小牧の旅のあれこれ

あちこち旅をしている時のあれこれ

最後の歩き(トレッキング3日目)

2008-01-19 23:24:52 | トレッキング
2008/01/19 
トレッキング最終日
前日の夜明け前の星空が素晴しかったので、今日は5時半に友人達も起こして眺めました。窪地のこのWang Ou Campでは見える空が少し少ないが流星も何個か見られ、満点の星空を心行くまで堪能する事が出来ました。山の端に上がって来る星を見ていると、高度が少しずつ変わって行くのが分かり、あー地球が動いていると実感します。
 空が少し白んで来る頃になると、森の中から鳥の鳴き交わす声や、鶏の時の声が暫し聞こえて来ます。金星を残し他の星々が消え去った日の出前の一時、東の空が茜色に輝き、オレンジ、黄色、白と変化し日の出を迎えます。地表は朝露でシットリとなり、田に植えられたトウモロコシや大豆の葉に、露が光っています。やがて日の光が射すと、霧となって消えて行きました。

          暁

          朝露
 夜が明けても誰も起きて来ません。寒いので残り火に薪をくべ身体を温めました。10匹近い犬達も焚火で暖を取っています。燃え残りの丸太を枕にしている犬は、木が燃え出しても起きようともしません。

    寒いよ~!(焚火の周りで暖をとる犬達)
8時過ぎにようやくガイドが起きて来て、お湯を沸かしてコーヒーとお茶の用意をしてくれました。我々だけ先に朝食を済ませても、他のバンガロー組は起きず、ガイドが起こして朝食を済ませ出発したのは11時だった。
 無舗装の車道を20分程歩き町に下る。下る途中、他の幾組かのトレッカー達の車と擦れ違った。逆コースで入る人達です。キャンプ地の犬達も一緒に付いて来る。何処まで来る積りかなーと思っていたら、途中で他の犬と睨合い吠え合いながら最後まで付いて来てしまった。ガイドが昼食を食堂で頼んでいる間一休み。犬達も食堂に来るのが分かって、それが目当てで来たのだった。キャンプの犬達だけでは、他の犬の縄張りを通る事になるので来られないから。
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象乗り

2008-01-19 23:16:40 | トレッキング
2008/01/19
筏下りの終点から車で象の乗り場まで移動。象に乗るには2m位の櫓のプラットフォームから乗り込みます。象の背に二人掛けのベンチが有りこれに座って行きます。象使いが頭の上に乗り掛声で象を動かします。初め溝状の凹地上って行きました。そのルートはすっかり象の足跡の丸い窪みの段々に成っていました。
 象の乗り心地は決して良い物では有りません。前足が動く度に肩が大きく動くため、ベンチもガクッ、ガクッと大きく揺れ大変です。坂道は上りでは、ひっくり返りそうに成ったり、下りでは前にズレ落ちそうに成ります。その上空腹な時は途中で食べ物を見つけると、そちらに向かってしまい象使いの言う事を中々聞きません。歩きながら糞はするは、小便はするはで一筋縄では行きません。途中の水飲み場では、ご褒美のバナナやサトウキビなどを手渡しで上げます。勿論このご褒美はお客が買って与える仕組みです。
 今アジア象は開発による森林の減少で厳しい状態に有ります。かって材木の運搬に従事していた象達も、機械化により職を失い、都会に出て物乞い同様にしたり、観光客相手に細々と生きている様です。
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竹筏で川下り(ラフティング)

2008-01-19 23:07:19 | トレッキング
2008/01/19
 トレッキング最終日のメインは竹筏の川下りと、象乗りです。休憩した食堂から車で筏乗り場へ。数年前に来た見覚えのある場所でした。4、4、3人とそれぞれの筏に分乗しました。筏は太い竹を並べて束ねた、幅1m、長さ10m位です。腰掛ける横木(実際は竹)があるだけで掴まる手摺も有りません。船頭が前で竹竿を操りながら下って行きます。乗客の一人は後ろで竹竿を持って舵取りをしなければなりません。私達の船頭はまだ中学生位の男の子で必死に成って筏を操っていました。
 流れが緩やかな川ですが瀬や淵もあり、ちょっとした段差の滝もあり結構楽しめます。竹の筏ですから、数人が乗ると表面まで沈み全身濡れ鼠の覚悟が必要です。従ってカメラ類は持って行けません。水着を用意した人は水着姿で、無かった人は濡れても構わぬ格好で。約1時間弱の川下りの途中、淵の所で一時停車。崖の上から飛び込みが出来、フランス人4人組が挑戦していました。
 ここで終点かと思い際、更にその先に行くかどうか聞いて来ました。その先は狭まり、段差の滝となってかなりの急流です。エーイ!どうせなら行ってしまい。Go! Go! と突入。瞬間今まで平らだった筏が前のめりに傾き、泡立つ滝の中へ。左右から水がザバーっと掛かり全身水浸し。ここまでは後ろで立って竿を指していたが、流石に此所は立っては居られなかった。この川下り一番の難所でした。
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トレッキング2日目

2008-01-18 23:23:35 | トレッキング
2008/01/18
朝食を済ませて一泊目のホイ・ヤオ村を出発したのは10時になってしまった。昨夜遅くまで騒いでいた人達が、起きるのが遅い所為でもある。此処でスウェーデンの女の子達とイギリス人女性は、1泊2日のトレッキングだったので、別れて山を下って行った。
 森の中の急な登りを30分程登り、尾根に出て平な道を歩く。途中で木を伐っている人達に出会った。村の幼稚園を作る為の木材を、取りに来たのだと言う。出発してから2時間、そのカレンの村パーモン村が見えて来た。此処でちょっと休憩する。家々の屋根は木の葉で葺いた素朴な物。その一角に幼稚園が在った。先ほどの人達は、この村からあんな遠くまで、行って居たのだった。幼稚園がまだ未完成なのか、或は増築する為の材料だったのだろう。村の遥か向うにはタイで最高峰のドイ・インタノンが見え眺望の良い所だった。

         材木の切り出し

      パーモン村(屋根は木の葉葺き)
 再び歩き始め、急な下りを40分程下る。下るに従って滝の音が大きく成って来た。滝と言っても初日の滝の様に落差の有る物では無く、何段もの滝が連なっていてるのだった。この幾つも続く滝には名前は着いて居ないと言う。そんな滝の一つの所で昼食にする。昼御飯は、出がけにガイドが料理して作った弁当で、大きな木の葉で包んだ物。各人に渡されて持って来たのだが、何かと開けて見るとチャーハンだった。これを作っていた所為で、朝の出発が更に遅く成ったのだが。この木の葉の弁当は、プラスチックのランチボックスよりも風情が有り、捨てても自然に帰るだけで好評だった。この場所でも泳がせるつもりだったらしいが、流れも速く誰も泳がなかった。

        無名の滝

        トトロの弁当

       中身はパッ・タイ(焼きビーフン)
 川沿いの細い崖道を下り淵に成っている所で1時間程休憩。他のトレッカー達も既に休んでいた。この場所は流れも緩やかに成り、我々以外の人達は泳いだり、向かいの崖から飛び込んだりして、楽しんでいた。

      崖から飛び込むガイド

      飛び込んだ瞬間
休憩後再び川沿いを付かず離れず下り、川岸に小屋掛けをしている休憩所に出る。ガイドは用が有ると言って出かけ、ここで1時間半程待たされた。泳いだ人達は皆縁台に、トドの様に横に成って居た。この休憩所はトレッカー目当てに、カレンの人が開いている所で、飲み物や菓子、ちょっとしたお土産物などを売っている。客が来ない間は糸を紡ぎ、居座り機で土産物の布を織っている。

        休憩所
 ようやくガイドが迎いに来て、田圃の中を進む。水牛の子供が一匹だけいて変だなーと思って暫く行くと、水牛の群が居た。それを避けて行くと、横から大きな水牛が現れ、先頭を行くガイドが慌てて逃げた。さっきの子供の水牛の母親で子供を捜しているのだった。

        水牛の群れ
 今まで下って来た川を、竹の丸木橋で渡る。手摺の竹が一本、片側に有るだけのスリル満点の橋。川から離れて森の中を行くと、メイ・ワンの滝と言う大きな標識があり、階段をかなり下ると大きな2段の滝に出た。今日下って来た川はメイ・ワン川でその最大の滝がここなのである。

        竹の丸太橋

        二段のメイ・ワンの滝
 滝から崖を登って、田に引く用水路の畦道を暫く行くと、一面の田圃が開け、その向うにバンガローが立ち並んでいるのが見えて来た。今日の宿ワン・オウ・キャンプに到着。緑の草原にバンガローが建ち、その脇には長屋の様に竹の小屋が並びお土産品を売っている。このバンガローは別料金で他のメンバーはそれぞれこのバンガローに泊まった。これで今夜は一緒にならずに済んで、我々はバンブーハウスにゆったりと泊まる事が出来た。

           水路

        ワン・オウ・キャンプ

      トレッカーを待っているお土産屋
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夜明け前の星空観望

2008-01-18 22:30:10 | トレッキング
2008/01/18
朝5時半に目が覚め、外に出て見ると満天の星空です。再び寝るのはもったいなくて、夜明けまで外で過ごしました。山間部に電気が通っているとは言え、夜電気を点けている家などは何処も無く、星を見るのには絶好の条件です。頭の上には獅子座、南天には蠍座、すでに春や夏の星座になっています。暗い夜空でないと見る事が出来ない蟹座のプレセペも見る事が出来ました。夜明け前の東の空には、人口の光かと思う程明るい金星が輝いています。その後から見る機会少ない水星も上がって来ました。
 暗い星が徐々に消えて行き、空が白んできます。あちこちから鶏や鳥の鳴き声が聞こえて来る頃に成ると、気温が最も下がり朝露が降りて、木々の葉からしずくの落ちる音がして来ました。下の谷間ではこれが霧となり立ち昇り朝日が当たるとともに消えて行きました。

        夜明け前

        朝霧
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一泊目のホイ・ヤオ村へ

2008-01-17 23:54:38 | トレッキング
2008/01/17
ガイドが歩き始めのカレン族の家の下から白い貫頭衣を示し、これが未婚の女性が着るもので、結婚すると紺色の衣服に変わると教えてくれた。結婚の仕方も親同士が決める事や、適齢期が17才から23才などを説明してくれた。
 村を抜けると林の中を進む。ガイドが道ばたに生えている草を示し、山地の人々はハーブとして利用していると、教えてくれた。日本のヒヨドリソウに似た草で、レモンの香りのする草だった。林の中は熱帯と温帯の樹木が混じり、松の木もあり、家の材料や火付けようとして珍重してるとの事だった。樹脂が豊富な木は削り取られたり、焼け焦げて居た。尾根を超えて所々田の畦道を通ったりして約2時間歩き、今夜の宿泊するカレン族のホイ・ヤオ村に17:00時到着。


         一休み

         畦道

 尾根上にある村で、一番上の家族が所有するゲストハウスに泊まる。
ゲストハウスは屋根はスレート葺き、壁は板張りで床は竹の簀子なので、寝ていて誰かが動くと、振動が皆に伝わって来る始末。マットレスと布団があり蚊帳も用意されていたので、夜の寒さを心配したが杞憂だった。トレッカーが来ると、村中の女性や子供達が手に手に土産物を持って、売る為にゲストハウスに集まって来る。色鮮やかな布地の小物入れや、アクセサリー。何れもハンドメイドの品々である。

    ゲストハウスに集まって来た村の女性達
 ガイドが夕食を作っている間、村の中を見物。犬が沢山居て、見知らぬ者が来ると吠える。一匹が吠えると、他の犬も集まって来て吠え掛かるので、始末が悪いが無視。町中もそうだが、タイは犬が多い。その上皆繋がれておらず半分飼い犬、半分野良犬状態で、勝手に動き回っている。
 村の家は何処も高床式で、下で黒豚を飼っている所が多い。この豚も犬の様に紐で繋がれていて、おかしい。鶏は放し飼い。牛を飼っている家もある。村には簡易水道が有り、電気も通っている。テレビやトラックを持つ家も在り、生活が向上してると見受けられた。
 炊事は薪で行っていて、焚木を作る為に薪割りをしている家があった。薪割り用にちゃんとある長さに切って有るのでは無く、丸太を削って行く様な薪割りの仕方。面白そうなので私もやらして貰ったが、結構大変な力仕事だった。火を絶やさぬ様に外に焚火があり、火種を何時も残してある。


      村人の炊事

      元気な子供達


 村には雑貨を売る家が二軒程在った。品数も少なく最低限村で必要な物を売っている様子。一軒は駄菓子と石けんや調味料などを少々。子供達が1バーツ・コインを手にキャラメルを一個買いに来ていた。子供の頃同じ様にして駄菓子屋に行った事を思い出した。
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トレッキング開始

2008-01-17 23:30:38 | トレッキング
2008/01/17
タイ北部では山岳地帯を歩くトレッキングが人気です。チェンマイでも多くの旅行社やゲストハウスが取り扱っています。ポピュラーなのはチェンマイの南にあるタイの最高峰ドイ・インタノンの麓を歩くコースです。今回近くのゲストハウスが取り扱う(代理店)ツアーに申し込み、メイ・ウィアン(Mae Wiang)コースの2泊3日のツアーに参加しました。主催は Buddyツアーと言う所でした。集まったのは若いスウェデン人の女の子2名、スペイン人(?)のペア、フランス人のペア、フランス人の男性若者4人組。BBC局員のイギリス女性1名と我々3名の全部で14名。

   トラックで出発地へ
 各宿からピックアップしてツーリスト・ポリスに向い、本人確認をして車で出発したのは11時に成って居た。途中のソンパトン(Son Pha Tong)の町で食料や水、各自の必要な物などを買い出し。そしてドイ・インタノンの北側の道を西に向う。途中で脇道に入りメイサポックの滝が有るキャンプ場に着いた。ここのレストハウスで昼食。出たのはソンパトンで仕入れて来たチャーハンだった。外人向けに味着けてありピリッ辛さが無くて不味い。
「トウガラシないの?」と聞くと。
「トウガラシ好きなの?じゃ夕食のとき用意する」とガイド。
「そうじゃなくて、今欲しいの。辛くしないとこのチャーハン、不味くて食い無いよ」。
「ああ分かりました。ちょっと待ってて下さい」と言って店から貰って来た。全員このタカノツメのナンプラー漬けは好評でお替わりする程でした。
 レストハウスから川沿いの山道を20分歩くと、高さ20m、巾30m位のメイサポックの滝に出る。ここで泳ぐ予定だったが、流れも速くその上濁っていて冷たかったので、誰も泳ごうとはしなかった。ガイドが一人飛び込み滝などに打たれていた。
 滝から来た道を分岐まで戻り更に西へ。道路脇の頂上にあるお寺ワット・ユフーン(?)に着く。階段を上り少し行くと奇妙な形をした人物像が3体。其の先の崖の上に黄金仏。更に其の先の頂上には仏塔。その先は絶壁に成って居て、遥かに重畳と連なる山並みと、眼下に田畑や集落が森の中に点在している、大パノラマが開ける展望台になっている。このお寺の岩には埋もれる様に、仏像や人物や顔が彫り込まれ、一種異様な感じである。

       滝へ

   メイ・サ・ポッ(Mae Sa Pok)の滝

     山頂の寺院

     不思議な3人像

      黄金仏

     岩に刻まれた仏頭
 お寺から10分出発地点のカレン族の住む村に到着。いよいよ此処からトレキング開始である。
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生きるのは大変

2008-01-17 23:05:22 | トレッキング
2008/01/17
 放し飼いの犬が多い事は既に述べましたが、正確には飼っているのでは無くて、勝手に居ついでいると言うのが本当の様です。従って餌を貰える訳ではなく、自分で見つけなければなりません。町場の食べ物が豊富な所ではおこぼれに与る機会も多く、肥満気味の犬も居る。しかしこの山地の村の犬はそんな機会は少なく、皆痩せこけています。
 食事時に成ると逸早く匂いを嗅ぎ付け、テーブルの下に集まって、おこぼれの落ちて来るのを待っている。パンの一かけらでも先を争って食べる。そんな量で決して空腹を満たせるとは思い無いのだが。従って食べられる物なら何でも、トウガラシでも厭わずペロリと食べてしまう。テーブルの上に残した物などは、人が居なく成ると上に乗って食べてしまう。とにかく食べる事が生き残る道なのです。
 夜になるとかなり冷えて10℃位に成ります。犬も流石に寒いらしく、焚火の残り火の周りで丸く成って寝ています。シッポや髭が焦げそうに成ってもおかまい無しです。日中に成れば逆に暑さが厳しく、日陰でハアハアしています。人も生きてくには厳しい環境ですが、犬に取ってはそれ以上に過酷な世界なのです。
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夜は最悪の大フィーバー

2008-01-17 23:01:18 | トレッキング
2008/01/17
 ガイドのカーンは一時バーテンをやっていたとかで、料理の腕も中々の物でした。食後は皆焚火の周りに集まって、ビ-ルを飲みながらガイドのギターや歌を聴きながら団欒の一時を過ごした。11時過ぎに我々とスウェーデンの女の子達はゲストハウスに入った。残った人達はそれから、大フィーバー。電気が来ているので、大音響の音楽を鳴らし飲めや歌いの大騒ぎが深夜1時過ぎまで続いた。音楽を止めゲストハウスに入ってからも騒ぎは治まらず、アーアなんて連中と一緒に成ったんだと思いながら、こちらも眠れずイライラされられた。
 何時まで経っても騒ぎを止めないので、「静かに!」と注意をした。しかしそれでも全然効き目が無く、とうとう堪忍袋の緒が切れて
「黙れ!騒ぐなら出てけ!」と怒鳴ってしまった。しかし相手はフランス語の人達で何人分かったかは疑問?それでも語調で感じたのか、少し静かに成った。全く静かに眠りに就いたのは2時過ぎだった。
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アユタヤ観光

2008-01-14 23:44:13 | タイ
2008/1/14
別の友人達が13日にバンコクにやって来ました。タイは初めてだと言うのでアユタ1日観光に出かけました。バンコクの安宿街カオサンでツアーを予約して置き、朝宿からピックアップしてもらい出発地のカオサンに集合。ここでツアー会社が目的地別に分け、我々はアユタヤ観光のマイクロバスに乗り込みました。バスは韓国人の若い男女4名と黒人夫婦が一組と我々3名。今回参加したのはMAMAツアーと言う旅行社が主催するツアーで40名近くが集まり、その一部が我々の車の1日アユタヤ観光で、後は黄金の三角地帯ツアーとの組合せの人達でした。バンコクから小1時間でアユタヤに到着。アユタヤは川がくびれて島になった所に王都が作られ栄華を極めたが、ビルマとの戦いに破れ徹底的に破壊され滅びた。アユタヤは日本人には傭兵として仕えた山田長政が有名で馴染みがあるが所で日本からの観光客も多い。バンコクからも近く人気の観光地でもある。
 最初は遺跡の北西に聳える大仏塔、ワット・プー・カオ・トーンに向いました。白亜の大仏塔でビルマ占領下にビルマ様式に改造されたが、後にタイ様式に作り替えられた。その所為で基壇や仏塔は セメントで表面が塗り潰されている。

     ワット・プー・カオ・トーン

      ツアー参加者とガイド

      お賽銭が入れば願いが叶う?
ここに来る途中にビルマ軍と戦って戦死したスリヨータイ王妃の仏塔の前には、絶滅した恐竜時代の鳥の様な極彩色で巨大な雄鶏の像が立っていてビックリ。そう言えばこの仏塔までの道の両脇には鶏の置物が点々と立ち並んでいた。
 次に王宮の守護寺院だったワット・プラ・シー・サンペットを見物。寺院跡は壊滅的にビルマ軍に破壊され石の仏像も殆ど首を落とされている。わずかに3人の王の骨が納められている釣鐘型の仏塔が往時の面影を残しているのみである。後は夥しいレンガが露出した廃墟のみである。

 3人の王の遺骨を収めた仏塔(Wat Phra Sri Sanphet)

   ワット・プラ・シー・サンペット(王家の守護寺院)
次にこの寺院に隣接したヴィハーン・プラ・モンコン・ピボットを見物。ここにはタイ最大の青銅仏が納められている。勝手は野ざらしに成って居たのを、今は屋根を着け新しい寺になっている。
 この寺の脇の食堂で昼食を食べた。一応ビュフェ方式だが、ご飯とおかず2品だけで、40名からの人数ではすぐ空になり、足しても足しても追いつかない有様。テーブルも間に合わず、隣の食堂のテーブルを使う羽目になった。飲み物は別料金なので、座った所の食堂で友人が缶ビールと水を買ったら、倍の値段を取られた。
 食後はアユタヤ時代のタイの伝統的な木造家屋を再現した、クンペン・レジデンスのチークの黒光りのする板の間で、寝そべって一休み。個人で来た場合には、ここで昼寝でもしたい気持ちの良い所である。

     アヤタヤ時代の民家
次にエレファント・キャンプで像のショーを見てから、巨大な涅槃物が有るワット・ロカヤスタに行く。涅槃像の前にはお参りの為の、線香と蓮の蕾みを売る店が有る。ガイドが蓮の蕾みの外皮を一枚一枚剥がして折り畳み、蓮の花の形にする方法を教え、お参りを勧める。涅槃像の背後のは全くの瓦礫の山で寺院面影も無い。

     涅槃物(ワット・ロカヤスタア)
 最後は菩提樹に仏像の首が取り込まれている寺ワット・プラ・マハタートを見物。寺院前の巨大な菩提樹の根元から、仏像が顔を出している。ビルマ軍に首を落とされた仏頭が、勝手は地中に埋もれていたが、木に取り込まれ成長すると同時に、段々高く成り現在50cm位の高さになっている。この寺院の規模は大きく、回廊後の壁には多くの首無しの石仏が並んで居る。勝手は巨大な仏塔が在ったが崩れ、僅かに原型を留めて居る。本殿の周りにはレンガが剥き出しに成った多くの釣鐘型の仏塔が建ち並んでいる。その一つは仏塔の半分が崩れて終い、今にも崩れそうである。

木に取り込まれた仏頭(プラ・マハタート寺院)

         大仏塔跡

       首を落とされた仏像

 修復され残った仏像
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