小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

野生馬の保護区

2008-08-20 23:13:20 | モンゴル
8/20 HUSTAI(フスタイ)国立公園へ

ハルホリンからウランバートルは目と鼻の先で29日間のツアーも残す所後一日です。今日はウランバートル手前のモンゴル馬の保護区となっている、Hustai(フスタイ)国立公園までの行程です。
 まずハルホリンから北上し、8世紀に栄えたチュルク(突蕨)帝国の遺跡ホショーツアイダムに向いました。草原の中に白い塀で囲まれた中に大きな石碑がポツンと建っていました。この石碑は帝国の王ビルゲハーンの弟キョルテンギを讃えるもので其の孫が建てたと言われています。石碑には漢文とチュルク文字が刻まれています。漢文は玄宗皇帝起草のキョルテンギの死を悼むものて、チュルク文字はチュルク帝国の栄光の歴史が記されています。このチェルク族が西に移動してセルジュクトルコと成りトルコ帝国を築きました。この碑文もトルコの費用でこのような立派に整備されたそうです。

  ホーショーツァイダム
 更に北上してOgiy(オギイ)湖の南岸を通って東に向いウランバートルに続くメインロードに出ました。途中メインロードを外れ、10世紀に契丹人の建国した「遼」の都城遺跡ハルボヘン・バルガスに寄りました。数キロ四方の土塁に囲まれ、土塁を乗り越えると石積みの城壁と建物が見えます。近づくと壁面が真っ平らに揃えられていました。石組みの高度な技術に目を見張ります。これらの建物はスレートを使用して、17世紀初頭に造られ、今は外壁だけが残っていました。

  「遼」の都城遺跡ハルボヘン・バルガス

    壁面が平に揃えられた城壁
 メインロードに戻り更に東へ。Lun(リィン)と言う町で給油をして、南のなだらかな山に入って行きました。やがてモンゴル野生馬を保護しているHustai(フスタイ)国立公園に到着。

     Hustai(フスタイ)国立公園ゲート
 モンゴルには放牧された馬が沢山居て、どれが野生馬か人が飼っている馬かまるでわかりません。この保護区に居る馬はかってモンゴルに生息していて絶滅してしまった馬なのです。モンゴルには居なく成ってしまったのが、ポーランドで生息しているのが発見され、この地に戻しその血統を守っているのです。再発見者の名前を採ってPrzewalski(プルジョワルスキー)馬と呼ばれています。
 早速レンジャーに案内されて公園内に入って行きました。馬は幾つかの群で自由に公園内で暮らしているため、探さなくては成りません。丁度アフリカの動物サファリの様です。この時は幸運にも少し行った所で4・5頭の群を見つけました。野生動物と同じで、そろーっと近づかないと、逃げてしまいます。こちらが近づくとその分だけ離れるので、中々近くに寄れません。
 このモンゴル馬は外来種より小さく、ロバの様な感じのでシマウマの近縁種の馬です。暫く遠くから眺めていましたが、やがて立ち去って行きました。



    プルジョワルスキー(モンゴル)馬
この日は公園ゲート近くに食堂やシャワーやトイレを完備した、ツーリストキャンプが有るのですが、そこには泊まらずメインロードに出る途中の、現地のゲルに泊めてもらいました。其の脇にはモンゴルの人達がトラックでツアーをしてる様な一団が、野営をしていました。

      公園近くのゲルに宿泊

8/21 ツアー最終日
今日はいよいよ最終日。ウランバートルに戻ります。約半日行程なのでゆっくり出発しました。お昼頃にはウランバートルに到着。全員で久し振りにちゃんとしたレストランに行って食事をして今回の旅を終えました。

アルバム(2008/08/09モンゴル日食の旅)
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チンギスハンの都カコルムが在ったハルホリン

2008-08-19 23:10:19 | モンゴル
8/19 ハルホリンへ

 温泉を後にして、谷を下りTuvshruuleh(ツェフシュリューレー)の町をに出ました。此処からメイン道路を東に向い、途中から脇道に入り峠を一つ越えHotont(ホトント)の町に到着。峠を越してから所々で道路(車道)を作っていました。地面に土を盛り度してローラで固めただけの道です。道を横切る水を通す為に土管の敷設をしており、道路はあちこちブツブツ細切れ状態で、すぐに交通止めと成って居てせっかくの道路が走れない。Hotontを過ぎてから道が舗装され、車のラフ道路のガタガタ言う音が無くなり急に静かになった。舗装区間は短く間もなくHarhorin(ハルホリン)に到着。
 Harhorin(ハルホリン)はモンゴル帝国を作った、チンギスハンが都を築いた場所です。勝手は広大な都で世界中から商人が集まった世界都市であった。現在はエルデニーゾと言う寺院が残っているだけですが、モンゴル観光の目玉と成っている所です。それだけに観光客用のツーリストゲルやホテルが、多数あり観光客も多く集まります。

       ハルホリン
 早速エルデニーゾ見物に出かけました。この寺院は周囲を白い塀で囲まれ、其の上に屋根を持った塔があります。この塀は南北数百メートルにも及ぶ長大な物なので、遠くからでも目立って見えます。幾つかのグループのツーリストが一緒にガイドの説明を受けました。寺院はチベット仏教風の本堂と其の脇に二つの何層かの屋根を持つ堂が有り、見事な彫刻があちこちに、施されて居ました。中央の堂には大きな仏像が安置されています。左右の堂には、仏像の他に壁に仏画が多数描かれていました。この三つの寺院の他に、仏塔や僧が修行する建物などが残っていました。こちらでは、お祈りをする時間に大勢の信者が詰めかけ、お札や護符を授かっていました。建物の他に僅かに壮麗な都を偲ばせる石塔や、青銅製の大鍋などがポツンと置いてありました。

         ゴルパン寺


         ラブラン寺


   チウンギス・ハーンが煮炊きに使った鍋

 このエルデニーゾはチンギスハンの都のほんの一部だと言うので、其の規模の大きさが思いやられます。この寺院の敷地の外に有名な石の亀の像があります。この石の亀は石碑を乗せていたと言われています。現在3体が残っているそうです。寺院近くに有るのが最も有名ですが、ハルホリンを囲む近くの丘の上に有る亀を見に行きました。丘の上には巨大なモニュメントが建ち、現在のモンゴルとチンギスハーン時代の版図がモザイクで壁に描かれてありました。
 亀石はモニュメントとは別の丘にポツンと置かれていました。僅かに地べたに骨董品を並べたお土産やが有るだけでした。そこから少し下った所に子宝の石が残されいました。こちらは民間信仰としても人気があるらしく、モンゴルの人達も大勢来ていました。

     モニュメント前のお土産屋

          亀石

        子宝の石
この日はエルデニーゾ近くのツーリストゲルに泊まりました。

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Tsenher(ツェンヘル)温泉へ

2008-08-18 21:00:44 | モンゴル
8/18 Tsenher(ツェンヘル)温泉へ

朝ツーリストゲルを出発。昨日火山へトレッキングした同じ道を行く。火山の東を通り南に向う。振り返って火口丘を見ると南側は木が生いていなくて、黒い溶岩の丘となっていて、火山だと言う事が一目で分かる。溶岩原が広大に広がり平原をなしている。その溶岩原を過ぎて草原にでても、火山弾となって飛んで来て固まった噴石が可成りの遠方まで見られた。爆発の規模の大きかった事が分かる。

      南側から見た火口丘

         溶岩原

 山間から平地に出で、Tariat(タリアット)と言う町で車の給油をする。小一時間程走ると、大地を鉈でスッパと切った様な深い谷の脇に出る。川が浸食して深い谷を作ったのでしょう。遥か下の谷底に川面が見えました。この脇に百枝の樹と呼ばれる、針葉樹(多分松?)の大木が有り、枝を無数に広げています。根元には石が積み上げられ、枝には青い布が沢山掛けられ、オボと成っています。旅人は時計回りに3回オボの周りを廻って、旅の安全を祈ります。

       Triatのガソリンスアンドで

        キャニオン

       百枝の樹

 それから二時間程走り、Shar Bulagiyn峠を超えてIhtamir(イフタミル)と言う町を過ぎる。さらにTsagaan Uanus(ツァガーン・ウラヌス)峠を越え大きな町Tsetseleg(ツェツェレグ)に到着。Ulaangom(ウラーンゴム)以来の大きな町でした。ここで小奇麗なレストランに入って昼食を食べる。モンゴルの大衆食堂での料理はメニューに無くて、注文に困りました。ここのザハ(市場)で飲料水や野菜を買い入れ、ビールを探したが見つからず、スーパーマーケットを訪ねて、やっと手に入れました。

      Tsetseleg(ツェツェレグ)の町

      ツェツェレグのバザール
 Tsetseleg(ツェツェレグ)から南に向い峠を一つ越えて、緩やかな谷に入る。谷間には多くのゲルが建ち並んでいて、幾つかのツーリストキャンプとなっていた。その内の一つNatiseland Tourist Campのゲートを潜る。谷の向かい側は松の森と成っており、其の下縁から温泉が湧き出しています。湯気がモウモウと立ち昇っていますが、硫黄の匂いはしませんでした。
 ここのツーリストゲルは20張り位有り、平屋の食堂、シャワー&トイレが別棟で在りました。そのほかに露天風呂と日本の木の風呂桶風な、やはり露天の風呂が二つありました。露天風呂は40度位で丁度良い温度にしてありました。実に久し振りにお風呂に入る事が出来、体が休まりました。

     Natiseland Tourist Campのゲル

         源泉

      露天風呂

     日本式(?)風呂

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火山へ馬でトレッキング

2008-08-17 23:16:30 | モンゴル
8/17 火山へ馬でトレッキング
この湖の近くに、噴火口を持つ火山が有ると言う。今日はそこまで馬でトレッキングすることになった。まずここでも、放し飼いに成っている馬を集めて来る事から始まる。それまで可成り時間が掛かるので、背後の尾根に登って見た。尾根上は岩が露出していたが、斜面には一面にブルーの球状の草花が咲いていた。日本では見られない花でアザミの仲間だった。尾根の反対側は崖になり下には別のツーリストゲルが有り、湖岸に続く先の方にも幾つかのツーリストゲルの群が見えた。

    タマアザミ

   尾根向うの他のツーリストゲル

 昼近くようやく馬の用意が出来て出発。湖岸沿いの道を進む。先ほど登った尾根が湖岸に伸びる岬を廻って行く。尾根上から見下ろした別のツーリストゲルの脇を過ぎて行くと、馬が先に進もうとしないでゲルに行こうとする。実はこの馬達はここから借りて来た馬だった。飼われているゲルの方に戻るつもりで、ガンとして前に進もうとしません。仕方無く、ブラジル人カップルは馬を捨てて歩いて行きました。私の馬はどうにか歩いていましたが、ゲルを離れるにつれて戻ろうとして言う事を聞かなく成りました。仕方無くガイドの少年が、手綱を引いてくれて何とか進む事が出来ました。
 峠を一つ越えると反対側に別の風景が広がっていました。右手に木で覆われた、お椀を伏せた様な丘が見えこれが火山だと言う。峠を降りて平らな道を進んで行くと右側が疎らな針葉樹の森となっています。その根元を見ると溶岩流が冷えて固まった地面になっています。多分噴火で溶岩が流れ出て固まった後に森が再生し疎らな森と成ったのでしょう。

          峠

     溶岩原の森と火口丘(峠の下りは歩く)

 この森を迂回して噴石の岩がゴロゴロしている所に車道があり登山口へ。此処に幾つかの茶店が小屋掛けしていました。馬を此処で下り、ガイドの少年を待たせて徒歩で登って行きます。途中で馬を捨てて先に歩いていた、ブラジル人カップルに追いつき一緒に頂上へ登って行きました。急斜面を30分程登って行くと、火口の縁に着きました。登り始めるまで小雨模様だったのが、火口に着いた時から天気がよく成り、晴れて来ました。
 火口は擂鉢状に成っており底に僅かに水がたまっていました。30程で火口のお鉢周りが出来ました。南西側に行って見ると山腹に爆裂火口が二つもあり、大量の溶岩が流れ出し、溶岩原を形成し、黒い地肌と成って広がっています。そしてこの溶岩が川を塞き止め、天然のダムTerhiyn Tsagan(ツェルヒイン ツァガン)湖を作った事が分かりました。それでこの湖が淡水湖なのだと合点が行きました。


          火口

      爆裂火口と溶岩原

 火口を一周して休んでいると湖の方から、雷雲が近づいて来ました。慌てて下山をしましたが、登山口に降りた時には土砂降りの雨と成ってしまいました。暫く雨が止むまで小屋掛けの茶屋で休む事にしました。この茶店は子供達がお茶やお菓子ブルーベリーの瓶詰めなどを売っている、屋根と囲いをビニールシートで覆っただけの小屋(?)でした。ガイドの馬を引いてくれた少年も、此処で待っていました。
 帰りは馬に乗らずに、溶岩原を横切って歩いて行く事にしました。来る時に越して来た峠の方向にを目指し、一直線に歩いて行きました。溶岩流が流れた跡が波状に成っていて、平らな所もあれば、小山や谷状に凸凹に成っている所もあり、歩ける所を探しながら横切りました。この溶岩原には針葉樹が疎らに生いて、森と成っていますが溶岩の間から野生のネギが生いているのを見つけました。その他にリンドウや真っ赤なナデシコの花なども有り生命の逞しさを感じました。


      ナデシコ     リンドウ
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天然ダム湖へ

2008-08-16 23:18:22 | モンゴル
8/16 天然ダムTerhiyn Tsagan(テルヒイン ツァガン)湖へ
 
朝、Bust(ビュスト)湖を出発。幾つかの尾根や谷を越え川筋下り、峠を二つ越えて街道に出る。この途中谷筋一面にヨメナに似た花が咲き乱れ、花のジュウタンを敷き詰めた様になっていました。谷を出るとまた広大な平原と成りTosontsugel(トソンツゲル)の町に到着。ここで休憩しながら、町の食堂で昼食をとる事にしました。見ると食堂前の通りに大勢人が集まっていました。何だろうと覗いて見ると、牛乳などを入れる大きなアルミ缶に一杯粒状の物を売っていて、これに大勢人が群れていたのです。ブドウかと思った紫の果物はブルーベリーで、売り手も見物人も沢山出ていました。

      花のジュウタン

    Tosontsugel(トソンツゲル)の町

       大通り

      路上マーケット

       ブルーベリー売り
 食堂に入って添乗員のゾラが皆の希望を聞いて、注文する時に一騒動。アメリカ人のターニャが注文を後に回されたので、無視されたと思って、怒って店を出て行ってしまいました。ご主人のレックさんも後を追って店を出てしまいました。後に残った我々は後味の悪い思いをしながら食事をしました。結局二人は戻って来ず、二人の食事はパックに詰めてもらって店を出ました。

        町のレストラン

 町を出て大きな川の畔でふたりの食事の為に休憩時間を取りました。しかし時既に遅く二人は別の物で昼食にした様でした。ここで天気も良いので、朝露で濡れてしまったテントを広げて乾かしました。

        テントを干す

その後川に沿って無舗装ながら立派な道路を登って行くと、山間の所でチェックポストが有り車を停車させられました。ここで運転手と、添乗員のゾラが対応して居る間、30分近く待たされました。トラックで家族でゲルと伴に移動している家族も検問を受けていました。
 大きな峠を越え、尾根筋に沢山の石を円形に敷き詰めた墓らしい所や、風化によって様々な形のオブジェに成った岩などが、有る所を過ぎて行きました。やがて広大な盆地状の所に出ました。Tsahir(ツアヒル)と言う町を過ぎ、街道から離れ草原の中の長い長い下りに入って行きました。所々に湖が有り、氷河がに削られた氷河湖の様です。2時間程走り大きなTerhiyn Tsagan(テルヒイン ツァガン)湖が見えて来ました。湖岸の北側を可成りの急勾配の斜面を横切って行きました。この湖は通称White Lakeと呼ばれています。この湖岸には幾つかのツーリストゲルが点在して居ます。その内の一つに宿泊しました。この湖は淡水湖で、大きな魚イトウが釣れると言う事でした。後で分かったのですが、この湖は火山の溶岩流が川を塞き止めて出来た、自然のダムだったのでした。そのせいで周りを山に囲まれ、湖岸が急斜面となっているのでした。



  Terhiyn Tsagan(テルヒイン ツァガン)湖

      ツーリストゲル
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雲上の湖へ

2008-08-15 23:52:36 | モンゴル
8/15 Bust(ビュスト)湖へ

Songinoの基地に泊り、更に東に進む。途中Tudevtey(ツデフテイ)と言う小さな町を通ぎ、微かな轍の跡しな無い草原を走る。何かを探してジグザクしていたので道を見失ったかと思ってたら、ポッツンと石碑と青い布を巻いた柱が裁っていた。石碑にはモンゴル文字が刻まれていました。添乗員ゾラの話だとモンゴルの仏教の高僧の生誕の地だとの事。この石碑も比較的新しく、最近建てられてた様子で、元は白い岩が置いて在るだけでした。街道から外れ、見渡す限りゲルも無く、訪れる人も無い様な佇まいでした。

    高僧の石碑

 さらに車は全く轍も見当たら無い山の中へ。幾つかの山を越えようやく数張りのゲルを見つけ住民に道を聞く。さらに尾根や谷を越えて、森に囲まれた、真ん中に島の有る湖に到着。静寂な幻想的なBust(ビュスト)湖です。湖畔には2家族位の数張りのゲルが有るだけ。その場所からは離れた湖畔にテントを張る。張り始めた頃から風が出て雷雨となった。急いでテントを張りだしたが、テントの張り綱を固定する石が無く、離れた所から大きな石を探して持って来た。今日は満月であったが月の出はこの雷雨で見られなかった。夜半に目を覚ますとテントの中が、満月の光で昼間の様な明るさとなっていた。


       静寂なBust(ビュスト)湖

 翌朝湖畔に在るゲルに立寄り、馬乳酒と道を聞いた。丁度住人達は朝の家畜の放牧にの準備に余念がなかった。子供達も馬に乗って放牧の手伝いをする。

      湖畔のゲル


      子供達も放牧に
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今日の宿は兵舎?

2008-08-14 23:56:50 | モンゴル
8/14

Har Termes(ハルテルメス)温泉にに着いたのは、出発が午後だったので夕方に成ってしまった。添乗員ゾラが夕食に揚げパンを作ってくれた。小麦粉を練る所から始めて8人分出来たのは、9時を過ぎていた。空腹耐えていたので鱈腹食べてしまった。挙句朝に成って、下痢になってしまった。車で長時間の旅で下痢はきついので、出す物を全部出して絶食することにしました。
 幻の温泉を後にして、南北に東西に連なる山脈の間の草原の回廊を東へ東へと走り続けます。途中でラクダの群を見たり、ポツンとお寺が在ったり、ゲルのドライブイン(?)が在ったりしました。この街道を行き来する人々が立ち寄って食事を取る事ができます。私達もここで昼食ですが、私は今日一日は絶食中なので昼飯抜きです。

        ラクダの群

      草原の中のドライブイン

         仏塔
 
 昼食後再び草原の回廊を東に進みます。この街道は時折り羊毛を満載したトラックが土煙を上げて往来していました。遥か彼方からでも土埃が見えて、まるで飛行機雲の様でした。そんな車とすれ違う時は、別の轍に入り土埃を避けて通ります。モンゴルの道は一部の都市近辺は舗装道路ですが、基本的に轍の在る所が道路です。それで主要道路と言っても幾つもの轍が入り交じっていて数車線道路(?)となっています。

        街道を行くトラック
やがて平原の中に寺院の有る小さな町、Songino(ソンギノ)に着きました。商店街などは見当たりませんが、町外れに銀行が在りました。その近くに軍の基地らしき所がありました。周囲を板塀で囲み、一応監視櫓の様な物が有ります。添乗員が今日はホテルに泊まると言うので、こんな小さな町にホテルなんて有るのかと不思議でした。すると基地に向いました。ハテ?ここはツールリストのチェックポストだったのかと思っていたら、基地から帰って来た添乗員が此処に泊まると言うのです。エー??
 基地内は平屋の建物が数棟、トラックなどの車両が数台、武器らしき物は見当たらず。唯一軍の基地だと思われる物は移動式のレーダーらしきアンテナのみ。あとは塀の中はただの空き地でした。本当に此処は基地?でもやはり迷彩服を着た人達が居たのでやっぱり基地でした。女性兵士も居ましたが、全員で4・5名のしか見かけません。一体何人居るの?と聞いたら、それは秘密事項だと笑っていました。我々は兵舎の一部屋を借りました。兵舎にしては室内が奇麗に飾られているので、多分将校室なのでしょう。それでベッドが4つしか無く簡易ベッドを入れてもらいました。軍の施設に外国人が泊まれるなんて、摩訶不思議です。

       Sangino(サンギノ)

        町外れの寺院

         軍の基地

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温泉保養地?

2008-08-13 22:29:55 | モンゴル
8/13

         ルート図
Ulaangomでとんだ夜のハプニングが有って翌日、バザールで食料品や飲み水を補給して、午後の出発と成りました。Ulaangomから東に進むと、左手水平線ににブルーの湖が現れました。透明度抜群のUVS(ウフス)湖でした。

       HVS(フブス)湖
メインルートはこのまま東進するが、南東に下り高原状の乾燥地帯を進む。


Naranbulagと言う小さい町を過ぎて東に進路を取る。やがて大きなHyargas湖が見えて来た。この湖も塩湖でこの周りは草木も無い砂礫となっている。湖の北側に岩山があり、その下に大きな白い建物と木造の小屋が数棟、さらにゲルが4張り建っている。

       Hyargas(ヒャルガス)湖

       Har Termes(ハルテレメス)温泉

       湯治小屋

        ツーリストゲル
地図にはHar Termes(ハルテルメス)温泉と出ていたが、温泉の匂いも、湯気も見当たらない。不思議に思っていると、勝手はお湯出て有名な保養所だったが、温泉が枯渇してしまったらしい。現在は木造の湯治宿が学校の夏のキャンプ等に使われているようでした。この時も子供達が大勢来ていました。結局大きな白い建物には泊まれず、ツーリストゲルで過ごしました。温泉に入れると期待していたのにガッカリ。仕方なく湖で体を洗おうとしたが、風が強く波が荒いので洗濯だけにしました。
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Ulaangom(ウラーンゴム)夜話

2008-08-12 23:58:38 | モンゴル
8/12
Uureg湖での岩絵を見て、この辺りで最大の町Ulaangomに行きました。可成り大きな町で広い大通りに面して大きな建物が並んでいました。この日は流石にホテル宿泊です。このホテル、カラオケバーも有り夜の遊び場の様な感じでした。部屋は3部屋しか取らなかったので、私はアメリカ人女性のAmieと一緒と成るので困りました。結局私運転手と一緒に別のホテルに泊まる事にしました。こちらは1ランク低いホテルで、部屋も上等では有りませんでした。しかも久し振りのシャワーも朝しか、お湯が出ないと言う事でしたが、全然ダメでした。夜は久し振りに町のレストランで食事をし、冷たいビールを飲む事が出来ました。

      Ulaangom(ウラーンゴム)

          ホテル

         市   場

 食後皆でバーに出かけました。何軒か覗いて見ましたが、音楽がうるさく無い店で飲みました。お開きにした後、運転手と私が残ってウォッカのボトルを入れて飲み続けました。11時を過ぎたので店を出て、ふたりともトイレにをしたく成ったので、道路脇の暗がりで用を足していました。するとライトで照らす者がいます。通行人と思ったがこれが警官。アーゴメンナサイで済むと思ったのですが、運転手と言い合いに成りました。結局二人ともパトカーで警察署に連行され、4・5人の警察官に囲まれ詰問されました。私はたかが立ち小便でと思っていたのですが、よそ者に対して厳しいようでした。運転手は懸命に弁明していましたが、聞き入れられませんでした。結局運転手は罰金を取られ、無罪放免と思い際、警官二人がホテルまで付いて来ました。ホテルの宿帳を調べたのですが、私は実際には運転手と別なホテルに泊まっていたので、そのホテルまで来て宿泊確認をしてようやく無罪放免となりました。とんだUlaangom(ウラーンゴム)の夜話でした。
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古代の岩絵

2008-08-12 23:18:22 | モンゴル
8/12
 地図を見るとこのUureg湖の側に、古代の岩絵が有る事が分かりました。Podchin渓谷とTsengel付近の岩絵は見逃したので是非見てみたいと思いました。しかし有名なガイドブックLonly Planetにも出ていません。勿論添乗員も、運転手も知りません。幸いゲルの人達がその場所を知っていました。そこで彼に案内してもらいました。湖から西に30分程行った岩山に続くなだらかな斜面の草原に岩の丘が有り、そこの岩に線画が描かれていました。狩人が弓で獲物を狙う図です。所がこの人物像は帽子を被っていて、チンギスハンの時代の物ではないかと、思われました。我々が期待したのは数前年前の狩猟民族時代の岩絵だったので、ちょっとガッカリしました。

      モンゴル帝国時代の岩絵(?)

 他にも有ると別の場所に連れて行かれました。草原の中に塚の様になった岩が有り、そこのあちこちの平らな部分に数センチの小さい無数の線画が描かれていました。殆どは動物で、ウマ、オオカミ、オイベックス、ウサギや狐その他何か分からない文様でした。これ、これ、これですよ。私達の見たかったのは!OlgiiやHovdの博物館で見たレプリカの岩絵の実物、数千年前に描かれた岩絵。しかしこの貴重な人類の文化遺産もまったくの野ざらし状態。風化するままに成って居て、保存措置がされていません。このままではやがては消えて行き、岩自体が風化して砂と成ってしまう様です。

         岩絵の有る岩

       有った!岩絵だ!





         数々の岩絵
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