって来る。夜7時頃乗務員がベッドの作成にやって来て、座席を二段ベッドに作り替えた。横になって、やる事も無いので早いが寝る事にした。何度か夜中に目を覚ましたが、何処を走っているか検討が着かない。どうせ夜明けまで外の景色は見られないので、そのまま寝続けた。

           途中の駅

          途中の駅で待ち合わせ
 朝6時半頃からようやく薄明るくなって、外の景色が見える様に成った。ゴム園や田圃の続く田園の中を走っていた。停まる駅名で時刻表と比較してどの辺りか探したが、時刻表に無い。途中の小さい駅名は表には載っていなかった。ようやく表に有る駅に来たので時間を比較すると既に1時間半程の遅れだった。この分だとハジャイには9時15分到着が10時45分頃に成る。途中の駅に着くと、車内放送は勿論無く、乗務員が駅名を告げながら歩くだけ。途中の駅で下車する場合気をつけないと、寝過ごして乗り過ごす危険が有る。予め乗務員に下車駅を知らせて置き、起して貰わないといけない。

          ゴムのプランテーション

            田圃(稲は直播き)
 それまでは田園地帯で市街地等は殆ど見かけなかったが、高層ビルが見え市街地が現れるとハジャイだった。ホームに降りると迷彩服の銃で武装した兵士が多数居て、他の駅とは感じが違う。バンコクからの兵士達もここで下車していた。駅を出て駅前の通りを少し行った所にゲストハウスの看板があった。他のホテルを予定していたが、入って部屋を見せてもらった。通り沿いダブルベッド、ファン呑み、シャワートイレ付きと一般的な部屋。一泊400B(¥1200)と言うのでルイス・ゲストハウス(金吉大旅社)にチェックインした。

          ハジャイ駅ホーム

           ハジャイ駅



        ルイス・ゲストハウス(金吉大旅社)
 初めての街なので早速周囲を歩き廻った。駅前の東西通りには金行が軒を連ね、その先におおきなショッピングモールが建って居る。これと直角に交わる南北に走る通りが5本あり、南のスリポーオバナルトに行き当たる。この一帯がハジャイノ中心市街で最も賑やかな所。駅前通りより2本北側の大通りの北側一帯がキムヨン市場で小売店鋪が犇めき合って活況を呈している。素食(ブッフェ)形式の食堂も有り、食事をここでした。

         ショッピングモール

          ノボテル

         キムヨン市場
コメント
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